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貴族的優雅さと遥かなる山脈

翌朝、レベッカとの初回の授業は、優雅な歩き方とカーテシーの実技だった。歩いてお辞儀をするだけだろうと高を括っていたサラは、30分もしないうちに厳しさを思い知ることになった。


「サラさん、顎を引いてください。目線はもう少し下げて。猫背になってはいけません。頭の先からつま先まで気を使ってください。特に手の動きは指先まで優雅に」


ただ歩くだけでも普段意識していない筋肉が早々に悲鳴を上げ始める。さらにキツイのはカーテシーであった。


「もっと優雅に頭を下げてください。はい、そのままの姿勢を保ってください。王族をはじめとする、身分の高い方の前では、お許しをいただくまで頭を上げてはいけません。ふらついていますよ」


レベッカは大変に厳しい教師であった。

ランチも単なる食事休憩の時間ではなく、食事マナーのレッスンとなる。食事マナーは先に認められていたこともあり、きちんとしているつもりであった。しかしレベッカに言わせれば『裕福な商家か男爵家であれば問題ないレベルだが、上位貴族である侯爵令嬢としては優雅さが足りない』という。


王都邸の従兄妹たちは勉強が嫌いだったが、サボると侯爵からの叱責があるため、しぶしぶ授業を受けていた。クロエもお勉強は嫌いだったが、他人から『優雅ですね』と言われることが大好きだったので、マナーのレッスンは頑張っていた。


『これは気を抜けないわ。貴族社会で生きていくには重要だもの』


前世から学ぶことが好きなサラは、新しい知識やスキルを習得することに喜びを感じ、身体は悲鳴を上げつつも、この厳しい授業にも楽しんで取り組んでいた。そして、そんなサラをレベッカも好ましく感じていた。


しかし、この師弟には大きな誤算があった。普通の8歳の少女は、ここまで厳しい授業は受けない。というより、そのくらいの年頃の子供は集中を切らさずに長時間の授業に耐えられないのだ。


レベッカは高い教養を持った淑女ではあるが、ガヴァネスとしては初心者で妹や娘もいない。つまり『普通』の8歳の少女がどういう生き物なのかといった知識や経験が圧倒的に足りなかった。もちろんレベッカにも8歳だった時期はあるのだが、なにせ小公子レヴィである。母親に引きずられるように無理やり淑女教育をうけたのは10歳を過ぎてからであった。

その結果、サラの『年齢』で受けるべき授業ではなく、サラの『現状』から足りない部分を補う授業を中心としたカリキュラムになってしまったのだ。おかげで初回の講習が終わった時点で、教養などの知識だけはクロエよりも先に進んでしまっていた。さすがに姿勢や仕草などは反復することで身体が覚えるものであるため不慣れではあるが、このペースでレベッカが指導していけば、あっという間に磨かれていくことになるだろう。


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昼食後、執務棟に向かったサラは、机の上にうずたかく積まれた書類に呆然となった。隣のレベッカも同様に固まっている。


「やぁ、サラ、レヴィようこそ」


書類の山(というより既に山脈と化している)に埋もれつつも、ロバートは笑顔で2人を迎えた。左右の机にはそれぞれ1人ずつ文官が着座しており、こちらは一瞬だけ顔を上げて会釈したものの、その後は黙々と作業を続けている。


「伯父様、まさかこの書類をすべて処理するのですか?」

「いや、これはほんの一部だ」

「「えっ!」」


どうやら、遥か彼方には書類でできた巨大山脈が聳え立っているらしい。


『マ・ジ・か・よ!!!』


この時、サラとレベッカは貴族的優雅さを総動員し、アルカイックスマイルを浮かべることしかできなかった。回れ右をして見なかったことにしたいと、本気でサラは一瞬考えた。しかし、ここにロバートとレベッカ、そしてこの草臥れた文官たちを残していくのは人道的ではないと考え直し、書類の山へと歩を進めた。


「お手伝いするにあたって、いろいろとご説明いただかないと、どこから手をつけていいのかが皆目わかりません」


レベッカが至極真っ当な発言をすると、左にいた文官が顔を上げてロバートに尋ねた。


「ロバート様、本日からお手伝いに来ていただける方というのは、このお二方でしょうか。女性だとは伺っておりましたが、お一方は大変幼い方のようにお見受けするのですが」

「うんそうだよ。姪っ子のサラだ。もう一人はオルソン子爵令嬢のレベッカ嬢で、サラのガヴァネスでもある」

「レベッカ嬢はともかく、サラ様では書類を読むことすら覚束ないのでは?」

「大丈夫。もしかしたら僕よりずっと優秀かもしれない」

「はぁ…」


この国の文官は数少ない知識層でありエリートなのだ。大半は貴族の子弟であるが、平民でもアカデミーを卒業していれば文官として働くことができる。甘やかされた貴族子弟よりも平民の方が優秀であることも多く、アカデミーの卒業成績次第では王府にある省庁の文官や有力貴族の文官として働くことができる。


もちろんグランチェスター家は有力貴族であり、働く文官たちも王府に負けない能力を持っていると自負している。そんな彼らがレベッカとサラを見て、落胆してしまうのは仕方がないと言えるだろう。


サラには彼らの気持ちがよく分かった。前世でもプロジェクトが軌道に乗り始めて『即戦力となるアシスタントが欲しい!』と上司に要望したところ、大学を卒業したばかりの新人がやってきたときは、マジで上司に書類を投げつけそうになったものだ。


もちろん自分にも新人だった頃はあり、諸先輩方には大変お世話になった。OJTの重要性も理解している。しかし、だ。まったく余裕がない状態で、ヒヨコたちの面倒まで見なければならなくなったこっちの身にもなってほしい。


とはいえ、さすがにこの空気のままでは仕事に支障がでてしまうだろう。サラは2人の文官に向かって、覚えたてのカーテシーを披露する。


「サラ・グランチェスターと申します。私のような子供が執務室の末席に就くことに不信感を抱かれるとは思いますが、どうか伯父の顔を立ててご寛恕願えませんでしょうか。あくまでも臨時ですので」


さすがに文官たちも、子供の方から丁寧な挨拶をされれば、冷たい態度をとるわけにもいかない。しかも、相手は侯爵閣下の孫である。


「サラお嬢様、どうか顔を上げてください。私どもにそのように頭を下げられる必要はございません」

「その通りです。お嬢様。どうか、こちらの席にお座りください」


もう一人の文官も慌てて立ち上がった。二人はロバートの執務机に近い上座の席に着座していたが、その場所を2人のために空けようと机の上を片付け始めた。


「おやめください。私もサラさんも執務のお手伝いです。上座を開けていただく必要はございません」


レベッカが慌てて止め、空いている席に腰を下ろした。サラもその隣へと足を進める。


「しかし…」


なおも言い募ろうとする文官をサラも押しとどめた。


「席の上下など些細な問題です。いまは全員で力を合わせてこの危機を乗り越えなければなりませんので」


まさに正論であるが、それを8歳の少女に指摘されている状況に、文官たちは戸惑いを隠せない。しかし、年齢通りの子供ではないことには、薄々気づき始めたようだ。


そんな文官たちを横目に、ロバートはニヤニヤと人の悪い微笑みを浮かべていた。

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