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乙女の塔で決まりのようだ

朝食後、サラとレベッカはパラケルススの実験室に向かっていた。やっと蒸留釜のメンテナンスが終わり、元の位置に設置されたと連絡が入ったのだ。


レベッカが1頭立ての小さな馬車を御してくれたので、サラは横にちょこんっと座っているだけで良かった。馬車は折りたためる幌のついた二輪のカブリオレスタイルだったので、サラは乗るときに『グリーンゲイブルズに行けそう』と密かに考えた。だが、塔に向かうまでに目にした景色に名前を付けようと思っても、「恋人の小径」などの名前がまったく思い浮かばず、自分のネーミングセンスの無さに絶望しただけで終わった。


「そういえば、まだ塔に名前つけていませんでしたね」

「みんな乙女の塔って呼んでたわよ。どうやら『秘密の花園の乙女たちが集う塔』って意味らしいのだけど、そのままだと長過ぎるから」

「なるほど。定着しちゃってるならもういいですね」

「わかりやすいのは確かでしょうね」


レベッカはサラのネーミングセンスが残念なことを知っていたので、下手にサラが名前を付けることにならなくて良かったと思っていたが口には出さなかった。


塔の内部は最初の頃と比べて大きく様変わりしていた。窓は綺麗に磨かれて明るくなり、カーテンや絨毯も新しくなっている。


「「「サラお嬢様、おかえりなさいませ」」」


サラが到着したと聞いて、アリシア、テレサ、アメリアの三人が大急ぎでやってきた。


「あら、ここでは『おかえりなさい』って言ってくれるのね」

「もちろんですよ。パラケルスス師の自室だった部屋は、サラお嬢様向けに大きく改造したんですよ!」


アリシアが嬉しそうに報告する。


「あら、私の部屋も用意してくれたのね」

「もちろんです。マリアさんにも相談して、お嬢様が快適に過ごせるお部屋を目指しました。あとでご確認ください。必要なものがあれば用意いたします」

「ありがとう」

「もちろん客間もきちんと整えておきました」


サラは心配そうに三人を見つめた。


「でも、あなたたちのお部屋はどうなったの? ちゃんとそちらを優先したの?」

「ロバート卿がいろいろ手配してくださいまして、3日もせずに使用人の部屋、厨房、お風呂、それに水洗のトイレまで使えるようになりました。実は私たち3人、それぞれ個室を与えていただいたんです」

「それに、炊事や掃除は自分たちでするつもりでいたのですが、ロバート卿が使用人も手配してくださったので、私たちはそれぞれの仕事に専念できています!」


『あら伯父様ったら素晴らしいお仕事ぶりね』


「お嬢様、まずは蒸留釜をご覧ください」

「そうね。今日最大のお目当てだものね」


テレサは2階の出入口から図書館部分に入り、パラケルススの実験室に向かった。相変わらず図書館は圧巻で、埃が綺麗に取り払われたせいかより明るくなったようにも見える。


「図書館は前よりも明るい印象ね」

「掃除と窓拭きのお陰です。壊れていた魔石ランプもいくつか修理したので、そのせいもあるかもしれません」

「ここは本当に素晴らしいわ。パラケルススをはじめ、多くの人の英知が詰まっているのですものね」


サラはうっとりと図書館を眺めた。美しいが機能的な図書館で、更紗時代に見たトリニティカレッジ図書館に少し似ている気がする。


「サラお嬢様、こちらです」


テレサに呼ばれて、サラはハッと我に返った。テレサは実験室の扉の前で、サラが来るのを待っていた。


「ごめんなさい。つい図書館に見惚れてしまって」

「気持ちはわかります。本当に美しいですよね」

「そうね。ここを管理する司書が必要になりそうね」

「今はアリシアが嬉しそうにやってますけど、資料の整理だけでも相当ありますから、追いつかなくなるでしょうね」

「テオフラストスさんに相談するしかなさそうね」


するとアリシアが、口を挟んだ。


「父に相談なんかしたら、本人がやるって言いだしかねませんよ!」

「それは困るけど、人手が足りないのは確かじゃない?」

「募集する際に女性に限定されてはいかがですか?」


サラは首を横に振った。


「女性を積極的に雇用することには賛成だけど、人を採用する時に性別で選別することはしたくないわ。そこは純粋に能力で選ぶべきでしょう?」

「仰る通りですが…、でも執務メイドは名前の通り女性だけですよね?」


アメリアが疑問を口に出した。


「今は仕方がないと思うの。執務能力をもった男性のほとんどは文官を目指すか、商家で働きますよね? わざわざ執務メイドと同じ職業に就きたいとは考えないでしょう?」

「なるほど。確かにそうですね」


『やっぱり学校が必要なのかもしれないな。特に女子向けの』


つらつらと考えているうちに、サラは蒸留釜を設置した実験室の扉の前に到着した。テレサがそっと扉を開けると、そこには赤銅色の美しい蒸留釜が鎮座していた。その前にはフランが立っている。


「お嬢様、お越しくださいましたか」

「フラン違うわ。『おかえりなさいませ』よ。ここはサラお嬢様の塔ですもの」

「あ、そうか」

「ふふっ。別にいいわよ。フランも気にしないで。そんなことより、早く蒸留釜を見せて!」

「はい。お嬢様」


テレサは嬉しそうに蒸留釜の説明を始めた。前回運んだ蒸留釜は、解体してみると痛みがひどく、結局同じ型のものをフランの指導でテレサが作り直したのだという。


「それは大変でしたね。テレサさん、ありがとう」

「いいえ、こちらこそ興味深い仕事を頂いて、とても嬉しかったです」

「俺からもお礼を言わせてください。曾祖父の仕事を次代に引き継ぐ仕事ができました。本当にありがとうございます」


フランも頭を下げた。


「これだけの仕事をなさったのだし、フランさんもそろそろ自分の工房を持たれても良いのではありません? まだ資金が足りませんか?」


レベッカがフランに尋ねた。


「いえ、今回の監修費用としてかなりの金額を頂きましたので、工房は開けると思うのですが…」

「あらあら、何か事情がありそうですね。今は詮索しないでおきましょう」


俯き気味にやや顔を赤らめるフランを、レベッカは微笑ましそうに見ている。


『あー、これはテレサさんへのプロポーズ準備中って感じ?』


サラもピーンときた。どうやら他の乙女たちも同じらしく、テレサ自身も緊張した顔をしている。


「まぁそういう話は置いておいて、さっそく使ってみたいのですけどよろしいでしょうか?」

「はい!」


テレサが慌てて大きな声で返事をした。


「そういえば、サラさんはこれでエルマ酒を蒸留したいのでしたっけ?」

「はい。そして、蒸留したエルマ酒を樽に詰めて熟成させたいのです。最低でも3年は必要ですね」


テレサがフランの方を振り向くと、フランは頷いてやや席を離れ、隣の部屋から台車に乗せた樽を運んできた。


「これは俺の母親が作ったエルマ酒ですが、実験のためにお持ちしました」

「あら。お母様に怒られませんでした?」

「事情を話したところ、是非サラお嬢様に使って欲しいと」

「フランの母親は、近所でも評判のエルマ酒造りの名人なんです」

「まぁそれは楽しみですね」

「既に洗浄と試運転は終わっておりますので、すぐにでも蒸留できますが、やってみますか?」

「そうですねぇ。蒸留は時間がかかりますので、テレサさん、フランさん、アリシアさんに絶えず様子を見てもらわないといけなくなりますが大丈夫でしょうか?」

「「「もちろんです」」」


3人は元気に答えた。


「では、ひとまず蒸留は2回行ってください。酒精を上げたいので。結果次第では、回数を増やしてさらに酒精を上げるかもしれません。それを樽に詰めて熟成させます」

「承知しました」

「樽はオークで作ったものを選んでください」

「うちの母はオーク樽の愛用者ですから、すぐに入手可能です」

「それは良かったわ」


こうして、最初のエルマブランデーの蒸留が行われることとなった。酒造りは試行錯誤しなければ高みを目指すことはできない。まずはざっくりと作り方を確立し、その後は酒造りの専門家に任せることになるだろう。


『そういえばシードルの販売もしないといけなかったわ』


「フランさん、お母様がお造りになられるエルマ酒って炭酸入りかしら?」

「炭酸?」

「えーっと、発泡しているかしら?」

「うちのは早めに樽にギュウギュウに詰めるので、比較的発泡してる方ですね。やり過ぎると樽が破裂するんで、適度に空気抜きますけど」

「なるほど」


『個人的には、あのシュワシュワを味わって欲しいのよね。できれば冷えた状態で。となると、瓶内で二次発酵させるべき?』


サラの頭の中には、シャンパンを作る工程が過っていた。前世では仕事で世界中の色々な酒蔵を見学しており、取引をまとめるためにワイナリーに1月ほど滞在したこともある。


「フランさん。お母様って毎年どれくらいエルマ酒を作られるの?」

「100樽は仕込みますね。実家がエルマ農家なので。まぁ100樽といっても実際には近所の若い衆を仕込みの時期だけ雇うんですが」


『それってもう、造り酒屋のレベルよね』


「なるほどね。ではフランさん、今度お母様を紹介していただけないかしら?」

「うちの母をですか?」

「ええ。是非。今回使わせていただくお酒を提供してくださっているのはもちろんですが、できればエルマ酒そのものにも興味がありますので。ただ、お酒の話ですので、私ではなく代理人を行かせるかもしれません。なにせ私はまだお酒を飲める年齢ではありませんので」

「そのように母に伝えておきます」


ふとサラは引っ掛かりを覚えた。


「ところで、グランチェスターってこんなに麦を栽培しているのに、エールは造っていないのですか?」

「一部では作っていますよ。ただ、小麦に比べると大麦を栽培している農家が少ないんです。まぁ自分たちが飲む分くらいは造っていますし、酒場に卸す酒蔵もありますが、それほど大規模ではないですね」


『食料である小麦が最優先ってことか』


「なるほど。理解できました。フランさんはお酒に詳しそうですね」

「ほとんど母の受け売りです。専門なのは母の方なので」

「素敵なお母様ですね。折角作ってくださったエルマ酒を無駄にしないためにも、今回の蒸留を成功させましょうね!」

「「「はい!」」」


そして、3人はさっそくエルマ酒を蒸留する準備を始めることになった。

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― 新着の感想 ―
これは女学校が設立された歴史的経緯をなぞって進んでいくんでしょうか。
[良い点] 人物紹介のページってもう作られてますか? まだならぜひ欲しいです!
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