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第5章 新しい朝

 回青(かいせい)の滝から帰ると徳利に入った日本酒をテーブルに置いた。見た目には何もおかしなところもなく、このまま酒屋に売っていても不思議に思わないだろう。そっとつかんだコルク栓はポンッと軽い音と共に抜け、ふわっと甘い香りが辺りに漂う。

「いい香り。」

 フルーティーさと甘い香りが合わさって、花のような香りにも感じられた。後で晩酌に呑もうとコルク栓を戻して徳利をテーブルに戻した。久しぶりの長距離運転に疲れたので、まだいつも入る時間より早いけれどお風呂に入ることにした。

 お風呂から出ると私はパソコンを開き、就活関連のメールなどをチェックするが、特に何の進展もなかった。そうなると見るものはもうムナカタさん関係のSNSや動画しかなかった。今日の新しい動画はつい先程公開されたばかりだったので、もらった日本酒で晩酌をしながら見ようと急いでつまみになるものを用意して、テーブルに戻った。持ってきたぐい飲みに徳利から酒を注ぐとまず一口、口に含んだ。今までに飲んだことがない豊潤で複雑な味わいに驚き、続けてぐい飲みの残りも飲み干してしまう。

「おい…しいっ!美味しいお酒と推しの動画、これほど最高の組み合わせがあるだろうか。いやない!思わず反語を使っちゃうよね。うん。」


 私はふわふわとした浮遊感が気持ち良くて、目をつむり、体の力を抜いて漂っている。ぬるま湯に浸かっているくらいの暖かさも心地良い。

「まだ酔ってるなぁ。あのお酒、美味しかったぁ…。」

 酔っていつの間にか寝てしまったのかとぼんやり考えていると、

「お酒、美味しかったですか?」

 頭の上から声が聞こえたことに驚き、目を開けると回青の滝で私に日本酒をくれた女性が立って私を覗きこんでいた。余りの驚きに上半身を起こすと周りの風景にさらに驚いた。そこは私の部屋ではないどこか、だった。この空間はただただ淡い青色に包まれた、何もない場所だ。今いる場所も地面すらなく、私も彼女もふんわり浮かんでいるみたいに見えた。

「あなたはあの時の!いや、それよりもここはどこなんですか?!」

「驚かせてしまってすみません。ゆうさんがそのお酒をお飲みになったので願いをかなえるために馳せ参じました。ここはあなたの部屋の中でもあり、滝の中の私が住む世界とも一時的に繋がっている空間です。」

「私、夢見てるのかな…。」

 彼女は私の右横に腰を下ろすと首を横に振る。

「信じられない気持ちは理解いたしますが、きっと現実世界に戻れば、夢じゃなかったと信じられると思います。」

 そう言いながら左手で私の右手を握るとまっすぐな瞳で私の目を見つめ、にじり寄ると右手で私の左頬に触れ、そっと口づけをした。それは余りにも自然な動作で避けるという考えすら浮かばなかった。

「大丈夫、安心してください。これは成願のための儀式です。私を受け入れる気持ちを持って、体の力を抜いていていてください。」

 そう言いながら、再び私に口づけると彼女の体がぼんやりと光だし、そして少しずつ透けていっているように見える。この淡い青色に包まれた空間全体に彼女の放つ光で白色が満ち、私は眩しさに目が開けていられなくなる。私が目を閉じると彼女はそっと抱きしめて、耳元で囁いた。

「あなたの願い、賜りました。」




 ふと目を覚ますともう朝になっていた。ベッドに横たわる私にはさっきまでの出来事が夢なのか現実だったのか判断がつかなかった。きょろきょろと自分の部屋を見渡しても何も変わりはない。昨夜、呑んでいた日本酒の徳利もぐい飲みと共にテーブルの上にきちんと置かれていた。回青の滝での不思議な体験から始まり、昨夜の夢の中の出来事を思い出しながら、私はベッドから出る。顔でも洗ってぼんやりした頭をスッキリさせようと洗面台へと伸びをしながら歩きだす。昨日の疲れは残っていない、いつも以上に軽い体に気分が良くなって、鼻歌交じりに洗面台の鏡に向かった瞬間、昨夜の彼女の言葉を理解した。


―きっと現実世界に戻れば、夢じゃなかったと信じられると思います。


 鏡の中に映るのは確かに私だ。しかし、その姿は細く、小さく、幼かった。ひょろひょろの足やぺたんこの胸はいつもの私とは全く違った。身長も少し縮んでいるようでパジャマもブカブカになっている。鏡の中の自分の顔を見ると皺もシミも全くない。そのつるつるの頬を思わず自分で触ってしまう。

「中学一年生くらいの私、なのかな?」

 第二次性徴期がゆっくりだった私は中学二年生くらいから一気に身長が伸び、体が女性らしい丸みを持ち始めたのだった。身長や胸のふくらみ、陰毛の生え具合など体を一通りチェックし、そう結論付けた。

「本当に若返ってるの?!」

 もちろん忘れていない。若返りを願ったのは私。でもそれは見た目だけの話で実際に若返るなんて想像の斜め上を行き過ぎてる。これっていつまでこのままなの?今から中学生からやり直しなんてことになったら…。パニックを起こして、部屋中を動物園の動物みたいにウロウロ歩き回った。彼女は何か言ってなかったか思い起こす。日本酒を渡された時、そして昨夜。


『あなたの願い、賜りました。』

『大丈夫、安心してください。これは成願のための儀式です。私を受け入れる気持ちを持って、体の力を抜いていていてください。』

『信じられない気持ちは理解いたしますが、きっと現実世界に戻れば、夢じゃなかったと信じられると思います。』

『あなたの真剣な気持ち、承りました。このお酒はお家に帰ったら飲んでください。そうすればあなたの欲しいものは手に入るでしょう。』

『この願いはあなたの純潔と共に守られます。』


 純潔と共に守られるという言葉に私は引っ掛かった。逆に考えれば、純潔を守らなければ願いも守られないってことなのか?全く確信は持てないけれど、何かのヒントになるかもしれないので、覚えておこうと思った。

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