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第3章 早起きは吉日?思い立ったが三文の徳?

 その日、遅めの朝食を食べながらいつものようにスマホをチェックしていた。その中に待ちに待ったメールが一通届いていた。

「この度は、ミナト&リュウジ定期ライブ公演にお申し込みいただき誠にありがとうございました。

 厳正に抽選させていただいた結果、ご当選されましたのでお知らせいたします。」

「よっしゃー!」

 嬉しさに立ち上がった拍子に椅子が倒れたことも気にしないで、ガッツポーズを何度もしながら部屋中を飛び回った。


 宗方さんのライブが行われるのは小さなライブハウスらしく、演者と観客の距離が近いのが売りだった。それはファンにしてみれば願ってもない事だけど、逆に自分の姿も演者からよく見えるということだ。私は鏡台の前に座って鏡を見た。職を失い、この一か月ほとんど引きこもっていた自身の姿をまじまじと眺めて、ため息をついた。

「これはひどい。」

 一時間の通勤時間が無くなった体は以前よりふっくらして、お手入れを怠った肌は荒れ気味。髪の毛も気にしなくなり、パサついてまとまりなくなっていた。

「こんな姿で推しの前に立てるわけがない。」

 とは言っても、ライブは二週間後なのであまり時間がない。ダイエットもしよう、お肌と髪の手入れも。でもそれだけでは足りない気がしてパソコンに向かうと「若返り」などと現実味のない検索ワードを打ち込み始めた。こうなったら神頼みでもいいから、何かせずにはいられなかった。



 早朝に目が覚めた勢いで私が今、車を走らせ向かっているのは若返りの伝説で有名な隣県にある滝だった。思い立ったが吉日とは言え、いくらなんでもないわと自分自身で突っ込みつつ、ハンドルを握っていた。しかし、久しぶりのドライブは晴天に恵まれ、良い気分転換になりそうだ。自分の思い通りに大きな機械を動かす感覚が好きで免許を取った頃からずっとマニュアル車一筋、運転も大好きで若い頃はよく友人や家族、そして一人でもよくドライブに出掛けていたものだ。しかし最近は仕事の忙しさと年齢とともに休日は家でゆっくりしたいことが増え、車はすっかり近所への買い物用に成り下がっている。

「ドライブなんていつぶりかな…。」

 独り言に答える人のいない車内に私の好きなボカロ曲が流れていた。


 カッチ、カッチ、カッチ。ウインカーを出し、目的のインターチェンジで降りると案内標識を見ながら目的地へ向かう。15分ほど走ると【回青(かいせい)の滝へようこそ!】という看板と駐車場への案内板が見えてきた。

「久しぶりの長距離運転はちょっと疲れたな。」

 車を駐車場に停めて車外に出ると私は伸びをした。山に囲まれたこの辺りは私が住む場所よりもだいぶ空気がひんやりしていて、運転に疲れた体に気持ち良かった。しばらく山の空気感を楽しむと案内板に従って滝へ向かって歩き出した。

 次第に大きくなる瀑声(ばくせい)にわくわくした気持ちになってきたタイミングで回青の滝が姿を現した。水辺の澄んだ空気に身も心も清められるような気がした。

「これが若返り伝説の滝、か。」

 滝壺まで降りられるようなので折角だからと階段で降りていく。川底がはっきり見える清流に思わず手をつけてみると手が切れそうなほど冷たかった。その水を両手ですくうと一口飲んでみる。ミネラル分が豊富らしいここの水はまろやかで美味しかった。ふと滝口を見上げるが丁度その向こうに太陽があり、逆光となった木々の間から筋となった太陽光が差し込み、まるで何かの啓示のように美しかった。


 回青の滝を見終わった後、若返りの水にちなんだお土産でも買おうと土産物屋に立ち寄った。

「いらっしゃいませ。」

 明るく声をかけてくれた土産物の店員さんに若返りの水は売っているかを尋ねると、

「滝の水をボトリングしたお水とそのお水で作ったサイダーと日本酒がございます。」

 お酒が好きな私は日本酒という言葉に思わず反応してしまう。しかも回青の滝の伝説でも孝行息子な若者がお酒が湧く泉を発見したというエピソードがあるので、滝の水で作った日本酒とは縁起が良さそうだ。

「じゃあ、お水とサイダーと日本酒を一本ずつください。」

「かしこまりました。お買い上げありがとうございます。」

 商品を受け取るとお店の前のベンチに座り、早速サイダーを開けて一口飲んだ。滝までの道のりは運動不足の体に心地いい疲労感を残していた。甘く冷たいサイダーが疲れを癒していく。買い物袋の中の日本酒が気になって、取り出すとまじまじと眺めた。

「美味しいといいけど。」

 そう独り言を言うと、後ろから声が聞こえた。

「ああ、美味しいよ。飲んでみるかい?」

 振り返ると土産物屋の隣の小さな飲み屋の開いた引き戸から暖簾を持ったおじさんが出てきた。

「今から開店だ。飲みたかったら飲んでいくといい。」

「あ、いえ、日帰りの予定で車で来ているので飲みたくても飲めないんですよ。」

 今すぐにでも飲んでみたい気持ちになっていた私は心の底から残念そうにそう言った。するとおじさんの横からひょこっと顔を出しながら、奥さんなのだろうか?女の人が声を掛けてきた。

「この建物の裏手に親戚がやってる旅館があるから泊っていくかい?」

 久しぶりのドライブと観光で気分が良くなっていたし、日本酒は大好きだし、なにより時間ならある。私はそのお誘いを断る理由はなかった。


「お嬢ちゃん、もうそのくらいにしときなって。」

 心配そうにグラスの水を置きながら、カウンター席の隣に座った飲み屋のおじさんの止めに耳も貸さず、私は目の前に置かれたぐい飲みに入った日本酒を飲み干した。

「このお酒、本当に美味しいですね。」

 ぐい飲みをカウンターに置きながら、私はため息のようにそう呟いた。

「美味しくたって、お酒に呑まれちゃったら駄目だよ。」

 隣に座った私と世間話をしながらお酒に付き合ってくれているおじさんの歳は私の父と同じぐらいだろうか?まるで出来の悪い娘に諭すように優しく注意してくれた。



「ゆうさん、起きてください。」

 肩を揺すられたような気がして私は顔を上げた。お酒を飲んでいたはずの私はいつの間にかカウンターにうつ伏せになって眠っていたようだ。

「お水でも飲まれますか?」

 今までに聞いたことがないほどの優しい声色に思わず声の主を探すとカウンターの中に若い女性が立っていた。先程までいた飲み屋のおじさん、おばさんがいない。私以外に数人来ていたお客さんも誰一人店内にいなかった。

「えっと、私…」

「まだ酔ってるみたいですね。とりあえずこのお水を飲んでください。」

 喉の渇きを感じた私は渡されるままにグラスに注がれたお水を飲む。それは回青の滝で少しだけ飲んだあの水のようだった。

「あなたが今一番欲しいものって若返りなんですか?」

 酔っぱらった勢いでお店にいた人達にそんな話をしていた記憶が蘇る。

「はい、それで若返りの水の伝説がある回青の滝に来たんです。」

 流石に言葉にすると気恥ずかしくて思わず下を向いてしまう。

「ええ、先程ゆうさんが真剣に願われていたので聞こえていました。」

 彼女はふわりと優しく笑うとカウンターごしに通い徳利を差し出した。コルクで栓をし、徳利の首には荒縄が巻かれ、毛筆で「酒」を大きく書かれた、昔ながらの酒の販売などに用いられていた大き目の徳利だ。

「これは特別なお酒なんです。」

 その徳利を私に渡しながら彼女は話を続ける。

「あなたの真剣な気持ち、承りました。このお酒はお家に帰ったら飲んでください。そうすればあなたの欲しいものは手に入るでしょう。」

「えっそれって…」

 彼女が何を言っているのか酔った頭ではすぐに理解できず、聞き返そうとした瞬間、目の前がふわりと暗くなり始めた。

「この願いはあなたの純潔と共に守られます。」

 完全な暗闇の中、遠くの方から彼女の小さな声が聞こえた気がした。



 ピピ、ピピ、ピピピ、ピピピ、ピピピピピピピピピ…。次第に音量を上げるアラーム音に布団の中からスマホへ手を伸ばす。

「あれ?お布団?さっきのは夢…?」

 飲み屋で目の前が暗くなったのが最後の記憶のはずなのに、旅館の備え付けの浴衣に着替えて布団の中にいる。

「飲みすぎちゃったかな。」

 酔っぱらって訳の分からない夢でも見ていたのだろうと思った私は布団の中で大きく伸びをする。枕の上へと伸ばした両手に何かが当たるとそれはゴトリと音を立てて転がった。びっくりして起き上がると枕の向こうに徳利が転がっていた。

「これって昨夜の?夢、じゃなかったってこと??」

 昨夜、飲み屋で出会った女性は本当にいて、彼女が旅館まで連れてきてくれたのかもしれないと思った。

「それなら帰る時にお礼を言わないとな。」

 昨夜のことを思い出しながら布団の中でぐずぐずして、ふと時計を見るともうすぐ9時になるところだった。起き上がると、そのまま布団を畳む。私はいつも朝ご飯は食べないので、旅館には素泊まりでお願いしてあり、荷物を片付けたら出発しようと思う。


 旅館の帳場で宿泊代を支払い、急な宿泊への対応に感謝の意を伝えた。その足で昨日寄った飲み屋へと向かったが、営業時間でないため、暖簾は下げられ、引き戸はぴったりと閉まっていた。隣の土産物屋では昨日いた店員さんが忙しそうに開店準備を行っていた。

「すみません。」

 私が声を掛けると掃除の手を止めて、こちらに来てくれた。

「あら?昨日のお客さん。今からお帰りですか?」

 昨日は飲み屋のおじさんとのやり取りを見ていて、隣の飲み屋へ行ったことも裏の旅館に泊まったことも知っている店員さんはそう声を掛けてきた。

「はい、今から帰ろうと思うのですが。あの、一つお聞きしてもいいですか?」

「なんでしょう?」

「隣の飲み屋さんに若い女性って働いていますか?娘さんとか店員さんとかで。」

「いいえ、お隣はご夫婦お二人だけで切り盛りされてるはずですよ。」

「そうなんですか?おかしいな。若い女性がいて、これをいただいたんですよ。」

 私は持っていた徳利を目の高さに上げて、店員さんに見せた。

「なにか特別なお酒だっておっしゃってたので帰る前にもう一度お礼を言いたいなと思いまして。」

「すみません。ちょっと分からないですね。」

 そう言うと頭を下げて、開店準備に戻っていった。


 土産物屋を後にして駐車場に向かうも、狐に包まれたような気持ちになっていた。車に乗り込み、助手席のシートにほかのお土産と共にそっと徳利を寝かせた。昨日来た道へと走りだし、高速道路のインターに向かう車の中でふと昨日の彼女の言葉が蘇ってきた。


 ―あなたの真剣な気持ち、承りました。このお酒はお家に帰ったら飲んでください。そうすればあなたの欲しいものは手に入るでしょう。

 ―この願いはあなたの純潔と共に守られます。


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