だから忙しくなるって
『あ、瓶で思いだした! ジェームズさんの婚約者の方をお呼びしてたんだった!』
「ジェームズさん、後ほど婚約者の方がこちらにお越しになるはずです」
「は?」
「さきほど、祖父様が召喚されていらしたので」
「はぁぁぁ?」
「このブランデーを詰める瓶のお話をしたいと呟いたら、そんな感じになりまして」
「な、なるほど」
などと話しているうちに、ジェームズの婚約者が到着したことが告げられたため、サラは遊戯室まで案内するよう使用人に指示を出した。
遊戯室に入室してきたジェームズの婚約者は、すらりと背の高い女性であった。おそらくジェームズさんと身長は変わらないのではないだろうか。激務で痩せて草臥れた雰囲気のジェームズとは対照的に、実に健康的な雰囲気である。
豊かな巻き毛を無造作に後ろで一本に束ね、あまり化粧をしている様子もない。ドレスもあまり着慣れていない様子に見えることから、普段はもっと楽な格好をしているのだろう。しかし、目鼻立ちはくっきりしており、笑顔が魅力的だ。おそらくヘアメイクを整え、ドレスアップすればかなりの美人になるだろう。
『わー、モデルさんみたいな人きたわ』
さすがに自分が呼び出した自覚があるので、侯爵はロバートとレベッカを従えてジェームズとその婚約者のもとに歩み寄った。
「侯爵閣下、こちらが私の婚約者のシンディです」
「シンディと申します。お召しにより罷り越しました」
領主からの召喚をうけたことで、シンディはガチガチに固くなっている。
「わざわざ呼び立ててすまんな。孫のサラに花瓶を贈ってくれたと聞いた。礼を言う」
「こちらこそ。ジェームズが常日頃からお世話になっておりますサラお嬢様に、ささやかではございますが魔法発現のお祝いの品を差し上げたく思いまして」
「ありがとう存じます。あの花瓶は私のお気に入りなんです。実はその腕を見込んでお願いがあるのです」
シンディは戸惑ってジェームズの方をチラリと見た。すると、シンディに代わってジェームズがサラに応対した。
「サラお嬢様、どうやらシンディは少々緊張しているようです」
「無理もないですよね。座って落ち着きましょう」
サラは窓際に置かれたソファにジェームズとシンディを誘導した。もちろん侯爵、ロバート、レベッカ、そして何故かベンジャミン、ポルックス、カストルも一緒に付いてきた。
「あら? 皆さんもご一緒ですか?」
「ご迷惑でなければ同席させてください。おそらくエルマ酒にかかわることですよね」
「その通りですが、打ち上げ中にすみません」
「いえ、大丈夫です」
ちょこんとソファに座ったサラは、正面に座ったシンディにニコッと微笑みかけた。
「突然お呼びたてしてしまってごめんなさい。驚きましたよね」
「い、いえ。大丈夫です」
顔は全然大丈夫そうには見えないのだが、ひとまずソファに座ったことで身体の固さはだいぶほぐれたようだ。
「実はお酒の瓶について相談させていただきたいのですが、シンディさんはお酒お飲みになれますか? 開発したばかりの新しいお酒なのですが、かなり酒精が強いので」
「お酒は好きですから、大丈夫だと思います」
サラはマリアに目配せして、グラスにワンショット注いでもらった。もちろんチェイサーとして水も添えてある。シンディはグラスを受け取り、軽く口を付けた。
「こ、これは…凄い香りですね。確かに酒精は強いですが、とても美味しいです」
「気に入っていただけて嬉しいです。実はこのお酒を瓶に入れて販売したいと思っているのですが、その瓶を製作していただけないかと思いまして」
「酒瓶ですか…」
「このお酒はまだ試作品なのです。量産態勢をこれからつくる段階なので、一般の市場にこのお酒が流通するのは数年先になるでしょう。しかし、この試作品を諸方面にお披露目して、是非とも虜になっていただきたいのです。王室への献上品、あるいは他家への贈答品としてグランチェスター家がまとめて買い上げることになります」
サラの話を聞いているうちに、シンディは再び顔が強張っていった。
「まさかとは思いますが…王室への献上品に私の瓶をお使いになるのですか?」
「はい。そのつもりです。このエルマブランデーの雰囲気を損ねない、繊細なデザインの瓶をシンディさんなら作れるのではないかと」
満面の笑みを浮かべ、サラはシンディを見つめた。
「むむむむ、無理です! 私の瓶などが王室への献上品など」
「そうでしょうか? あの花瓶は非常に美しいと思いますが」
「せめて私の父や兄の作品をお使いいただけないでしょうか?」
「うーん。実はあまり時間もないんですよね」
少し首を傾げたサラを見て、侯爵が助け舟を出した。
「サラよ、ある程度以上の数を揃えねばならん。ここは複数のガラス職人に声を掛け、いろいろつくってもらったらどうだろうか? そもそも試作品なのだ、いろいろな瓶があるのも一興だろう。その中で秀逸なものを選んで王室へと献上すれば良いだろう」
侯爵の提案にサラも頷いた。
「確かにそれは面白そうですね。それならシンディさんも瓶を作っていただけますか?」
「あ、はい。そういうことでしたら是非」
「化粧箱に詰める都合もあることだし、おおよその大きさは事前に定めておくべきだな。希少性が高い酒でもあるし、瓶も小さめの方が良いだろう。少量である代わりに瓶に美しさを求めたいところだ」
横でカストルはせっせとメモを取っている。
「祖父様、折角ですし領内のガラス職人全員に、瓶を作るようお命じになってはいかがでしょう。納品されたガラス瓶をコンテスト形式で審査し、最も美しい瓶を納品した職人には賞金や称号を与えてもいいかもしれません。なんなら毎年開催すれば、ガラス職人たちにも活気がでるのではありませんか?」
「ふむ面白い案だの」
「審査員をどうするかなどもまったく決まっていませんが、下手な忖度や審査員の買収などが行われることがないような工夫も必要ですね」
メモを取っていたカストルが顔を上げ、サラと侯爵の意見に追加する形で提案をした。
「化粧箱も必要ならそちらも木工職人の手配が必要かと思いますが、こちらはコンテストの対象外ですか?」
「うーん。どうしましょう。化粧箱だけならシンプルで良いと思っているのですが…」
「何かあるのでしょうか?」
サラがやや困った顔をしていると、心得たようにレベッカが近くにいたメイドにアリシアが作った音の出る箱を持ってこさせた。先程の商品企画会議で話題になったため、レベッカは遊戯室まで運ぶように命じていたのだ。
「カストルさん、この箱を開けていただけますか?」
「これ、ですか?」
一見、飾り気のないシンプルな箱である。しかし、カストルがそっと蓋を開けた途端、ピアノの音が流れ出し、遊戯室に居た全員の目がこちらに向いた。つまり、雑多な声がする中でも響くほどの音量で再生されているということだ。
「な、なんですかこれは!」
「乙女の塔で開発された商品です。ここにセットされた魔石に、あらかじめ音を記録しておくと、箱を開いた時に記録した音が流れ出す仕組みになっているのです」
カストルは音の出る箱を矯めつ眇めつし、箱の蓋を開けたり閉めたりした。
「ははぁ。これは素晴らしい商品ですね。これを商会で販売されるのですか?」
「そのつもりです。実はエルマブランデーを樽から出した最初の瓶は、この箱に収められたんです。要するにこの箱は音の出る箱という新たな商品であり、エルマブランデーの化粧箱の役割も果たしているのです」
「この大きさでなければならないのですか?」
「いえ、たまたまこの箱で試作品を作っただけで、実際には異なる大きさでも大丈夫だそうです。ただ魔法陣を刻む必要があるので、一定以上の大きさは必要かもしれません。いま乙女の塔のアリシアさんが箱の仕様を記述してくれています」
「では、その仕様を満たす箱を木工職人に依頼するのですね?」
「その通りです。これだけの商品ですから、箱に彫刻をするなどさまざまな装飾を施しても良いかもしれませんね。もちろんシンプルな箱も素敵ですが」
「先程のエルマブランデーと一緒でも良いですが、これ単体でも引き合いはきっと多いでしょうね」
「そうであることを予想していますし、期待もしています。そしてカストルさんであれば既にお気づきでしょうが、この製品には魔石が必要です。実はこの製品、魔石の質を選ぶのだそうです。一定以上の質でなければ、うまく魔法陣が刻印できないのだそうです。そのため質の良い魔石を安定して供給できる仕組みを作らなければならなくなりました」
「な、なるほど」
そこまで話すと、サラはニコッとカストルに微笑んだ。
「ね、カストルさんも忙しくなるって言ったでしょう?」
「確かに仰る通りですね。ただ、一気に押し寄せそうなので、少し怖くなりました」
「そういえば、今気づいたんですが、ガラス瓶を作る材料を大量に確保しなければならないんじゃ?」
「手配します」
「領外から運ぶ必要がある材料が多かったりするのでしょうか?」
「いえ、ほぼ領内で材料は揃いますよ。アクラ山脈は資源の宝庫ですし、そこから流れる川の近くでは珪砂も取れますから」
「グランチェスターは豊かな領ですね…」
これには他の文官たちも頷いた。
「小麦の栽培で成功しているのは確かですが、天然資源が豊富であることは間違いありませんね」
「なるほど。ですが、天然資源はいつか枯渇してしまうことを念頭に置いておかねばなりません。そういう意味では麦の栽培を根付かせたご先祖様には感謝しかありません」
「サラお嬢様は、グランチェスター家の始祖と同じことを仰るのですね」
「そう、なのですか?」
サラはぎくりとした。
「ふむ。サラはまだ始祖の功績をきちんと学習しておらんのか? 」
「500年ほど前に大森林だったグランチェスター領を開拓して陞爵された方だということは存じておりますが」
『おまけに転生者でラーメンと生姜焼きを食べたがったヤツ!』
「その方は、この領地を開拓しつつも、山や森を必要以上に切り拓くことを厭われたと伺っております」
「そう、なのですか」
「特に山から木を伐り出すことには慎重にせねば土砂崩れが起きると予言されたそうです」
「山の神を怒らせるなってことなのかな?」
『え、そこ?』
「それは予言ではなく予測です」
「と、仰いますと?」
「山の斜面に生息している木々は、山に降り注ぐ雨水などを保水するのです。それに、土壌の流出を止める役割もありますので、木を伐採しすぎて土壌がむき出しになってしまうと、洪水や土砂崩れが発生しやすくなるのです。これはどんな山でも起こり得る現象なので、神の御業などではありません」
「そうなのですか?」
「はい。林業は防災計画にも重要な要素なのです。この辺りは、ベンさんもよくご存じなのではありませんか? ウォルト男爵家の出身なのですから」
「そうですね『間伐』や『除伐』、それに下草を刈るといった作業は、随分手伝わされたものです」
「でもまぁ、自然災害を食い止めるという視点でいえば、神の御業と言えないこともないかもしれませんね。適切に管理しておかなければ罰を下されるわけですから」
これには侯爵が笑って応えた。
「確かに自然の力には、領主である私も国主である国王も従うしかあるまいな。まさに神の御業よ。せいぜい人がやれることを、やれるだけやっておかねばな」
侯爵は豪快に笑った。酒が入っているせいで、先程から笑いの沸点が下がっているようだ。