労働に対する正当な評価
「それにしても、思っていたよりも協力を仰げそうなギルドが少ないのが気になりますね。ガラス職人のギルドが無いとは思いませんでした。鍛冶師のギルドはあるのに」
シンディは不思議そうな顔をした。
「それほど気になりますか? そもそも、うちのように独立したガラス工房はそれほど数は多くありません。多くのガラス職人は商家のお抱えです」
「あぁ、そういうことですか。ということは、もしかして宝飾品などの職人も?」
「宝飾品の職人といっても得意とする技術で細かく分かれます。魔石や宝石のカットや研磨が得意な職人、金属加工が得意な職人などですね。もちろん、すべてを自分で行うこだわりの職人もいますが、大抵は分業制です。うちのガラス製品を使ってカフリンクスなどを作る職人もいるんですよ」
「つまり、一つの工房だけで商品は作れないということですね?」
「仰る通りです。こうした工房はいずれかの商家のお抱えとなり、注文通りに部品を作って納品するのです」
『要するにエコシステムというか、サプライチェーンができているわけね』
「理解できましたが、同時に不安にもなりました」
「不安ですか?」
「もしかして、契約できる商家は1つだけなどの縛りもあるのでしょうか?」
「はい。大抵は専属契約です」
「もし、商家から値下げを言い渡されたら、工房は従わざるを得ないのでしょうか?」
「そうですね。基本は商家の言い値です。うちが独立した工房を構えているのは、商家の横暴に祖父が反発したことが原因ですから。幸いうちはお得意様に支えられておりますが、台所事情が苦しい工房は多いと思います」
「やはりそうなのですね」
横でメモを取りつつ聞いていたカストルが顔をあげた。
「サラお嬢様、これが以前にお話ししていた『競争原理』が効いていない状況と言うことでしょうか?」
「まさにその通りです」
サラはカストルに大きく頷いた。
「商家は優位な立場を利用し、職人たちを不利な条件で働かせています。こうした状況を是正するには、同業者が集まって結成される組合…ギルドの仕組みが有効です。職人が手間暇をかけて作り上げた物を、商家の勝手な思惑で買い叩くなど許されることではありません。商家が無理を通そうとした際、職人たちはギルドとして団結して対抗していくことができます。特定のギルドを持たない、つまり構成員の少ない分野については、総合職人ギルドを結成してはいかがでしょうか?」
「しかし、サラお嬢様は本来商家の立場の方ですよね。そのようなギルドを結成することは、ご自身を不利な立場に追い込むのではありませんか?」
このカストルの問いに対して、サラはキッパリと否定した。
「いいえ。長い目で見れば商家にとっても良いことなのです」
「と、申しますと?」
「あまりに商家の横暴が過ぎれば、職人は廃業せざるを得なくなります。自分の技術を正当に評価されない状況で、どれだけの職人が情熱をもって技術を磨き続けることができるというのでしょうか。私にはいずれ次世代の職人を育成することすら困難になる未来しか想像できません。一度失われてしまった技術は、二度と元には戻らないのです。そしてそれは商家にとっても、質の高い商品の入手経路を失うと言うことでもあるのです」
「なるほど。それは商工業を担当する文官としては得心するほかないですね」
侯爵と文官たちは納得の表情を浮かべて頷いた。そして、シンディは…泣いていた。
「えっ、私なにかヒドイこと言いました? それとも、どこかお加減でも悪いのでしょうか? どうしましょう!」
目の前で女性が大粒の涙を流して泣いている状況に、サラは大いに焦った。
「いえ大丈夫です。ただ、ちょっと感動してしまって」
シンディはハンカチで涙を拭きつつ、鼻声で答えた。
「先程もお話ししましたが、祖父は商家の横暴に耐えかねて独立しました。独立当初は大きな仕事の依頼もなく、祖父は他の工房から下請け仕事を引き受け、祖母は農家へと出稼ぎに行くしかありませんでした。祖父は何度も職人を辞めようとしましたが、その度に祖母が止めたそうです。父の代になって、やっと細工物の注文を頂けるようになったのですが、それでも商家に買い叩かれてしまうことが多くて…。そんな私たちの立場を理解してくださる方が、領主のご一族にいらっしゃることが本当に嬉しくてつい…」
ジェームズは婚約者の肩を抱いて慰めた。どうやら事情は知っていたらしく、驚く様子はない。
しかし、そんなジェームズの様子を眺めていると、サラの胸には釈然としない気持ちが湧きあがってきた。
「祖父様、そして文官の皆さまにどうしても申し上げたいことがございます」
「ほう、サラがそのように訴えるというのは、何やら恐ろしいが」
ほろ酔いではあるが、侯爵は酷くまじめな顔つきになった。
「こうした問題はすべての職人に起こり得ます。いえ、職人に限った話ではなく、すべての労働者に起こり得る話なのです。人の営みとは、言い換えれば人々の労働によって作られるのです。人は労働によって対価を得ることで、自身や自身の家族を養います」
「確かに仰る通りですね」
ジェームズは当然のことを聞かされていると言わんばかりに頷いた。
「しかしながら、こうした労働者には、労働者に対価を支払う側、つまり職人から品物を買い取る商家、あるいは労働者に仕事を依頼している雇用主から不当に扱われるという問題がしばしば起こるのです。具体的には労働に対して正当な報酬が支払われない、正当な理由のない解雇、あるいは雇用主や上司からの不当なイヤガラセなどですね」
「報酬の支払いや解雇は理解できますが、三つ目のイヤガラセというのが今一つわからないのですが…」
ベンジャミンが不思議そうにサラに尋ねた。
「そうですね…いろいろあるとは思いますが、立場の強さを利用して相手を貶める発言をする、暴力を振るう、性的な関係を強要するなどでしょうか。こうしたイヤガラセをする側の人間は『イヤなら他から買う』や『イヤなら辞めればいい』などと言ったことを平気で口にします。しかし、こうした行為を取り締まる法律はおそらく存在しないでしょう」
「まぁそうだな」
侯爵も納得する。
「こうした状況が続けば労働者は疲弊し、心身に影響が出ます。その結果、仕事の質が悪くなったり、家族との仲がうまくいかなくなったり、最悪の場合は犯罪者になってしまったりするのです」
「そこまで極端なモノなのでしょうか? 商工業を担当する文官になって3年程ですが、これまでそのような視点に立ったことがありません」
カストルは商工業の担当者として、今まできちんと目を向けていなかった問題を指摘されてやや狼狽していた。
「あらカストルさんだって、仕事が終わらず過労で倒れたじゃありませんか。これはそのような労働をさせた上司のお父様の責任であり、延いては祖父様の責任です」
「い、いやしかし。どうしようもない状況だったのだ」
「もちろん理由があることは承知しています。だから身体はともかく精神的にカストルさんが傷つけられることはなかったでしょう。ですが、これを日常的に押し付けるような職場だったらどうしますか?」
「それは許されざる暴挙であろうな」
「しかし、雇用主や上司から『イヤなら辞めてもらって構わない。他にも労働者はいる』などと言われたら?」
「……」
サラは真面目な表情で文官たちを見つめた。
「皆様はアカデミー出身のエリートですから、職場を自分で選ぶことのできる立場にいらっしゃったと思います。祖父様をはじめ私どもの一族は『他領ではなくグランチェスター領の文官になってくださりありがとうございます』と、皆様に感謝する立場におります。しかし、そうではない労働者の方が圧倒的に多いことを、どうかご理解いただきたいのです。
労働者は自身の労働を正当に評価されるべきです。労働者の権利をなんらかの権力が阻害するのであれば、それに対抗できる手段を用意しなければなりません。すべての労働者の権利が保障され、健全な職場環境が守られれば、人々は意欲を持って働き、受け取った対価を市場に還元してくれます。そうやって領全体が潤い、延いては国が富むのです」
「労働者を守ることは、領を富ませることだと言いたいのか?」
「正確には労働者“も”ですね。領民を守らない領主に誰が従うんですか?」
もっと正確に言えば「領民」ではなく「国民」と言うべきなのだろうが、さすがに不敬と言われかねないのでサラは自重した。本来は侯爵に対しても自重すべきなのだが、自分も領主一族なのでこれくらいは言っても問題ないと判断した。
なお、この発言に対して文官たちは雷に打たれたようなショックを受けたような表情を浮かべ、泣いていたシンディは泣き止んでいた。…というより全員固まっていた。
「領民を守るということは外敵から彼らの生活を守り、日々の糧を保障することだと思っていたのだが…」
「日々の糧を正当な労働によって得るために労働者をお守りください」
「なるほど」
侯爵も文官も納得するしかなかった。
「すこし話が壮大なテーマになってしまった気もしますが、そうした理由により私はギルドの設立をすべきではないかと考えます。ガラス職人だけではなく、多くの職人を守る総合職人ギルドは重要かなと思います。それと、商業ギルドがどのような運営をされているかはわかりませんが、商家側に有利なギルドなのであれば労働者のギルドを別に立てるか、商業ギルドの中に労働者寄りの部署を作るよう求めるべきでしょうね」
「ギルド運営には領も口を出せぬのだ」
「それは重要です。権力は分散されるべきですから。そうでなければ、領主の横暴には対抗できません」
「むぅ…私はそのようなことはせん」
「祖父様はそうでも、後代の領主はわかりませんよね?」
「そうだな」
農業担当文官のポルックスは、サラの言葉にショックを受けつつも、どこか他人事のような顔をしていた。どうやら自分の仕事の範囲には関係ないと思っているらしい。サラはこれに気付いて、ポルックスもつついてみることにした。
「ところでポルックスさん、農業系のギルドってないんですか?」
「ご、ございません」
『なるほど農協は無いわけね』
「農家の多くは家族で労働ですが、大きな農場では雇用関係も発生しますよね?」
「そうですね」
「では、当然こちらも守るべきですよね。それに農家が生産した農作物を商家に買い叩かれるという問題も起こり得ます」
「さ、然様でございますね…」
にっこりと微笑んだサラに見つめられ、ポルックスは口ごもった。
「でも、あまり口を出し過ぎると領政改革のようになってしまうので、これ以上は控えておきますね」
「サラ、それは…」
「領政改革は領主、次期領主、そして文官たちが相談して決めるべきことです。もちろん領民の声を拾うことも重要ですね。多くの意見を聞いて判断し、最終的な責任を取るのは領主である祖父様です。それに商会に所属する私の立場で必要以上に口を挟めば、公平性が失われかねません」
「……相分かった」
一気に酔いがさめた侯爵は、苦い表情を浮かべるしかなかった。




