大絶賛
「ところで結婚後の住まいはどうするのだ? 本邸にずっと居ても構わんが、さすがに今のままの部屋というわけにもいくまい。どうせなら、城内の建屋のどれかを改築した方がいいのではないか?」
侯爵の一言にサラもハッとした。
「伯父様、レベッカ先生、養女になるのは構いませんが、新婚夫婦の邪魔をするのはちょっと憚られます。せっかくですし、これを機に私の部屋は乙女の塔に移しても良いかと思います。ただ、使用人の移動や新規雇用を検討しなければならないかもしれません」
新婚夫婦の仲が良いのは素晴らしいことではあるが、目の前でイチャイチャされるのはさすがにサラも御免である。
「まだ別居は早くないか?」
「ちょうどパラケルススが使ってた部屋のリフォームが終わったんですよね」
「うーん」
「まぁ早めに決めておけ。次のシーズンまでには挙式を済ませて正式に婚姻するのだ。部屋の準備にはそれなりの時間がかかるぞ」
「わかりました。早急にレヴィと相談します」
実はサラの発言を聞いて本邸の使用人たちは一斉にガッカリしていた。明るく物怖じしない性格で、使用人を驚かせることはあっても無理を言わないサラは使用人に愛される子供である。
執務の手伝いを経験した使用人、とりわけ執務室のメイドたちからは絶大な人気を誇っているため、サラの移動先に一緒に付いていくことを希望する使用人は多いだろう。おそらく新規に使用人を雇用しても、サラのいる場所には配属されないのではないだろうか。
「あ、そうだ。伯父様とレベッカ先生にお祝いをお持ちしています」
サラはマリアに目配せをして、エルマブランデーの入った箱を持ってきてもらった。可愛くレースのリボンも掛けておいた。
「あら何かしら?」
マリアから木箱を受け取ったロバートは、テーブルの上でそっと開いた。途端に先程サラが記録した『愛の歌』が流れ出す。
「まぁ!」
「おぉ!?」
『もしかして、この世界にはオーディオどころかオルゴールもないのかしら? あれ、これって売れるんじゃないかしら』
しばし音楽を聞き入った後、ロバートとレベッカは木箱の中を覗く。
「このガラス瓶の彫刻は素晴らしいね。プロポーズは突発的だったし、ガラス工房に頼む時間があったとは思えないんだが…」
「それは私が魔法で加工しました。デザインはアメリアさんです。音の出る箱を作ったのはアリシアさんですよ。パラケルススの発明品を復刻したのだそうです。ピアノの演奏は僭越ながら私ですが」
レベッカは感動して目を潤ませており、侯爵やロバートも驚いて箱を矯めつ眇めつした。
「これは凄い発明だ。復刻したアリシア嬢も素晴らしい錬金術師だな。麦角菌騒動の時は挨拶した程度であったが、これほどの腕前とは」
「でも、私が一番自慢したいのは瓶の中身なんです」
サラはワクワクする気持ちを抑えられず、ちょっと鼻息が荒くなっている。
「もしかして、これはエルマ酒を蒸留したものかしら?」
「そうです! やっとエルマブランデーができました。これが記念すべき最初の樽です。ちょっとだけズルをして魔法で熟成させてありますが、本格的に仕込むことになれば、ゆっくりと樽のまま数年間熟成させてから出荷することになるでしょう」
マリアの後ろには、テイスティング用のグラスを持ったメイドたちが控えており、テーブルの上に並べていく。さすがに贈り物にした瓶の封を開けるのは憚られたため、テイスティング用には飾り気のない普通の瓶に詰めたエルマブランデーを用意してある。
「こちらの瓶が3年物で、こちらが10年物です。熟成期間が変わると味わいも変わるはずです。残念ながら私は飲めませんが、ミケは絶賛してました。お試しいただけますか?」
すると突然サラの頭上から小さな三毛猫がポンっと飛び出してきた。
「私も飲むぅぅぅぅ。さっき後でゆっくり飲ませてくれるって言った~」
「おおミケ。王都では世話になったな」
「こんばんはウィル。私も美味しいお酒をごちそうさま」
侯爵はにこやかな表情でミケに手を伸ばし、ミケも嬉しそうに侯爵の腕に収まった。
「随分仲が良いですね。その妖精は、サラの友人ですよね?」
「飲み仲間というやつだな。友人は一人と決まっているわけでもあるまい」
「まさかミケがそんなにお酒好きとは思わなかったわ。祖父様にあまり迷惑をかけちゃ駄目よ?」
「気にするなサラ。麗しい飲み仲間というのは貴重なのだ」
「でも祖父様、飲んだ勢いで同衾されるのは控えた方が宜しいのでは? 使用人がびっくりしてしまいますよ?」
「ははは。バレていたのか。年甲斐もなく深酒をしてしまってなぁ。ミケのお陰で暖かかったぞ」
「まだ私もミケと一緒に寝たことないのにズルいです」
ロバートは小さな三毛猫を見て、『麗しい?』『同衾?』と首を傾げる。その視線に気付いたミケは、侯爵の腕を軽く蹴って空中に飛び上がり、その場でくるんと宙返りするように回転しながら人の形に変化した。今回は耳や尻尾も含めてきちんと人の形である。
「うぉっ!?」
「はっ?」
驚きのあまりロバートは後退り、逆にジェフリーは腰の剣に手をかけた。
「おちつけ。ジェフリーも剣から手を放せ。これはミケだ。人に変化しているのだ」
「こんばんは、ロバート卿、ジェフリー卿」
妖艶な美女に変化したミケは、二人の男性にニッコリと微笑んだ。肌はやや浅黒く、やや釣りあがった目はなんともエキゾチックな雰囲気である。髪は猫の姿の時と同じ三色なのだが、全体をゆるい三つ編みにして片側から垂らしていた。
「父上…この美女と同衾されたのですか?」
「うーん、正確には覚えておらん。だが目が覚めたら猫だったな」
「それはなんとも羨ましい。ミケ殿、是非我が家にもお越しください。酒はいろいろ用意してありますので」
「お酒が飲めるならいつでも~」
ミケは嬉しそうにジェフリーに微笑んだ。
「ちょっとミケ! っていうかジェフリー卿は亡くなった奥様一筋じゃなかったんですか?」
「それはそれ、これはこれだ。心は確かにあいつのものだが、美女と酒を飲むというのはまた別だからな」
「サラったら堅いなぁ。一緒にお酒を飲んで楽しくおしゃべりするだけよ?」
「うらやましぃ。私もジェフリー卿とお酒飲んでおしゃべりしたい~」
「ちょっとサラさん、本音が漏れてるわよ」
「あっ!」
レベッカの指摘で周りを見回したサラは、じっと自分を見つめるロバートとスコットの視線に気づいた。少し離れた場所で侯爵は苦笑しており、ジェフリーはニヤニヤと笑いを浮かべている。
「ま、まぁ、その、ジェフリー卿は素敵な方ですから。大人になったら一緒にお酒を飲んでくださいますか?」
「もちろんだ。早く大人になりな」
ジェフリーはサラの頭を軽く撫で、ひょいっと片手だけでサラを抱き上げた。
「サラは僕よりジェフの方がいいんだ…」
「父上か…トマス先生以上に強敵過ぎる……」
カッコいいジェフリーに抱え上げられて機嫌が良くなったサラは、若干面倒なことになっている男子たちを放っておくことにした。
「ひとまず、テイスティングをお願いできますか? 商会で販売していくつもりの特産品なので、皆様の意見を伺いたいのです」
「テイスティングのコツはあるかしら?」
「ワインと少し似ています。まずはそのまま香りを確かめ、次にグラスを軽く揺すって再度香りの変化を確認してください。その後は少量を口に含んで香りと味を確認し、さらに数回嚙んで苦味や渋みなどの具合を確かめていただけるとわかりやすいかと。酒精が強いので、苦手であれば含んだものを吐き出していただいても大丈夫です。まずはこちらの3年物からお試しいただけますか?」
大人たちはそれぞれのグラスを手に持ってテイスティングしていく。
「これはなんとも芳醇な香りだな」
「確かに酒精は強いけどフルーティで美味しい」
「甘みがあるから女性でも飲みやすいわ」
「理屈抜きで美味いな。エルマの風味と一緒にガツンとした酒精が感じられる」
『よかった好評みたい』
「次は10年物をお試しください」
別のグラスに注がれた10年物のエルマブランデーのグラスをテイスティングした大人たちは、しばらく言葉を発しなかった。
「え、もしかして美味しくなかったですか?」
サラは不安になって尋ねた。
「いや、その逆だ。美味すぎて言葉にならなかった」
「酒精はやや落ちついて、その分角が取れてまろやかな味わいだね。コクもあって味に深みが増してるよ」
「こんな味わいのお酒がエルマ酒からできあがるのね」
「そうだな。エルマ酒っていったら家庭で作る地酒だと思ってるやつは多いからなぁ」
大絶賛であった。
「このお酒は、狩猟大会にお越しになったお客様にお出ししてもよろしいでしょうか?」
「これは是非とも出したい。最高のもてなしになりそうだ」
「ただ、しばらくの間はそれほど多くは仕込めませんので、付加価値のついた価格を設定するつもりです」
「それは当然だろう」
「一部は王都のオークションにかけることも考えていますが、そのためにも狩猟大会で皆様に味を知っていただく必要があります」
「なるほど。ただし、王室に献上する分は必ず確保しておくように」
「どの程度の量が必要でしょうか?」
「ふむ…ワインなら樽で献上されることも多いのだが、これは瓶に入れて付加価値を出した方が良さそうだ。50…いや100本程用意できるだろうか?」
「瓶の確保の方が大変そうですが、工房と相談してみます」
『よしっ。忙しくなりそう!』
「そうだ。この音が鳴る箱も用意したほうがいいでしょうか」
「王室への献上用ならそれほどはいらないとおもうが」
「もちろんそれもありますが、いかにも高級品らしい付加価値が付くのではないかと。どれくらい量産できるかをまだ確認していませんが」
「ふむ…良さそうだな」
なお、このやり取りの最中も、ミケはちびりちびりとエルマブランデーを楽しんでおり、その向かい側ではトマスも一緒に飲んでいた。テイスティング用のグラスは当然トマスにも配られたが、さすがに侯爵や雇用主など錚々たる顔ぶれを前に意見を言えるほど肝は据わっていなかったようだ。
しかし、同時にトマスはサラが熱弁を振るう『商会』に並々ならぬ興味を抱き始めていた。今は家庭教師の職にあるが、トマスがアカデミーで専攻していたのは経済学であり、経営学についても積極的に講義をうけていた。
『サラお嬢様はどこまで私を虜にするのだろう。だが貴族の養女になれば求婚は難しいな…』
お酒にあまり強くないトマスは、頬を上気させながらぼんやりとサラを見つめていた。そんな家庭教師の様子を教え子の男子たちは不思議そうに見ていたが、お酒を飲んだ大人が変な行動に出ることは二人とも承知していたので、『あぁトマス先生は酔ってるんだな』と思った。
確かにトマスは酔っていた。だが、それがお酒に酔っているのかサラに酔っているのか判断は難しいところだろう。