東屋にて
暴力的な表現が含まれます。苦手な方はスキップしてください……あれ?
意を決して訓練場に向かっていたロバートは、突然執事見習いに引き留められた。その見習いはサラからのメモを預かっていた。
『大勢の前で盛大にフラれたくないなら、求婚の場所は考えた方が良いですよ。庭の東屋をセッティングするよう指示しておきましたので、そちらに向かってください』
「た、確かに人前はヤバい。えっとどの東屋だろう」
「中庭にある東屋でございます。ご案内いたしますか?」
「いや、大丈夫だ。サラにはありがとうと伝えておいてくれ」
「承知しました」
執事見習いは恭しく頷いた。
ロバートは大きな花束を担ぐように抱え、急いで東屋へと向かった。
到着した東屋のテーブルには白いクロスがかけられており、薔薇やガーベラなどの花が飾られている。よく見るとロバートが抱えている花束に似ているので、この花束に合わせたのだろう。そして、花の横には小さな天鵞絨の箱が置いてあり、東屋の傍らには家令が控えている。
「この箱は?」
「亡くなられた奥様の指輪でございます。こちらは、旦那様が奥様と婚約する際に贈られたものでして、ロバート様からオルソン令嬢にお渡しするようにと言付かっております」
「母上の指輪なのか…」
箱をそっと開けると、小振りだが質の良いサファイアが嵌った金の指輪が光っていた。
『ここまで二人に後押しされたんだ、僕も心を決めないと!』
「ロバート卿、準備は整いましたが、オルソン令嬢をお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「う、うん。それと人払いをお願いできるかな。レヴィならここに一人で来れると思うし」
「承知いたしました」
家令とメイドたちが一斉に下がり、ロバートは東屋に一人残った。すると突然、テーブルの上に小さな緑色の犬が現れた。
「うぉっ」
「こんにちはロバート卿」
「君は誰だい?」
「私はサラの友人のポチよ。ロバート卿の前に姿を現すのは初めてね」
「そうか、君がポチなのか。麦角菌騒動の時にはお世話になったね」
「どういたしまして」
「どうしてここに? サラのところに居なくていいのかい?」
「サラから依頼されてきたの。ちょっと待ってね」
ポチが東屋の周りをぐるぐると回ると、金色の光がキラキラと降り注ぎ、季節を無視してさまざまな花が一斉に咲き始め、馥郁たる香りを辺りに漂わせた。
「どう?」
テーブルにちょこんとお座りしたポチが、首を傾げた。サラが見たら『ビ〇ターの犬みたい』と言いだしそうなポーズである。
「ありがとうポチ。素晴らしいね」
「あとはロバート卿次第よ。がんばって」
「う、うん!」
妖精にまでプレッシャーをかけられ、完全に声がひっくり返っている。
スッとポチが消えると、ロバートの耳にレベッカの声が聞こえた。
「ちょっとロブ、授業中に呼び出すなんてどういうこと? ってなにこれ?」
さすがに周囲の様子やロバートの服装が普通じゃないことにレベッカも気づいた。
「えっと、その…なんというか…」
レベッカはすぐに、ロバートがプロポーズしようとしていることに気づいた。しかし、待っても待ってもロバートはハッキリしたことを言いださない。
レベッカは10分程待ったが、状況はまったく変わらず埒が明かない。いや、正確に言えばもう何年もずっと待っていたのだ。
『さすがにキレてもいいよねぇ。コレ』
「用が無いなら戻るわ。まだ授業中なのよ」
「れ、レヴィ。僕と結婚してくれないか?」
やっとの思いでロバートは言葉を絞り出し、花束を差し出した。が、既にレベッカはブチキレていた。
「は? なんで?」
「その…サラが、僕の養女になっても母親がいないっていうから…」
そしてロバートは、これ以上ないほど見事にレベッカの怒りに油を注いでしまった。
「はぁぁぁぁ? サラさんを養女にしたいから私と結婚するってこと?」
「あ、いや、そういうわけじゃ…」
「そうじゃなきゃなんだっていうのよ。27歳にもなって結婚してない私に同情でもしてるわけ?」
ロバートは焦った。盛大に焦った。まさかこんなにレベッカを怒らせることになるとは、まったく想定していなかったので、何を言ったらいいのかもわからなくなっている。
「いや、それを言ったら僕だって30歳だし」
「だから余り者同士で適当に結婚しようって? 馬鹿にしてるわけ?」
『ど、どうしよう。こんなハズじゃなかったのに…』
「ふざけんな! この女たらしが!」
レベッカはロバートが差し出した花束を受け取り、思い切り振りかぶって、その花束でロバートの横っ面を張り倒した。無意識に身体強化をしていたせいでロバートはそのまま吹っ飛んだ。
そんなロバートにレベッカはつかつかと歩み寄り、胸座を掴んで強引にロバートを立たせたかとおもうと、顔面に2発フックをぶちかまし、最後に右ストレートをお見舞いした。折角ポチが綺麗に咲かせてくれた花の上を、ロバートはゴロゴロと後転して倒れた。小公子の愛称が伊達ではないことを見事に証明する鮮やかな腕前である。
「これ以上舐めたこと言うならガヴァネスは辞める。20年以上の付き合いだし、亡くなった侯爵夫人には恩があるからこれで許す。だけど友達付き合いは少し考える」
鼻血をダラダラ流しながら起き上がったロバートは、やっとまともにレベッカを見た。驚いたことに、レベッカは両目からボタボタと涙を流している。
「レヴィ! どうしたの? 手を痛めた?」
どう考えても自分の方が痛々しい姿をしている癖に、ロバートは泣いているレベッカのことを心配してオロオロしている。
「痛いのは胸よ。自分が情けなくて情けなくて」
「レヴィは情けなくなんかないだろ」
「お前がいうな! こんな馬鹿をずっと待ってたかと思うと情けなくて泣けてくるのよ」
「へ?」
ロバートが酷く間抜けな顔をした。
「レヴィ、僕を待ってたの?」
「待ってたわよ」
「けど別の男と婚約したよね?」
「政略結婚なんだから仕方ないでしょ。っていうか縁談が持ち込まれたとき、うちの両親は『グランチェスター家の令息から求婚されているならそっちを優先していい』って言ってたわよ。まぁ求婚なんてされてなかったわけだけど」
レベッカは涙を拭うこともせず、ロバートに文句を言い続けた。
「だいたい『一緒に冒険者になろう』ってなんなのよ。こんな簡単に私に殴られちゃうくらい弱いのに。ほんと馬鹿」
「うん…本当にごめん。僕には現実が見えてなかった。だけどレヴィをロイセンに行かせたくなくて」
「なんでよ」
「だって、レヴィに会えなくなっちゃうだろ」
「他の男と結婚したって同じじゃない」
「同じじゃないよ! もうレヴィを見守ることもできないじゃないか。レヴィの隣に立てなくても、せめて見ていたかったんだ」
「なによそれ。見れたら満足なわけ?」
「そうじゃないよ。凄く胸は痛いけど、でもそれしか僕にはできないから…」
ロバートがしょんぼりと俯くと、ロバートの下に咲いていた白い花の上に鼻血がボタボタと垂れた。
「あー、もう。ちょっとこっち向いて」
レベッカはロバートに治癒魔法をかけ、殴られてできた傷や痣を綺麗に治した。
「ありがとう」
「殴ったのは私だけどね。サラさんみたいな言い方をすれば、殴っても治せば問題ないかなって」
「ふっ…ははははは。でも僕の心はさっきの鼻の骨と同じくらい折れてるけどね」
「それはお気の毒様。じゃぁそろそろ行くわ。授業放り出してきてるし。その前に部屋に戻って化粧を直さないとダメね」
レベッカはハンカチで涙を拭い、スカートの裾をなおした。
「レヴィ…やっぱり僕とは結婚できない?」
「私はね、私のことだけを愛してくれる人と結婚するつもり。だからサラさんのお母様になる女性は他をあたって頂戴」
レベッカの返事を聞いて、ようやくロバートは自分が何を言わなければならないのかに気付いた。
「僕、本当に馬鹿だ」
「いまさら? 20年くらい前から知ってるけど、かなり馬鹿よ?」
「うん。今凄く納得した」
ロバートは服の埃をパタパタとはたき、テーブルの上にある小箱を掴んでレベッカのもとに歩み寄り跪いた。
「レベッカ・オルソン嬢、あなたのことだけをずっと昔から愛しています。どうか僕と結婚してください。あなたがいない人生に僕は耐えられそうにありません」
そして小箱を開いて、指輪を差し出した。
「……」
しかしレベッカからは返事が返ってこなかった。不審に思ったロバートが顔を上げると、レベッカはさっきよりも大粒の涙をボタボタ流していた。
「え、レヴィ? 僕また余計なこと言った?」
「遅いっ。遅すぎるっ。しかも嘘くさい!」
「嘘じゃないって」
「じゃぁなんで、あんなにいろんな令嬢のところにふわふわ行くのよ! それに娼館にも通ってたし!」
「あ、いや、それは…」
「私はずっと待ってたのに。アドルフ王子が亡くなったあと、ロブは私にプロポーズしてくれるって思ってたのに」
「僕じゃレヴィに相応しくないって思って…」
「私に誰が相応しいかは私が決めることでしょ! なんで勝手にロブが決めるのよ」
「そうだけど、僕は次男だし」
「私は次女だけど?」
「だってレヴィは物凄く綺麗で、妖精に愛されてて、聖女みたいだし…」
「じゃぁ、やっぱり諦める?」
ロバートは苦笑しながらレベッカに近づき、自分のハンカチでレベッカの涙を拭った。
「もうムリ。ずっと心の中にしまいこんでた気持ちを全部吐き出しちゃったから、レヴィにフラれたら心が粉々に砕けると思う」
「ロブの砕けた欠片を誰かが拾ってくれるかもしれないわよ?」
「レヴィ以外に拾われたくない」
「そっか。じゃぁ仕方ないわね」
レベッカは左手を差し出した。ロバートはその左手の甲に口づけ、薬指にサファイアの指輪をはめた。グランチェスター家には、代々婚約者の左手の薬指に婚約の証となる指輪をはめる風習がある。もちろん結婚指輪の交換の儀式もある。おそらく始祖が前世の記憶で始めたのだろう。
「さて、私たちの娘に報告しに行きますか」
「娘になってくれるかな?」
「多分ね。私にとってサラさんは、友人で、教え子で、娘になるはず。それって最高よね」
「確かに最高だね」
だが、ロバートはその場で立ち止まってレベッカを見つめた。
「レヴィ、僕はレヴィを愛してる。子供のころからずっと。だから教えて欲しい、レヴィは僕のことをどう思ってる? 僕に同情して結婚してくれるの?」
「愛していない相手をずっと待つほど馬鹿じゃないつもりよ」
「それじゃぁ…」
「ええ、愛してるわ」
そう言って微笑んだレベッカを見たロバートは、堪えきれずにレベッカを抱き寄せて自分の腕の中に閉じ込めた。
この様子をこっそりのぞき見していたフェイ、ミケ、ポチ、セドリックは二人の上から金色の光を降らせ、その周囲を名前のない沢山の妖精たちが飛び交った。ポチはこっそり殴るのにつかわれた花束やロバートが転がって潰れた花を元に戻し、ついでに二人の周りに花びらをまき散らした。
恋人たちがそれに気付いて決まりが悪い思いをするまで、かなりの時間を要したことについては、さすがに妖精たちもサラに報告したりはしなかった。
本当にどうしようもない男ですが、ヘタレはグランチェスター男子のお家芸なのでレベッカも諦めるしかありません。