予備の子息と小公子 - SIDE ロバート -
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グランチェスターの3兄弟の中でも僕は地味な存在だ。
後継ぎのエドは生まれた時から特別で、僕はもしもの時の『予備』に過ぎない。まぁ貴族家の次男なんてそんなものだし、他の家だって長男が特別なのは普通のことだ。
ところが僕が4歳の時に弟のアーサーが生まれた。母によく似た面差しの美少年で、父上や使用人たちはアーサーをとても可愛がった。もちろん僕も弟は可愛いかったし、あまり気が合わないエドよりも、アーサーの方が好きだった。
容姿についていえば、僕だって母上に似ていたから、そこそこ整っていた。子供たちが交流するお茶会でも、それなりにモテた。だけどアーサーがお茶会に参加するようになると、女の子たちはみんなアーサーに夢中になった。
まぁ浮ついた女の子には僕だって興味ないし、ちょっとだけ面白くないなとは思ったけど、アーサーを好きな気持ちの方が大きかったから気にはならなかった。
……レヴィに会うまでは。
母上はアーサーを産んでから、体調を崩すことが多くなっていた。母上は静養のためにグランチェスター領で過ごすことになり、僕とアーサーも一緒に行くことになった。
ある日、母の友人であるオルソン子爵夫人が2番目の娘であるレヴィを伴って、グランチェスター城に訪ねてきた。二人は子供のころから仲の良い友人であり、オルソン子爵家はグランチェスター家の隣に領地を持つ寄子でもあった。
その頃のオルソン子爵家は、長男のアカデミー入学と長女の社交界デビューを目前に控え、レヴィの世話にまでなかなか手が回らなくなっていた。そのことを聞いた母上は、レヴィをグランチェスター城に預けることを提案したのだそうだ。
最初はドレスを着て楚々とした雰囲気のレヴィだったが、蓋を開けてみれば、とんでもなくお転婆な女の子だった。アーサーと同じ6歳だったが、お人形遊びのような女の子の遊びにはまったく興味を示さず、僕たち兄弟と一緒に城内の森を駆け回って遊んでいた。
遊ぶのに邪魔だからとドレスを嫌がり、僕の昔の服を着たがった。風のように馬を走らせ、川で釣りをし、僕たちと一緒に剣術の稽古にまで参加したがった。剣術の稽古だけは母上が頑として許可しなかったが、こっそりジェフから剣を習っていたらしい。
僕たち兄弟とレヴィは城内で働く使用人の子供たちとも一緒に遊ぶことが多かった。皆レヴィのお転婆ぶりを見て『小公子』と呼んでいた。そういえば、僕らの中で木登りが一番上手いのもレヴィだった。
そんな無邪気な子供時代が終わりを告げたのはレヴィとアーサーが9歳、僕が12歳のときだった。
その日、僕たち3人は西の森へと遠乗りに出かけていた。ところが、道の脇から急に狐が飛び出してきて、驚いた馬を制御しきれずアーサーが落馬してしまったのだ。
慌てて馬を降りてアーサーに駆け寄って声を掛けたが、アーサーは完全に気を失っていて返事をしなかった。かろうじて浅くて早い呼吸を繰り返しており、命が失われていないことに安堵した。
転げ落ちた時に切ったらしく、頭からはダラダラと血が流れていた。よく見ると腕にも大きな傷ができている。僕はアーサーを揺すって起こそうとしたが、レヴィは「頭を打ったときは、揺すってはダメ」とその行動を止めた。
レヴィは冷静に「ロブ、大人を呼んできて」と指示を出し、アーサーの傍にしゃがみこんだ。僕は急いで城に戻って大人を呼び、荷馬車を伴って現場に戻った。
そこで見た光景は今でも忘れることができない。
レヴィは光を纏っていた。彼女の周りにはたくさんの小さな光の玉がくるくると回っており、翳した手の先からは白炎にも似た鮮やかな光が生れてアーサーに降り注いでいる。アーサーの額や腕の傷はみるみる塞がり、呼吸も正常な状態へと戻っていく。
あまりにも現実離れした光景に、僕だけでなく周りの大人たちも呆然として見入って 魅入られていた。
しばらくすると光の奔流はおさまった。するとレヴィは駆け付けた執事に向かって、
「失われた血は戻りませんので安静は必要ですが、アーサーはもう大丈夫です」
とだけ言い残し、僕に向かってにこりと微笑んだまま気を失った。
僕はこの微笑みを見た瞬間、レヴィへの恋心を自覚した。たぶんずっと前から彼女を好きだったんだと思う。だけど、焼けつくような胸の痛みと、どうしようもない程の渇望を覚えたのは、この時が初めてだった。
光属性の治癒魔法を発現したレヴィは、これから多くの人から望まれる女性になることが決まってしまった。子爵家の生まれではあるが、その希少性を考えれば上位貴族の跡取り、あるいは下位貴族でも裕福な家の跡取りの伴侶にと望まれるだろう。間違っても僕のような予備では、レヴィの隣に立つことはできない。
つまり僕は恋を自覚した瞬間に、彼女が手に入らないことに気付いてしまったのだ。
僕が13歳になると、僕とアーサーは一緒にアカデミーに通うことになった。入学は10歳から可能なので不思議ではないのだが、試験に合格しなければ進級できないため僕くらいの年齢から通うのが普通だ。
要するにアーサーは普通じゃなく頭のいい奴だったわけだが、アーサー曰く『落馬した時に頭を打ったから賢くなった』のだそうだ。あいつの定番ジョークだ。
レヴィは相変わらずレヴィであったが、周囲が態度を変えていくに伴って、少しずつ淑女らしくなっていった。ドレスを身に纏って優雅にお茶会に参加し、刺繍などをする姿を見れば、気品のある子爵令嬢であった。
それでも僕たちの前では小公子レヴィであることを隠さず、アカデミーに通えないことを悔しがった。僕とアーサーはレヴィを気の毒がり、アカデミーの教科書を自分の分とは別に一式揃え、授業のノートを書き写してレヴィに送るようになった。
アーサーの成績が常に上位だったのは、単に頭がいいってだけじゃなく、レヴィに授業の内容を教えるために復習をしていたからだろう。もちろん僕だって送ったけど、何故か添削されて返ってくることが多かった。…解せないね。
もちろんレヴィからの質問もたくさん届いた。僕たちは手分けをしてレヴィの質問の答えを教授に質問したり、アカデミーの図書館から探したりしていた。お陰で教授たちから熱心な生徒だと思われていたようだ。
長い休暇にはグランチェスター城に戻った。僕たちが在学中に母上が亡くなり、オルソン子爵夫人が城を訪ねてくることはなくなったが、娘のレヴィは一人でもグランチェスター城に遊びにきてくれた。まぁ目当ては自習室でアーサーとの勉強会だったけど。
僕はいつだって眩しいものを見るようにレヴィを見つめていた。休暇でグランチェスター城に戻るたび、レヴィはどんどん綺麗になっていく。シーズン中の王都でも、レヴィの美しさはたびたび話題になったし、年頃の貴族子息たちはみんなレヴィに夢中になった。そういえばアーサーもレヴィが好きなんじゃないかと聞いてみたことがあったが、「小公子レヴィは同性の友人にしか見えない」と言い切っていたな。あいつは勉強のし過ぎで目が悪いに違いない。
そして僕がもっとも恐れていた瞬間が訪れた。レヴィが裕福な子爵家の継嗣と婚約したのだ。僕とアーサーは既にアカデミーを卒業していたが、そいつのことは後輩として名前と顔くらいは知っていた。それなりに優秀だったような気もする。顔は…たぶん僕の方がちょっとだけ良かったと思う。
そういえば、レヴィが婚約した時は、アーサーが慰めに来てくれたな。誰にも言ってないのに、なんで気づいたんだろう。
レヴィが幸せなら、僕は喜んで結婚を祝福するつもりだった。旦那が浮気したりしないか、監視くらいはしたかもしれないけど。友人のためならそれくらいは普通だよね?
だけど平凡な子爵夫人になるには、レヴィはあまりにも美し過ぎた。妖精の恵みのお陰で麗しい外見を長く維持できることは広く知れ渡っていたし、希少な光属性の治癒魔法を発現したことも、彼女の神秘性や希少性を高めていた。
レヴィの噂はアヴァロン国内だけでなく、外国でも噂されるようになっていった。そんな彼女を隣国の好色な王子が放っておくはずもなかった。ロイセンという強大な国に対し、我がアヴァロンはあまりにも微力であった。国王陛下は強引なアドルフ王子の要求を毅然として拒否したが、少しずつ彼女の周囲はアドルフ王子からの圧力に耐えきれなくなっていった。
僕はレヴィを助けたかった。彼女には本当に幸せになって欲しかった。僕はただの予備だから家の力を借りることはできないけど、僕ができることなら何だってしてみせる。アーサーも手伝うと言ってくれたが、あいつはあいつでアデリアのことで手一杯だったから、僕が一人で頑張るしかないことは分かっていた。
アドルフ王子への輿入れが決まったと聞いた僕は、できる限り金をかき集め、平民の男女としての身分を作り、ロイセンとは反対方向の国境に近い場所に土地と家を購入した。そして、偽の身分で冒険者ギルドへの登録も済ませた。
ある程度の準備が整ったところで、僕はレヴィのいるオルソン邸を訪ねた。既に輿入れまで1週間を切っていた。
「レヴィ、僕と一緒に家を出よう。一緒に冒険者になろう」
僕は精一杯の気持ちを込めてレヴィに伝えた。僕の人生をすべてレヴィに捧げても、僕は彼女に幸せになって欲しかった。だけど彼女は、これまで見たことがないくらい綺麗な笑顔を浮かべて僕に言ったんだ。
「ありがとうロブ。だけど私はいけないわ」
この瞬間、僕の人生くらいじゃレヴィにはまったく釣り合わないってことを改めて思い知らされた。彼女はもう諦めていることが手に取るように分かった。何も持っていない僕では、彼女の決意を揺るがすことすらできなかった。
諦めてグランチェスター城に戻った僕は、もう友人としてすら、レヴィの傍にいられないのだと思い知った。
そして僕は、部屋に引きこもった。この時の僕の状態を一言で表すなら『虚無』だったと思う。悲しいとか、寂しいとか、喪失感とか、絶望とかそういう分かりやすい感情ではなく、本当に何もない虚無だった。泣くこともなく、憤ることもなかった。部屋に閉じこもり、食事もせず、眠っていたかどうかさえも憶えていない。
ヘタレのもだもだが続きます