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ワーカホリックな面々

農業担当の文官であるポルックスは、グランチェスター領内にあるエルマ農園なら大抵の農園主を知っていた。正確に言えば、単に彼がエルマとエルマ酒をこよなく愛する人物であるというだけで、農業担当文官が全員そうだというわけではない。


ポルックスはフランの母であるトニアとも親交があった。というより、彼はハーラン農園の超が付くお得意様なのだ。


「ハーラン農園のエルマ酒に目を付けるとは、さすがサラお嬢様ですね。それにフランをご存じであることにも驚きました。だいぶ前に実家は出ているはずなのですが」

「たまたまフランさんが乙女の一人の兄弟子なのです」

「フランが弟子入りした鍛冶師のお嬢さんというと、テレサ嬢ですね」


ポルックスが納得した表情を浮かべた。


「でも、お父様も鍛冶師でいらっしゃるのに、どうしてテレサさんのお父様に弟子入りしたのかしら」

「フランは農具よりも武器を作りたかったそうです。あの家の鍛冶師たちは変わり者が多くて、親子でも作りたいものがまったく違うのだそうです。フランの父親は農具、祖父は建具や小さな鍵を作るのが得意なんです。亡くなった曾祖父は錬金術師や薬師の蒸留釜を作ったことで有名でしたが、実は包丁や食器を作る方が得意だったそうですよ。そのせいで彼らは自分の父親には師事しないのです」

「た、確かに変わっていますね」

「まぁフランの兄は鍛冶師にはならず嫁を貰って一緒に農園で働いていますがね」

「農園の方にも後継ぎがいて良かったです。このエルマとエルマ酒を失いたくありませんから。トニアさんと一緒にエルマ酒を作るお嫁さんで良かったです」

「まったくです」


『そうか、本当はフランさんも武器を作りたい人だったのか。蒸留釜を頼んでよかったのかな…?』


サラが少し思い悩んでいると、侯爵が近づいてきた。


「サラ、考え事をしているようだが、そろそろエルマブランデーを飲ませてはくれないか?」

「祖父様たちは昨夜お飲みになったではないですか。今日は他の方が優先です」

「むぅ…」


サラはメイドに指示し、執務メイドも含めて全員に1ショットずつエルマブランデーを試飲してもらった。ジト目で見つめていたため、仕方なく侯爵やロバートにも振舞う。


「皆様、初めてのエルマブランデーはいかがでしょうか? まだ試作品の段階なので量産は先になりますが、これを新しい領の特産品としたいのです」


最初に反応したのは、当然と言えば当然だがポルックスであった。


「これがエルマ酒から作られた新しい酒なのですね。まったく違う酒なのに、エルマの風味も凝縮されています…。これは素晴らしいです」


ジェームズやベンジャミンも頷いている。


「間違いなく新しい特産品として受け入れられるでしょう」

「どれくらい作れるものなのですか?」

「これを言ってしまうと、エルマ酒好きなポルックスさんが嘆かれるかもしれませんが、1樽作るのに5樽から10樽必要なのです。そのまま飲んでも美味しいと評判のハーラン農園のエルマ酒を使っているので、とても贅沢なお酒であることは間違いないです。ちなみに、いま乙女の塔でフランが蒸留しているのは、ハーラン農園のお嫁さんが作ったエルマ酒です」


これを聞いたポルックスは、グラスを見つめて固まっている。それを横目で見ながらベンジャミンが質問した。


「物凄く貴重な酒だということがわかりましたが、当然価格も高いということですよね?」

「量産できるようになるまでは、販売価格も相応なものになるでしょう。数年は王室への献上品や、グランチェスター家から他家への贈答品にしか使われないかもしれません」

「おい、ポルックス。固まっている場合じゃないぞ。これを本気で特産品にするなら、エルマ農園を拡張しないと間に合わないかもしれない。今の規模でどれくらいのエルマが収穫できるのか、そこからどれくらいのエルマ酒が作れるのかをちゃんと把握してるのはお前だけだろ!」


『ヤバい…もしかしたら、ミケだけじゃなくて、ポチにも助けを求めることになるかも!』


「はっ! そうか。王家への納品に瑕疵(かし)があってはまずい」

「ポルックスさん、実はこのお酒は狩猟大会でお披露目する予定なのです。本当は3年くらい後に披露する予定だったのですが、ちょっと妖精の力を借りたらイイ感じの試作品ができてしまったので…」


そう、ミケの力を借りることができなければ、熟成に最低でも3年は掛かるはずだったのだ。元々サラはそのくらいの期間を想定しており、最初の数年間はエルマ酒の流通量を増やすことでエルマの収穫量を少しずつ増やすつもりであった。


「私はエルマ酒を蒸留する施設を急いで作っています。ですが、エルマ農園を拡大し、醸造所を沢山作らないと追い付かなくなるのではないかと予想しています。しばらくは妖精の力で熟成を一気に進めた試作品しか流通しませんが、本来はすべて人の手によって作られるものなのです」

「つまり、サラお嬢様が求めていらっしゃるのは、エルマの生産量の増大、エルマ酒の醸造所の拡大もしくは新設、蒸留所の新設ということであっていますか?」

「そうですね。あとは樽を寝かせて熟成させる蔵も必要です」

「なるほど」


すでにポルックスはメモを取り始めており、ジェームズやベンジャミンも一気に仕事モードに戻っている。


「最初は私の商会でエルマ酒を購入し、それを蒸留して商品化するしかないでしょうが、ゆくゆくは醸造する場所で蒸留までやれるようになれば、それぞれの特色をもったエルマブランデーができると思っています」

「村などで共同の蒸留所を持つという形でも良いですかね?」

「それは素晴らしいですね!」


更紗時代の知識でも、村や町などの共同体が酒の醸造や蒸留を行っていることも多かった。


「エルマ酒の蒸留は難しいのでしょうか?」

「ある程度の専門知識は必要です。それと、樽ごとに味にバラツキが出るので、本格的にエルマブランデーを造り始めるようになれば、樽ごとの味の特徴を把握し、混ぜ合わせて商品の最終的な味わいを決める専門家も育成すべきでしょう」

「奥が深いのですね」

「とても深いですよ。底なし沼のように」


サラは微妙に黒い微笑みを浮かべた。


「実はこのお酒を『エルマブランデー』と呼ぶ理由があるんです」

「というと?」

「実はブランデーというお酒は別にあるんですよ」


ポルックスが軽く息を飲んだ。


「もしかして、蒸留するのがエルマ酒ではないということですか?」

「はい。本来はワインを蒸留して作られるのがブランデーです」


それを聞いて文官たちは一斉に声を失った。


「ブランデーとは、もともと『焼いたワイン』を意味する言葉だったようです。遠い他国の言葉なので正確にはわかりませんが」


『異世界だけどね!』


「しかもブランデー用のワインというのがわざわざ作られているのだそうです。ブランデーに最適なワインは、ワインとして飲むにはあまり美味しくないらしいのですが、蒸留すると素晴らしい香りと味になるのだとか」

「そのような酒は聞いたことがありません」

「アヴァロンでは造られていないようですね」


ポルックスが真剣な顔をしている様子が見えたのか、ロバートと談笑していたカストルがこちらに歩み寄ってきた。


「おい、ポルックス。楽しい打ち上げじゃないのか? どうしてここの文官はみんな仕事の顔してるんだ? 顔がえらく真剣そうだぞ」

「あ、ごめんなさい。打ち上げでしたよね。うっかり仕事の話ばっかりで」


ところが、サラの発言にしょんぼりとした態度を取ったのはカストルであった。妙に寂し気な表情を浮かべている。


「サラお嬢様はポルックスが担当してることばっかりですよね。いえ、商会が本格的に動けば私ともお話してくれると思いますけど、なんか寂しいです」

「おいカストル、お前ちょっと酔ってないか?」


『え、カストルさんって絡み酒の人?』


「きっとカストルさんも忙しくなると思いますよ。このエルマブランデーにしても、詰める瓶を検討しなければなりませんし、最初は高価な贈答品として化粧箱も必要です。職人さんの手配が不可欠なのです」

「ほう、それは楽しみですね」

「それに、乙女たちがいろいろ商会の商品を開発してくれています。職人の手配はもちろんですが、流通の話もしたいのです」


カストルもいつの間にか仕事モードの顔に変わっていた。


『あれ、酔ってたんじゃないの??』


グランチェスター領の文官たちも、サラに負けない程のワーカホリックであった。

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「まぁフランの兄は鍛冶師にはならず嫁を貰って」 最初読んだとき「ならず者」の連想で「ならず嫁」って荒くれ者のお嫁さんを頭に浮かべてしまいました(汗) あと勝手にカストルとポルックスは双子だと思い込ん…
[気になる点] 秘密を守れと忠告されたそばから、多数の前で自分が誰も知らない「他国の」知識を知っているとバラすのは良いのか? 複式帳簿は天才の思いつきで誤魔化せるとしても、ワインから作るのかブランデー…
[気になる点] 124話の『ドレスメーカーより鍛治師』ではテレサの「逆にフランは、武器より生活に使う道具を作る方が好きなのに、今の工房で戦斧を作らされているのが不満みたいです」という発言に対し主人公は…
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