グランチェスター城への帰還とメイドたち
ギリギリ本日更新に間に合った
サラがレベッカと共にグランチェスター城に戻ったのは夕刻だった。勢いで狩猟場に出発した行きと違い、今回は人目の多い時間に城に入る必要がある。ロバートとジェフリーはまだ帰城していないため、彼らに協力を仰ぐのも難しい。
さすがに城内にいる大勢の人間にソフィアの姿を見せるわけにはいかないので、サラは領都の端にある宿場で宿をとり、宿の下働きに命じてマリアに馬車で迎えに来るよう城に伝言を頼んだ。
護衛に付いてきていた騎士もいたのだが、城からの迎えの馬車を確認後、レベッカの指示に従って彼女たちが乗ってきた馬を連れて騎士団本部へと帰還した。これらの馬はもともと騎士団の馬である。
サラは宿の中で8歳の姿に戻り、宿の裏口からそっと抜け出して待機していた迎えの馬車に乗り込んだ。その後、レベッカはこっそり裏口から入ってきたマリアにサラが着ていたフード付きのマントを付けさせ、自分は乗馬服を脱いでドレスに着替えた。マリアはフードを目深に被り、俯きながら宿を後にしてレベッカと共に馬車に乗り込んだ。
「サラお嬢様、どうしてこんな手の込んだことをする必要があったのですか?」
「理由は後で説明するわ。ひとまずとても疲れたから城に急いで戻りましょう」
「承知しました」
馬車でグランチェスター城の本邸に戻ると、先触れがあったのか使用人たちが玄関の前で整列して待っていた。
「ただいま。どうしたの? こんな風に皆で待つなんて」
「おかえりなさいませ。皆、お嬢様のご無事を一刻も早く確認したく集まったのです」
家令のジョセフが代表して答え、使用人たちはサラを潤んだ目で見つめていた。
「そんなに心配しなくても大丈夫なのに」
「着の身着のまま、マリアも置いて行かれたのです。お嬢様が聡明で魔法に優れていることは存じておりますが、まだ8歳の幼い身です。オルソン令嬢もご一緒とはいえ、ロバート卿がお嬢様を守り切れるのか心配で…」
『…伯父様は信用ないなぁ』
「心配かけてごめんなさい。ちゃんと無事ですので安心してくださいね。暴動は騎士団が鎮圧してくれましたし、暴動に連動していた領内各地の襲撃も事前に防げたと聞いております」
「はい。その連絡はこちらも受けました。それに、王室への報告も無事に済ませ、侯爵閣下もこちらに向かわれているとのことです」
王室への報告が無事に終わったことはミケからも聞いていたが、ジョセフから聞くことでサラは山を一つ越えたような気分になった。
「良かったです。それと、少し疲れてしまいました」
「おお、これは失礼いたしました。どうぞお部屋にお入りください。湯浴みの準備はできております」
「ありがとうジョセフ」
サラとレベッカはそれぞれの自室に戻ると、湯浴みと身支度を済ませて食堂に向かった。食堂の扉を開けると、テーブルの上にはサラの大好きなものが沢山並べられていた。もちろん、レベッカの好きなものも。
「お疲れ様です、お嬢様。どうかお召し上がりください!」
見れば部屋の隅には、調理人たちも並んでいる。どうやら気合が入っているらしい。
「凄いごちそうですね!」
「本来なら一品ずつお出しするべきなのですが、お嬢様はお疲れでしょうからお好きなものをお好きなだけお召し上がりください」
「わぁ、嬉しい」
「あらあら、じゃぁ今日だけは、マナーのことをちょっとだけ忘れましょうか」
レベッカはサラに微笑みかけた。
「はいっ!」
そしてにこやかに食事はすすんだが、そのうちサラはテーブルの上でコトリと眠ってしまった。
「ふふっ。やっぱりとても疲れていたようですね」
レベッカがサラを見つめて微笑んだ。使用人たちも同様に微笑んでサラを見守っていた。
「お部屋にお運びしなければなりませんね」
というジョセフの発言に、ピリリと男性の使用人たちに緊張感が走った。お互いを牽制しあう雰囲気が漂う。しかし、ジョセフは若い使用人を呼ぶことなく、スッと危なげなくサラを抱え上げた。どうやら、まだまだ若い者に任せるつもりはないらしい。周りの使用人たちが、少々恨めし気な目でジョセフを見ている。
「サラさんは、皆に愛されているようですね」
「もちろんでございます」
サラを部屋まで送り届けたジョセフは、数人のメイドを呼び寄せた。しかしサラの着替えに関してはマリアが頑として譲らず、他のメイドたちはマリアの補助と、水差しなどサイドボードの用意、そして明日の着替えに必要な下着類などの用意だけを手伝う。
支度が終わるとマリアは部屋の明かりを消し、サラの部屋を後にした。そして他のメイドたちと共にメイドたちの控室に向かう。本日の終業の時間が近づいており、この後は夜番のメイドたちとの情報交換を行ってから、メイド部屋へと戻るのだ。
メイドの控室では、業務を終えたメイドと、夜番のメイドたちがお茶を飲みながらくつろいでいた。
「専属のマリアさんが羨ましいわ。こんなに愛らしいお嬢様のお世話ができるなんて」
と、メイドの一人がボソリと呟くと他のメイドも頷いた。
「確かに私は幸運だったかもしれません。でも、王都にいる頃は従兄妹のお坊ちゃまやお嬢様がサラお嬢様をイジメていたせいで、私も他のメイドたちからイヤガラセを受けてたんですよ。こちらに来られて本当に良かった。こちらの皆さまは親切ですから」
「そんな! サラお嬢様をイジメるなど正気ですか!?」
「確かにアダム坊ちゃまやクロエお嬢様ならやりかねませんわよね。クリストファー坊ちゃまの印象はあまりないのですけど」
「お仕えしにくい方々なので、狩猟大会があるたびに憂鬱になるんですよね」
「そもそも小侯爵夫妻からして、お仕えするのが面倒ですよね。何かといえば『王都では~』ばかりで、私たちのことを田舎者扱いしますもの」
「そういえば、彼らについてくる王都邸のメイドたちも、やたらと上から目線で私たちを見下した態度を取ると思うわ。ちょっとイラっとするのよね」
メイドたちは口々に小侯爵夫妻やその子供たちの愚痴をこぼし始めた。
「そういえば、アダムぼっちゃまはメイドの下着を盗んで隠していたことがバレて、侯爵閣下に大目玉を食らったんですって! しかも、隠していた箱には、女性のみだらな絵が描かれた画集も一緒に入っていたとか」
「やだ…気持ち悪い」
「でも、先輩から聞いたんですけど、エドワード様も若い頃は偶然を装ってメイドの身体を触ったりしたそうよ」
「そんなところまで似なくてもいいのに…」
メイドたちはうんうん頷いている。
「その点、ロバート卿もアーサー卿もスマートでしたわよね。まぁ、少々浮ついた話が多い気もしますけど、独身で特定の相手がいないのであれば、そういうこともあるかもしれませんわよね」
「でも、ロバート卿と言えばレベッカ嬢でしょう?」
「あの方、本命にはヘタレですよね?」
「その点、アーサー卿は恋の駆け引きはお得意だって自慢してらしたけど、アデリアにフラフラ声かけたら瞬殺されてましたよね」
「そうそう憶えてる。『胡散臭い笑顔で笑いかけるな。気持ち悪い』って言ってた。アデリアってサラお嬢様そっくりで、ハッキリものを言う人だったわ」
「まぁあれだけ美しければ、思わせぶりなこと言う方が危険かもしれないですよね」
「だけど、その後のアーサー卿の行動はロバート卿とそっくりで笑いましたけどね」
そこにメイド長が顔を出した。
「まぁまぁ今日はおしゃべりが弾んでいるわね」
「申し訳ありません。メイド長」
メイドたちは一斉に立ち上がったが、メイド長は手振りで全員を座らせた。
「いいのよ。お仕事をちゃんと終えた後の休憩ですもの。それとね教えてあげるわ。ヘタレはグランチェスター男子のお家芸よ。なにせ侯爵閣下も酷いもんでしたからね」
「ぷっ…」
誰ともなく噴き出し、メイドの控室は賑やかな笑いに包まれた。
「そうそう、マリア」
「はい。メイド長」
「貴方はそろそろ侍女教育を受けた方が良いわ。サラお嬢様にはまだ侍女がいないでしょう?」
「本当ですか?」
「ええ、侯爵閣下がサラお嬢様に侍女をつけるようお命じになったの。つまり侯爵閣下は正式にサラお嬢様をグランチェスター家の令嬢として遇すると決定されたということになるわ」
「それは素晴らしいことですね」
周りのメイドたちも嬉しそうだ。
「先程、侍女長とも話をしてきました。まずはベテランの侍女をつけてくださるそうだけど、その傍らで、貴方は侍女の仕事を覚える必要があるわ」
「はい!」
「ただしグランチェスターの侍女教育は厳しいから心しておきなさい。推薦した私をがっかりさせないで頂戴ね」
「メイド長が推薦してくださったのですか! 本当にありがとうございます」
「貴方ならできると思ったからよ。しっかりやりなさいね」
「はい。精一杯務めさせていただきます!」
マリアは天にも昇る心地である。メイドから侍女へのクラスチェンジは、女性の使用人の大出世なのだ。専属の侍女ともなれば、サラが他家に嫁いだとしてもついていける可能性が高い。
「マリアおめでとう」
「ちょっと先を越されちゃった気がするけど、貴方ならできるわ頑張って!」
周りのメイドたちもマリアを祝ってくれている。
『あぁ、私グランチェスター城に来れて本当に良かった』
するとメイド長は少し声を固くし、この場にいるメイドの全員に通達した。
「それと本格的に執務室メイドの部署を独立させる話も出たわ。あまりにも役割が違いますしね。サラお嬢様やオルソン令嬢とも話を詰める必要はあるでしょうが、執務メイドを目指す者への教育をどうするかも考えないとね。だから貴方たちは今後の自分がどうしたいかを少し考えて欲しいの」
すると一人のメイドがおずおずと質問する。
「それは自分で決められることなのでしょうか?」
メイド長は頷いた。
「私も侍女長も、貴方たち一人一人に将来を考えて欲しいと考えているわ。花嫁修業としてメイドになる子も多いから、結婚して退職するのならそれでもいい。私のようにメイドの仕事を極める、侍女を目指す、そして執務メイドを目指すなどいろいろよ」
「私、本当はメイドを続けたいんです。できることなら、執務メイドになりたいです! だけど、婚約者は結婚したら家にいるのが当たり前だと思っているんです。家事をやるのは私って決めてかかっているし…」
「そういうことも含めて自分の将来を決めないといけません。貴方はきちんと婚約者の方とお話をすべきよ」
「はい。わかりました」
この夜、部屋では灯を消しても眠れないメイドたちが沢山いた。そして夜番のメイドたちは、控え室の中で、ボソボソと自分たちの意見をいつまでも話し合っていた。
そして、この夜がグランチェスターの多くの女性が、色々な意味で自立する切っ掛けとなった夜となったことを、ずっと後になってからメイド長は気づくことになる。
いつも誤字報告ありがとうございます