レベッカの野望
シンディの話を聞きながら、サラは改めてこの世界で女性が働くことの難しさを実感していた。
「いろいろな事情で下働きができなくなった女性がいらっしゃるのであれば、内職のようなお仕事を紹介することはできると思います」
ところがシンディは、サラの発言に予想外の反応を示した。
「あ、いえ。確かに内職を斡旋してくださるのも大変ありがたいお話ですが、私が申し上げたいのはメイド経験のある女性や、元貴族の女性たちなのです」
「は?」
『え、ちょっと待って。なんでそんな女性が下働きをしているの?』
「少しばかり理解に苦しむのですが、そのような方々も下働きをされているのですか?」
「はい。結婚などで職を離れてしまった方、騎士爵の令嬢、中には下級貴族出身の方も住んでいます。夫を亡くしたり、離縁されてしまったり、実家が没落してしまったりと事情はさまざまですが、頼るべき男性の家族を失った女性たちがいます」
「それほど女性の就職は厳しいのですね」
「はい。残念ながら」
『男性に依存しなければ女性は生きて行くのがこれほど難しい社会だというのに、女性が一人になってしまったときのセーフティーネットが無いのだわ』
「実は私に文字を教えてくれた女性は元男爵令嬢だったそうです」
「男爵令嬢だったのであれば、今でも貴族ではありませんか。父親か男爵位を継いだ男兄弟はどうしているのでしょう?」
「彼女は大きな商家に嫁いだそうなのですが、子供が生まれず離縁されたそうです。夫の妾に子供ができたため、そちらを本妻にしたかったようですね」
「実家には戻らなかったのですか?」
「ご兄弟と折り合いが悪く、離縁にともなう慰謝料は実家に支払われたそうですが、彼女自身は籍を抜かれて追い出されたそうです」
「それはひどい話ですね。どこのお家なのかしら」
「詳しくはわかりません。私が聞いても理解できませんし。彼女はあまり身体が強くなかったのですが、私たちの面倒を見ながら読み書き、簡単な計算、裁縫などを教えてくれました。手先は器用だったので内職のお仕事も請けていました」
「その方は今でもその集落に住んでいらっしゃるの?」
「ええ。随分と年は重ねていますが、今でも近所の悪ガキを叱り飛ばして、勉強を教えていますよ。彼女に教わってアカデミーを目指す人も居るんです」
シンディはチラリとジェームズを見た。
「もしかして、ジェームズさんの先生でしたの?」
「はい。初期教育だけですが。それまで勉強にはまったく興味が無かったんですが、勉強が面白いと思わせてくれた方です」
「それは恩師ではありませんか!」
「そうなりますね」
ジェームズとシンディは微笑みながら頷いた。どうやらこの二人は幼馴染らしい。
「それなら、もう少し援助などをして差し上げても良いのではありませんか?」
「私たちからは何度も申し出ています。彼女の教え子は多いですから。ですが、彼女はまだあの場所で子供たちの面倒を見ていたいそうです」
「なるほど素晴らしい方なのですね」
「ですから彼女から教えを受けた女の子たちを、執務メイドの見習いのようにできないかなと思ったのです」
この意見にジェームズは否定的であった。
「それはどうだろうか。読み書きと最低限のマナーは確かに習得しているが、そのレベルで城のメイドにはなれない。この城のメイドは下級貴族や富裕層出身者ばかりだ」
「そう、なのね…」
ジェームズの意見にシンディがしょんぼりした。が、サラはジェームズとは裏腹に、身を乗り出し、食い気味に主張した。
「待ってください!! 城のメイドになりたいという話ではなく、女性たちが働く場所を新たに作るという話ですよね? 私は『執務メイドのように』働ける人が欲しいだけで、城のメイドを増やしたいわけではありません。基本的な読み書きと計算ができるのであれば、新しい簿記の知識とメイドたちの業務を教育する機会を用意し、そこから適性に合った部署に配属すれば良いのではありませんか!?」
しかし、そこでレベッカがニッコリ微笑んでサラの勢いを止めた。
「サラさん、もう少し優雅に振舞いましょうか。気持ちはわかりますが淑女らしくありませんよ」
久しぶりにガヴァネスのお説教が飛んできた。人が見ていない場所でヘタレをぶっ飛ばしていたとしても、人前では淑女になるのがレベッカである。
「申し訳ございません。お母様」
「もちろんサラさんの主張は間違っていないと思うの。それに執務室のメイドも足りていないことですし、せっかくだから執務室メイドを育てるような場所を作ったらどうかしら?」
「それは商会の見習いを育てる施設というより、教育機関を作るという話に聞こえるのですが」
「ええ、そのつもりで話をしていますもの」
『話の規模が大きすぎると思うのは私だけかなぁ』
「えっと、教育機関を作ることを反対するつもりはありませんが、私は商会の従業員を確保するという話をしているので、ちょっと規模感が違うという気がしているのですが…」
しかし、レベッカの発言を文官たちは聞き流さなかった。
「いや面白い発想ですよね。新しい教育機関」
「新しい帳簿の付け方を教えるんでしたら、女性だけでなく男性にも門戸を開いて欲しいですね」
「アカデミー進学に向けた予備校的な位置づけになるかもしれない」
「それより執務メイドを増やす教育機関と言うことに意味があるんじゃないですかね?」
『あ、なんか変な感じに盛り上がってる』
「お母様、それって今思いついたわけじゃないですよね?」
「ええ。以前から考えていたわ。私のように学びたくても学べない女性たちを受け入れる学校を作りたかったの。でも、オルソンの領地は小さいし予算も確保できないでしょ? だから半分くらい諦めてたわ」
「商会の私立学校というか私塾なら作れると思いますが、それでお母様の野望を叶えられるのでしょうか? あまり大きな規模では展開できませんが」
「野望ね。せめて夢と言って欲しかった気もするけど、それで十分よ。親孝行な娘ね」
「将来への投資と思えば、親孝行とは言えないかもしれません」
サラとレベッカのやり取りを見ていた侯爵とロバートは、同時に顔を見合わせて頷きあった。
「おい、お前たち。別に私立にせんでも、領の公立学校でも良いのではないか?」
「そうだよ。商会がやらなくてもいいんじゃないか。将来のための投資なんだし」
しかしサラは首を横に振った。
「それは難しいと思います。公立学校を作るともなれば、ある程度以上の規模が必要ですし、教師となる方もそれなりの方を招聘しなければグランチェスター領の面目が立たないでしょう。長期計画で取り組まなければならないはずです」
レベッカも追随する。
「先程から申し上げておりますが、基本的には女子教育を中心に考えております。男子にも門戸を閉ざすつもりはありませんので共学にはなると思いますが、男子には他にも受け皿がありますから自然と女子が多くなるでしょう。正直、女子に高等教育は不要と考える人は多いですし、領の公立学校なら通常は男子を中心とした教育機関の方が自然ではありませんか?」
侯爵は腕を組んで目を閉じながら考え込み、そして軽く唸った。
「ううむ。確かにその通りだ。教育計画は咄嗟の思い付きでやるようなことではないな」
「だけど金銭的には楽じゃないはずだよ?」
ロバートが心配げな表情を浮かべた。
「祖父様方は規模を大きく考えすぎなのです。女子教育など初めての試みなのですから、手探りにならざるを得ません。いきなり大きく始めるのではなく、小さく始めて試行錯誤すべきでしょう。お母様もそのように思っていらっしゃるのでは?」
「ええ、私もあまり大きな学校を作る気はないわ。それに、私の私財も投入するつもりよ。10年前の賠償金には手をつけていないから」
『一体どれくらいの賠償金もらったんだろう?』
サラは下世話なことをちょっとだけ考えた。だがロイセンという”国”から支払われたのであれば、それなりに大きな金額だったのではないだろうか。
しかし、文官たちはやや不満顔であった。特にジェームズとベンジャミンは、露骨に残念そうな顔をしている。
「新しい簿記も教えるんですよね? うちの文官たちも放り込んで良いですかね?」
「学費かかりますから、ジェームズさん自身が教えられたらいかがですか?」
「執務メイドの教育ってどこまでですかね?」
「それは、これからイライザに相談しますが、貴族を相手にしても問題がないレベルまでは育てたいですね」
「うっ…それは欲しいです」
「ベンさんの気持ちは良くわかります」
サラはにっこりと二人の文官に微笑んだ。
「でも、うちの商会で働いて貰う予定なので、引き抜いたら泣くかもしれませんよ?」
「お嬢様ズルいです!」
「実際のところ、どの職場で働くのか本人が決めることですから、お城で働きたいと本人が望めばそういうこともあるでしょうね」
「そうか! おいジェームズ、執務メイドの待遇を改善するぞ!」
「そうだな!」
こうして城の執務メイドの待遇が改善されることとなり、執務メイドだけでは不公平ということで、他の使用人たちの待遇も大きく見直されることとなる。そのせいで、他領出身者からもグランチェスター領で働きたいと希望する人も増えていくのだが、もちろんこの時点で予想できている人は誰もいなかった。
2022年の更新はここまでです。しばしお正月休みに入ります。