第1章 推しのいる日常
「やっぱり格好良い!」
自分のベッドの上で仰向けになると、大きなため息と共に手に持つスマホを胸に抱きしめる。腕を天井に伸ばして、今見たばかりの動画のサムネイルの中に映る私の推しの小さな姿を指でなぞる。しばらく見つめた後にぐるんとうつ伏せになると再び再生ボタンを押した。
ヒット曲に合わせて踊る5人を見ていても、ついつい目が推しの姿を追ってしまう。ソロパートは何度も戻して見返えして、その度にため息が漏れる。お気に入りのシーンで止めてはスクショを撮り、それを自分のSNSにアップした。
「神新作動画、推しぴがてぃてぃ」
推しの事になると語彙力が消滅してしまうのはいつもの事だ。
私は咲坂ゆう、43歳、未婚、彼氏なし、無職、一人暮らし。
自分で望んで、自由気ままな独身貴族ですと言えれば格好も付くがそうではない。人並みに結婚願望もあるし、彼氏だって欲しい。ただ人との出会いは運もあり、今の自分にはそうした出会いがないだけだと思えば、それほど気に病むほどのことでもない。
しかし、だ。無職はまずい。就職を機に親元を離れ、ずっと一人暮らしで頑張って働いてきたはずなのに、その会社が先月倒産してしまい、どうしようもない事とは言え、職を失ってしまった。すぐに失業保険の手続きをし、大学卒業からずっとこの会社で働いてきた私は勤続年数が20年を超え、年齢区分で270日分の会社都合退職者の受給日数が適用された。9か月の猶予ができ、それなりの貯えもあったが、一人暮らしの身には心もとないものだった。とにかく早く次の職を探さないといけない。
43歳の就活は厳しい。そもそも応募条件が39歳以下ということも多い。私はずっとプログラマをしてきたのでそれなりの技術は持ってると思うのだけど、それでも就活のスタートラインにすら立たせてもらえないような気分になっていた。毎日毎日、パソコンで求人情報を探し、応募し、結果を待つ日々が続いてた。
ずっとパソコンで就活しているとついつい気が滅入り、気分転換にSNSを徘徊して、YouTurboユーターボでお気に入りの動画を探してしまう。音楽が好きなのでアーティストの公式チャンネルを見ることが多かった私にYouTurbo公式は閲覧履歴から様々な音楽関係の動画をお勧めしてくる。数珠つなぎに次々と関連動画を見ていた時に私がよく聞くボーカロイド曲での「踊ってみた」動画が目に留まった。ダンスは全くの未経験だけど、昔から踊っているのを見るのが好きだったので、その動画のサムネイルをクリックした。
PowerArmsBoysパワーアームズボーイズ、通称「PAB」はメジャーデビューもしているパワー系のブレイクダンスを得意とするダンス集団だ。名前は知っていたし、テレビに出演しているのを見かけたこともあったが、今までちゃんと動画を見たことがなかった。好きな曲ということもあり、前奏に引き込まれるようにその動画を見始めた。腕組みをして下を向いて立つ5人の立ち姿が格好良い。歌が始まると同時にダンスが始り、5人が一糸乱れぬ動きで揃うと気持ちが良い。そしてソロのダンス。一人ずつが自分の得意技を繰り広げる。音ハメがうまい人、ヌルヌルと滑らかに踊る人、オリジナリティ溢れるムーブを見せる人、エアーをガンガン決める人。その4人が終わり、5人目に踊り始めたのが私の推しとなる宗方湊だった。
宗方湊を知ってファンになるまではあっという間だった。時間があれば過去に投稿された動画を見漁り、彼について調べ、生配信を心待ちにしていた。就活で打ちのめされて疲れた時、彼の存在だけが私の気持ちを救ってくれた。
私よりも6歳年下の彼は37歳。ブレイクダンスの中でもパワームーブという全身を使って、回ったり跳ねたりするアクロバティックな動きを得意とする。一般的にパワームーブの肉体的ピークは30代前半と言われる中、彼は今でもダイナミックな技を披露し、特にヘッドスピンの美しさは飛びぬけていた。
フォローしている彼のSNSからの通知がスマホに届いた。すぐにチェックすると仲のいいPABメンバーと二人で行っている定期ライブのチケット販売の告知だった。毎月行っているこのライブ、地方に住む私は仕事の都合で今まで一度も行けていなかった。しかし今は無職、時間ならある。このチャンスを逃すまいと、すぐにライブチケット購入申し込みを行った。このチケットは抽選販売で当たれば、一週間以内にお知らせが来るはずだ。
「神様、仏様、ムナカタ様!どうかどうかどうか当選させてください!お願いします!!!」
持っていたスマホを両手で挟み、私は強く祈った。