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不連続・連続・不連続な殺人事件  作者: 大矢 主水
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第一章~第四章

 第一章  間違いなく不連続なのだが、それでも連続性を否定できない、しかし個々はやはり不連続な殺人事件なのである。そして、それら全てはすでに終了していた。


「ワーオー」と野性を目覚めさせ、魂を興奮(ゆさぶ)るほどのナイヤガラ大瀑布を間近の背景となし、

 今年二十五歳のその女性は何かに()かれでもしたか、安全柵をまたぎ、左足を柵の外側の地面につき、身を大河側へ反らそうとしていた。大自然の真っただ中に五体をさらすことで、果たして女王の気分で、豪たる水煙と(ごう)たる爆音、(ごう)たる激流、それらの総てを征服しようとでも思ったのか。

 痩身とはいえ身を託すには心許ないと傍目には見える、柵と結んだ安全ベルト然の黒い帯状、それを右手でグイと掴み、左手を天に向けて半身を反らし二ッコリ微笑んだ。

 まさにその刹那であった、

 えっ?あっ、ギャーー…。

 この世のものとは思えぬ叫び声を残し、彼女の影は、しかし地上から消えたのである。仰天と恐怖と生への執着の必死の叫びはされど虚し。呆気ないほどに短く、爆音に呑まれていったのである、哀れ、婚前旅行中の男性に「ダマしたな!」と、罵倒する(いとま)もなく…。

 安全柵という人工側から、大自然そのものに呑み込まれゆく姿も、瞬間だった。ああ、命の重さに比べ、悲しいほどに小さな水しぶきが、激流上に一瞬上がっただけであった。

 太陽光と滝の水煙を因とする河面(かわも)上にできたささやかな虹が、その女性の最期をみとったのである。


 二十八歳の美女は地上百メートルにあって、大胆にも、下着姿であった。しかも全裸男の胸上に馬乗りになって。一方の男は四肢をベッドの各脚にくくられ、口をばガムテープでふさがれていた。羞恥のSMプレーか。まさに淫らを想像させる。

 だが、とは明らかに違う点が二つあった。男の左腕にはカッターナイフがつきたてられており、首にはというとタオルが喰い込み、さらにじりじりと絞られていたことだ。

 いや、もう一つあった。男の瞳が、迫りくる死への恐怖に(おのの)き震えていたことだった。

 二分後、若い男の瞳孔は開ききっていた。眼はただ、男の命が果てたあとの世界をとらえていたのである、虚しくも。


 女性がひとり、小さな古マンションの階段をコツコツと上っている。

 自宅の玄関ドアが正面に迫っていた。まだ二十八歳ではあったが彼女の背中は、電車が三十分近く遅延したせいで、いつも以上の疲労感を漂わせていた。そして足と腰に多く蓄積した疲労物質(乳酸)は、昼と夜における立ち仕事が生んだ代物であった。

 ポタポタと雨の滴を落とす折りたたみ傘と濡れたコンビニのレジ袋は右手に、安物のショルダーバッグをば左手に。つまりそれらが彼女の両手をふさいでいたのである。ショルダーバッグを左肩から提げるかたちで左手をあけておれば、惨事を防げたかもしれない。おそらくキーをすぐ出せるように手に持ち、ぶら下げていたのであろう。加えて、毎日昇降する慣れた階段という安心感もあったのかもしれない。

 しかし、彼女が上っているその階段も雨の滴でかなり濡れていた。これも誘因となった。

 気疲れもあり普段より長く感じたが、残すは一段のみとなっていた。途端、想起できようはずのない自分の名を呼ぶ男の真剣な声が、下から発生したのである。

 ――えっ、誰?――思わず振り返った……。

 二十分後、その女性の死体が階段踊り場で発見された、荷物を床に散らかしたままで。


 強い酒を帯びた青年は、深い眠りの渦の中を無為に漂っていた。それは薬が作りだした人工的な睡魔のせいであり、二度と光の射さない闇の底へと(いざな)う危険な眠りでもあった。

 昏睡からの二十分後、今はうつ伏せの全裸の彼、大きな湯船に静かに漂っていた。否、彼の死体、が正確だ。傍らには、体を拭きながら死体を見下ろす中年男性の全裸があった。

 さらに数分後、冷たくなった青年はなぜか、今度は風呂場の床に仰向けに横たわっていた。そして着衣の、同じ中年男性が携帯で119番通報をしていたのである。


 高級車の後部座席から、いい身なりの四十代男が降り立った。右手の革製の鞄は、男の実相・実体とは対照的に上品であった。

 左手で左後部ドアを閉め、歩き出そうとしたそのとき、ごく微かだが、空気を切り裂く鋭い超音速の音がした。直後、”パン”と何かが弾けたような乾いた音…。

 初秋の夜、閑静な住宅街には似合わない銃弾の飛行音であり、続いての発射音だった。

 男の額の真中から紅い液体が噴き出たのはその直後であり、一瞬のことであった。断末魔の声を発することもできなかった男は全身の力を喪失し、その場にくずおれたのである。男が、ただ口から発し得たのは被弾時に、「うふ」という空気が洩れた微かな音だけだった。

 そのかわり、運転手を兼ねた女性秘書の悲鳴があたりを圧した。数瞬後に、であった。

 数分後、少し離れた所を小走りしている若い女性がいた、手に長いケースを持って。


 それから九日後のことになるのだが、父親と母親が愛娘を手にかけてしまった。殺意のない、不幸な悲劇だった。誰もがそうとしか認識できない事件であった。

 しかしこの悲惨が、以上の、一連の殺人劇等の幕を引くことになったのである、しかもようやく。

 そのような事、加害者である両親は全く知る由もないまま、ただただ自責したのだった。


 世の出来事の、それらの因果関係の存在すら知らず見過ごしたまま、ひとは日常に忙殺されて日々を過ごしているのではないだろうか。因と果の不二の関係に深慮することなく。

 とここで、あえて穿(うが)つとしよう。人も物事も上っ面を認識しただけでは、実相には到達しえないものである。あえて云えば、譬えは卑近でしかも今いちだが、鶏卵のごとしだ。

 触ったくらいでは表面の微かな凹凸に気づく程度。顕微鏡で調べて初めて、気孔に気づけるのだ。一卵か二卵か等を含む中の状態を知るには割るがよく、将来を見るには、有精卵を保温する手間が要る。すればやがて、新しい命であるひよこを目の当たりにできよう。

「何ごともかくのごとし」真相に到達するまで、徹して深層を探らねばならないのである。



 第二章  矢野係の短い徒然(いとま)


 矢野警部が係長を務めるデカ部屋は、一昨日の宵から昨日そして今日と、凶悪事件に(わずら)わされることのない、平穏な日を送っていた。ただし、今日はまだ始まったばかりだが。

 彼らがいるのは、大阪府警察本部庁舎だ。二期工事も2007年に竣工、威風堂々としていてしかもまだ真新しい。ときに、当時で六百十七億円の巨費を投じた、国内最大級の警察庁舎である。他県警等も羨む造形だ。

 各階には大きなガラス窓が設置されている。そのため、今朝のような好天に恵まれると、まだまだ眩しい、とはいえようやく秋らしくなった陽光が()こんでくるのだ。

 日溜まりと、事件を抱えていないという久々の手持ち無沙汰のおかげで、すっかり気の緩んだ藤川巡査長。コンピュータに対する精通度は大阪府警察本部随一なのだが、間延びした声とともに思わず大欠伸を、上司の前で披露してしまった。図体がでかいぶん、音声もそれに見合っていたから目立たないわけなかった。

 同じ藤川姓でも、元阪神タイガースの背番号22はクローザーとして試合を閉める達人だったが、こいつは名前負けしていて、呆けた顔はどうにも締まらない。のっぺりした凹凸の少ない平板面で、表情にも乏しい。動物にたとえるなら、精悍とは対極のナマケモノにまさに生き写しか(これは失礼)。そこまではないにしても、かなりの馬鹿面なのに、救いがたい間抜け顔を皆にお披露目したのである。しかしご面相からは想像できないが、正義感と勇気は人一倍だ。また同僚として付き合ってみないとわからないが、観察力や記憶力、それと機動力にもみるものがあった。

 矢野警部は、そんな有能をかっている。

 藤川の斜め向かいに座る、先日昇進したばかりの藍出警部補。彼の、切れ長の眼から発した鋭い光がほんの一瞬、藤川を射た。ネコ科の、さしずめチーターに似て精悍な顔つきをしている。中肉中背、デカとしては恵まれた体躯とはいえないが、見た目どおりの行動力だけでなく、知能でも一目置かれる存在だ。だがじつは逆境にも強く決して諦めない忍耐の人、また努力の人でもある。そんな藍出だが、矢野警部ならやんわりたしなめるやろうなと考えながらも、あえて(とが)めだてはしなかった。一つの係とはいえ、捜査一課が暇ということ自体喜ばしいことで、たまには無聊を満喫させてやるのもいいと思ったからだ。

 そこへ、朝一番の番茶が運ばれてきた。運んできたのは新米デカの西岡巡査、二十六歳である。今年の春に刑事に昇格し矢野警部の下に配属されてまだ二カ月だけに、さすがに、欠伸(あくび)を披露するようなぶざまはしない。仕事面では暇を持て余しているのだが、精神的には緊張感で張り詰めているからだ。そんな彼の第一印象はシャープそのもの。吊り上がった眼に鼻筋の通った相貌、身体も細作りでしかも長い四肢、そのせいでハーフかクォーターのモデルと間違われるのだが、本人は嫌がっている。デカに似つかわしくないゆえだ。

 藤川は「贅沢言うな、なんなら変わったろか」と先輩風を吹かして言うのだが、どだい無理な話。無いものねだりされても…、と西岡はそのたびに心中呟くのだった。

 番茶を机の上に置きながら、後輩思いの藍出に訊いた。気さくで、いちばん尋ねやすいのである。「警部補。今朝に限って遅いですね、警部は」矢野という人物は、通例なら朝いの一番に机の前に座っている仕事人間だと、着任三日目には把握したからだ。

「今日は前の奥さんの祥月命日や。それでお墓に参ってからこられる予定になっとる」藍出は、新聞の社会面に眼を据えたまま答えた。陽光のかげんか、キラリ、婚約者とのペアリングが左手の薬指で光を放っている。その、幸せの彩光以上の眩さを放っているのが彼の眸であった。自分こそが警部の一番弟子だとする自負心からの強烈な射光だ。一番弟子を自慢するほどに矢野を敬重しているのである。部下になってすでに十一年目であった。

 そこへ、「まさか、ズル休みやとでも思たんか?」無聊に任せ話に割って入ってきた男。「それともあれか。いたはらへんと淋しいんか?まるで、鑑識の新井貴美子巡査といっしょやなあ」そう揶揄したのは、岡田巡査長であった。昨年、三十路を越えた独身の岡田君、他の部署の女性警察官のフルネームを知っており、しかもスラスラと披露した。それだけで恋心をさらけ出してしまったのだが、加えて、本心の露呈に気づいてすらいないのだ。被疑者を心理的に追い詰めたりの駆け引きも必要なデカとしては、まさに前途多難である。恋の成就の方はさらに、か。それでもめげないところが、岡田の良いところかもしれない。

 その容貌はというと、まさに天性のデカ面だ。笑っていた子が泣きだすくらいの強面で、凶悪犯罪者の方がよほど柔和にみえる。そんなわけでイケメンばやりのこのご時世、恋愛を成就するにはやはり多事多難だ。顔など無くても構わないくらいの寛容な女性を紹介してもらうしかない、か。まあ、そんな奇特な適齢期がいればの話だが。ただ、こんな人物紹介だけで終わってしまうとどこにも救いがなくなってしまう。それでは可哀そうだ。たまに、思わぬところで代打逆転サヨナラ満塁場外ホームランを打ったり…は、残念ながらないが。これからもないとまではいえない、と思ってやりたい。それでも、ボテボテの内野安打で勝利に貢献したことは何度かあった。また、ごくたまにみせるタイムリーポテンヒットや振り逃げ勝利打点も。これらは、むろん草野球の話ではない。事件に関し、先輩への質問や普段の何気ない言動で、事件解決のヒントをポロリ提示したことが何度もあったからだ。

 それで矢野は、岡田をかっている。こいつにしかできん技やと。発想の基盤が違うからやろう、きっと。

 ところで、話題にのぼった新井巡査。大阪府警察本部の鑑識課に配属されて二年目になる。ただし正確な年齢は不詳ということで悪しからず。

「いつ見ても別嬪さんや」とは、あるベテラン。「女優の北川景子には及ぶべくもないが、そうはいってもたしかにキュートや」との評は藤川。本部所属の二百人近い女性警察官。なかでもひときわ光彩を放っているという意味において“紅一点”と称して問題ない。むくつけき男社会の警察機構にあってイヤでも目を引く存在、いや数少ない美形なのである。

 その新井巡査。矢野に、本人は心秘かに想いを寄せている。そのつもりだが、捜査一課で気づいていない者はいない。たいした検査結果もないのに、矢野警部にいちいち報告に来れば…。皆が彼女を温かく見守っているのは、不倫など起こりえないからである。

 矢野一彦にとっての女性とは唯一、現夫人の真弓だけだと知れわたっているためだ。その真弓夫人のことも、現矢野係のうちの四人はよく知っている。元同僚だったのだから。

「バカ田!しょうもないこと言うてんと、この間の事件の報告書、はよ、提出せいや。事件に駆り出されたら、時間がないと、また泣きごとを言うはめになるぞ」叔父にあたる和田警部補が、少し気の緩んでいる第二強行犯矢野捜査一係全体に喝を入れるべく、きつい一言を発した。一番の年長者としての貫録でもあった。

 和田は、岡田の母親の弟にあたる。小さいころからよく叱られたせいで、正直、今でも苦手にしている。素直に従ってしまうゆえんだ。ただ、公然の“バカ田”呼ばわりには閉口している。何度か抗議したが改めてくれないので、聞き流すことに決めたのだった。抵抗や反抗をすれば、さらなる砲火を浴びせかけられることを経験から知っているのだ。

 藤川も徒然なるままの安穏に浸ってはいられないと背筋を伸ばしパソコンを起動させた。

「それにしても、わけのわからん事件がまたもや起きてしまいましたね」藍出が紙面から、先輩警部補に視線を移しながら言った。

 視線を受けた和田、曲ったことが大嫌いという武骨な古武士を連想させる風貌であり、そんな人格でもあった。太い眉と一重の眼、眸の奥からギロリ放たれる鋭い眼光、締まった口許と銃弾をも撥ねかえしそうな頑丈そのものの顎などは、戦国時代の侍大将のようだ。加えての低い団子っ鼻、隆起した頬骨。甥の岡田とは違う意味で恐い異相である。という和田だが、今年末で定年のゆえに、有終の美でスッキリした退職を願っている。そんな彼のカサカサの黒っぽい唇が、第一報が昨夕になって報道された事件のことかと、問うた。

 藍出は肯くかわりに「いくら訓導するためとはいえ、人ひとりの命を奪いますかね、それもあろうことか、自分の娘の命をです!しかも、人を救う宗教に携わる人間が」悲しみと憤りがまじった溜め息を洩らしたが、気を取り直すとおもむろに、記事を概説しだした。

 ところでこの事件を引き起こす原因ともなった別の殺人事件が、じつはすでに起こっており、後日、矢野係が捜査することになろうとは…。それを総力戦で解明したり、おかげで強烈な関連性を持つ別の事件へ、そしてさらに別の事件捜査へつながりゆくことになろうとは、この時点では知りえるはずもなく。

 いやそれどころか、今朝の無聊は嵐の前の静けさでしかなく、数時間後、迷宮入りしそうな難事件を皮切りに、次々と担当する破目になろうことも。

 ましてそれが、不連続でありながら、ある共通点において不思議な連続性を持ち、しかし各事件はやはり独立していて不連続、そんな、暗夜を手さぐりで進むような一連の捜査に発展しようとは、むろん知ること(あた)わず、であった。



 第三章  水浸しで窒息死した美女


 藍出が概説しだしたその事件は、2013年十月二十日の日曜日早朝に起きていた。(ここでは時系列に沿うことなく、後日談等も併せて記すこととなる)

 死ぬには早すぎる、二十八歳の女性が窒息死したのだ。経験することなどごく稀な、特殊な事情のせいで恋愛経験のない、ゆえに未婚のままの、儚すぎる横死であった。しつこいようだが、あまりに気の毒な突然死だったのである。

 さて、その日のうちに犯人逮捕がなされたという意味では、単純な殺人事件といえよう。

 だが、動機の点での不可思議さを完全には払拭できないままそれでも送検し、大阪府警察としては捜査本部を早々に解散してしまった。なぜなら殺害事実の証拠は充分だったし、何より、自首してきたうえに自白にも矛盾はなかったからである。送検は当然であった。

 ただし親が我が子を、愛娘をむざむざ殺したのだ(しかも今小町と評判の“沢尻エリカ”似の美形を)。たとえ天地が逆転したとしても、子殺しなど、人としてできることではない。これがごく普通の感覚だ。にもかかわらず…事は起きてしまった。それで二親は、再起不能者のようにただ打ちひしがれていたのである。

 そんな哀れな姿を見るにつけ、また死因や殺害方法において検死解剖と矛盾しない自白を信じるならば、殺意はなかったと認めざるを得ない。見方によれば、はずみであった、いわゆる過失致死であろうと。第三者の立場で思えば、強迫観念から、両親は一種の心神耗弱状態に陥ったのであり、つい魔がさした、そうとしか説明のしようがない、となる。

 だが別の視点の傍目八目(おかめはちもく)は、こんな事態が起きたこと自体、やはり理解に苦しむに違いない。動機が不可思議なゆえんはここにある。否、殺害に、動機の欠片もなかったのである。殺害事実は信じがたいことだが、供述通りある儀式の結果とするしか見様がなかった。

 裁判では、しかしこれを過失と認めるだろうか。また、果たして真実はどうだったのかと、特に第一審で審理する裁判員たちは悩むに違いない。はたまた両親はいかなる心裡で、拷問まがいの沙汰に及んだのかとも。

 藍出は自分の仕事ではないが、今後の推移に気をはせながらこの事件の話を進めた。

 ところで、通報を受け臨場した検視担当官は、死体の全身が、とは身体はもちろん髪の毛もそして着衣も含むという意味だが、ぐっしょりと濡れていたことにまず首を傾げた。現場は海浜や湖畔どころか、(規模的には比較にならない)風呂場ですらなかった。溺死する状況にはなかったからだ。ただし窒息が死因で間違いない。眼瞼や口腔粘膜などには溢血点、わかりやすくいえば微小な出血斑が発現していたゆえにだ。これらは窒息死体にみられる顕著な特徴で間違いない。一方、縊死・扼殺・絞殺のどれとも違っていた。首まわりに索条(ロープなどの凶器)痕や指などによる圧痕等がなかったからだ。つまり、これという決定的な死因を究明できないままの検視となったのである。

 捜査員たちは、遺体の身元とその経歴も当然調べあげた。氏名は樫木伊沙子。

 ……そして驚いた。八年前に一人の女性を殺害していたのである。傷害致死罪で、五年の懲役刑を言い渡された、元陸上自衛隊員であった。半年の残刑期のまま刑法第二十八条により仮釈放を許され、一旦は実家に戻ったのである。だがその直後、どこへとも告げず、奥の間の金庫にあった四十二万円とともに姿を消したとのことだった。

 普通なら一時の失踪、である。だが彼女の場合は、違法行為なのだ。と同時に、これがこの不幸な女性の人生において二重の意味で、問題の行動となってしまったのである。

 ひとつは…、両親が愛娘の中に、魔物が棲みついているとの判断をくだす大きな原因となったこと。さらには、一カ月の出奔の間に伊沙子自身が為したる行為自体。

 だがこれは、今の段階ではまだ何も明らかになっていないので、後述となる。

 ちなみに五年の実刑…最高裁が大阪高裁判決を支持し、確定した刑期であった。


 仮釈放中の身であったにもかかわらず、神道系のある宗教法人の代表などを務める両親にも自らの逐電後の居場所や目的を告げず、違法行為と知りながら行方をくらましたのには、彼女なりの一大理由があった。出所後すぐに、なさなければならない件を片づける、がそれだ。遂行のため、獄中にあって完璧と伊沙子には思えたある計画を練りに練っていたのである。――早くやり遂げたい――そのために、模範囚で日々努めたのだった。

 伊沙子は、出奔後一カ月でまた両親のもとに戻ったのだが、それは懸案事項を、ようやく遂行したからだった。七年と七カ月、長かった積年の念願が晴れて叶い、有り体にいえば、想い残すことはなくなっていたのである。

 おかげで?なのか、心には大きな穴が逆に、ポッカリと空いてしまった。

 いや、この表現は正確ではない。深い陥穽(かんせい)に落ちこみ、自身、闇黒に立ちすくんだまま何もする気が起きず、閉塞のままただぽつねんとしていたのだった。生きるよすがの欠落、生き甲斐の喪失、つまり、生きていくこれからの意味を完全に見失ってしまったのである。

 そんなふうになる一カ月前、たった一人の愛娘の約七年半ぶりの帰宅を、両親は涙ながらにうち震えて喜び合う、はずであった。今度は、刑務所での接見ではない。制限を受けないどころか、抱き合うことだってできるのだ。幸せに満ちた団欒を囲めるのである。

 それなのに無念にも、娘の仮釈放直後の帰宅時間帯が、宗教法人の代表としての仕事と重なってしまったのだ。だからといって、当信仰が信者にとって霊験あらたかだと講釈をする定例儀式の会を延期することはできない。それで、出所の手続きと迎えや付添い等を、このあと半年間観察に当たる保護司にお任せしたのである。

 儀式に相応の衣装をまとった夫妻が揃ってこそ信者にありがたみを提供できるとして、いつものとおり二親は本殿にいた。娘が殺人犯となったせいで激減した信者を確保、さらには増やすべく日々信者獲得に専念しなければならなかった、からだ。

 だがその日、実際には、彼女は一時間も家にいなかった。それで、喜び合う(いとま)などなかったのである。いや、彼女の中にそんな気は微塵もなかった。そのときの伊沙子には、計画の完遂こそが全てだったのだから。

 一方、七年半ぶりの帰宅直後の出奔など「まさか?!」の両親は、本殿での信者との対面中も心は娘の許にあった。それで、ようやく儀式を終え、刑務所での面会以来五日ぶりの再会とはいえ、今日からは親子を隔てる仕切り板などなくゆっくり話し合えると、心も軽やかに、こみ上げてくる笑顔のまま二人して娘の部屋に足を踏み入れたのである。

 だがそこに、愛娘の姿はなかった。ただ机の上に、置き手紙がポツンとあるだけだった。

 文面に、へたりこんでしまった母親は嘆き悲しむことも忘れ、(羽化したあとの)空蝉のようにただ呆然としていた。

 父親はとにかく家中を捜しまわり、それから原付に乗ると駆けずり回るようにしてコンビニや公園などを捜索した。が、虚しく帰途につくしかなかったのである。

 そのあと夫は妻を抱き支えるように励ましながら、父親として、娘の違法行為の善後策、何ができるか、何をすべきで何をしてはいけないかを主導しつつ決めていった。

 翌朝、少しも心癒えぬ母親ではあったが、一人で大阪市内にある大きな興信所へ行き、捜索を依頼したのだった。父親は信者の相手をしなければならなかったのである。

 さて、問題の置き手紙だが、[早ければ三週間、遅ければひと月、あるいはそれ以上掛かるかもしれないけど、用が済めばちゃんと帰ってくるから心配せんといて…]云々と(したた)められていた。心ひきちぎられそうな親たちには、あまりに短く素っ気ない文面であった。

「用が済めば帰ってくる」とはいえ、それでも何ごとかと、あの子は何を考えているのかと、二人とも心揺らぎ慄き、その日から眠られぬ夜が続いたのである。

 心配は一ヶ月間、二人にのしかかるように間断なく続いた。こういうとき人間というやつは悲しい生き物で、良いことは思いつかない。悪いことばかりの想念に、二人は押し潰されそうになってしまっていた。耐えられたのは、二人が長年連れ添いながら、人生の山も谷も力合わせて乗り越えてきた夫婦だったおかげかもしれない。もしひとりぽっちで苦悩の海原を漂っていたら、はたしてどうなっていたことか。

 ところで、どれほどに痛歎を伴う心配だからといって、警察に捜索願を届け出るわけにはいかなかった。仮釈放というのはいまだ刑が執行中の状態なのだ。したがって、保護観察官か保護司による監視下の身であらねばならない。当然ながら、身柄を預かったかたちの両親(法的には身元引受人となる)に行き先を明らかにせず外出することは許されない。

 まして数日以上行方をくらますなど、まさに暴挙である。いや遵守事項違反であり違法行為だ。七日未満の旅行などの場合は、保護観察官などに申告しなければならない。また、転宅や一週間以上の旅行等なら、保護観察所の長の許可を得なければならないとある。これら、更生保護法第五十条に違反すれば、ただちに仮釈放が取り消されることはまず間違いない。そればかりか、出奔先において身柄を確保されれば否応なく収監されるだけでなく、単純逃走罪により懲役一年以下の刑罰が加算されることにもなろう。

 それで両親は、多すぎる別途料金を出す代わりに、私立探偵に医者の格好をさせ往診のマネをさせた。これも、二人でひねり出した善後策の一環であった。

 宗教上の通常行事の都合でと日時を指定し、ひとの良い保護司はそれに合わせてくれた。地元では名代の神社の神主の依頼だったからだ。狭い範囲ではあるがいわゆる名士である。

 居間に案内された保護司の前に進み出たニセ医者が言った。「じつは、刑務所で受けた心労が原因だろうと推測するのですが、昏倒し、一週間後の今朝退院したばかりなのです。当分は安静が願わしいので協力して頂きたいのですが。しかし、役目上どうしても会いたいとおっしゃるのならば会わせます。が、病状が悪化した場合、私は責任を持てません。病状悪化の責任をご両親が追及するとなるとその相手はこの私ではなく、当然あなたということに…。その辺のところ、おわかり頂けますよね」と、やんわり脅したのである。

 ニセとは知らぬ医者の、面会回避要請をはねつけるには、保護司の立場は弱すぎた。法的立場をいうと、保護司法という法律により法務大臣の嘱託を受けた非常勤の国家公務員だ。さりながら実質は、無給のボランティアである。しかも、強制力のある権限を与えられているわけではない。万が一、治療費の請求や民事訴訟でも起こされた日には、割りが合わないでは済まない。時間的にも金銭面でもまる損をするかもしれないのだ。

「では、良くなったら会わせてください」と頭を下げて、保護司は辞した。

 そんな伊沙子だったが、不運にも再帰宅から一週間あまりで、司法解剖にまわされる変死体となったのだ。あまりに儚く短すぎた人生。憐れな最期である。しかも、愛されている両親の手で殺害されたのだった、窒息という苦しみの深海に引きずりこまれつつ。

 ところ七年半前、まだ二十歳だった彼女は素直で健気な娘であった。しかしながら思い出したくもない、唾棄にも値しないある事件の直後、その場にやってきた主治医の妻をカッタ―ナイフで殺したのだ。はずみだった。殺害の意思はなかった。だが殺人という事実が、伊沙子を伊沙子でなくしてしまった。仕事、恋愛や失恋、結婚と出産など、ごく普通に過ごせただろう若き女性の人生が百八十度方向転換したのだ。否、そんなものではない。堕ちる以外ない、それだけは確かな先の見えない人生へと完全に狂ってしまったのである。

 その、唾棄にも値しないある事件とは、

 逮捕後の伊沙子が私選弁護人に主張した思い出すもおぞましい蹂躙(じゅうりん)のことだ。両親は、殺人の原因になったとする娘の哀訴を事実として当然信じきった。

 だが伊沙子を殺人者として審理した刑事裁判では、(最高裁判所調査官のスクリーニングを含む)三度とも彼女らの主張は認定されなかった。伊沙子の哀願を裏付けるにたる実効力のある証拠を、弁護側として提出できなかったからだ。もし立証されていれば、刑期に情状が酌量されたであろう。少なくとも、伊沙子の両親はそう信じて疑わない。

 ちなみにこれは両親の全く知らないことだが、一ヶ月間の出奔の目的は、伊沙子にとっては唾棄にも値しないある事件に、けりをつけるためだったのである。

 本来の、普通人の道程を一度脱線した彼女の人生は、次第次第に常軌から逸脱し、短期間でついに奈落の底に堕してしまった。だが、ある事件の存在を“最後の審判”の中で事実として認定されていれば、仮釈放後における“罪と罰”はなかったに違いない。

 それは、この両親も同じであった。滝行による悪魔祓いと称した愚行で、娘を殺す最悪にまでは突き進まずにすんだはずである。

 憐れにも、善かれと信じて為した結果、彼らが陥った無間地獄。そして…、

 (さかのぼ)って、その端緒となった七年半前の殺人事件。…概要はこうだ。

 いずれは婿養子を迎え神官に据えねばならないが、それまでは自由を謳歌してよいと両親の許可を得た伊沙子。高校卒業後、大学入学を選択せず、志願して陸上自衛隊に入隊し、そして二年がたった。しかし相当な腕前となった射撃を含む毎日のハードな訓練と男女格差の人間関係に、心労は深まっていった。それで二週間の休暇願を出し駐屯地を離れた。

 そのじつ、女優沢尻エリカ似の明眸皓歯ゆえに受けたセクハラであった。彼女の場合、心安らぐ実家に近い心療内科の滝本クリニックにかかったのは必然である。

 通院三日目、彼女はその日の最後の患者だった。被告側が主張する忌むべきある事件は、診察中に起きたというのである。

 そんな、診察室での異変に気づいた滝本医師の妻は、上層階にある住居の台所から駆けつけた。そして患者が「卑劣な行為をされた」と主張するのを遮り、ただちに夫を庇い伊沙子を口汚くあなずり、罵声を浴びせかけたのだ。行為を事件としてもし認めれば、クリニックの信用は失墜してしまうではないか。妻として、それをなによりも恐れたのである。

 一方、背徳どころか、全く身に覚えのない不当な蔑みを同妻からも受けた伊沙子。さらには仕事がらみで大きな精神的損傷に苦しんでいただけに、図らずも憤怒が彼女を支配した。当然のごとく激しい揉み合いとなった。途中、滝本医師が止めに入ったが騒ぎは収まらなかった。まずは椅子が倒され、診療室のドクター用デスクが大きく揺れ、常備の筆立ても倒れた。中身がバラけカッターナイフが伊沙子の足元に落ちたのである。

 それを反射的に拾うと罵倒を繰り返す夫人を黙らせるべく、思わずナイフを構えかけた。その姿に妻がむしゃぶりつくようにして挑みかかってきたので、もう、無我夢中になった。ナイフはあくまでも威嚇のためであって被告人に殺意がなかったぶん、妻の強硬な態度に対し、逆に恐怖を感じたのである。こうして揉み合ううちに互いがさらに興奮し、自己防衛および闘争本能だけが露わになってしまった。理性を喪失していた伊沙子は逆上のまま、敵の頸動脈を切り裂いたのである。この目を覆う惨事は、一瞬の出来事であった。

 それから一カ月半後の公判において弁護人は、「殺意どころか危害を加える気も全くなかった」と繰り返し、概ね以下のごとく主張したのである。「ゆえに、過失致死が至当である」また弁護側の医師による精神鑑定の結果、当時は心神耗弱状態にあったとも。「この点も情状酌量頂きたい。ところで裁判長、何より滝本医師の手による事件の事実ですが、どうか深慮につぐ深慮をお願い申し上げます」むろん弁護人は、上記の卑劣な事件については時間を割いて徹底した弁論=意見陳述を繰り広げたのである(だが今は省略する)。「とはいえ、最悪の不幸な事態を招いてしまい、今は深く反省しています」との弁も忘れなかった。

 被告側は起訴から二年半弱、逆転を信じ最高裁まで争った。しかし弁護側の意見は、反省の点以外ほとんど入れられなかったのである。こうして、懲役五年が確定してしまった。

 服役から四年半、ようやく、仮釈放で実家の玄関をくぐったのだ。が、このときの滞在は、既述したとおり約一時間だけであった。

 それから一カ月後の夜。両親は置き手紙に記されたこの日を、一日千秋で待ちに待っていた。帰ってくるのか、いや、なにがなんでも帰ってきてほしい。しかし…。

 この煩悶だが実は、一週間以上前から繰り返し襲ってきていたのだった。ひとつには、興信所に依頼した捜索だが、伊沙子の居所は雲を掴むようで杳としてわからない、そう報告が来ていたことにもよる。姿をくらました手練(てだれ)、まるでプロのように鮮やかで、手を尽くしても(とは興信所の言い訳か)結局見つけることができなかったからだ。見つかっていれば、結果は違ったものとなったかもしれない。もしそうならばとて、残念の極みだ。

 だがそれはおいておく。

 苦衷の因はまだあったのである。何度も読み返した手紙。用事を済ませ、早ければ三週間で帰宅ができるともとれる内容だった。親なればこその、愛娘の無事な帰宅を当然期待した。しかし一日一日の、過ぎてしまってはとてつもなく長く感じる次の二十四時間。気がおかしくなりそうだった。それを、手を取りあうようにして耐え忍び続けたのである。

 そんな、期待と不安が入り混じるなか、二人の、心がねじ切れるくらいの苦悶を知ってか知らずか、

「ただいま」

 何ごともなかったかのように帰宅した娘の()の顔に、母親は図らずも、「長かった七年と七カ月。やっと帰ってきたと思たらすぐおらんようになって!あんた、いったい今までどこに行ってたん!」きつい口調でなじったのである。刹那、心配のあまり落ち窪んだ目からは、涙がほろりこぼれ落ちた。「…けど、ほんま良かった、無事な顔見れて」愛娘の、再度の帰宅に心底安堵したあと伊沙子を抱きしめた。そのままで「お父さんもやけど、ほんまに眠られんくらい心配したんやし」今度は、恨み事がつい口をついて出てしまったのだ。

 事実、“殺人事件発生”とのTV報道がなされるたびごとに、両親は、“まさか、伊沙子が被害者では”との不安に襲われ、違うとわかるまでは息ができなくなっていたのだった。

 ところが伊沙子は無表情、突っ立ったままハグを返すこともしないで、「子供やないんやし、心配せんでもええと手紙に書いてたやんか。それに、見てのとおり元気いっぱいやし。もうええやろ、けどこう見えて私、けっこう疲れてんねん。寝るわ」親の心配など全く気にしているふうではなかった。顔は伊沙子のままなれど心はまるで別人の、ようだった。

 七年と七カ月の離間が、二親をして信じがたい残酷を思い知らしめることとなった。

「以前の伊沙子なら、心配かけたことには素直に詫びてたのに…。あんた、ほんまに変わってしもて」七年半超の歳月と娘を弄した事件が、こうも伊沙子を豹変させたかと恨めしく、また二つの事件がもたらした結果があまりに痛酷で、思わず涙が溢れてきたのだった。

 父親とて同感だった。しかしながら二人の様子を黙って見ているうちに、ある考えが頭をもたげたのである。産まれ落ちた家系のゆえに彼は、神官の色に五臓までが染まっていたからだった。それでも――悪魔に憑かれたに違いない。それ以外に、あんだけ健気やったこの子がこんな風になるはずない!まして人をあやめてしまうなど…――との嘆きで留めておけば悲惨を見ることなく、そして何事もなくして済んだのだが、――そやっ!悪魔祓いすればええんや――と腹を決めてしまったのである。

 だが、常人からみれば、この不可思議にすぎる決断。父親の精神も、すでに常軌からはずれ始めていたのだろう。眠れずにあれだけ苦しんだのだから、異状に堕してしまっても不思議はなかった。――神の霊験にすがれば、元の伊沙子が蘇るはずや――

 この発想、まともとは、常人にはとても思えないが、あるいは合理性を欠く教義にどっぷり浸かった日常を過ごしてきたせいか、愛娘の人格変貌を正体不明な悪魔のせいにしてしまったのである。

 自分で自分を制御できないという苦悩に喘いでいる娘の真情を、(おもんばか)らなかったのだ。

 それゆえに、やがての不幸な結末を迎えてしまうことに…。

 翌朝から娘に“滝行”を施し、その霊力でもって悪魔を退散させることにしたのである。「ええ子やった。あんなことをする子やなかった」だから必要なんだと、母親にも協力を強いたのだった。結局、性格の悪変や殺害行動自体を悪魔の仕儀として転嫁し、説諭や訓導という父親の、愛情と忍耐とを要する本来の責務から逃避してしまったのだ。

 ところでこの父親、一途に娘を想う人物ではなかった。先祖から譲り受けた宗教法人の代表としての顔も、折りにふれ、のぞかせていたのである。約七年八カ月前(起訴まで一カ月半を要した)、娘が殺人を犯したおかげで、代々の宗教法人は大打撃を受けていたのだ。

 それを、年月をかけて失地回復に努め、信者数をピーク時の三分の一にまで戻し、ようやく復元の途に就いたところであった。

 父親は、今が一番の勝負所と心中、秘していた。――伊沙子を元の、出来の良かった娘へと蘇生させ、見事に社会復帰させたる!――それによって宗教法人の威信を取り戻し、霊験あらたかと逆転攻勢に打って出、信者数の拡大を図るつもりなのだ。滝行実施はむろん、愛情の発露ではあった。だが、野望のために強いる親と子の苦行でもあったのである。

 再帰宅の翌日、三者でじっくり話し合った。親たちは辛抱強く説得に説得を重ねた。

 しかし伊沙子は納得しなかった。当然、荒行を受け入れるはずはなかった。ついには反抗的言動を残し、自室に引きこもってしまったのである。

 決裂したその日の深夜、夫婦は密談をした。黒い結論へと夫が妻を誘導する形となり、母親として渋々承諾した。娘の出奔を機に、夫婦いっしょに診察を受けた精神科医に処方してもらっていた睡眠薬を朝食時のスープに混入し、娘に飲ませるというものだった。

 既述した“滝行”。愛娘の悪魔祓いのための“滝行”。…とはいっても寒稽古などと同様の、冬の風物詩として年末年始のテレビ番組が紹介しているようなものではない。

 有り体にいえば、まがいものだ。本殿横に作らせた、道場と称している修行場がある。広さは三十坪ほどだ。その奥の壁に、七メートルの高さへ設備した直径二十ミリの塩化ビニルのパイプ。その配管から、スイッチ一つで水道水がほとばしり落ちてくるという代物だった。子供だましのようなものだが、パイプは石造りの壁の中に埋め込まれ、そのまわりに(さかき)注連縄(しめなわ)など、さも霊験あらたかにみえる装飾が施されている。本殿裏の権現山の水脈から引いた聖水と樫木夫妻に騙され、滝行によって雑念を祓えると教えられた信者は、水道水とも知らずありがたく身に受けるのである。(一回につき五千円だった)

 初日。睡眠薬に支配された伊沙子をイスに座らせ、肢体を痛くないようにタオルでくくって固定し、頭頂を中心に水を浴びせた。

 おぼろげな意識の中、伊沙子は何度かむせた。だが、それでもなされるがままであった。

 夫婦は二分で切りあげ、期待しつつその後の様子を見た。が、効果は認められなかった。

 というのも、二時間後、はっきりと意識が戻った伊沙子だったが、昔の従順さや健気さを取り戻してはいなかったからだ。むしろ、人生への失望による自暴自棄からやや乱暴ともいえる口をきき、両親の悲願に逆らう結果となったのだった。

 これをしかし、反抗期の子供がするDVの初期段階(たとえば部屋の壁を正拳突きでへこます等)の、その正体である家族への救難信号とは見抜けなかったのである。思春期の伊沙子に顕著な反抗期がなかったから、見抜けなかったのかもしれない。

 初日の結果から夫婦は、ただ、事は簡単でないと思い知ることとなる。

 二日目・三日目そして四日目と、次第に睡眠薬と放水の量や時間を増やした。が、願うような好結果は得られなかった。

 一方、伊沙子にとっての四日間。不鮮明な意識のまま、日を重ねるに従い、ただただ苦しみのみを強いられたのである。そのぶん、手足を固定されたままで落下水に(あえ)ぎ、低く(うな)り、体をよじる等々、当然だがこちらも次第に強く抵抗するようになっていった。

 ところで精神的にはある意味、伊沙子以上に両親は苦しみそして悩み、ついには焦燥と変じ、自分たちが勝手に作った破滅に通じる淵へと追い詰められていったのである。こうなると三日目より四日目と、冷静な判断は徐々にできなくなっていったのだった。

「あの、うとましく忌わしい事件が伊沙子を変えた。否!魔が呼び込まれ、憑依した」ただただ、悪魔憎し!悪魔を追い出すためならと変に力み、意気込み、そして蘇生という本来の目的からは遠いところへ逸脱し始めたのである。夫婦共の精神の崩壊が、日を追って確実に進んでいたのだった。夫婦で話し合った四日目の夕刻、信者の中にいる薬局の店主に頼み込みクロロホルムを調達してもらい、その際安全な使用法も教示されたのである。

 ちなみに伊沙子だが、苦しいのが嫌で滝行には微かな意識ながらも首をひねる等の抵抗をした。しかし、そこで気力と体力を消滅させてしまうのだろうか、滝行以外のときは、こちらも日を追うごとに、まるで生きる気力を失った没落者のように、腑抜けの様相を呈し始めていた。まだ二十八歳なのに、まるで卒寿の老婆のように影が薄くなっていったのである。まずは家を出、そのあと自立するというような気力もなさげにしか見えなかった。

 じつは、出奔中に為すべしと決めていたことをやり遂げ、もはや気概を使い果たしていた。だからある意味、すでに生きるよすがのない抜け殻状態だったのだ。

 にもかかわらず夫婦は、明日以降の心配事として居座る魔の手強さに警戒を強め、同時に恐れもしたのである。とりもなおさず伊沙子は、苦痛から意識を取り戻し罵倒等のもっと強い抵抗をしてくるだろうと想定し、眠る娘に数分間クロロホルムを嗅がせたのだった。それが功を奏し、滝行の最中(さなか)、身体が反応する程度の弱い抵抗はあったものの、昨日までほどの(うめ)きや唸り声はなくなっていた。両親は、悪魔が弱り魔力が減じたからではないかと、少しく希望を持ち始めたのである。今が勝負時と一気呵成に責めることに決した。

 しかし…、本懐である愛娘の生来の回復という意味において、滝行が功を奏するはずなど冷静に考えればなかったのである。不幸だったのは、すでに常軌を逸していたことだ。

 そして迎えた七日目の、最後となる早朝。――今日こそは!――と、思い切って前日までの約1.5倍の十五分、しかも前日までは躊躇していた、口にガムテープを貼るという所業、さらに顔を左右に振らせないよう、父親が頭を押さえつける行為にでたのである。

 精神の崩れた父親による、これはどうみても拷問であり狂気のリンチであった。だが、――絶対に悪魔祓いを完遂する――と強く決めた今、己が冥界に潜んでいた恐ろしい魔物が頭をもたげ、じつは父親こそが魅入られ、ついにはとりこまれてしまっていたのである。

 そうとも気づかず準備を整え、水を頭頂に浴びせ続けたのだ。ガムテープ使用に、当然ながら他意も悪意もなかった。あまつさえ殺意などは。ただ、憑き物を娘から引き離すには悪魔が苦しむギリギリの行が必要と、ある意味純粋に、つまりは単純に考えたからだ。

 必ずや成功し、娘も自分たちも元の幸せな家族に戻れると信じたゆえだった。「代々の神主である自分と家族を、何があっても権現様が守ってくださる!」そう、妻に何度も言った言葉に、いつか当人も酔ってしまっていたのである。

 その狂った酔いは、愛娘の心肺停止で醒めた。

 窒息による過失致死での逮捕後、両親とも落涙しながら正直に、そして悄然と一切を吐露した。その心裡にあったのはただ一つ、憑き物をなんとしてでも退散させたいとの、強い願いであったと。ただ哀れなのは願望を、できるという確信と勘違いしたことだった。

 そこに、彼らを不幸の真底、悔いても救われない無間地獄へと誘う因が潜んでいたのだ。

 成人するまでは健気で純真だった愛娘。その子が理由のいかんを問わず、人を殺した。

 あまりの様変わりに、両親はともに心を痛め切っていた。ゆえに、二人の、生活の中心に座っている権現に(すが)りつく思いが変じて、苦行を完遂すれば必ず魔を祓い出せると心中に幻想を映じたのか?…その実体はともかく、狂うほどに追い込まれていたのであろう。

 だから救いがたい勘違いとはいえ、確信を持っての所業だったのだ。しかしこれこそが、そのじつ、傍からみれば狂っているとしかみえない悪魔の所業であった。

 事実、夫婦は狂気の中にあった。

 悲惨だったのは、この正論に気づかないばかりか、滝行を正道だと思い込んだことだ。悪魔が取り憑いていたとすればそれは両親、特に父親にであったことはいうまでもない。

 とここで、見るもおぞましいが、七日目の道場を覗くしかないであろう。

 イスに据えられた伊沙子は、息苦しさのあまりクロロホルムからも醒めた。迫りくる断末魔、自分の最期を身で直感したのである。刹那、涙が流れた。が、口を塞がれていたため、うん!うん!という“助けて!”を、鼻から可能な限り必死で洩らし続けるしかなかった。目の前の死に慄きながら、涙とともに母親に悲しい眼でただただ訴えた、本当に決死で。それが精いっぱいだった。頭を押さえられ四肢をイスに縛られた状態なのだ、抵抗には限界があったのである。

 しかも無情なれ、ニセの滝からの水が、決死の哀訴を覆い隠しつつそして遮っていた。

 伊沙子は死の淵ギリギリのところにまさにあり、焦った。いやそんなものではない。地獄がパックリ口を開けているのを全身で感じ、一層大きく鼻で唸りに唸り続けたのだった。

 狂気にどっぷり浸かったなか、ようやく救難信号ともいえる懸命の呻きを耳にした二人。

 それなのに、父親は手を緩めなかった。母親も止めに入らなかった。以前から何度も聞いており、それでも特に不具合は起きなかったからだ。

 ところですでに生きるよすがを失くしていた伊沙子。たしかに、ではあったが、そうはいっても死にたいわけではない。当然、自分を呑み込もうとしている死の淵からなんとしてでも逃れようと力いっぱい顔を下に向け、水が鼻に入らないようにして息継ぎを試みた。

 だがそのたびに父親は、地獄の獄卒か邪鬼のような力を出して彼女の意図を阻んだのである。悪魔退治のためには、どんな犠牲も厭わない、とでもいわんがごとくに。

 もしこの模様が撮影されていれば、全てが狂気。まさにそう、第三者は感じとるはずだ。

 ところで心裡において実際は“どんな犠牲も…”ほどではなく、狂気の父親すらも、――悪魔から救い出すために――必要な出血ならいたしかたないくらいの覚悟だったのだが。

 あまりに浅慮だったのは、傍らに家族以外の人間を据えていなかったことだ。誰かがいれば当然、すぐに止めに入っていたであろう。不幸が起こるのは、えてしてこういう場合だ。ほんの少しの配慮により、最悪を未然にて防げたものを…。

「あっ!」父親が、抵抗しなくなった娘の異状に気づき我に返った時、また、母親が伊沙子の唸りを聞かなくなった瞬間、引き返し可能な境界線をすでに越えてしまっていた。

 あってはならない異変だと感知した二親。父親はまず伊沙子を椅子ごとずらしつつ叫んで水を止めさせた。直後、彼はガムテープを剥がし、四肢を開放すると娘を床に横たえた。その最中、心中、必死に奇跡の蘇生を祈ったのだった。

 しかし時遅く、すでに心肺停止していることに愕然とした。それでもなんとか、うろたえる妻に救急車を要請させた。同時に、見よう見まねの心肺蘇生法を施したのである。

 だが、もはや全ては虚しかった。対価できるなにものもこの世にはない愛娘の尊い命は、もう、この世のものではなかったのである。

 こうして十数分前に始まった地獄は、まさに無間地獄と化したのだった。

 これが、あまりに愚かな、事件の顛末であった。



 第四章  和田警部補の孤軍奮闘


 ――なるほど、世の中には得体の知れん不可思議な連中もおるもんやな――ここまでは他人事だった。しかし、和田もひとの親である。「本気で信じてたかどうかまではわからんが、“悪魔祓い”と称して我が子を殺してしもたやなんて…、わしにはわからん。何をどう考えてもあり得へん」反抗期に入った中二の息子のことを思い描きつつも、藍出の概説を聞いて、そんな感慨を持った。「わからんちゅうたら、一年半かそれ以上前やったと思うけど、これも、不可思議な事故で若い女性が死んだなあ」和田は、自流で想念した“不可思議”、並びに一年半(人間の記憶などいうものはあまり当てにならないものだ。じつは二年近く前だった)がキーワードとなり、さらに別の殺人事件を思い出しつつそう(つぶや)いたのだった。

 ただし呟いてはみたものの、“若い女性の不可思議な事故死”に対しては、デカの嗅覚は反応しなかった。ある種の興味を、凶悪事件にしかそそられないのは刑事の習性であり、その意味でも逆に、和田は根っからのデカなのだ。

 好奇心もデカの習性の一つである。ゆえに、好奇心からパソコンの電源を入れると、星野管理官が教えてくれた秘密のパスワードを入力し、極秘ファイルを立ちあげたのだった。

 ちなみに星野管理官とは矢野警部の上司に当たる人物で、刑事部では切れ者で通っている。部署的には、矢野係をも統括する立場にある。その敏腕管理官は、特別に配置された部下に凶悪事件の現場の状況と捜査の経過を、常々、可能な範囲でファイルさせていた。

 今それを開く作業を完了したということだ。すぐさま、ある項目をクリックした。やがて、画面にその事件の情報が浮かび上がった。

 同時に、大阪府警に同期採用で今は同事件に関わっている同階級の警部補から半年前に教えてもらった情報も、脳内部位で記憶もつかさどる“海馬”から浮かび上がったのだ。

 ちなみに海馬とはタツノオトシゴのこと。形状が似ていることから、その脳内部位を海馬と呼称するようになった、らしい。閑話休題。

 画面に引き出した情報は、二十五歳エリート警部殺人事件についてであった。

 ところで和田が呟いた件はこの殺人事件とは別の、しかも全く無関係な「若い女性の不可思議な事故死……」であった。それはそれとして、担当してもいない事件に和田がご執心なのは、なぜか?自分でも気づいていないことだが、定年退職間近とじつは深く関わっていた。つまり有終の美として、未解決事件を一つでも減らしスッキリしていきたいのだ。

 そんな執念にも似た心理に気づく道理もなく、ただ、先輩の呟きを耳にした藍出は、頻りにその件の記憶をたどってみた。だがやはり特定できず、首を傾げてしまったのだった。

 ここで、一応“無関係な”とはしたのだが、それはこの二人が、二つの件の間に深い関係、いや深く繋がっていることをこの時点ではまだ知らないから、そう記したのである。

 しかしながら実際には、切っても切り離せない相関関係にあったのだ、“因と果”の。

 少し回りくどい言い回しになるが、一人ずつが死亡した、この二つの件とは全く無関係な人であっても、二件を繋ぐ因果の真実を知ったならば、その人は悲しみの烈風にさらされたように五体を震わせ、降り止まない氷雨に心までが凍るように身につまされるであろう。そしてそんな善良な第三者は、ほほを涙で濡らすに違いない。

 くどいが、和田に特別な意識や意図があったわけではないが、彼が呟いた件とエリート警部殺害事件とには、じつは因と果という、切っても切れない相関関係が存在したのだ。

 和田は「藍出」と声を掛け、後輩警部補の思案顔を見た。「ニュースで報道してた程度の知識やが、ナイヤガラの滝を見てる時に落ちて死んだ若い女性がいたやろ(註…先年起こった事故ではなく、小説上の架空の出来事)。たしか二十五歳やったと思うけど。それにしても、滅多に起きん死亡事故らしい。最近では年間で千百万人の観光客が訪れるちゅうが、これも受け売りなんやが、百年以上も前からすでに有名な観光スポットなんやと、ナイヤガラの滝は。にもかかわらず、それでも通算で死亡事故は七・八件やそうな」新聞などから得た知識だったが、印象深かったので覚えていた。「それにしても愚かに過ぎるなぁ。死んだ女の子に鞭打つわけやないけど」

「思い出しました。観光客がデジカメか何かで録画してて、その映像を見た地元警察が事件性を否定し事故と判断した件ですね。なんでも、“乗り越え禁止!”の注意書の掲示板を無視してナイヤガラの滝絶景ポイントで柵をまたいでいてバランスを崩し、そのまま」藍出は、自身の性格を反映した正確な情報で応えた。「ナイヤガラ川に落ちて激流に呑みこまれ行方不明になった。一時間後に捜索隊が始動したが、結局発見できなかった。大河だし、まして急流ですからねえ。遺体で発見されたのは翌日だった。そんな不幸な事故でした」

 和田は藍出の言葉にごつごつしたあごで首肯すると、「二十五歳といえば成人して五年、もう立派な大人や。注意書を見るまでもなく、“危険や”くらいわかると思うんやが…、無謀なんか、それとも何も考えてなかったんか」腕を組んだまま、つい溜め息が洩れた。

 ちなみに死亡した女性だが、彼らが思ったほどには無謀でも無思慮でもなかったことが、矢野係の捜査により後日明らかとなる。

 しかし捜査する事態になるとは夢思わないこの時点での和田は、若い人が無謀なマネをしたせいで、本当の意味で始まってまだ十数年しか経っていない人生を、意味のない死で終わらせてしまったこと、そして家族の悲嘆や痛恨までを想うと、何ともはや表現のできない虚しさを感じ、子を持つ身としてあらためて心奥で涙ぐんだのである。

「そうですね。それにしても親御さんにすれば堪らんですよ」人生これからという子に死なれた親をいやというほど見てきただけに、刑事である前の一人の人間として胸が痛んだ。

 嗚呼、さても。

 悲嘆や痛恨、くらいの表現では万分の一も親の心情を言い表せるはずがない。あえていえば絶望、生きるよすがの消滅である。今までの人生の、そして向後の総てに対する全否定だ。何のために生きてきたのか、これから何をよるすべにして生きていけばよいのか。

 心の底から笑い楽しむ、そんな誰もがする日常のありふれた所作すら二度とできなくなった人々が、ただ重いだけ、心を圧し続けるそんな荷物に、眠るときだにも覆いかぶさられて過ごさねばならない。そのうえで覚醒(めざめ)のあとは、頭頂や肩に重荷を載せ、これからの、人生の長い上り坂を黙々と歩き続けねばならない、生きていかねばならないのである。

 そんな哀れに眉を曇らせつつ、「記憶が正しければ、安全柵を乗り越える人間があとを絶たんとの談話も併せて地元警察が発表していました。おそらくは、圧する迫力満点の光景に平常心が呑みこまれてしまい、それで愚かな行動に出るんでしょう…。テレビ映像で見ただけですけどそれでももの凄い威圧を感じましたから」現地でだと羽根をのばしたくなるだろうと思った。「それこそ大自然そのものを目の当たりにすれば、パノラマと掛かる水しぶきと轟音に、おそらく五体が圧倒されるんでしょうね」同情や感傷など人としての想いは想いとして、藍出はプロ意識をもって思考を、天職のデカに戻した。

 少し飛躍するが、感情と犯罪の関係性についてだ。環境や状況、立場の変化等、その時々にて感情に支配されやすい人間の(さが)が、現実世界で犯罪をつい冒してしまい、結果、犯罪被害者やその家族を生むのだと藍出は知り過ぎていた。刑事を生業(なりわい)としたればこその、悲しい宿命のゆえである。それにしても、如何ともしがたい感情。それを制御できないとき、まさに理性は敗退している状態だが、そんな現実や実体こそが、刑事の立場からみた普遍的人間観だ、とまでは思わない。いや、思いたくない。そこまで人間というものに悲観してはいないということだ。だが所詮、やはり人間は感情の生き物だと。いろいろな意味での、一時の欲望や嫉妬、地位ならびに立場の保全、あるいは理性を喪失したまま感情に任せての、…忌むべき犯罪行為をなしてしまうのである。

 間違いなくそれが世相であり、今、人間社会を悩ませているのだ。

 おそらく、敬愛する矢野も同意見であろう。そんな犯罪に対し、社会的役割分担業務としてデカである自分らは、その事後処理に当たっている。ということは、デカという宿命のせいで、絶望に苛まれ続ける悲劇に遭遇しすぎたということなのだろう。

 それにしてもこうして犯罪の多くが、被害者、だけでなくその家族をも巻き込み、その人たちは社会の陽かげにあって、癒されることはむろん、消え去ることもない悲嘆や苦痛に煩悶させられ続けているのだ。

 また、犯罪が生む悲劇に対し、世間はそれの直後だけに目が行きがちである。そのときは被害者たちに同情するが、いずれ忘れ去ってしまう。

 しかし被害者と家族たちは、死ぬその時まで決して忘れることはない。

 だから犯罪は二重、三重の悪逆なのである。それでもつい冒してしまう人間の愚かさ…。

 藍出のそんな思考の一方での、和田による悪逆なる犯罪についての連想。犯罪多発をくい止められない人間の愚昧という悲しい現実に目を向けつつも、「立派な大人の二十五歳」と「愚かに過ぎる」の共通のキーワードをもつ、和田の脳裏にさきほど思い浮んだ事件。

 二十五歳の警部ということはキャリアであるが、上半身どころか下半身も丸出しという、恥辱的な格好のまま窒息死していた殺人事件であった。全裸を際立たせるためなのか、それとも犯人には別の意図があったのか、顔だけを白いハンカチで覆っていたのだ。しかも左腕には、薄い刃物による深さ2センチ程度(検視での数値)の刺し傷まであった。

 約一年半前の事件である。現場は大阪市北区梅田一丁目という関西一の一等地に聳え立つ、超一流と世間が冠したXXホテル22階、地上遥か百メートルに広がる一室だった。

 問題の犯人だが、複数の証言からも防犯カメラの映像からも、若い女性とみてほぼ間違いなかった。そして、この破廉恥な現場を見て誰もが想像することだが、おそらくは性的欲望を制御できなかったせいの犯罪だろうと。ために、死後に被害者は、拭うことのできない恥をさらす結果となったのだ。しかも、新婚三カ月だったにもかかわらず。

 しかし和田自身は、別の感慨にデカとして戸惑った。恥態のままの死出の旅の瞬間に、当人は、断末魔の苦痛のほかに一体何を思ったであろうか。つい、こんな忖度(そんたく)をする和田警部補ゆえに、思いやり豊かと他人(ひと)から慕われるのだが、これは余談。

 ちなみに、死体発見現場は一泊約十万円のスイートだった。状況から殺害現場も同所と断定。それにしても、ホテルにとってこれほどの迷惑はない。まさに営業妨害である。

 それはさておき、犯行時間帯のスイート。室内のインテリアは当然、窓外の眺望も高い料金に見合う申し分なさであったろう。そんな夜景を見はるかせる天空のしとねで、惨殺事件が展開されたとは。(と、このくだりは和田の想像だ。が、実際もそうであった)

 ときに二十五歳の警部と既述したが、それはすぐに身元がわれたからだ。脱衣のポケットに免許証が入っていたためだった。おかげで初動捜査に当たった捜査員の(おもて)に、えもいわれぬ複雑な相が走った。また機動捜査隊の班長である警部補にとってもたしかに見覚えのある顔であった。府警察本部の、単なるエリート警部というだけではなかったのだから。

 小説や映画の世界では、警察官を標的にした殺人や誘拐などの凶悪犯罪の場合、事前の脅迫状や事後の犯行声明文などが送られてくる、という設定も少なからずある。が、これは現実の殺人だ。事前の脅迫状などなく、犯行声明文という形でも送られてこなかった。

 …ただ、別の手法といおうか、思わぬ手口での情報の公開が、後日なされたのである。

 ところで大事な初動捜査の段階では、警察機構への挑戦が動機ではないとの意見が府警本部の大勢となった。だからというべきか、適確な方針がとられず、間違った方向に捜査の舵を切ってしまったのだ。だが今にして思えば、最大の誤謬(ごびゅう)は指揮担当者人事であった。

 というのもこのあと、矢野係が短期間少数精鋭でこの事件を解決するからだ。

 それはともかくこのときはまだ、警察への挑戦であってほしくないという希望的な憶測が本部全体を覆い、初動捜査は、それが反映したものであった。

 もしも挑戦でないなら、警察にとっては、まだしも唯一の小さな救いとはなるのだ、と。

 なぜなら警察自体に、それでなくとも組織ぐるみの不正経理や汚職、証拠品紛失や証拠の捏造、警察官の覚醒剤所持や使用、暴行や傷害、さらには殺人などなど、あってはならない事件が多発していたからである。“法の番人”の一端を担う警察組織の中に犯罪者が潜んでいて、“犯人の正体見たり枯れ警官”と指摘されたのでは、洒落で済むはずないからだ。

 客観的、さらには庶民感覚として、警察に対する威信などもはやないのではと、内側で働く和田でさえも正直、秘かに危惧している。また一警察官として、同僚たちの不正や犯罪の茶飯事化を否定できないのも、口惜しいかぎりなのだ。

 警察本体としても、だから、目を覆いたくなるこれ以上のスキャンダルなどあってほしくない、というのが本音だった。それゆえに今回の事件はむしろ個人的な動機、つまり物取りや怨恨というありきたりの動機で、何とか決着してもらいたいのである。

 ところがだ。そんな、事件発見直後の捜査に当たった機動捜査隊等の願いは、やがて虚しいものとなった。死体の詳細な状況などをできるだけマスコミ発表しないように計ったのだが、意に反し、警察が無傷で済む能わず、となったのだ。

 小さくも大きな願いだが、儚くも、情報共有社会の象徴であるインターネットのソーシャル・メディアという媒体を活用し、犯人とおぼしき輩が粉々に砕いてしまったからだ。

 衝撃的な映像を警察本体にではなく…、卑劣にも一般向けに配信したのである。

 なにせ、被害に遭ったエリート警部の下半身露出という恥態が、死体発見の五日後、顔のアップ映像も身分も含め、投稿サイトに掲示されたのである。ご丁寧に、“この変態露出狂野郎は大阪府警の警部”だとのスーパーインポーズ法でテロップまで付けて。

 しかも悪いことに、実態よりもサイトの映像の方が、いかにもSMプレーめいていた。

 全裸で四肢をベッドの四本の脚にロープでくくられたうえ、ムチやロウソクを含むプレー用道具をこれみょうがしにカメラが捉え、紙製のガムテープで口を塞がれていたからだ。

 ただこの時の世間の反応は、被害者に同情的だった。死者を悼む気持ちが支配的で、好奇な目はむしろ、少数派であった。世論に敏感なマスコミは週刊誌なども含め、それゆえ、あまり大騒ぎはしなかったのである、猟奇そのものであったにもかかわらず。

 ただガムテープがせめても布製でなかった点、スイートルームでのSMプレーにしては経費削減しすぎと和田には思えた。SMプレー専用の道具もあるくらいなのに。

 だが、じつはそうではなかった。犯人には紙製こそが好都合だったのだ。

 浅慮のためについ見落としてしまった些細。しかし“瑣末にも意味がある”、あるいは細かいことにこそ意味があると、ある実験ののち思い知らされ、和田は反省することとなる。

 しかし、今はさておこう。

 それよりも、死体は口を塞がれただけでなく、加えて、男もののパンツを口に咥えさせられていたのだ。その、口の中の状況は、検視担当官の手によりわかったことだったが。

 それとは別に、サイトの映像を覗くとわかることだが、発見された死体との違いが二つあった。顔をハンカチで覆っていない点と左腕に刺創がなかった点だ。これは司法解剖で断定された未公開情報だが、映像を撮られた段階では被害者は瞑目はしていたが、確かに生きていたのである。

 撮影された時間が映っていれば死亡推定時刻を狭めることも可能だったが、残念ながら表示されてなかった。恥態を公表する目的で、犯人が殺害前に撮ったものであることは相当高い確率で推定できるが、犯人にとって不利になる時間までは教えたくなかったようだ。

 さて、ここでひとつ気を付けねばならないことがある。サイトに投稿した人間を、殺人犯と断定できない点だ。掲載したこと自体が殺人の決定的証拠にはならない、がその理由である。犯人に頼まれた、あるいは特別なルートで映像を入手した可能性も今のところ否定できないからだ。が、深く関係していることは、投稿のタイミングだけでなく、直近の被害者の生前を撮った映像という点からも間違いない、と断定できる。

 しかし、和田はもう一歩踏み込んだ。百%に近い確率で撮影も犯人の仕業であろうと。映像にテロップを用い、それでもって、“変態露出狂は大阪府警の警部”だと明かした以上、警察を侮辱し嘲笑する意図があるとみて間違いない。ただし、挑戦の意図までは感じなかった。これみようがしに警察の無能ぶりを指摘したり自分の有能を披歴している、というような片鱗を、映像も犯行そのものも、うかがわせていなかったからだ。

 挑戦するつもりなら、せめて、“無能なふけいさん江”くらいの書き込みはしたであろう、グリコ・森永事件の犯人、かいじん21面相のように。

 それはそれとして、上記の猿ぐつわに違和感をもった。現場検証の結果、他にパンツは見つかっておらず、被害者のものと類推できるからだ。いくら変態チックなプレーとはいえ、自分の使用中のパンツを口中に入れるだろうか。しかし、違う見方もできる。パンツは犯人が用意した新品で、使用中のは犯人が持ち去った、とも。理由はわからないが。

 いずれにしろ、帳場(当該事件のために立ち上げられた捜査本部)としてこの点を問題視した気配はなかった。些細すぎるゆえに、意味がないと判断しているようだ。

 が、和田警部補として迂闊には指摘できなかった。まずは自身、事件担当ではない。しかしそんなことよりも、十年に一度もないほどに珍しく、お歴々の刑事部長(階級は警視長、全国三十万人近い巨大な警察機構の中の41番目タイの階級。ちなみに地方の警察署長などは、この階級社会では彼の足元にも及ばない)が捜査の総指揮をとったからだ。

 特例的なのはそればかりではなかった。刑事部捜査一課の組織半分が投入された。だけでなく、特別応援部隊として生活安全部の一部も、刑事部長である長野の下に直接配置され指揮系統に組み込まれたことである、むろんこの事件に限ってだが。

 つまり大阪府警察本部をあげての大がかりな態勢となったわけだ。が、それも当然といえた。未決である時間が長いほど恥の上塗りとなり、世間に醜態をさらし続けるからである。ゆえに警察全体にとっても汚名を全てにおいて(すす)ぐ、これが何よりの急務だったのだ。

 ただし雪辱などは、心奥において牙を剥き出しにした一人のただれた野心家にとっては無価値だった。マキャベリスト長野の僻目(ひがめ)には、この事件は絶好の機会に映った。殺された警部の背後の存在を崩壊させる好機であり、天の配剤にさえ思えたからだった。

 生き甲斐であり、よすがでもある野望。権勢を掌中に収めたい長野刑事部長は、実働部隊となる府警本部や所轄の捜査員たちに、まず二つの指示を与えた。どちらもが、捜査経験の少ないいわば素人が、彼なりに殺害現場と死体の現状を重視した結果の指令であった。

 まず、死体の顔にハンカチを被せていた点を考慮し、顔見知りの犯行との線から、被害者の身辺調査を徹底させた。死に顔を見るに忍びないと、面識のある犯人が何かで覆った例は過去に数多く報告されているからだ。また、白いハンカチを異性に渡すことが、長野の世代にとっては、“男女の別離”を暗示させたのである。

 並行して、大阪市内及び近郊のSM専門の娼婦全員の調書を作ることだった。性取引きの一旦の合意をみた娼婦と被害者との間で、何らかのトラブルが発生したために殺されたとも見てとれるからだ。しかも検視報告に依ると、死体は射精していたという。この事実から、性交渉後のトラブル発生と長野はみた。この方面、生活安全部の出番なのだ。

 また、財布の中身のうち、現金だけが全て抜き取られていたので金銭トラブルだろうとも。キャッシュカードやクレジットカードに手をつけなかったのは、使えば足がつくことを知っていたからで、そうだとすると、窃盗などの前歴のある可能性が高い、とも考えた。

 長野の指令により、犯歴者リストの指紋と現場の指紋の照合が早速なされたのだ。

 だが現場経験豊富な猛者の多くは心中、見当違いのゆえに不発に終わるとみていた。そして猛者連の見立てどおり、刑事部長の期待に反し、合致する指紋はひとつもなかった。

 一方で、彼の指示の影響をあまり受けない鑑識による初動捜査も、当然だが滞りなく進められていたのである。(その詳細はもう少しあとになる)

 ときに長野執心の片方の方針には消極的な、つまり被害者の身辺調査には気を遣う向きも存在していた。理由は、保身であった。組織としては普通によくある現象ともいえた。

 組織(組織のトップを指す)防衛を至上とする慣例的で、上に迎合する俗物の発想から出た消極性の根は、しかしやがて、秘事を嗅ぎつけた低俗週刊誌によって明らかとなる。

 ところでこの刑事部長。目障りな上の存在を一人でも多く排除したいとの、政治屋的発想のドス黒い企みを心底深くに抱えていたのだった。人間の、出世に対するブラックホールのような貪婪(どんらん)は、警察組織のみ例外とするものではないということだ。

 しかしながら、直属の部下という身内にすらも気取られてはマズい下卑た目論見であった。この貪欲、常軌を逸した出世欲。つまるところ、警察トップの座を射止める、という野心である。邪魔な上席者の排除は、だから必須であった。下剋上は、戦国時代に限らない人間の相なのだ。いつの時代どの世界にも存在する、野望に囚われた、いわば“マクベス”である。

 シェークスピアが描いたように、小我という、ある意味いちばん人間臭い図式といえる。

 長野の具体的願望をいえば、上席者排除のため被害者には是非、もっともっと汚泥にまみれていてほしい、だ。が、残念ながら捕らぬ狸の皮算用に終わってしまうのだった。

 それどころか一年後、彼は奈落に堕ちる破目に。しかしそれは後述のこととなる。

 さて、詳述をあえて避けた、大手マスコミと府警察本部内の幹部は知っているある特別な事情。それを悪用することで可能となる、捜査の素人長野が思い描いた野心的皮算用。

 それが不発のまま推移したひとつの因…被害者との体の関係が捜査により明らかとなった若い女性全員の動機の不在およびアリバイを、捜査本部として一応認めざるを得ないとなったことだ。だがそれより重要な、長野はこちらであれかしと願っていた被害者汚泥路線も一向、目途が立たなかったことに由り、暗中模索状態に陥ってしまったからだ。

 最初の事情聴取は当然、被害者の新妻からであった。ところで、長野としては関心が薄かった。犯人の可能性が低く、まして、被害者が汚辱まみれにはならないからだ。

 が、長野の本音はさておき、彼女は被害者の両親と二世帯住宅で同居していた。死亡推定時刻三十分前の午後九時半、彼女は遅い夕食の後片付けをしていた。また、死亡推定時刻の中ほどにあたる午後十時半ごろには義父の入浴中に脱衣場へバスタオルを持っていき、意匠ガラス戸越しに言葉を交わしていた。自宅から殺害現場のホテルまで車で三十分以上掛かるので、瞬間移動でもしない限り殺害前の工作(概略は既述)をする時間すらない。

 そこで妻以外の、過去の異性関係となったのだが、風俗云々は計算に入れないとしてもかなり派手だったようだ。大学入学直後からの実質七年間において、濃密な交際をしていたとわかった女性が五人いた。好みだったのか、全て年上であった。

 その報告を受けた刑事部長は、じつは秘かにしかも少しく期待した。

 長野自身の青春は、国家公務員上級試験合格のためにもっと禁欲的であった。試験に受かるまでは、遊びどころではなかった。だから、学生時代に放埓な異性関係に浮かれた不埒を許せないと思った。死んだ今こそそれを暴露し、死者に鞭を打ちたくなったのである。

 そのためには、彼女たちの誰かが被疑者として浮上しなければならない。

 しかし捜査が進むにつれ、思惑ははずれていった。

 現在の彼女ら全員が結婚しており、すでに子供をもうけているか妊娠中か、だった。今の幸せを守るためなのか、別れ際の悪さで丸害は憎まれていたのか、訪問した刑事に対し、過去の男の死を悼んだ女性は一人もいなかった。彼女らにとって被害者は、少なくとも自身の人生からとっくの昔に切り捨て終わらせた男なのだ。そういう理由で、過去の男のことで現在の幸せを壊されるのは迷惑だといわんばかりの露骨な顔をされた。なかには、再訪問を断ると言外に示すために、大音響を立てて自宅のドアを閉めた女性もいたくらいだ。

 あらかじめ刑事たちが想像していたとおり、被害者はやはり、かなり女癖が悪かった。いずれも二股や風俗通いに愛想を尽かし、女性の方から手を切ったというパターンだった。

 五人の女性による「とっくに切れてるし、あんな奴、思い出したくもない!」との異口同音。よって、捜査の場数を踏んだデカの印象は、全員がシロだった。うしろめたさがあれば、警察の心証を悪くしないために若い死を憐れむ程度の演技をするだろうからだ。

 全ての報告を受けた長野は迷ったすえに、今は、女性遍歴の暴露は得策でないと判断した。不要な暴露だと世間はそう取り、情報をリークした人物として逆に糾弾されかねないからだ。それに、罪のない女性たちの幸せを潰すことは、さすがに忍びなかった。

 強欲にすぎるこの男にも、赤い血は流れているのである。

 ところでそんな浮気常習男だったにもかかわらず、結婚後に特定のお相手はいなかった。

 岳父が警察機構を管轄している総務省の局長だから、睨まれたら最後、出世に響く、もちろん婚姻も解消させられる、と、それを恐れたのか。愛人を持つとあとあと面倒と考えたからか。風俗やナンパも含めいささか遊びすぎたので、しばらく休むつもりだったのか。

 少なくとも両親としては、女遊びを控えさせるためもありの政略結婚だった。二世帯住宅も同様の理由からだ。むろん、成った政略結婚により、前途洋々と両親も期待していた。

 一方、被害者は幼少期より、実父にも頭が上がらなかった。それで見合い結婚も同居も拒否できなかったのである。

 さて、捜査に話を戻すとしよう。仕事関係で泥沼化した男女交際を調べたが、職場で女性に手を出した形跡は当然というべきか、なかった。いくら女好きでも馬鹿はしなかったということだ。一般人と違い、軽いセクハラでも報道の対象者となってしまう地歩なのだ。

 ところで被害者は、生活安全部総務課に在籍していた。もちろん警察官である以上、人から恨みをかいやすい立場ではあったが、若い女性を検挙したことは一度もなかった。

 つまりは被疑者だが、仕事関係者の中にはいないだろうということだ。

 ちなみに犯人とおぼしき女性の顔下半分の特徴(なぜ下半分かの理由だが、和田は同僚から聞いてすでに知っていた。殺害前、被害者と同伴した女性は大きなつばの帽子を被り、しかも大きな黒いサングラスで顔を隠していたことを、ホテルの防犯カメラが捉えていたからだ。追加で、白いレースの手袋をしていたことも教えられていた)、例えば鼻や唇の形状、目立つ黒子(ほくろ)の有無などだが、新妻を含む六人の中に、一致した者はいなかった。

 また、事情聴取された五人の女性について、誰ひとりアリバイのない人間はいなかった。何の事件かは伏せてそれぞれの夫に尋ねた。通常なら身内のアリバイ証言は黙殺されるが、今回に限り、上記の理由や誰ひとり動機がない等に鑑み、信じられると判断したからだ。

 結句、顔見知りの中に殺したいほどの恨みを持つ女性だが、見出せなかったのである。

 それに長野としては、被害者の名誉を徹底的に落とし込めるほどの犯人像ではないと困る。――(黒い)目的を達成できないではないか!――では、彼が理想とする犯人像とは?

 それはもう一方の捜査対象者で…現場の状況から導き出したSM専門の娼婦たちだった。

 長野の最上級願望は、――そいつらの中から犯人を見つけ出してくれ!――であった。

 被害者は全裸で、しかも射精していたのだ。性交渉があったとイメージしない方が不自然と長野は主張し、SM専門の娼婦たちを彼の思惑どおり、捜査線上に乗せたのである。

(投稿サイトの高画質映像から判断した)スマフォかデジタル一眼レフカメラ、ロープやガムテープ、ムチにロウソク、白ハンカチ、そして左腕に刺創をつくったカッターナイフ等を、被害者ではなく犯人が用意したとの見方では、上層部も現場も同じだった。

 被害者本人が持ち運べる状況には無かったからだ。なぜなら…(だがこれものちほど)。

 そうはいうものの、現場のデカたちの間では、SM専門の娼婦に対象者を絞りこむのは短絡に過ぎないかとの意見が占めた。フェイクではないかというのだ。

 しかし下っ端の発言など、刑事部長は歯牙にもかけない。彼は、自分の捜査方針にとって都合のいい証拠・証言や遺留品等には注目したが、不都合なものは黙殺したのである。

 たとえば、カメラやロープ、ムチ等はプレーのためにいつも持参していると、また、カッターナイフは悪質な客から身を守るための常備品と、長野はそう見解を述べたのである。

 たしかに任意同行?させられた娼婦たちのほとんどが、業務上、手錠・ムチ・ロウソク・浣腸用具やアイマスクと孔雀の羽根等も併せて常備していると口述した。だとすると着目点があながち見当違いともいえないようだ。倒錯した性の世界の必需品であり商売道具だ、と開き直って毒づくような口調の娼婦もいた。ヤクの影響が残っていたからだろうが。

 そんな彼女らに対し、「もし拒否したり、事後において不当と訴えたりすれば、商売できんようにしたる」との強烈な警察権をちらつかせ、しかも理由は教えず、全員から全指指紋と口内粘膜の採取を強制的に実施したのである。

 むろん違法行為だが、たった一人で立ち向かうには脛に傷持つ彼女たちは、やはり弱かった。それに、彼女たちが例えばマスコミや弁護士に事実を訴えても、腰の引けた応対しかしないと肌で感じ取っていた。社会的見地から、信用度が低すぎると知悉しているのだ。

 さて、この程度の違法行為。長野にとっては微細な問題としてすら捉えなかった。

 そんなことより大問題は、彼の期待が完全なる不発に終わったことだ。遺留指紋と、娼婦たちの全指指紋のたったひとつの、しかも部分合致すらも認められず、ベッドとその周辺から採取した全ての体毛からのDNAも、ひとりとして合致しなかったからである。

 ただし指紋の不合致は、後述するように、必然と思える理由もあったのだが。

 長野はそれでも、この方針に執拗だった。専門分野である生活安全部の保安課長(売春などを担当)に指示し、課長に直接の指揮をとらせた今回の捜査であった。そのうえで、「もぐりのSM嬢が仕事をするケースはないのか?」と課長に問いただしたのだった。

 さすがに詳しかった。「あいつらにはあいつらなりのしきたりや仁義があって、HIV等の命に及ぶ疾病に冒されないよう、そして広げさせないため、また病気による客離れを防止するために、そういうもぐりは潰すか組み込むようにしています。古株のやり手婆がリーダーとなって、自分たちの身と商売を守るために、コンドームの着用義務化と定期的に公共の無料検診を受けさせ、診断書のコピーを保管していると何度か聞いたことがあります。西成には怪しいのもたしかにいますが、そんな連中は、キタやミナミ(梅田と難波、大阪の二大繁華街)では商売させてもらえません。ましてもぐりが、高級なXXホテルに出張ったとはとうてい考えられません」そう断言したのである。

 どうやら長野が希求した犯人像は、見当はずれのようだった。またたとえSM嬢の中に犯人がいるとしても、現状では立件不能だと。これはという目撃証言でも出れば別だが。

 ともかく、今は別の犯人像を探るにしくはない。刑事部長は、仕方なくSM嬢に対する捜査を保留扱いとしたのである。

 それでも懲りず、娼婦全般に捜査対象を拡大した。指令するにあたり、反対意見を封じ込めるため長野なりの思慮を直属の部下に提示したのだった。「ホテルが撮っていた映像からも地取りの証言からも、犯人が女性であることは間違いない。そこでだ。深慮するまでもなく、素人の女性がロープやガムテープなどを用意していたとは、とても考えられない。ならばSEXを商売にする玄人か、あらかじめ殺意を持っていた素人とみて間違いないだろう。ところが、殺意を懐いている素人女性はひとりとして出てこなかった。したがって、商売女を今後のターゲットとする。この線で、今度こそ犯人を見つけ出してくれたまえ」

 もちろん上司に対し、あえて異議を唱える者はいなかった。ただし責任忌避すべく、いかにもエリート官吏らしい深謀を自己保身に傾けたのである。まさに官僚の本能的発想だ。

 実際の実働部隊にも、長野は捜査会議において同様の指令を出した、自分の野心に満ちた思惑はひた隠しにして。

 長野の野望のせいで、捜査の裾野が広がったため労力も経費も相当なものとなった。にもかかわらず、参考人程度の存在すらも浮かんでこなかった。それなりの成果でもあれば違ったろうが、捜査員の脱力感は日増しに募っていった。士気など上がろうはずなかった。

 定例の捜査会議に漂う閉塞感。そして会議室の外は、今にも泣きだしそうな鬱陶しい梅雨空だった。事件発生から、はや四カ月がたとうとしているのだ。

 見当がはずれた長野は捜査本部の空気を変えようと、信じられないことだが、デリバリーヘルス・出会い系サイトやエロ系サイト、男娼等にも捜査の輪を広げさせたのである。

 しかしながら、つまるところはどの方面も難航した。どの系統も、まるで有象無象状態であった。世の中は乱れに乱れていて、雨後のタケノコどころかまるで梅雨時のカビのごとし、それぞれその存在において、並大抵の数ではなかったからだ。

 小説“白鯨”を借りての下手な譬えとなるが、極夜(白夜の反対で約二カ月間続く、北極圏・南極圏での陽の昇らない夜…見当違いのために光明を見出せない捜査本部の状況を指す)、広く果てない南極洋(とりとめなき茫洋の例え。捜査対象すら絞れない有象無象状態)に、(犯人である)白鯨【原作者メルビルは “白鯨”を悪の象徴とした。一艘の捕鯨船が大西洋から太平洋へと白鯨モビーデッィクを追い求め続けて数年、人間たちと巨鯨の死闘の末、イシュメルという青年以外ついには船体ごと海中に没するなどして、原作では全滅】を求めて、人海戦術で挑みつつ、取り舵か、面舵を取るべきか全速前進か、その往くてで(まど)う捕鯨船(捜査本部)は、雲を掴むに似て、白鯨の姿を見かけることすらできず、ついには難船(閉塞状態)してしまったのである。

 (むだ)に日を重ねるばかり。上層部としても次第に焦燥をみせ始めたのだが、それでも方針維持に、特に長野は拘泥した。長野以外もキャリア組として、一度決めた捜査方針に対する意地とプライドが邪魔をし、捜査を熟知する現場捜査陣の無言の抵抗を無視してしまったのである。

 捜査範囲が広がったなか、重たいだけの、徒労に()む時間のみが遅々とし、捜査員の心身には疲労感と虚脱感が深く刻まれたのだった。それでも時間は寸進し留まることはなかった。振り返れば、一年半前の弥生の夕、長野の訓示から捜査は実動したのである。

 清少納言が“枕草子”であけぼのが良いと()でた春(ここでは昨年の春を指す)はとうの昔でもはや記憶から消え、長かった梅雨空はいつか遠く過ぎ去り、体感40℃の猛暑の下、焼けたアスファルトに耐えた革靴もすでにゴミ箱行きとなり、束の間だった秋の、山野を彩った紅葉にも気づくことなく、コートの世話になる冬始まりの師走、そしてクリスマスも年の瀬もいつのまにか終わっていた。明けての正月の団欒もその九十日超後の花見の宴も、帳場の捜査員には全く関係なかったのである。

 ただただ、それでも捜査は変わることなく続いた。変わったのは一年後の、捜査体制であった。むろん縮小された、だけではなかった。それにしても、長野体制の一年は長すぎた。その間、長野刑事部長の、“警視総監”の椅子に座るという野心から生まれた我執、黒い企てが常に捜査全体を支配してしまっていた。野望完遂。是が非でも府警本部長を辞任に追い込もうと謀った闇黒の固執である。それが、混迷捜査の長期化を生んだのである。

 それでも的を射ていればまだ良かったのだが、彼は頭でっかちでしかも経験不足。にもかかわらず、ただ頭ごなしに指令を下すばかりで、現場の意見に耳を傾けようとはしない、ただ都合のいい成果だけを求めすぎる。その当然の帰結が、混乱とやがての閉塞であった。

 現場経験の些少な超エリートが捜査の直接指揮を執ったこと自体、現場のデカたちに云わせれば暴挙だった、のである。

 “暴挙”といえば、そう…、現実にあった端的で歴史的な例がある。未解決事件として完全時効をむかえた有名な、かのグリコ・森永事件(警察庁広域重要指定114事件)だ。

 当時の大阪府警察本部長はド素人のくせに、全国民が注視した事件の指揮を執り決定権を握った…暴挙。現場では何度も実行犯逮捕の絶好機があったのだが、「泳がせろ!」と命令。現場からの、悲痛なまでの再三の逮捕要請に対する、“馬鹿の一つ覚え”の返答だった。一網打尽の逮捕に固執したのだ。現場を無視し悉く同じ轍を踏んだ結果、真犯人の逮捕者ゼロという完敗の未解決事件にしてしまったのである。まさに前代未聞。本部長筆頭にキャリア組が、かい人21面相と名乗った犯人側に“阿呆”呼ばわりされ、翻弄され続け、結局、一敗地に(まみ)れた最悪の事件として、その悪名を犯罪史に刻んでしまったのである。

 この一連の凶悪事件の終盤。身代金受け渡しのために実行犯が名神高速で大阪を過ぎ京都を越え、滋賀県に入ったのだが、痛ましいのは、全てにおいてつんぼ桟敷に置かれ何も知らされなかった当時の滋賀県警察本部長が、後日、自殺したことである。犯人を取り逃がしたと自責したゆえの、身の処し方だったのか。しかし、非難されるほどの失点があったとはとても思えない。にもかかわらず、最悪の不幸な結果となってしまった。遺族ならずとも心痛む非業の死、…まことに残念でならない。二度と起こしてはならない悲劇だ。

 他方、本当に責任を取らなければならない奴ばらは悠々自適というから、何をか云わんやである。…閑話休題。


 さて、もう一度、死体発見通報三十分後に戻すとしよう。

 初動捜査はすでに始まっていた。いの一番の指紋と掌紋の採取。血痕、体毛や体液、その他の遺留品捜査も当然なされていた。鑑識課は総動員で、この事件に当たったのである。

 これも当然だが、訊きこみ(警察では地取りまたは地取り捜査と呼ぶ)および防犯カメラの映像解析にも力を入れた。目を皿のようにしチェックしたのだ。また映像や証言から被疑者女性の衣服等の割出しに掛かった。特徴ある帽子や目の細かいレースの手袋から犯人に辿り着けないか、購入先を特定できればと捜査員は各所に散らばっていったのだった。

 だが各方面から帳場にもたらされた情報は芳しくなかった。結局、購入者特定不能な量販店で扱うありふれた品物と判明した。日にちを食った意味の少ない捜査となったのだ。

 現場で採取した指紋や掌紋は、ハウスキーピング(客室清掃等を担当)やルームサービス従事者の指紋・掌紋を除き、また微量の塵埃が付着したものも除いて、七人分が見つかった。ただし客室案内係のものは出てこなかった。常に、白い手袋をしているからだ。

 さて、これはのちの話だが、現場で採取されたうちの一人分はタクシー運転手のものであった。意識朦朧だったエリート警部を抱えるようにして、部屋の中まで運んだときの指紋であった。残りの内訳だが、その大きさから男女それぞれ三人ずつということが推測できた。つまり三組のカップルということで、宿泊台帳とも合致した。記されたそれぞれの住所から、警視庁と神奈川県警、福岡県警に依頼し、照合する目的で全指紋採取に協力してもらった結果、六人ともに一致したのである。ただ、その中に犯歴者はいなかった。

 たったこれだけに要した日にちだが、二週間も、だった。

 ところでなぜ、微量の塵埃が付着した指紋を除外したのか。少なくとも十日以上経過した指紋であり、事件との関連性は極めて薄いとみられたからである。

 つまるところ、被害者のも、犯人とおぼしき女性の指紋も出なかったということだ。

 防犯カメラの女性は目の細かいレースの手袋をはめていたが、それを終始はずさなかったということだろうか。あるいは部屋の中では、持参していたキャリーバック(捜査の結果これも量販店で購入できるものだった)から別の手袋を取り出し、はめ変えたのかもしれない。従業員を除く七人分の指紋ということは、つまりそういうことなのである。

 それにしても…だ。ロープはともかく、被害者の口に貼られていたガムテープからも出てこなかったのには、当の鑑識員も驚いた。普通なら粘着剤側に指紋が残るはずだが…。ということは何らかの工夫をしたことになる。しかし、鑑識員の仕事はここまでだった。

 和田も不思議に思った。手袋をしていたのではレースなどの生地に粘着してしまい、被害者の口に貼る作業に難儀したに違いない。それでも無理に貼ろうとすれば、粘着剤側に手袋の糸くずが残るはずだ。それでもうまく貼れるかどうか。

 不思議のままでは済ませない(たち)に加え、ある理由の発生により十月二十二日夜、実験することになる。夕食後、自宅にあった布製ガムテープと手袋で試行錯誤してみたのだ。四半時のあれこれののち一旦保留し、紙製を買ってきた。――実験なのだから――同一条件にすべきと考えたからだ。今度は存外簡単に、指紋を付けず貼ることに成功したのである。被害者の口への貼り物を紙製ガムテープにしたのは倹約ではなく、このためだったのだと。

 そして閃いた。ガムテープに(こだわ)ったからだろうか。帳場のお歴々はSMプレーに拘泥していたため問題にしなかったが、口を塞いだのは、本来の目的のためだったのではないか。腕を刺した時に、被害者に大声を出させない、他の泊まり客に聞かさないためだと。あまりたいした閃きではないが。それでも――事件の発覚を少しでも遅らせたい――これが犯罪者心理である。犯罪者にじかに接しないお偉方は、実感としてピンとこないのだろうが。

 余談はここまでとして、もうひとりの滞在者に目を向けてみよう。被害者である。

 彼の指紋が出なかった理由だが、歩行に手を貸したタクシー運転手の証言でわかった。女性の依頼で正体喪失の男性を部屋に担ぎこんだだけでなく、ベッドに横たえるところまで手伝ったからだった。そのとき、一万円札をチップとしてもらったとのこと。まだ手元にあれば指紋を採取できるかと期待した。しかしすでにパチンコ代として消えてしまったと答えた。(運転手の事情聴取の内容だが、調書の訊きこみの項で和田は知ることとなる)

 ちなみに捜査本部は知りえなかったことだが、チップの一万円は、サングラスの女が被害者の財布から事前に抜き取った札だった。自分の指紋を警察に提供しないためである。用意周到な計画殺人だった、ということだ。(矢野は後日、このことも推測してみせる)

 血痕はベッドと周辺の絨毯から出た。そしてバスタオルからはルミノール反応が。いずれも被害者のものであった。被害者の左腕にあった刺傷からとみて間違いないだろう。

 つまり、犯人は返り血を浴びタオルで拭き取ったと。しかし、服に付いた返り血をタオルで完全に拭い去れるはずもなく、したがって着替えない限り、ホテルを出た途端、目撃されるだけでなく通行人の記憶にも残っただろう。計画犯罪において、そんな不手際をするはずがない。用意周到…だとすると、凶行時に着衣の必要はないのだ。下着姿か裸であれば、犯行直後に洗い流してタオルで拭えば、返り血を目撃される心配はなくなる。和田はこう推測し、そのうえで、レースの手袋はどうしただろうと首をひねった。はめていれば返り血は免れない。そこで一旦、カッターナイフを手に取る前にはずしたとみた。

 それはさておき、風呂場の排水口のトラップ(臭いの逆流や防虫のため水を溜めておく部品。ワン型が主)に引っ掛かっている体毛を、鑑識も採取したに違いないとみた。中から一番強いルミノール反応の体毛が出れば、それを犯人のものと断定できるからだ。ただ血液型やDNA情報が即、犯人特定につながるわけではないが。

 それ以外の体毛も採取を試みた。超高級だけあって絨毯の掃除機がけや当然のベッドのリネン交換、トイレや風呂の掃除などていねいになされていた。それでも三人分が出た。

 和田のこのときの推測は、客室清掃係と被害者と犯人のものだろう、だった。体毛は自然に抜け落ちるため、ひとつの場所に一定時間いると気づかないうちに散らしてしまう。またホテルのハウスキーピングは動きが激しいため、衣服についていたなどの体毛は何かの拍子に落ちやすい。被害者のは、服に付着していたものが脱がしたさい舞い落ちたはず、そう睨んだのだ。鑑識がその二人分のだと証明した。そして残る一種類が犯人のものだと、翌々日、これも鑑識が証明した。風呂場の排水口からの毛髪と一致したからだ。理由は以下のとおり。手や肩などに付いた返り血を風呂場で洗い流す際、毛髪が落ちそれが、和田の見たてどおり排水口に吸収されたのだ。血液型はBOだった。

 だが体毛の採集が、捜査進展に現時点では役立たなかった。なぜなら犯人のものだとして、今のところ、被疑者を特定するための材料とはならないからだ。現状では、まずもって、犯人の血液型すらわかっていない、ましてDNAを特定できないでいる。

 遺留体毛からDNAを検出してもそれでは一方通行でしかない。被疑者から任意で口内粘膜を採取し、その検体と遺留体毛のDNAが合致して初めて決定的証拠となるのだ。だから捜査を進めるなかで、被疑者を絞り込むしかないと現場で奔走するデカたちは思った。

 ここでも少々の脱線。千葉県柏市にある科警研が監理する犯歴者DNAデータベースだが、指紋データのように充実していけば、将来的には有用な資料として期待できよう。

 さて、血液以外の体液に関し、馴染みの居酒屋で以前、和田の席近くに偶然座った同期の警部補から教えられ和田は知ったのだが、被害者のペニスから精液を検出していたと。

 遺留物から犯人を特定する捜査も進められた。しかし、特定どころか捜査の進展に寄与する材料すら出てこなかったのである。理由についてだが、和田が推測したとおりだった。

 犯行に使われたロープ、紙製ガムテープ、安手の白いハンカチなどの遺留品だが、ホームセンターや百均ショップで取り扱っている品物ばかりだった。犯人が大量購入した品物であれば仕入れ先の特定も可能だが、SMで使う程度の数量ではそれもできない。

 犯人は、遺留物から足がつくことはあるまいと安心して残していったのかもしれなかった。それともそこまでは認識しておらず、甘い放置はただの幸運だったろうか。いや、そんなことはあるまい。計画犯罪であったことに鑑み、まずは前者であったであろう。


 ところで死体発見の五日後、投稿サイトによって下半身露出という死体状況を公表されたわけだが、被害者家族と警察にとって、それだけでは済まない事態が起こった。

 一年半近く(さかのぼ)る2012年五月十五日、つまり事件発表の一カ月後となるわけだが、被害者の顔が露わな状態の、しかも性行為をしているシーンまでが動画投稿サイトに流入したのである。女性の顔にはモザイクを掛けられたその性描写は、裏AV映像さながらだった。

 被害者の顔の入手は困難ゆえに模倣犯とは考えにくい。それで前回と同一犯と捜査本部はみた。まさに、死者に鞭打つ所業である。被害者に相当な恨みを持つ者の仕業だ。問題は、そのような人物が浮かび上がってこないことだった。となると捜査を撹乱するために犯人が流した可能性も。事実、現場の刑事たちの意見は、結果二分されたのだから、犯人の目論見は成功したといえよう。そんな機を見るに敏な長野は、愉快犯説を取った。

 そんななか、この件で活発な動きを見せたのが、科捜研だった。早速、モザイク除去に取り掛かったのである。犯人とおぼしき女性の顔を拝めると、帳場ならずともかたずを呑んで吉報を待った。やがて、モザイクを取り除くことに成功したのだった。

 にもかかわらず、現場のベテランデカ連中が予測した通り、…残念な結果で終わる。

 だがそんなことより、もっと遺憾な事態が当然起こった。今度こそ世間が沸騰したのだ。おかげで警察機構が受けたとばっちり被害は小さくなかった。世間に物笑いの種を提供したのだから、下世話を生業(なりわい)にする三流週刊誌が大喜びで飛びついたのはいうまでもない。

 というのも映像のテロップで、被害者の父親が大阪府警本部長だと告知したからだ。

 長野が追い落としを狙っており、被害者の醜聞が大打撃となる存在とは、この人物のことだったのだ。穢れた野心の眼には、二度目のサイト投稿が天の配剤に思えたのだった。

 本部長辞任を目論んだ刑事部長。事件解明の途中で暴かれるはずだった子息の破廉恥な行状に親の責任問題を絡め、事件の暗部の渦に無理やり巻き込んでしまえるだろうと踏んでいた。ようやく思惑どおりになった。世間が沸立つ下世話ネタを提供してくれたからだ。

 事件には直接関係ないとの見解から、府警本部は緘口令を敷き親子関係を秘匿してきた。本部との関係を悪化させたくない各新聞社やテレビ局も、だからこの点には触れなかった。

 ところが、下ネタ週刊誌がこぞって喧伝してしまったのだ。本位とすべきマスコミの規範と使命などはそっちのけで、興味本位の三文記事を世間に蔓延させたのだ。売れればいいと。だがこれこそが、マスコミの自壊自滅に通じる、否、自爆行為そのものなのである。

 それはさておき、堰は決壊してしまった。こうなると元に戻すのはもはや不可能であった。人道的には本来、保護されるべきは被害者とその家族なのである。それなのに凄絶ともいえる三流マスコミの集中砲火を浴び、被害者の新妻と府警本部長はその渦中に押し留められ、守護されることも少なくして、市井の善良な同情や救援の声もかき消されてしまった。イノセントなのに孤立したまま、まさに生き恥をかかされ続けたのである。

 より哀れなのは、夫の下半身問題に突然巻き込まれ、逃げるように実家に舞い戻った若き未亡人の方だった。三流マスコミが報道の自由を振りかざし、砂糖に群がるアリ然と多勢で押し掛けた。彼女は涙し、眠れぬ夜に悶々と寝返りをうつ懊悩地獄が続いたのである。

 それにしてもの、長野刑事部長が自身の出世のために想念したドス黒い企み。警察庁人事を除く警察階級の実質ナンバー2(大阪府警本部長は警視総監に次ぐポスト。副総監より上位扱い)を早期辞任に追い込めるだろう……これだった。渡りに船の、裏アダルト映像のテロップがなければ、数日後には、匿名で親子関係を世間に曝すという腐臭を伴う企みを実行するつもりだったのだ。

 ところで下種野郎の目論見はさておき、投稿サイトに流れた映像だが、科捜研によるモザイク除去作業の結果、とある裏DVDの映像を利用したものと判明した。女性の顔が有名なアダルト映像女優だと、科捜研の技師が気づいたからである(が、なぜ気づいたのか?の記述は調書にはない。日ごろからご厄介になっていたとは、当然記載されるはずもない)。

 おかげで、ハリウッド映画が得意とするCG技術を悪用した偽造だとわかったのだった。「だとしても」と科捜研員、本場のCG技術と比較してもさほどには見劣りしない、プロ並みの腕前だといたく感心していた。まあ、彼の感心はおいておくとして、被害者の顔と映像の身体は別人のものと判明したのである。ベテランデカらの予想は概ね当たっていた。

 早速、“偽造映像だ”との警察発表を各媒体を駆使し流布しようとした。本部長は表立てないので副本部長陣頭指揮のもと、府警本体は必死で取り組んだ。未曽有の宣伝活動といえた。警察本来の活動にもっと本腰を入れるべきと、マスコミなどがあきれ顔するほどに。

 が世間はあまり信じなかった。積年に積年を重ねた不祥事、特に証拠隠滅や捏造等の不埒な実績のせいで、オオカミ少年の如く扱ったからだ。これこそ不徳の致すところだった。

 それにしても、相当に手間のかかる作業だという。CGを専門とする製作会社に問い合わせたのだから間違いない。惜しみない手間が「死者を鞭打つためだとしたら、被害者に、“相当”では済まないほどの憎しみと恨みを持っていたからでは」とは製作会社社員の弁。

 さらにはあるTVコメンテーター。被害者の恥態の公表が警察を落としめるためとするならば、かなり悪質なだけでなく、こちらもまた遺恨すら感じざるを得ないではないかと。

 いずれにしろ、投稿サイトと犯人の間の見えざる関係も視野に入れ捜査に力を入れた。同時に特別班を編成し、グローバルIPアドレスからも追跡を試みた。だが、やがて偽造されたものとわかった。結局、誰が投稿したのかも全く、そして両者をつなぐ関係も掴めなかったのである。足取りを消す手錬は、一流ハッカー並みの技量だからできたのだろうが、お粗末にも日本の警察は、ハッカー、なかでもクラッカー(コンピューター技能を悪用し不正・不法行為を行う者)を、野放しというのか全く掌握していないのだ。

 ところで、長野に面従腹背の少数派幹部もいた。捜査一課長と二人の管理官だが、警察本体の汚名返上のため、事件解決に闘志を燃やしていたのである。事件発生から三週間が過ぎたころ気心の知れた部下に、長野とは違う方向性の捜査をさせ始めたのだった。

 それが、グローバルIPアドレスを偽造した人物の特定である。CGを駆使して、例の偽造映像を作成・配信できる技能を持った人物の捜索であった。CGの技量は相当、ということならば、全国単位でもさほどの人数ではあるまいと。

 登録されているCG技術者を全て調べ上げれば、犯人に迫ることは可能と考えたのだ。内密に特別チームを作り虱潰(しらみつぶ)しに当たらせることに。捜査対象となるCG技術者の条件だが、女性、CGエンジニア検定試験一級合格者、プロとして従事、の三つである。従事者に限定したのは、CG用機器が高価なために個人で所有するには高負担となるからだ。それとCGエンジニア検定試験だが、主にコンピューター・グラフィックス技量を向上させ、映像文化に貢献できる人材育成のための関門、とある。それの一級合格だが、難関だった。

 この、検定試験を主催するCG-ARTS協会に捜査員を派遣し、犯人像に適合しそうな一級合格者をピックアップさせた。関西圏よりも関東圏に住む者の方が圧倒的に多かった。テレビのキー局にしろ映像製作の特殊撮影部門にしろ、主流は関東圏にあるからだ。

 協会保存の資料を手にしつつ、防犯カメラの映像と訊きこみより得た情報(推定の身長・体重・年齢・顔の下半分に目立つほくろやシミがない等)から、非該当者を一人また一人とリストよりはずしていった。四人に絞れた。しかし、タイで就業中の女性や追い込みの仕事に就いていた、デート中だった等を含め、全員に当夜のアリバイがあったのである。

 その後、“従事者に限定”とした間違いに、ある捜査員が気づいた。CG用機器のレンタルが可能だと知ったからだ。取り扱う店は少なかった。すぐに時期の符合する唯一の借主に辿りついた。だが、偽造の健康保険証を使ったニセの住所氏名であった。コンピュータの技量を駆使して偽造したのであろう。似顔絵を作ることもできなかった。黒いサングラスに帽子という、例によってのいでたちだったからだ。ここで、この方面の捜査も頓挫したのである。有効に思えた捜査線だっただけに、捜査一課長たちの落胆は隠せなかった。

 そうこうしているうちの府警本部の約一年半。その間に、現場の捜査員たちにとっては取るに足りない激動が起こったのである。府警本部長の辞職と長野刑事部長の左遷だった。

 本部長は精神的に参ってしまったのだが、加えて国家公安委員長か警察庁長官あたりから政治的圧力、いわゆる肩叩きがあったのかもしれない。だが、全ては闇の中だ。

 一方の長野。警察機構ナンバー2の排除を知り、心密かに歓喜雀躍したのも束の間、地方への降格人事に泣いたのである。この椅子取りゲーム脱落者の不様(ぶざま)を嗤った者の数は…。

 そして本部長の交代とともに、帳場(捜査本部)はその規模を縮小されてしまった。

 これらが、約半年前のドタバタ劇であった。


 昨日までの無聊を持てあました和田警部補。慣れていないのだ。だから現在いい時間を過ごせていると秘かに喜んでいる。まさに、根っからのデカなのだ。また、人生において無聊を罪悪と捉えてしまう、まるではたらき蜂のような質を、家族を含む周りは、泳ぎを止めたら死ぬ“マグロ”だと陰で噂しているくらいだ。そんな彼が次に思い出した事件。

 これも女性がらみだが、つい十日前の総合病院院長殺害事件である。被害者の色情狂的醜聞が投稿サイトで公開され死者に鞭打つ異常な事態となったこと、計画犯罪である点など、共通項があったからだ。ただ殺害手口の違いから同一犯ではないだろうと。

 共通項以外の情報としては、被害者家族に事故死亡者が出ている点とライフルによる射殺、この程度だ。ただ、日本では珍しい型の事件なのに詳細を知らなかった。警部全裸殺人事件の情報を得る余裕があった時期と違い、一昨日まで忙殺の日々を送っていたせいだ。

 ところで気になりだしたら治まらない性分の和田である。藍出と交わした雑談の、内容確認もせずにはおれなかった。各項目をメモにとるとおもむろに立ち上がり資料室へ、次に鑑識課に、最後に、各事件や事故の捜査内容を生きた言葉で教えてもらうため星野管理官を訪ねたのである。彼は星野警視の下で、何度も難事件に携わってきた経験を持つ。また、信頼され気に入られてもいた。だから他の、二階級上の管理官に比べるまでもなく、捜査中の事件であっても尋ねやすいのだ。

 とはいえ即座の行動は、放置したままでは済まない気質によるだけではなく、上司の矢野警部の手法を真似たものでもあった。不明事項や疑問はすぐ調べるという捜査法である。

 訪ねられた星野は、尋ねてきた事件に対しある思惑もあり、柔和な笑顔で質問に答えたのだった。

 デカ部屋を出てから三時間後、数々の捜査資料を手に、和田は屋上に向かったのである。


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