第5話 ……出来れば、頭を撫でて欲しいです
「エール入るぞ?」
俺は部屋の前にやってくると、エールに呼びかける。
「どうしたんですか?」
「いや、その、夕飯の時間にしようと思って」
「ほんとですか!?」
歓喜の声と共に扉が開かれた。俺はエールに招かれた彼女の部屋の中にあがる。
そこは庭付きの空間であった。神殿風の建物の周囲にびっしりと花壇が置かれており、エールが水をやっていた。
「それは、花か?」
「前にいた大きな街で、野菜の種を買ったんです。自分で育ててみようと」
エールはあの地下を抜け出してからは、食のことで頭がいっぱいのようだ。
「その内、牧畜でも始めそうな勢いだな」
「それもいいですね!! ここに牛を連れてきたり出来ないんでしょうか?」
目が本気だった。
この部屋のメインも野菜を栽培するための花壇だ。神殿風の建物といっても中にあるのは簡素なベッドとテーブルだけで、それほどに今のエールの関心は食に向いているのだろう。
「ということで、食事の時間なんだがどうしようか」
元々、街の飲食店で済ませるつもりだったのでなにも考えていなかった。エールの分もそうだが、俺の分もだ。
「保存食や魔獣フードはあるけど味気ないよな」
「それでしたら、なにか作るというのはどうでしょうか?」
「作る……か。そういえば、部屋にキッチンがあったな」
養親は俺に食事の用意をさせることも多かった。便利な家政婦とでも思っていたのだろう。
まあ、そんなわけで料理が出来ないわけではない。
俺はエールを連れて、自分の部屋へと向かう。
「わぁ……なんですかこれ……?」
エールが感嘆の声を漏らす。
「本はわかるんですけど、それ以外は見たことないものばかりです」
それはそうだろう。テレビ、パソコン、ゲームなどなど……どれも、俺の世界のものだ。
「魔導具の一種なんですか?」
「まあ、そんなもんだ。俺のいた国はずっと遠いところにあるから、この辺りだと馴染みはないだろうけど」
異世界の説明をするのは難しいので、その辺りの説明はぼかすことにした。まあ、間違ってはないだろう。
「興味あるなら、あとで使い方教えるよ」
「本当ですか??」
喜びを露わにするエールを見てほっこりしながら、俺は冷蔵庫の扉を開く。
「もしやとは思ったが、やっぱり食材が揃ってる」
ニンジン、ジャガイモ、豚肉などなど……
このスマホの機能は、俺たちが望む住環境を用意してくれる。食についても同様のようだ。
「イツキさん、何作るんですか?」
「カレーライスだ」
「かれーらいす……ですか?」
この世界にはないのだろうか。少なくとも俺は見たことがない。
俺たちのよく知るカレーは、インド源流の料理がイギリスを経由して、日本で確立されたものだ。
元になる料理はあっても、まだこの世界では魔改造されていないのかもしれない。
「パッパッと作っちゃうから、テレビでも見てくつろいでて」
*
「じーっ……」
エールが吸い付くようにテレビに見入っている。
異世界の言語なのだが、どうやら翻訳機能がうまく働いているようで問題はなかった。
彼女が見ているのは魔法少女もののアニメだ。ちょうどこの時間に再放送しているもののようだ。
「この子、私に似てますね」
「そうか? 髪の色とか真っ赤だし全然違うと思うが」
「でも、私も変身できますよ!! チェーンジ、マジカル――」
「ここではやめてくれよ」
よほど気に入ったのか、変身ポーズまで真似ている。
「それよりも出来たぞ」
俺はテーブルにカレーを置く。
「なんですか……この茶色の食べ物……?」
反応はあまり良くはなさそうだ。
俺たちはすっかり慣れたが、確かに茶色というのは少し抵抗感があるのかもしれない。
「俺の国では子ども大好きな料理だ。変なクセもないから食べてみて」
俺は早速、カレーをほうばる。
ルーはレトルトのものだが、やはりおいしい。ちなみに野菜はざっくりと大きく切る派だ。
「それでは、いただきます」
エールが恐る恐る口の中に運ぶ。
「っ……おいしい!! おいしいですよ、イツキさん!!」
口に合ったのか、エールは次々とカレーを口に運ぶ。
「よしよし、それならこれも試してみてくれ」
俺は赤い漬物をエールの器に盛る。
「これは?」
「福神漬だ。これも馴染みはないだろうが、カレーとの相性は抜群だ」
「そうなんですか?」
早速、エールが福神漬とカレーを一緒にほおばる。
「甘くてしゃきしゃきで、でもカレーの辛さによく合います!!」
これも気に入ってくれたようだ。こんなにおいしそうに食べてくれると、作ったこちらとしても嬉しい。
「なら、次はこいつといくか。初心者には贅沢すぎるが、これ以上ないほどにカレーに合う」
俺は究極の料理をカレーの上に乗せる。
さっくりとした衣に包まれた、ジューシーな豚肉、とんかつだ。
「こ、これは……揚げ物ですか?」
「豚肉だ。試してみろ、飛ぶぞ?」
「飛ぶ……? よく分からないけど試してみます」
俺も久々にカツカレーを堪能する。
あの養親、自分たちだけカツを乗せて俺には用意してくれなかったからな。ここでは、思う存分食べてやる。
「あぁ……さっくりとした衣とカレーの相性が最高だ……」
初めてのバイト代で、カツカレーを頼んだことを思い出す。
養親達がおいしそうに食べるのを見守るだけだった俺が、初めて味わった美食だ。
その時の達成感と幸福感、忘れることは出来ない。そして、今俺はそれを再び味わっているのだ。
「幸せです……この世界にこんなおいしいものが生まれていたなんて……」
エールも感極まっているようだ。
俺たちは似たもの同士なのかもしれない。期間は違うが、お互いに食事で満足を得られることのない日々を過ごしてきた。
それが今では、なに不自由なく食を楽しめているのだ。
*
「本当においしかったです。イツキさん、料理が上手なんですね」
二人して部屋のソファに座り込む。エールは随分と満足してくれたようだ。
「それなりに料理する機会も多かったからな。喜んでくれて嬉しいよ」
こんなに喜んでくれるなら、これからもたまに自炊してみるか。
食材や調味料に不自由はしないし、手頃な調理場もある。なんなら、リンリン達にも振る舞ってみてもいいかもしれない。
「さて、他に何かして欲しいことはあるか? テイムした仲間がストレスなく過ごせるように世話をするのも俺の役目なんだ」
「といわれても、こんなによくしてもらえましたし。特には思い浮かびません」
「そ、そうか……」
心のどこかで、ゲイルやリンリンみたいなスキンシップを求められたらとか考えていたので、少し残念だ。
「あ、でも……出来れば、頭を撫でて欲しいです」
「え……?」
「子どもっぽいかもしれませんが、初めてイツキさんと会った時、頭を撫でられてとても嬉しかったんです」
エールが側に寄って、頭を差し出してきた。
「あ、そのだな」
あの時は、竜形態だったので、まったく気にしてなかったが、改めて人の姿で撫でるとなると、気恥ずかしいものがある。
「ダメ……ですか?」
エールが小首をかしげる。その姿が妙に可愛らしく、落ち着かない気分だ。
「ダメ、じゃない……」
俺は恐る恐る彼女に手を伸ばして、その頭を撫でる。
「こ、こうでいいか?」
まるで子犬を撫でるように優しくを心がける。異性の頭を撫でるなど初めてのことなので、これでいいのか不安になる。
「ふわ……」
しばらく彼女の頭を撫でていると、眠気が襲ってきたのか。エールが、俺にもたれかかるようにそっと眠りについた。
「お、おい、エール?」
もちろん、ちょっとしたことでは起きない。
「ま、参ったな……」
彼女のぬくもりが伝わってきて、顔が熱くなる。
さすがにこんなシチュエーション、童貞にはきつすぎる。
「と、とにかく、ベッドに運ぼう」
俺は彼女を抱えてベッドに横たえる。
「ちょっと頭を冷やそう」
そして、火照った身体を冷ますために、俺は外へと繰り出すのであった。
*
「やばい。心臓もたんかも」
エールは長らくあのダンジョンに捕らえられていたそうだが、そのせいか無邪気すぎる。
初めてキスした時も嫌がる素振りは見せなかったし、異性の俺に警戒感を欠片も抱いていない様子だ。そのせいで思わずドギマギさせられることも多い。
「美少女との異世界旅。男の憧れだと思っていたけど、いざそうなるとなかなか大変だ」
ひとまず、俺は外を歩いてみる。
地震がひどく街が倒壊してしまったそうだが、確かに街には人っ子一人見つからない。
街の南側には大きな瓦礫の山もある。かつては、豪華な貴族の城でもあったのだろうが、今は見る影もない。
俺はしばらく瓦礫の山を眺める。すると、瓦礫の隙間から目立つように金髪の髪が溢れているのが目に見えた。
「うん???」
「旅人よ……」
突如、金髪の人物が言葉を発した。
「悠久の忍耐を経て、飢えし私に供物を捧げなさい」
「はい?」
要約すると、お腹が空いたからなにか恵んでくれということだろうか。
「我が城が無慈悲な大地の怒りに蹂躙され、幾数ヶ月。とうとう、食料の備蓄も尽きて、そろそろ限界よ。おまけに、悪戯な風の精が私の足下をすくい取り、こうして瓦礫の山に埋もれてしまったの。助けて」
「なるほど、つまり君はホームレスという訳か」
「否定はしない。我を生み育てし親眷と別れ、今の私は孤独な宿無し児。地震をどうにかすると言った手前、おめおめと帰るわけにはいかないし……」
大体の事情は察した。どうやら、この地を治めていた貴族の娘のようだ。
なんだか、中二病混じりだが、とりあえず見捨てても寝覚めが悪い。俺は彼女を助けることとした。




