結婚は人生のゴールではない
祖父様の台詞にあった物凄く恥ずかしい誤字を修正してくださった方に大感謝です。 (__)
ふとロバートとレベッカに目を遣ると、二人はナニヤラぼしょぼしょと小声で会話をしているのが見えた。どうやらあまりこちらの話を聞いていなかったらしい。
『そういえば、さっきからお二人は空気になってたわね。なんかあるのかしら?』
「お父様、お母様、どうかされましたか?」
二人はびくりとこちらを振り向いた。
「お前たち…サラが良い話をしていたというのに…」
「聞いていなかったわけではないんですが、ジェームズが結婚を延期していた話が他人事とは思えなくて」
ロバートが困り顔で言い訳をした。
「どちらかというと、延期してもシンディさんを逃がさないために努力したジェームズさんの誠実さと気合いを見習っていただきたいくらいですけどね」
「確かにサラさんの言うとおりね」
レベッカは大きく頷いた。その様子をみてシンディは首を傾げた。
「申し訳ございません。あまりご領主様のご家族について存じ上げないのですが、ロバート卿は独身で、サラお嬢様はアーサー卿のお嬢様でいらしたかと思っていたのですが…」
「うん。あってるよ。サラは僕の養女になるんだ。まだ正式に籍には入れていないんだが、レヴィと結婚後には僕たち夫婦の娘になる」
「なるほど。やっとご婚約されたのですね!」
その場にいた侯爵と文官は一斉に笑った。
「おい、ロバート。お前は一般の領民にまで『やっと』と言わしめたぞ」
「やっぱり皆さん思っていらしたのですね。お父様…カッコ悪いです」
すると発言したシンディが慌てだした。
「も、申し訳ございません。私が不用意な発言をしたせいで!」
「シンディ嬢、気にしなくていいよ。僕がヘタレなことは、どうやら周知の事実だったようだから」
「シンディさん気にしないでね。この件は全面的にロブが悪いから」
レベッカがにっこりと微笑んだ。
「実はさっきからロブと話をしていたのはね、お二人の結婚式を城内で行って頂いたらどうかなってことなの」
「うん。僕たちは結婚式のため、城内にある古いホールを改築する予定なんだ。でも1回の結婚式にしか使わないのはもったいないかと思っていたんだよね。僕たちの後にはなっちゃうけど、領のために尽くしてくれたジェームズと、そのジェームズを支えてくれたシンディ嬢に使ってもらえれば嬉しいかなと」
「もちろん、お二人に別の計画があるなら無理強いするつもりはないのだけど」
ジェームズはシンディの方を振り向いた。
「僕はいいと思うけど、シンディはどう?」
「会場が凄く素敵過ぎて、私たちの親戚が呼べないかもしれません。それに花嫁の私が城に負けそうです」
シンディが焦ったように答えた。
「ホールは城壁に近い場所にあるし、その後はガーデンパーティにしちゃえばいいんじゃないかしら? 少しばかり羽目を外しても、誰も文句言う人はいないと思うわ。もちろん実際に会場を見てもらってから決めても全く問題ないわよ」
「お母様、とても熱心ですね」
「だって待たされる気持ちは理解できるもの」
「お母様の待ち時間は10年以上ですからねぇ」
待つ側の年季の入り方が違うレベッカにしてみれば、シンディに幸せになって欲しいという気持ちが強いらしい。そして、ロバートの方も待たせた自覚があるため、おそらくレベッカの言うことには黙って従うだろう。
「その件については、あくまでもお父様とお母様からの提案ということで、今日のところは終わらせた方が良さそうですね。そもそもお二人の結婚式の計画もまだまだ詰めなければならないことが多いでしょうから」
するとシンディが逆に提案をしてきた。
「もしかして、ホールにはステンドグラスが嵌っていますか?」
「えーっと…。確か普通の窓ガラスだった気がするわ」
「折角ですしステンドグラスにしてみませんか? 私の父が得意にしているのはステンドグラスなのですが、最近は注文してくださる方があまりいないです」
『なるほど。色ガラスの製法について詰め寄るわけだわ』
「それって素敵ですね。いつか私が結婚するときにも使えるかも?」
「サラはお嫁になんかいかないよね!?」
「お父様、私を寂しいお一人様にするおつもりですか?」
「ロブ…みっともないわよ。ごめんなさいね、サラについてはちょっと面倒なのよ」
するとシンディも目を細めて微笑んだ。
「いえ、うちの父もそんな感じなので」
「それはジェームズさんも大変ね。ロブみたいにうるさいの?」
これにはジェームズがため息を吐いて答えた。
「最初に挨拶に伺った日、ハンマーをもって私を待ち構えていましたよ。『シンディは職人として名を馳せる娘だ。文官の嫁になどできるか』と言われまして」
「それでジェームズさんはなんとお答えに?」
「はは。ちょっと恥ずかしいのですが、『職人としてのシンディを愛しているので結婚しても家事はさせません。メイドを雇います』と申しました」
その瞬間、サラの背筋をゾクリとした何かが走り抜けた。
『そうだ…家事だ。この世界で女性の社会進出を妨げる最も大きな要因だ』
更紗の時代と大きく異なるのは、この世界の家事事情である。前世のような便利な家電がないため、洗濯や掃除には多くの時間を割かねばならない。しかも、家事の負担は圧倒的に女性側の方が大きい。
子供ができれば、さらに状況は過酷になる。前世のような保育園や幼稚園は無く、それどころか小学校もない。そのため地域の女性同士が協力しあっていなければ、子育てもままならない。
女性は家庭を守ると言えば聞こえは良いかもしれないが、多くの女性は一日の大半を家事や子育てに追われて生活するしかない。女性が外で働ける場所が少ないのは、そもそも外で働ける女性が少ないということも理由の一つなのだ。
領内の女性にとって城のメイドは憧れの職業の一つであるが、それでも結婚したら退職してしまう女性の方が圧倒的に多い。不思議なことに男性の使用人の場合は、『結婚して落ち着いてからが一人前』のように言われる。
こうした状況で働き手である夫が亡くなった時の悲惨さは、サラの実の両親が証明している。寡婦が働く場所といえば、農家の手伝い、家政婦、商店の店員くらいだろう。酒場や娼館で働くという女性もいるが、年を取ってから寡婦になった場合は難しい。
年を取った女性の中には子供を預かって面倒を見る人もいるが、こうした女性に子供を預ける母親の主な職業は娼婦であるため、『子供を人に預ける』という行為そのものに眉を顰める人もいるのだという。『自分の子供の面倒も見ないで何をやっているのだ。もしやふしだらなことをしているのか』という理屈らしい。実に馬鹿馬鹿しい話である。
アメリアのように子供が薬草取りなどで金を稼ぐことはある。しかし、主婦が家を空けて薬草を取りに行くのはやはり難しい。裁縫の腕前が良ければ内職という手もあるが、依頼そのものが限られている割に仕事を請けたい女性は多く、どうしても単価は低くなってしまう。サラの母であるアデリアは、そもそも裁縫が大変苦手であったため、内職を検討することさえしなかった。
そう考えると、ジェームズの発言は、この世界の男性としては驚きの宣言であった。そして新たな雇用を創出する行為でもある。
『女性の雇用創出と家事負担の軽減…この問題を解決すれば人手不足も解消できる可能性高い気がする…だけど意識改革もセットでなければ意味がないんだろうな…』
サラは思考の沼へと沈んで行きそうになったが、咄嗟に自分を引き留めた。
『すぐに結論が出るような問題ではないわね。後でゆっくり考えることにしよう。でも絶対に忘れないようにしなきゃ。結婚は人生のゴールなんかじゃない。その先にはもっともっと長い現実が待ってるんだから』