グランチェスターの禄を食む
「そうそう、カストルさんには他にも依頼しなければならないことがあるんでした」
メモを取っていたカストルが一瞬固まった。
「サラお嬢様、既にガラス職人の手配、エルマブランデー用の瓶のコンテスト、ガラスの資材の手配、木工職人の手配、魔石の安定供給方法の模索というところまで伺っていますが、まだ続くのですか?」
サラは満面の微笑みを浮かべて残酷に言い放った。
「カストルさんが担当することばっかりで良かったですね。カストルさんのご希望に沿えて何よりです。一緒に楽しく仕事をしましょう!」
「は…はい……」
引き攣った笑いを浮かべながら諾と返答するしかないカストルの肩を、ポンっとポルックスが叩いた。もちろん、良い笑顔全開で。
「良かったなぁ。一緒に楽しく仕事しようなぁ」
「あ、もちろんポルックスさんもですから」
「えっ。ま、まだあったんですか? エルマ農園への根回しでかなり大変そうなんですが…」
「うふふ。もちろんですよ。狩猟大会が近いというのに、文官の方々が暇になるわけがないじゃないですか」
「その…、狩猟大会の時期というのは、農家が収穫を終えて徴税官たちが動き回る時期でもあるのです。当然文官たちも1年で一番忙しくなりますので、その前に休みを取ることが多いのですが……」
『でしょうね。大体わかってたよ』
「まぁ素敵。それって今は手が空いている時期ってことですよね!」
「そうきましたか」
ベンジャミンが困った顔を浮かべている。
「サラお嬢様、微笑みながら相手を突き落とすのはお止め下さい。また倒れたらどうするんですか。今は文官が少ないのですから、もう少しお手柔らかにお願いしますよ」
「新しい帳簿もご用意しましたし、執務メイドもいるのです。去年よりはずっと楽になると思うんですけどね。それに…」
「「「それに?」」」
文官たちがそろってサラの発言を傾聴する姿勢を見せた。
「ここで頑張っておかないと、狩猟大会後に王室や他の貴族家からの問い合わせに悲鳴を上げることになると思いません?」
「うっ…それは」
「それくらいインパクトある商品群だと自負しているのですが」
「確かにそうですね。なるほど承知しました」
ジェームズとベンジャミンは諦めたようにため息を吐き、ポルックスとカストルは肩を落とした。
「そんなにガッカリなさらないでください。文官が少ないというのなら、他を巻き込めばいいんですよ」
「他、ですか?」
「もちろんギルドです。そういえばガラス職人にはギルドは無いのですか?」
これにはシンディが答えた。
「ガラス職人はそれほど数が多いわけではありません。ガラス職人といっても、窓ガラスを作る者、ガラス瓶をつくる者、ガラス細工を作る者などがおり、得意分野も違うのです。これは木工職人でも同じはずですが、建築資材を加工する職人であれば土木建築ギルドに所属していることもあります」
「では所属するギルドが無いということでしょうか?」
「はい。自分たちで店舗を持って販売している場合には、商業ギルドに所属することはできるでしょうが、あまりメリットがありません」
「うーん、それはなかなか大変ですね。ガラスの資材って安くはなさそうですし、色ガラスを作るのであれば数種類の金属を別途手配しないといけないですよね」
この発言には、シンディが驚いた。
「サラお嬢様は、ガラス細工の技術をご存じなのですか?」
「基礎的なことしかわかりません」
「ですが、色ガラスの作り方などは工房の秘匿技術ですから」
「あぁ、なるほど。そうでしょうね」
ジェームズはシンディの肩にそっと手を添え、目を見つめてそっと首を振った。
『わぁお。なんかイイ雰囲気じゃない?』
おそらくジェームズは、シンディがサラの知識について深く尋ねるのを止めたのだ。空気の読める良い文官である。が、それよりもサラは、二人の雰囲気にほっこりした。
「折角ジェームズさんに気を使って頂いたのに申し訳ないのですが、この件はもう少し話をしなければならないかもしれないです」
「と、申しますと?」
シンディは実家の工房が秘匿している技術に言及されたため、身を乗り出して聞き入っている。
「おそらくコンテストを開催するとなれば、色ガラスを使いたい工房が増えることになると思います。珪砂、ソーダ灰、石灰だけでなく、金、銀、銅、鉄、クロムなどが必要になりますよね」
「……えっと、もしかすると私よりもサラお嬢様の方が色の出し方をご存じかもしれないと思い始めたのですが……」
「そんなことは無いでしょうが、秘匿技術で使わない金属で出せる色が知りたいのであれば、有料で開示してもいいですよ?」
サラはにっこりと微笑んだ。
「それはさておき、これから大量のガラス製品が作られることを考えれば、絶対に原材料が不足します。特に色ガラス用の金属については、専属の鉱夫を確保しなければならないでしょう」
「そんな!」
「しかも、採掘する物がなんであれ鉱山は領の所有物ですから、勝手に鉱石を採掘することは法律違反です。さて、カストルさん、珪砂の持ち出しは、この法律に抵触するのでしょうか?」
「法律違反です。とはいえ鉱山のように管理しきれるわけではないので、現実には目こぼしをされているのではないですかね」
シンディの方に目を遣ると、彼女の視線が泳いでいる。
『ははぁ。これは無断で珪砂を持ち去ってるな』
サラは侯爵の方に顔を向けて話し始めた。
「祖父様、きちんと珪砂も領で管理していただけませんか? エルマブランデーやエルマ酒を特産品にするのであれば、瓶は不可欠です。ガラス職人を増やす必要もあります。ですが、珪砂をはじめとする原材料を管理しないまま放置すれば、絶対に職人たちの間で揉め事が起きます」
「そうだな。安定した品質の瓶を作り続けてもらうためにも、管理はきちんとせねばならんだろうな」
「ちょ、ちょっとお待ちください。つまり珪砂を勝手に持ち出すと、法律違反で捕まるということですか?」
『シンディさん、そこで声をあげたら勝手に使ってることがバレバレだよ』
「その通りです」
カストルはやや黒い微笑みを浮かべてシンディに説明を続ける。
「グランチェスター領の所有物を勝手に持ち出した窃盗の罪に問われます。罰金で済めば良いですが……」
「ひっ!」
シンディが小さく悲鳴を上げた。
『嘘が吐けない人なんだなぁ。可愛いなぁ』
「ジェームズさん、シンディさんは嘘の吐けない素直な方ですね」
「あまりイジメないでやってください」
ジェームズは、婚約者の手を撫でて落ち着かせた。
「これまで珪砂を管理できていなかったこちらの手落ちですから、過去に遡って罪を問うようなことはいたしません。ですが、これまでタダで使えていた材料は、今後有料になってしまうことだけはご承知ください。管理しなければ、おそらく同業者との取り合いが発生します」
「…はい」
「それに金属類の原材料ですよね。領の文官が少ない現状で、どれだけきちんと管理できているのか、カストルさんにはきちんとご説明いただきたいところではありますが…」
カストルはゴクリと唾を飲んだ。
「それって私の仕事じゃないので、続きは祖父様かお父様にお願いすることになるでしょうね」
その場にいた全員がズッコケた。まるで〇本〇喜劇のような見事さである。
「サラ、そのようにいきなり梯子を外すとは」
「だって私は文官じゃありませんもの。グランチェスター家の人間として特産品を狩猟大会で無事にお披露目できること、そして商会の人間として自分が売るべき商品を開発することが私の役目です」
「しかしなぁ。サラが起点になっているモノが多すぎて、他の人間に任せるのはなかなかに骨が折れるのだよ」
侯爵も困り顔である。
「カストルさんに部下の方を育てていただく必要がありますね」
「仰る通りではありますが、さすがにいきなりは無理です」
サラはため息を吐いた。
「仕方ありません。どうやら、もう少しお付き合いするしかなさそうですね。もちろん有料です。ところで私の報酬は誰が出すのでしょう?」
「わかったわかった。サラの報酬は私の私財から支出しよう」
『やったぁ』
「どうにも最近はサラに財産を毟られている気がしてならん」
「それは私の妖精と一緒に盗み飲みをしたことが原因ですよね? まだまだエルマブランデーは貴重品なのですから、勝手に飲まれたら困ります」
「むぅ」
さすがにこれには侯爵も反論はできなかった。
「ぷっ」
しかし、このやり取りになれていないシンディは、こみあげてくる笑いを堪えることができなかった。当主に呼び出されてガチガチに緊張し、その後に珪砂の窃盗で捕まるかもしれないという恐怖を味わうなど、普段では滅多に起こらない激しい感情の揺れ幅を経験したことで、感情をうまく制御できなくなっていたのである。
「あははは。す、すみません、笑いが止まらなくなってしまって」
「無理もないですね。揶揄うつもりは無かったのですが、ビックリしましたよね。ごめんなさい」
「それはいいのですが、畏れ多くも侯爵閣下の表情が、盗み飲みを祖母に見つかった祖父とそっくりで、つい。申し訳ありません」
「ふっ…、それは」
謝罪を口にしながらもシンディは笑いが止められなくなっており、そんなシンディにつられてサラも何故か笑いが堪えられなくなってしまった。文官たちも肩をプルプル震わせている。
「シンディ嬢よ…。酒飲みというのは、そうした愚かさを持った者なのだ。存分に笑ってくれて構わん」
真面目な顔で答えた侯爵を見て、周囲は一斉に噴き出した。シンディとサラはともかく、文官たちは既に酒が入っているので、気を抜くと一気にグダグダになる。
「まぁこれ以上はお酒の席で言うべきことではありませんね。実はシンディさんをお呼びたてしたタイミングでは、このような飲み会になる予定はなかったのです」
「そうなのですか?」
「守秘義務があるのでジェームズさんも話さなかったと思いますが、ここ数年ジェームズさんをはじめとする多くの文官たちを悩ませていた案件が先程解決したのです」
「まぁ!」
シンディがジェームズの方を振り向くと、ジェームズもシンディを見つめて頷いた。
「そうだシンディ。やっと結婚式を挙げられそうだ!」
「え、もしかしてジェームズさん、この案件片付くまで結婚式を延期していらっしゃったのですか?」
「はい。それどころではなかったですから」
言われてみれば、サラが来るまでの執務室は酷いものだった。ポルックスやカストルをはじめ多くの文官が過労でダウンしており、そうでない文官たちの目の下にもくっきりと隈が浮かんでいたことを思いだした。
「あー、確かにそうでしたね。でも結婚式の打ち合わせをされていませんでした?」
「はい。この案件が終わったらどうするかを定期的に話すようにしていたのです。そうでもしていないと、シンディが別の男と結婚するかもしれないと不安で」
「な、なるほど。お父様に聞かせてやりたい良いお話でした」
「まったくだ。それにしても、ジェームズにはすまないことをしたな」
侯爵がジェームズに謝罪をする。
「閣下、謝罪していただくには及びません。私は公僕であり、領の禄を食んでおります。グランチェスター領の文官として任官された際、領主と領民のために滅私奉公することを誓約しております」
「そうか。では領主として深く感謝するに留めよう」
「有難きお言葉にございます」