ドレスメーカーより鍛冶師
ひとまずエルマブランデーの用事はひと段落したが、折角乙女の塔に来たのだから図書館には寄るべきだろう。
「私は図書館に向かいます。アメリアさんとアリシアさんにも会いたいですし。テレサさんとフランさんはどうされます?」
「オレはひとまず母親と従姉妹の家に行ってきます」
「それじゃぁお二人に近々お会いしたいと伝えてください。できれば酒蔵を拝見したいので、そちらにお伺いしたいです」
「わかりました。伝えます」
フランは頷いた。先程のエルマブランデーを2種類、小さな瓶に入れている。
「テレサさんはどうされますか?」
「そうですね。工房をどうするか少し検討するために戻ろうと思います。本格的に蒸留釜を沢山作るなら工房を何とかしないと。うちの工房はあのサイズの蒸留釜を作るには小さくて…」
「そちらは、祖父様の意見を聞かなければならないので本決まりではありません。ところでテレサさんのお父様は何を作る鍛冶師だったのですか?」
「父は武器を作る鍛冶師でした。特に剣と槍を作るのが得意だったんです。私自身も本当なら父と同じく剣を作りたいのですが、やはり女性の鍛冶師に依頼するような騎士や冒険者はいなくて。だから仕方なく農具の修理をしたり、アリシアが使う蒸留釜を作ったりしていました」
「あら、それは随分と方向性の違う仕事ばかりなのね」
「逆にフランは、武器より生活に使う道具を作る方が好きなのに、今の工房で戦斧を作らされているのが不満みたいです」
「おい、サラお嬢様に余計なこと言うなよ」
フランが慌ててテレサの発言を止めた。
「そう考えると、蒸留釜のお仕事はフランさんメインの方が良さそうですね」
「え、でも私も仕事が無いと困っちゃうのですが」
「じゃぁテレサさんには私の剣を作ってもらおうかしら」
「「は?」」
サラはちらりとスコットを見た。
「ここにいるスコットやブレイズと一緒に剣を習い始めたの。だけど私の体型では合う剣がないのよ」
「サラお嬢様のお歳で真剣は必要ないのでは?」
「スコットはどう思う?」
「師匠である父上の意見も聞くべきだろうけど、サラは真剣を持った方がいいと思う。もちろん練習は木剣かもしれないけど、真剣を使った練習もしておいた方がいい。身体の成長に合わせて何度も作ることにはなると思うけど」
「私は双剣を使うの。ちょっと特殊でしょ? 大人用の真剣を持たせてもらったんだけど、少し重くて取り回しが大変だったから、身体に合ったものが欲しくなったの。私のことを良く知ってて、私にピッタリな武器を作ってくれるなんて最高じゃない?」
テレサはごくりと唾を飲み込んだ。思ってもみない申し出だったのだ。
「ではお師匠様から許可が下りたなら是非私にサラお嬢様の双剣を作らせてください」
「じゃぁ今日はいろいろ許可を取って回らなきゃね」
サラはニコッと笑った。
「サラはお気に入りのドレスメーカーより剣の鍛冶師を決める方が先なんだな」
「ドレスなんて、すぐに着られなくなるじゃないですか。それに動きにくいから、本当はブレイズみたいな服の方が良いです! そうじゃなきゃテレサさんみたいな」
二人とも上は簡素なチュニック、下は丈夫なパンツを履いて裾をハーフブーツにインしている。ただし、テレサのチュニックはふんわりと太腿の辺りまである緩やかなデザインで、チュニックの上から布製のコルセットを着けている。これでウェストを絞りつつも、胸が邪魔にならないよう押さえてあるのだ。
「サラさんは、なかなかお転婆ですね。ですがレベッカ先生に合わせる顔がありませんので、お勉強中はドレスで居てくださいね」
「は~い」
さすがにトマスに咎められたので、ここは引き下がるしかないだろう。
「なんにしても工房を片付けて、本格的に稼働する準備をしないと。それに、父が亡くなってから鍛冶だけでは食べていけなかったせいで、農家のお手伝いもしているんです。今後は鍛冶だけでやっていくつもりですが、いきなり辞めるわけにはいかないので、明日から小麦の収穫を手伝わないといけないのです」
「あら忙しくなるのね」
「1週間程は忙しいと思います。でもエルマブランデーの蒸留は、フランが引き受けるので大丈夫ですよ」
「わかったわ。テレサさんも頑張ってね」
グランチェスターにとって小麦は最大の特産品である。その一端を担っているテレサの邪魔をするべきではないだろう。
テレサとフランが退室するのを見送った後、サラはようやく図書館に足を運んだ。図書館の扉を開けると、トマスが感嘆のため息を漏らすのがわかった。
「これは凄いです…」
それだけ呟くと、トマスは天井まで届く本棚を見上げるように固まった。
『まぁそうなるよねぇ』
「アカデミーの図書館よりも小規模ではありますが、美しさという点ではこちらの方に分がありそうです」
「私はアカデミーの図書館を拝見したことがありませんので比較はできませんが、私の自慢の図書館です」
「今、サラお嬢様は『私の』と仰いましたか?」
「はい。この図書館も含め、乙女の塔とその周辺の土地は私の私有財産ですから」
「なんと!」
突然トマスはサラの前に跪いた。
「サラお嬢様、あなたに心からの忠誠を誓います。どうかこの図書館への出入りを許可していただけないでしょうか?」
『そうきたか! まぁ気持ちはわかるよ』
「トマス先生、別に忠誠を誓っていただく必要はありません。私自身は出入りを許可することも吝かではないのですが、ここは乙女の塔という名前の通り、働いている人の大半が女性なのです。しかし、トマス先生は、女性とのトラブルを避けるために顔を隠していらっしゃるのですよね?」
「はい…。ですが、ここに出入りできるのであれば、ずっと顔を隠します!」
トマスは諦めきれないように食い下がる。
「それもどうかと思うんですよね。トマス先生に本当の自分を隠して欲しくないというのもありますが、働いていれば不意に顔を見てしまうこともあるでしょう?」
「そうかもしれません」
「ですから最初から働いている女性たちには知っていて欲しいのです。確かにトマス先生はお綺麗な方ですから、好きになってしまう女性も多いと思います。ですが、この塔にはトラブルを起こすような女性はいないと信じたいのです」
『私は乙女たちやこの城のメイドさんたちは外見じゃなく中身を見る人だって信じたい』
「まずはここで働く乙女たちにトマス先生を紹介し、彼女たちから了承を得られたら出入りを許可するという形を取らせてください。といっても、既にレベッカ先生とテレサさんにはお会いしていますし、彼女たちが否というとは思えませんね。トマス先生が綺麗でも、まったく気になっていないようでしたし」
「ははは。自分が自意識過剰の勘違い野郎に思えてきましたよ」
「あ、油断しないでください。間違いなくトマス先生は美形です」
すかさず釘を刺す。
「あとはアリシアさんとアメリアさんの許可ですね。特に二人はこの塔に住んでいますから、男性の出入りには厳しいかもしれません」
「え、ここに寝泊りする施設があるのですか?」
「ありますよ。彼女たちは使用人部屋に住んでいますが、ゲストルームもありますから。ちなみに私の部屋もあるのですが、私は本邸の方に部屋を持っていますので、あまり使わないかもしれませんね」
「なんてことだ…こんな凄い図書館に住めるなんて…地上の楽園?」
トマスが陶酔したような表情を浮かべている。教え子たちは、そんなトマスを胡乱な目で見つめた。
「サラ、なんかトマス先生がヘンだよ」
「ブレイズ…本好きな方々の中には、ときどきこうした方がいらっしゃるの。深く気にしてはダメよ」
「トマス先生のこんな顔を初めてみたよ」
さすがに放置しておくのも気が引けるので、サラはトマスにフォローを入れることにした。
「お気持ちはわかりますが、こちらの図書館は長いこと放置されていたので古い書籍ばかりなのです。司書もおりませんので、まだ書籍や資料を把握しきれておらず、トマス先生が興味を持つ分野の書籍があるかもわかりません」
「司書がいないのですか!」
『あ、しまった。余計なこと言ったかも』
「司書としてトマス先生は雇いませんよ? 家庭教師でいらっしゃるのですから」
「そうですよね…」
「まぁ、乙女たちが否と答えても、私と一緒なら入れます。最悪の場合はそれで我慢してください」
「はい…」
しかし、トマスは未練たらたらといった風情で図書館の本を見つめていた。
「ひとまずは乙女たちに引き合わせましょう」
サラはマリアに頼んでアリシアとアメリアを呼んできてもらうことにした。