銀と赤と黒
乙女の塔から本邸に戻ったサラとレベッカは早めの昼食を手早く済ませると、動きやすい服装に着替え、馬車で30分ほど離れた場所にあるジェフリーの邸へと向かった。今回はマリアもサラに同行している。
いかにも騎士団長の邸宅らしく質実剛健といった風情の建物で、剣や弓の練習場が広くとられている。
「ようこそグランチェスター邸へ」
ジェフリーがにこやかに出迎えた。その後ろには父親にそっくりな赤髪の少年と、魔法を暴走させた黒髪の少年が控えている。
「紹介するよ。こいつが息子のスコットだ。よく似てるだろ?」
「はじめまして。サラ・グランチェスターです」
サラが優雅にカーテシーをすると、スコットもサラの近くに歩み寄ってきた。
「はじめまして。スコット・グランチェスターです。私の父とサラお嬢様の父君であるアーサー様は従兄弟ですから、私とは再従兄妹同士ですね」
ニコリと人懐っこい微笑みを浮かべたスコットは、サラの手を取って手の甲にキスをした。
『うわ。美少年だ。悔しいけどセドリックのお陰でキスに動揺しないで済んだわ』
「どうかサラと呼んでください」
「わかったよサラ。僕のこともスコットって呼んで」
「はい。スコット」
横にいたジェフリーはニヤニヤ笑いながら「なんだよ。お前らお見合いみたいだな」と揶揄った。
そんなジェフリーの後ろでは、例の魔法暴走少年が居心地悪そうにもじもじと立っている。サラがそちらに目を遣ると、不思議そうな目でこちらを見ていることに気付いた。
『あぁ、この姿では会ったことないものね』
サラは少年に歩み寄って先に挨拶をすることにした。
「はじめまして。魔法使いさん。私はサラ・グランチェスターよ」
「は、はじめまして」
事情を知っているレベッカとジェフリーは二人のやり取りを興味深げに見ている。
「あなたのことは聞いているわ。炎属性の魔法で伏兵を森から炙り出した魔法使いなのでしょう?」
「あ、あれは、ただの暴走なんだ。うまく抑えられなくて…」
「暴走するのは魔力量の大きさに身体が慣れていないからなんですって。だから、あなたが魔法制御を学んだら、すごく強い魔法使いになると思うわ」
「あ、ありがとう。その、ところで、サラお嬢様はソフィア様と姉妹だったりするのかな? すごく似てる」
『まぁ同一人物だしね。10歳ほど若いけど』
「いいえ姉妹ではないわ。近い関係ではあるけど」
すると背後にいたレベッカも少年の前に歩み寄る。
「こんにちは小さな魔法使いさん。私を覚えているかしら?」
「はい。ソフィア様と一緒にいたレベッカ様ですよね?」
「覚えていてくれてうれしいわ。ではもう一つだけ覚えておいて。ソフィアさんが自分で貴方に説明するまでは、彼女の出自を問いただすようなことをしては駄目よ。それは貴族にとってはルール違反なの」
「は、はい。わかりました」
「わかってくれてうれしいわ」
『この子素直でいい子だなぁ』
「あなたはソフィアに名前を付けて欲しいってジェフリー卿に伝えたって聞いたわ。だからソフィアからあなたの名前を預かってきたの」
サラはマリアに預けた荷物の中からリボンで巻いた羊皮紙を取り出し、少年にそっと手渡した。中には流麗な筆記体でひとつの名前が書いてある。
「字は読めるかしら?」
少年は残念そうに首を横に振る。サラは彼の手元にあった羊皮紙をもう一度受け取り、リボンをするっと解いて彼の目の前に広げた。
「代わりに読むわ。あなたの名前は『ブレイズ』よ。大きな炎のことね」
「ほう。いい名前だな」
ジェフリーがブレイズの肩を叩いた。
「気に入ったかしら?」
「はい。でも…これをサラお嬢様に渡したってことは、もうソフィア様に会えないってことなんでしょうか?」
「それはブレイズ次第よ。ソフィアは商会で働いていてすごく忙しいの。だから文字の読み書きができたり、算数が得意だったりしたらブレイズを雇うかもしれないわ」
サラがにっこり笑って答えると、スコットも言葉を重ねる。
「サラに似た美人なら、きっと狙われやすいんじゃないかな。すごい魔法使いとか、強い騎士だったら護衛になれるかもしれないぞ」
「だったらオレ、魔法も剣も使えるようになるよ!」
「じゃぁ僕と一緒に勉強しよう」
「うん!!」
『ブレイズったら素直で可愛いわぁ。ん? ちょっと待って。いまさりげなくスコットは私のこと美人って言った?』
たとえ中身がアラサーであっても、いやアラサーだからこそ、美少年からの誉め言葉にクラクラしてしまう。
「サラ、やっぱりスコットの嫁になるか?」
「揶揄わないでください!」
「いや結構マジだぞ。ロバートの説得が面倒そうだが」
「確かにお似合いですよね」
動揺を隠し切れないサラを、ジェフリーとレベッカが人の悪そうな顔で見ている。
『くぅぅ。レベッカ先生まで面白がってるよ』
「いやぁサラが年相応に見えるとか、いいもの見た気がするよ」
「そうね。スコットいい仕事するわ」
『ぐぬぬ…』
「と、とにかく。時間も押してますから、さっそく鍛錬を始めませんか?」
サラは話をすり替えた。
「ふむ。まぁそうだな。まずはサラの体力を知りたいから走ってもらおうか。スコットとブレイズも走ってこい」
言われるままに三人は練習場の外周を走り始めた。1周で約1キロ程なのだが、わざとアップダウンがあるように作られているため、大人でもなかなかキツイコースである。
さすがにスコットは慣れているせいか涼しい顔で走っているが、これまで運動らしい運動をしてこなかったサラにはかなりキツイ。ブレイズは傭兵団に所属してはいたが、奴隷同然の下働きに過ぎず、まともに食事を与えられていなかったためサラ同様に辛そうに走っている。
「じゃぁ私も一緒に走ってくるわね」
「オレも行くか」
ゼーゼーと肩で息をしているサラとブレイズを急き立てるように、レベッカとジェフリーも後ろからゆっくりと走り始めた。
「レヴィはずっと若くてうらやましいなぁ」
「殿方は三十路を超えてからの方が素敵なんだからいいじゃない」
「んじゃ、その三十路を超えたロブについちゃどうなんだい?」
「ロブは中身が子供のままだもの」
「男なんて皆そんなもんだ」
「ふーん」
「今朝、サラが言ってた娼館の話だが…、アレは横領したヤツラの情報を収集するために必要だっただけだぞ」
「知ってるわ。それはサラさんも気づいているはずよ」
「ならいい加減、ロブの嫁になってもいいんじゃねーか?」
「プロポーズもされてないのに?」
「……この際、気持ちを察して勝手に嫁入りしてくるってのはどうだ?」
「絶対にお断りよ」
「だよなぁ」
そこに2周目のスコットが追い付いてきた。
「父上、サラはすっごい美少女だね」
「気に入ったか?」
「見た目はもちろんだけど、ブレイズに接してる姿が印象的だったよ。彼女の方が幼いのに、まるで母親みたいな表情するもんだから」
「ははぁ。まぁそれ以上にサラは中身がとんでもないけどな」
「それはそれで楽しみだよ!」
「あら、スコットの初恋は私だって思ってたのに残念だわ」
「いやいや。相変わらず美しいレベッカ嬢を見れば胸は高鳴りますよ。でも僕みたいな小僧は相手にされないってわかってますからね。儚い初恋でした」
「うーん。侯爵閣下の息子3人は揃ってヘタレなのに、なんでジェフとスコットはこんなにいい男なのかしらね」
「オレたちは頭の中まで筋肉でできてるからな。余計なこと考えないんだよ」
「何言ってるんだか。アカデミーでも座学の成績良かったくせに」
三人はそんな軽口を叩きながら、容赦なくサラとブレイズを周回遅れにしていく。サラとブレイズが2周する間に、スコットは5周、レベッカとジェフリーは4周を走り終えていた。
「まぁ当分、お前たちは体力づくりだな」
「は、はひぃ」
まだ息も整わずぐったりとしているサラは、辛うじて返事をした。
『いまの私は体力なさ過ぎだわ。8歳なことを差し引いても動けなさすぎる』
実はサラは、というか更紗は運動が嫌いではなかった。ワーカホリックではあったが、質の良い仕事をするには健康が大切であることをわかっていたので、毎朝4キロほどジョギングをしていたし、週に3回はスポーツクラブで筋トレやホットヨガで汗を流していた。
「この後は素振りだが…サラはレヴィから基礎を習った方がいいかもしれないな」
「じゃぁ僕とブレイズは父上に見てもらおう」
スコットは年長の少年らしく、ブレイズに接している。
『なんか本当の兄弟みたいでイイ感じ!』
サラは偶然拾った少年が、思いの外幸せになりそうで嬉しくなった。しかし、スコットとブレイズはどちらもなかなかに美少年だったため、ニマニマと彼らを見つめるサラは傍から見るとかなりアブナイ人である。
レベッカはそんなことを口に出さないだけの分別がある女性であった。もちろん、遠目で見ているマリアも同様である。
サラ:精神年齢はともかく実年齢的にショタコンではない
レベッカ:妖精の恵みをうけたら誤差みたいなものよ!