祝いの晩餐会
身支度を終えて晩餐室に到着すると、部屋はお祝いムードに満ちていた。普段以上に華やかに花が飾られ、キャンドルもピカピカの新品だ。見れば食器やカトラリーもいつもとは違っている。
『だいぶ気合入ってる!?』
晩餐はマナー教育の一環として、スコットやブレイズもトマスと一緒に席に着くことは最初から決まっていたが、初回から祝いの席での晩餐になるとは運がいいのか悪いのか。
ブレイズに至っては通常の食事マナーも覚束ないレベルなので、居心地悪そうにもぞもぞしている。サラが小声でブレイズに「気負わなくてもいいよ。ちょっとくらい失敗しても気にならないくらい皆浮かれてるから」と呟くと、ブレイズは無言でこくこくと頷いた。
そこに侯爵と一緒にロバートとレベッカが到着した。侯爵は明らかに上機嫌で、ロバートは真面目な表情を保とうとしているが口許が緩んでいた。もちろんレベッカはいつも通り淑女然として上品に微笑んでいるが、いつもより頬がほんのりと色づいて輝きを増しているように見える。
テーブルに着いていた全員が立ち上がり、侯爵の言葉を待った。
「知っている者も多いと思うが、ロバートとレベッカ嬢が結婚することとなった。もちろんオルソン子爵からも了承を得た正式な婚約である」
『ほへー、この短い時間にオルソン家に了承を取りに行ったのか。凄いな』
「なお、レベッカ嬢は国王陛下より自由に夫を選ぶ権利を与えられているため、王室からの結婚許可を待つ必要もない。次の社交シーズンに間に合うタイミングで二人の結婚の儀を執り行う予定だ」
使用人も含め、その場にいた全員が二人に祝福の拍手を送った。
「ロブ、やっとかよ。待たせすぎだろ。レヴィ本当にこんなヘタレでいいのか?」
ジェフリーは侯爵の前でも珍しく言葉を崩す。今は幼馴染として寿いでいるのだろう。
「ヘタレは返上したよ」
「本当に返上したのかどうかはアヤシイところだけど、ギリギリ合格点だったわ。それも侯爵とサラさんにお膳立てしてもらったおかげだと思うけど」
「おい、完全にバレてるぞ」
「わかるに決まってるじゃない。もう20年以上も前から知ってるもの。ロブが自分で指輪なんか用意するはずないし、季節外れの花をサラさんにお願いするわけないもの。どうせ全部根回ししてもらったんでしょ」
『しまったやり過ぎたか』
「私が余計なことしちゃいました?」
「ううん。サラさんも応援してくれてるんだなって思って嬉しかったわよ。ロブはヘタレだったけど」
「ヘタレなのに結婚を承知したんですか?」
「最初は断られたよ。思いっきり殴られて鼻の骨が折れた」
全員がレベッカの優美な手を見つめた後に、ロバートの顔を見た。
「レベッカ先生、治癒魔法の腕前が素晴らしいですね」
「私もそう思うわ」
「良くわからないのですが、結婚を断るときは相手を殴るものなのでしょうか?」
サラは首を傾げた。もしかしたら、この世界特有のルールかもしれないと確認しておきたかったのだ。
「もちろん、そんな習慣はないわよ」
レベッカはにっこりと笑った。
「伯父様、どういうことでしょうか?」
「いや、その…結婚して欲しいと言ったら、理由を聞かれたので……」
「で?」
「えっと、『サラが、僕の養女になっても母親がいないっていうから』って答えたんだよね。ははは」
その場にいた全員が、一斉にロバートに非難の視線を投げかけた。
「伯父様…それはヘタレ以前の問題です」
「うん、本当に僕は馬鹿だった。これまでちゃんと言葉にしたことがなかったんだ」
「殴られるまで気付かなかったんですか?」
「正確には殴られても気付かなかった。レヴィから『自分だけを愛してくれる人と結婚したい』って言われるまで」
『うん。伯父様は本当に馬鹿だ』
「レベッカ先生、凄く言いたいことがあるのですが…」
「なぁに?」
「応援しておいてなんですが、この結婚考え直しません? いくらなんでもコレは酷すぎる」
「待って、本当に心を入れ替えるから考え直さないで!」
ロバートが慌てていると、侯爵が咳払いをして会話に割り込んだ。
「サラよ、そのくらいにしておいてやってくれ。お前の気持ちは良くわかる。愚息にはもったいない嫁なのは重々承知しているのだが、本当にレベッカ嬢に考え直されたらと思うと気が気ではないのだ」
「祖父様は本当にレベッカ先生がお気に入りなのですね」
「ロバートを追い出して、レベッカ嬢が連れてきた男を養子にしてもいいくらいには気に入っているな」
「それは良いですね。なんなら私もその方の養女になっても良いですよ」
「ふむ検討の余地はありそうだな」
侯爵とサラは目を見合わせてニマニマと笑い合った。
「父上もサラもあんまりですよ!」
「いやぁロブ。お前がレヴィにとってきた行動の方がよほど酷いと思うぞ」
ジェフリーもロバートをバッサリと切り捨てる。
「まぁまぁ、そのあたりにしておいてあげてください。確かにヘタレでどうしようもない人ですが、私の旦那様になる方ですので」
「レベッカ先生がそう言うのであれば仕方ありませんね。今後の伯父様が頑張ってくれることを祈るばかりです」
「大丈夫。どうしようもなかったら、今度はお尻に火属性の魔法をぶち込むから」
「じゃぁ私は風属性魔法で応援しますね」
「よろしくお願いね」
ジェフリーはロバートの肩をポンっと叩き、「お前の尻の無事は祈っておくが……、まぁせいぜい下手を打たないよう頑張れ」と今一つ頼りない応援をした。
「いろいろ思うところはあるようだが、ひとまずめでたい席だ。食事にするとしよう!」
なお、このやり取りを黙ってみていたブレイズは肩の力が抜け、緊張することなく美味しい食事を味わうことができた。その一方、スコットはサラの魔法が自分の尻に向けられることを想像して背筋にゾッとするものが走ったが、それを口にしないだけの分別はあった。
一通りの食事が終わり、食後のお茶のタイミングになって、ロバートは待ち構えていたようにサラに尋ねた。
「ところでサラ。僕も結婚することができるみたいだし、そろそろ養女に来ないかい?」
「うーん。レベッカ先生はどう思いますか?」
「サラさんの母親になれるなら光栄よ。母親で友人にしてくれると嬉しいわ。さすがにガヴァネスではなくなるだろうけど、母親が娘を教育するのはちっとも変じゃないでしょう?」
ロバートとレベッカは期待に満ちた視線でサラを見つめている。よく見れば、侯爵や使用人たちも興味津々といった雰囲気でサラを見つめていた。
「養女にしていただけるというのは有難いお申し出だとは思うのですが…」
否定的な言葉で始まったサラの発言にロバートの顔が曇る。
「ですが?」
「何度か申し上げている通り、私が普通の貴族の令嬢として生きて行くことは難しいと思っています。養女にしていただいても生まれが変わるわけではありませんので、差別的な視線に晒されることは明らかです」
「もちろんサラのことは僕が守るよ!」
「そうですね。今の私が自由でいられるのは、祖父様とロブ伯父様に守られているからなのは間違いありません。しかし、それはいつまででしょうか? このようなおめでたい席で申し上げるのは憚られるのですが、次代あるいはその次の世代のグランチェスターの当主は私を守ってくださるでしょうか?」
「それは…」
「ですから、私は私自身が力を持って生きて行かねばならないのです」
そこにスコットが口を挟んだ。
「僕がサラと結婚してサラを守る! それじゃダメかな?」
「ありがとう。スコット。でもね、私には妖精の友人がいるの。それって、事故にでも遭わない限り、あなたよりもずっと長く生きるってことなの」
「結婚したら子供だってできるだろ?」
「自分の子供に頼って生きるなんてイヤよ。その子にはその子の人生があって、親のために生きるわけじゃないわ」
サラは深く息を吸い込んで呼吸を整え、侯爵とロバートの方に向き直った。
「この国の貴族女性は男性に依存しなければ生きられません。もちろん彼女たちには彼女たちの生き方があり、依存ではなく共存と仰るかもしれません。夫や息子を裏で動かす女傑もいるでしょう。ですが、私は生まれのせいで屈辱的に生きるのも、貴族男性という存在がなければ力を発揮できない立場も望みません。私は自分でお金を稼ぎ、自立した生き方をしたいと思っております」
「でも…僕のところにくればお金なんて稼がなくていいし、ちゃんと遺産も遺すよ?」
「そういうことではないのです、伯父様」
不意にレベッカが鈴を転がしたような声で笑い出した。
「ふふふふ。サラさんは変わらないわね。もちろん私はサラさんの気持ちをちゃんと理解できているわ。だからこそ私はあなたを養女にしたいのよ」
「レベッカ先生?」
「本当は養女でなくても良いのかもしれない。でも、その方がサラさんの基盤をちゃんと作ってあげられると思うの。忘れないでね、妖精の友人がいるのは私も同じよ。だから私たちは、お互いを守りあうべきじゃない?」
「でもレベッカ先生は生まれながらの貴族令嬢ですし、差別はされないですよね?」
「そうねぇ…だけど子爵令嬢に過ぎないし、オルソン家はグランチェスター家の寄子だから、将来の不安という意味ではサラさんとそれほど違わないわ。そもそも、夫がロブなのよ? 将来が不安じゃないわけないでしょ」
「あぁ、なるほど」
「え、ちょっと、僕の扱い酷くない?」
「ロバートよ、レベッカ嬢の不安はもっともだ」
ロバートの指摘を侯爵が窘める。
「サラさんがどうやってお金を稼ぐにしても、貴族の身分は邪魔にならないわ。後ろ盾はあったほうが絶対に有利よ。だからサラさんは私たちの娘になって、自由にお金を稼げばいいと思うの。というか、本音を言えば私も一緒に商売をしたいって考えているわ。商売でお金を稼ぐ貴族を卑しいと蔑む風潮は根強いけれど、領地経営だって本当は商売でしょう?」
「確かにそうですね」
「サラさんに貴族の身分を与えつつ自由に商売ができて、結婚を強要しない家なんてウチくらいしかないわよ? あとは侯爵閣下が引退するまでに、グランチェスター本家から横槍を入れられないくらい力をつければ良いんじゃないかしら」
「物凄く説得力があって魅力的な提案ですね」
「ふふっ。サラさんを手元に置いておくためにいっぱい考えたもの」
「ロブ伯父様の娘になるのは不安ですが、レベッカ先生の娘だったら良いです!」
「じゃぁ決まりね」
サラとレベッカは乾杯するかのようにティーカップを掲げ、ニッコリと微笑みあった。
「なんだろう…嬉しいけど釈然としない」
「ロブ、自業自得だ」
「そうだな」
ロバートが思わず零した愚痴に、ジェフリーと侯爵が反応したが、二人とも慰めることはしなかった。確かに自業自得である。
そしてサラに無駄にフラれたような形となったスコットは、ブレイズに慰められていた。
「まだ正式に断られたわけじゃないよね?」
「うん。そうだね」
「まだイケるよね?」
「どうだろう。勉強と魔法と剣術を頑張ればなんとかなるかも? オレはそんなに頑張れそうにないけど」
「でも頑張らないとソフィアさんとかって人に会えないんじゃ?」
「うっ…そうか」
ブレイズも順調に一途なグランチェスター男子として成長しているようである。