次期侯爵
長かった一日も終わり、いつもより遅い時刻にサラはベッドに入った。遠くから少しだけ人の声が聞こえてくる。おそらくまだ婚約祝いの席が続いているのだろう。さすがにスコットとブレイズはトマスと一緒に帰宅したが、父親のジェフリーはまだ本邸に残っている。
『多分ミケも一緒ね。あんなに呑み助だとは思わなかったわ』
サラはちょっぴり羨ましかった。初めて作ったエルマブランデーを自分では試飲できないのだから当然だろう。
『ソフィアになったらレベッカ先生も許可してくれるかなぁ? あ、今後はお母様って呼ぶべき? そもそも伯父様をお父様? 違和感しかないけど慣れるかなぁ』
ベッドの中でとりとめのない思考をしていると空中に小さな扉が浮かび、小さなノックの音が聞こえた。サラは部屋を防音魔法で覆ってからセドリックの入室を許可した。
「今日はドアからなのね」
「昨夜は大勢でしたのでドアを諦めましたが、これは様式美ですので」
「あまりその様式には美しさを感じないけど、まぁ好きにしていいわ」
セドリックが入室すると、その後ろからセドリックの眷属の一人も入室してきた。
「その子が王都のグランチェスター邸にいる眷属なの?」
「はい。サラお嬢様」
執事見習い風の眷属は、丁寧に頭を下げた。
「この前の子とそっくりね」
「私の眷属ですので基本はこの姿です。見た目の年齢は変更できますが、まったくの別人にするにはかなり魔力が必要になります」
「そうなのね。ロイセンに送った子はセドだったから、この子はリックかしらね」
「アヴァロン王宮にも眷属を送っていますが?」
「えー、じゃぁその子はドリー?」
「無理に私の名前の一部を使っていただかなくても…そもそも名付けは不要です」
「だって区別しにくいんだもの」
「基本的に眷属は私と繋がっているので、私ならすべてを把握しております。眷属に報告させる意味はあまりないのですが…」
「セドリックよりも可愛い子から報告されたいもの!」
「なんと!」
するとセドリックは金色の光と共にその場で少年の姿へと変化した。
「この姿の方がお好みなのですか?」
「いえ、中身がセドリックだと思うと残念感しかないわ」
「そんな…眷属たちは私の容姿と人格を模倣してるだけなのに…」
「どうにもそれが不可解なのよ」
「私の方が不可解です!」
『なんでこんなのから、あんなに可愛い子たちができるんだろう?』
「まぁいいわ。グランチェスター邸でのことを報告してもらえるかしら? あんまり夜更かしすると明日が辛そうだし」
「承知しました」
リックは恭しく頭を下げてから話し始めた。
「まず、小侯爵と夫人が少々揉めております」
「夫婦喧嘩の原因は?」
「直接的な原因は、夫人の散財を小侯爵が少々注意したことですね。ドレスやアクセサリーなどを購入した際の手形がグランチェスター邸に持ち込まれたのです」
「額面はどれくらいだったの?」
「1,000ダラスを少し切るくらいですね。狩猟大会のために新たに購入したもので、夫人とクロエの二人分です」
「狩猟大会の衣装代だけに、そんなに使ったの? それはエドワード伯父様でも注意するでしょう」
その金額にはさすがに呆れるほかない。彼らに割り当てられた予算なので好きに使うのは構わないのだが、たかが1週間程度のイベントのためだけに日本円で1,000万円近い衣装代をかけたということだ。
「夫人は季節ごとにそれくらい散財しておりますし、毎年狩猟大会の時期にも大量の買い物をします。小侯爵の一家は年間で10,000ダラスは使いますからね」
「はぁ? だってグランチェスター領の収入から、グランチェスター家に割り当てられる予算は、年間で70,000ダラスよ? 地代家賃として50,000ダラスも支払われるけど、そこから城や邸の維持費とか、使用人たちの給与を支払うのよ? 舞踏会やお茶会を開催したりするのにもお金は必要になるのに、彼らの買い物代だけでそんなに支払っているの?」
そう。グランチェスター領とグランチェスター家の予算は別なのだ。領主と言えども勝手に使っていいお金ではない。グランチェスター領の収入から、グランチェスター家に支払われるのは、領主に対する役員報酬およびグランチェスター家が所有する不動産の地代家賃だ。それがおよそ120,000ダラスである。
「小侯爵は侯爵夫人が亡くなられた際に炭鉱を相続しておりまして、そこからの収入がグランチェスター家の予算とは別にあるのです。年間でおよそ4,000ダラスです」
「そっか。個人資産からの収入のことは失念してたわ。それでも6,000ダラスくらいは使ってるってことよね」
「そうなります。ただ、少々問題が発生しまして」
「問題?」
「はい。侯爵が小侯爵一家に割り当てる予算を減らすと宣言されたのです」
「どれくらい?」
「3,000ダラスです」
「これまでの半分か」
実際のところ、侯爵は小侯爵一家がどれほど散財しているかを把握していたわけではなかった。なぜなら小侯爵一家には6,000ダラスを予算として割り当てたのは侯爵自身だからである。これは単純に夫人と子供たちにそれぞれ1,000ダラス、小侯爵に2,000ダラスとざっくり決めたに過ぎない。
エドワードも、侯爵から割り当てられた予算を超えた金額を追加で要求したことが無かった。しかし、ここ数年は、少しずつ増えていく妻の浪費に危機感を覚える程度にはギリギリの状態であった。昨年は自分の分の予算を削って妻の支払に充てていた程である。
そこにもってきて、侯爵からの予算削減宣言である。これはさすがにエドワードも妻に自重を促すしかなかった。
「祖父様が予算を削減したのは、領の債務が多かったからでしょうね」
「はい。小侯爵にもそのように説明されておりました」
「でもグランチェスター家そのものの危機なのだから仕方ないと思うのだけど、どうして喧嘩になったの?」
確かにエリザベスは虚栄心が強く、VIP扱いをされることを好む性格ではある。しかし、非常事態であれば多少の我慢ができないほど愚かではない。
「小侯爵が理由を説明することなく『買い物を控えろ』と夫人に伝えたためかと」
「理由を説明していないの?」
「基本的に貴族の男性は、女性に対して金銭の話をすることはありません」
「ドレスやアクセサリーは買うなって言うのに?」
「はい。そのため夫人は小侯爵から自分の浪費を責められたと解釈しました」
「それで喧嘩になったのね」
リックは頷いた。
「ただ、問題はこの後なのです」
「何があったの?」
「さすがに小侯爵も予算が削減されたことを伝えたのですが…」
「もしかして、予算が削減された理由を説明しなかったの?」
「はい。そもそも夫人は横領事件そのものをご存じない様子でございました」
「で、伯母さまは祖父様がお怒りになって予算を削ったと考えているのかしら?」
「ご明察でございます」
「最悪だわ。それって、私をイジメたことで祖父様の怒りを買ったと勘違いしてるってことでしょ? 伯母様がとんでもない暴走したらどうしよう…」
サラは頭を抱えた。侯爵の前で派手に反省のパフォーマンスを披露したことから考えて、エリザベスは夫であるエドワードの侯爵位継承に不安を感じていることが窺える。そして、その不安は大きく的を外しているわけでもない。爵位は長男が継承するのが一般的ではあるが、例外が無いわけではない。すべては侯爵次第なのだ。にもかかわらず、侯爵の不興を買ってしまったのだ。
グランチェスター侯爵夫人がいないため、今の彼女は実質的にグランチェスター家の女主人である。次期侯爵夫人として権勢を振るってきたエリザベスにとって、その地位を失うことは何よりも耐え難い苦痛だろう。
『ロブ伯父様が結婚すれば、レベッカ先生と国王の約定によってロブ伯父様は叙爵されることになる。だけどお二人はグランチェスターを離れる気はなさそうだよね。それって結果的にグランチェスター家に新たな爵位と領地をもたらす存在となるってことで…、そう考えると祖父様は本当にエドワード伯父様を廃嫡しかねない』
思考の底に沈んでいくサラに、元の姿に戻ったセドリックが声を掛けた。
「サラお嬢様。確かに侯爵は小侯爵の地位をロバート卿に移したいとお考えかもしれません。しかし、既に小侯爵としてお披露目をしている以上、廃嫡するには周囲が納得する理由が必要になります。それほど簡単に次期侯爵を挿げ替えられるわけではないのです」
「相変わらず表情で考えを読むのね。事実としてはそうかもしれない。だけど、おそらく伯母様は危機感を募らせているわ。既にお財布が揺らいだのだから、地位も安泰とはいえないでしょう? そんな風に追い込まれた人って何をするかわからないから怖いの」
「なるほど。お嬢様の不安は理解しました」
『さすがにロブ伯父様やレベッカ先生に危害を加えたりはしないと思うのだけど…』
そこにリックが話しかけた。
「ひとまず私は、夫人がどのような方に会って、どのような話をされるのかを確認するようにします。いまは判断する情報が足りなさ過ぎる気がします」
「リックの言う通りね。引き続きグランチェスター邸の様子を知らせてくれると嬉しいわ」
「承知しました」
「じゃぁ、あなたにも少し魔力を分けるわね」
サラはリックの頭を撫でて魔力を注いだ。
「ありがとうございます!」
「大変だと思うけど、頑張って頂戴」
「はい!」
元気よく返事したリックは、そのまま空中の裂け目から妖精の道を通って王都のグランチェスター邸に帰っていった。
「サラお嬢様…私には魔力を分けていただけないのですか?」
「余計な様式美抜きで、頭を撫でるだけなら考えなくもないわ」
「なんともつまらない!」
「じゃぁ、セドリックに魔力は不要ってことでいいわね」
「是非お願いします!」
セドリックは先程よりもさらに年若い少年の姿に変化して頭を差し出した。
「あざといわねぇ」
「最高の誉め言葉ですね!」
なんともクセのある妖精である。が、意外とサラはセドリックのことを気に入っていた。
相変わらずネーミングセンスが残念