グランチェスター家の現実
「話を戻すようで申し訳ないんだが、サラ、少し俺の仕事を手伝わないか?」
「えっ、私がですか?」
「ちょっと、ロブ。それは無茶よ」
ロバートの依頼にレベッカがすかさず反論する。
「レヴィもサラの数学の能力を見ただろ。今は一人でも多く人材を確保しないと仕事が回らないんだよ。もちろん学業を優先するつもりだけど、少しでも手伝ってもらえるだけで助かる。実はレヴィにもお願いしたいんだ。もちろん報酬は支払うよ」
必死の形相のロバートは、サラだけでなくレベッカにも仕事を頼みたいらしい。よく見るとロバートの目の下にはうっすらと隈が浮いている。大分お疲れのようだ。
「えっと、レベッカ先生。淑女がお金の話をするのははしたないのでしたよね?」
「この場合は仕方ないわね。そもそもロブが酷いマナー違反をしてるもの」
これにはレベッカも苦笑いをするしかない。
「それほど、グランチェスター家の状況は深刻なのですか?」
「うん、かなりまずい状況だ。実はガヴァネスの名目でレヴィを呼び寄せたのも、半分くらいはこれが目的だったりするんだよね」
「ええええええっ。ちょっと、そういうことは先に言ってよ」
「言ったらレヴィ来ないでしょ」
「うーん。そうかもしれないけど……」
ロバートの説明によれば、分家筋の代官と会計官に仕事を任せていたところ、この二人が結託して領の財産を横領したらしい。親戚ということで侯爵をはじめとする本家の人たちは彼らを全く疑っておらず、内部告発されるまで気付かなかった。それが2年前の出来事であるという。
横領は数年に渡って行われた形跡があり、現金、金塊や宝石、美術品や調度品などが大量に消失していた。さらに、領地が備蓄している小麦も半分以下という惨状であった。
「そ、それはグランチェスター領は財政危機ということではないですか!」
「何がどれだけ無くなったのか、いまだに全貌を掴み切れていないんだ」
「2年前に発覚したのに、把握しきれていないのですか?」
「領地の文官の大半は代官と会計官の子飼いだった。おかげで、事件が発覚した時には、大勢の文官が夜逃げ同然で家族ごと行方不明になってしまってねぇ。逃げ遅れたヤツもそのまま仕事させるわけにはいかないから投獄するしかなかった」
「つまり事件が発覚したせいで、大勢の文官がいなくなってしまったのですね」
「そういうこと」
「新たな文官を雇用はしないのですか?」
「採用したくても、この辺りには人材がいないんだ」
「では王都で探せば良いではありませんか」
「横領事件が起きたことを他家に知られるわけにはいかないんだ」
「どういうことですか?」
どうやら先代の代官と会計官は、領地の収穫量の数字も過少申告している可能性が高いらしい。国に納める税金は収穫量に対して算出されるため、もし過少申告していたとすれば、故意ではないにしてもグランチェスター領が脱税したと見做される。上位貴族家にとっては、耐えがたい大スキャンダルである。
ただし、国の監査によって脱税が明らかになる前に、自主的に修正申告と納税を済ませれば『会計に誤りがあったので正しく納税した』という形となり、遅れた分の延滞金と一緒に支払えば問題にはならない。
国の監査は1つの領地に対して10年毎に実施される。グランチェスター領の次の監査は3年後の予定であるため、最低でもそれまでに全貌を把握しなければならない。
ここでひとつだけ問題がある。実は定期監査のほかにも、疑わしい領地には予告なしで緊急監査が入ることがある。そのため、王都において、文官の大量募集など"目立つ行動"をすれば、『グランチェスター領でなにか事件が起きた』と気付かれてしまう可能性が高くなるのだ。
「横領の被害者でもありますし、意図的ではないのですから情状酌量の余地はないのでしょうか?」
「グランチェスター家には管理責任が問われるんだ。最悪の場合、管理能力がないとして、領地や爵位を国に返納しなければならないこともある」
「そ、そんなに厳格なのですか?」
「サラ、貴族が国から領地を賜り、土地と民を管理するということは、それだけ責任が重いということなんだよ。貴族は、その重責から逃れることは許されない」
ふとサラは違和感を覚えた。王都の屋敷にいる侯爵、小侯爵夫妻、そして従兄妹たちの生活は非常に豪奢であり、領の財政に問題を抱えているようには見えなかった
「王都の屋敷では誰も節約しているようには見えませんでした。数年以内に納税で大きく出費があるかもしれないのに……」
「他家の目もあるから社交に手を抜くわけにはいかないという事情もあるんだよね。まぁちょっと、やりすぎじゃないかなと思う節はあるけどさ」
この説明にはレベッカも眉をひそめる。
「貴族は見栄のために借金をする家も少なくないわ。でも、それは領民のためにはならない。貴族の品格とはそのようなものではないはずなのに」
「侮られるわけにはいかないって思ってるんだよ。貴族ってそういう生き物だからね」
「それにも程度というものがあってよ。小侯爵夫人やクロエさんはシーズンごとに新しいドレスや靴を大量に購入しているわ。あの贅沢には眉をひそめるご婦人も少なくないのよ。"慎ましさ"も、また貴族婦人にとっては重要な資質ですもの」
するとロバートが嬉しそうな顔をして、レベッカの手を取った。
「やっぱりレヴィはよく見てるよね。サラには、お金のことを口にするのははしたないって言ってたのに、しっかり把握してるじゃないか」
「うっ……」
「淑女の皮を被るのはとてもうまくなったけど、"小公子"レヴィは健在だね」
「ロブ! サラさんの前であんまりだわ!」
いまは淑女のお手本のように優雅なレベッカだが、子供時代はかなり活発な少女だった。彼女の同世代には女子が少なかったせいもあり、ロバートやアーサーなど男の子達と一緒に木登りや木剣を振り回して遊んでいた。
おかげでその頃のあだ名は、貴族の男の子を意味する小公子なのだが、ガヴァネスとしては生徒である少女の前でそのような過去を暴露されてしまうのは些か気の毒だろう。幼馴染とは実に残酷な生き物である。
「まぁ信じられない。でしたら、私でもレベッカ先生のように素敵な淑女になれますね」
中身だけは3人の中で最年長なサラは、空気を読んでさりげなくロバートの失言をフォローする。しかし、そんな空気を全く読まないのが、ロバートという男であった。
「ははは。うん、サラもすぐに猫をたくさん被れるようになるよ!」
台無しである。とうとうレベッカは顔を赤くしながら「お先に失礼させていただきます」と、自室へと引き上げて行った。
「あれ、もしかして怒らせちゃったかな」
「…当然だと思います」
ポリポリと頭を掻きながら困った顔をするロバート。
「伯父様、本当にレベッカ先生にお仕事をお願いしたかったんですか?」
「もちろんだよ!」
「でしたら、すぐに謝りに行くべきだと思います。あれは酷すぎです。私なら手伝いなんて絶対にしません」
「マジ?」
「マジです」
ロバートは「やべぇぇぇぇ」と叫びながら、慌ててレベッカの後を追った。
残されたサラは近くにいたメイドに、お菓子とお花を用意してロバートに持たせるよう伝えた。
『手ぶらで謝るよりは効果的でしょ。それにしても、伯父様があの年まで独身な理由がわかった気がするわ』
サラは深いため息をついた。