女性文官誕生
あれからロバートはひたすらレベッカに謝り倒し、なんとか許してもらったらしい。レベッカもなかなか苛烈な性格をしているようだ。
レベッカは、怒っていたことなどまるで感じさせない優雅な微笑みを浮かべ、ロバートのエスコートで夕食の席に着いた。先に食卓に着いていたサラは、『やっぱりいい雰囲気じゃん』と思ったものの、口にも顔にも出さなかった。
「サラさんの食事のマナーは大丈夫そうね」
「ありがとう存じます。レベッカ先生」
ガヴァネスらしいレベッカの発言に、カトラリーやマナーが前世とほぼ同じで良かったと胸をなでおろしたサラであった。
「思いのほか、サラさんには教えることが少ないかもしれないわね」
「いいえ、私はまだまだ未熟です。至らないところも多く、レベッカ先生のご指導を賜りたく存じます」
すかさずロバート(空気読めない男)が発言する。
「サラの猫はアーサーから譲ってもらったのかい?」
本当に台無しである。
「ロブ! 本当にあなたという人は!」
レベッカの怒りが再燃する。さすがに今回はサラもフォローしない。
「伯父様、私たちに手伝って欲しいんですよね? せっかくレベッカ先生が『教えることが少ない』と話題を傾けてくださったのに、その言い様は如何なものでしょうか。ここで伯父様が言うべきなのは『それなら空いた時間に手を貸してもらえると嬉しいな』ではないのですか!?」
女性二人に詰め寄られ、ロバートは焦った。使用人はいるものの、男性一人での暮らしが永かったせいで、"女性に気を遣う"という当たり前のことが綺麗さっぱり抜けてしまっていたらしい。
「……申し訳ございません」
ロバートが落ち込むと、大型犬がしゅんとしているようにしか見えない。どうにも憎めないロバートに、サラとレベッカは目と目を合わせて苦笑するしかなかった。
その後3人は、食後のデザートとお茶(ロバートはお酒だったが)を、別棟にある遊戯室で取ることにした。
「サラさん、こういった遊戯室も本来は男性しか入れない場所なの」
「確かに男性的なお部屋ですね」
ここはロバートのお気に入りの場所で、バーカウンター、カードテーブル、チェスのような盤面遊戯、ビリヤードのような玉突き台などが配置されている。男性的というよりも、退廃的な雰囲気の部屋である。
「この建物は、文官たちの仕事場なんだ。今日は君たちと話をしたくて遠慮してもらっているんだが、文官たちは夜になると、この部屋に集まることが多い。まぁ、いまは利用人数もかなり減っているけど」
「仕事が終わった後の息抜きということでしょうか?」
「それもあるが、文官の社交場という方が正確かもしれないね。商人との打ち合わせに使われることも多いから、この部屋の近くは大小さまざまな応接室になってる」
「つまりね、私たちのような女性が入れない部屋で、お金が動いてるってことなの」
「なるほど」
「うーん。別に僕たちは女性を排除しているってわけでもないんだけどなぁ…」
先ほどレベッカは『男性しか入れない』と説明したが、実際には愛人や娼婦を同席させることもある。いずれにしても、子供が入るような部屋とは言い難いだろう。
「では、悪だくみもここでするんですか?」
「さすがにここはすべての文官に開放されているから、悪だくみには向いてないかな。そういう時は、領都にあるしょ…
「ロバート・ディ・グランチェスター! それ以上サラさんの耳に入れたら、子供の頃のように耳を引っ張りますわよ」
レベッカがロバートの発言を遮るように叱責する。おそらくロバートは"娼館"と言いたかったのだろうと、サラは勝手に推測した。おそらく領都の花街には、貴族や裕福な商人向けの高級な店があるに違いない。銀座の高級クラブや赤坂の料亭のような役割を果たしているのではないだろうか。
もちろん空気の読める女のサラは、理解したような顔はしない。あざとく、キョトンとした表情を浮かべておく。
「悪だくみは城外で行われるってことはわかりました」
「サラは、理解してそうでちょっと怖いんだけど」
ちょっとバレてる気もするが、気にしてはいけない。
「どうして伯父様は、ここに私たちを連れてきたのでしょうか」
「君たちにもここを使ってもらう日が来ると思ってるからさ。仕事を手伝ってもらうなら、遅かれ早かれそうなると思う」
「そんなに本格的に仕事させたいの? てっきりロブの執務室で、秘書のような仕事をするんだとばかり思ってたわ」
「最初は僕もそう思ってたんだけどね、過労で文官が2人ほど倒れてしまってね。そんな余裕すらなくなってしまったんだよ」
『それはガチでヤバいブラックな職場だよ!』
「ロブ、あなた正気なの? 私はともかく、そんなところでサラさんを働かせるなんて、私は断じて許せないわ。そもそも、侯爵閣下はご存じでいらっしゃるの?」
「いや僕の独断だ。レヴィのことは薄々気づいてるとは思うけど、今の状況じゃ目をつぶるしかないだろうね」
「それじゃサラさんは?」
「レベッカ先生。祖父様は私の能力 …というのもおこがましいですが… をご存じありません。完全に想定外かと」
「うん、僕もそう思う。だけど、できる人間を放置できるほど、今のグランチェスターには余裕がない。計算を補助できるだけでもありがたいレベルなんだ」
清々しいほどの開き直りである。レベッカは呆れたようにロバートを見つめ、次いでサラに視線を向ける。
「サラさん。こんなヒドイ仕事は断ってもいいのよ? いえ、むしろ断るべきだわ。まだ未成年のあなたがやらなきゃならないような仕事ではありません」
「微力でもやらなければ、その分仕事は遅れます。国の監査に間に合わなければ、グランチェスター家は没落してしまうかもしれません。私もグランチェスターの一員である以上、他人事ではないのです」
『いや、いまグランチェスター家に没落してもらったら困る。真っ先に私が放逐されることは目に見えてる。 悠々自適な独立計画がいきなり頓挫しちゃうじゃない!』
「サラさん…」
「むしろレベッカ先生こそ当家の事情に巻き込まれた被害者ではないですか」
「確かにその通りね。…仕方ありません。教え子が頑張ると言ってる以上、ガヴァネスの私が見捨てるわけにはいきませんからね」
「既に文官たちには女性が働くことになると伝えてある。数名は訝しそうな表情を浮かべていたが、残りは猫の手も借りたいと思っているので性別など気にも留めないだろう」
「そこはちょっとくらい気に留めてくれても良いと思うんですけど…」
こうして、グランチェスター領に2名の女性文官が誕生することが決まった。ただし、パートタイムで。サラは勤労学生、レベッカはダブルワークなので、さすがに本業を優先するのは仕方ないところだろう。
「私は従兄姉たちから『ロブ伯父様は教育熱心』と伺っていたのですが、いきなり学習時間を削りに来てますよね?」
「いやぁ、あいつら全然勉強しないからさぁ、叔父としては心配して言うよね。あのままじゃグランチェスターの将来に不安しかないよ」
「その心配、私には向けていただけないのでしょうか?」
「むしろ僕の方が心配されてそうな気もするんだけどね」