Page32:決意と荒神と
森の中、剣戟が鳴り響く。
目の前には小柄な生き物。
そいつは器用に片手剣を振るってきた。
ゴブリン――。
肌は茶色く、背は前述の通り小さく腰くらいまで。
襤褸のような布の服を着て手に持ったものを振り回す。
1体1体は力もあまりなく危険ではないが群れで行動するため厄介な魔物。
「おおおおぉぉっ!」
思い切り踏み込んで相手の剣に自分の剣を打ち付け、振り抜く。
衝撃に耐えきれなかったのか、ゴブリンは剣を手放してしまう。
首を目掛けて、刺突。嫌な感触が手に伝わる。
剣を引き抜くと勢いよく血が吹き出る。気持ち悪い。
血の臭いに顔を顰めながら辺りを見回す。
10を超えるゴブリンの死体。どうやらコイツで最後のようだ。
剣を一振り。血振りをして鞘にしまう。
「終わったか」
「おっさん……」
後ろから声を掛けてきたのは相変わらず上はシャツ1枚のおっさんだった。
ただし、今はそのシャツに赤い染みが所々に付いているのだが。
その赤い何かをあまり見ないようにおっさんの顔を見る。
「戦闘音がなくなったから嬢ちゃん達の方も終わってるだろ。森を出るぞ」
「……おう」
力のない返事をしているのが分かる。
いや、分かってる。
こんな感情は無駄だという事も、これが危険に繋がるという事も。
だけど……。
赤い池の様になっている地面を見る。
相手は人ではない。人型の魔物だ。
魔物、というのは往々にして人に害を成す者たちのことを言うらしい。
増えてくれば討伐の対象にもなるし、おっさんのように皮や骨などのために狩る人もいる。
とはいえ、命を奪ったことには変わりない。
「蒼香は、大丈夫かな」
「……芯はしっかりしてるからな。人のこと心配してねえでまずはその酷い顔をなんとかすることを考えろ」
「……おう」
おっさんが酷い顔と言うのなら、多分、俺が想像しているよりも大変なことになっているんだろう。
蒼香にそんな顔を見せたらきっといらぬ心配を掛けるだろう。自分のことを棚に上げて。
一度だけ振り返って胸の前で小さく十字を切る。
こっちの祈り方なんぞ知らないし、形なんてなんだっていい。ただ、自己満足のために。
もう振り返らない。
「あー……うー……」
蒼香の唸る声が俺とおっさんに宛がわれた宿の一室に響く。
おっさんは鉱山を見てくると言って外出中。イリスは……、よく分からない。
というか人のベッドに勝手に寝っ転がるなよ。あとスパッツ見えてる。
……別にいいのか、スパッツだから。
というか蒼華が気にしてないなら別にいいんじゃないか?
流石に下着が見えたら不味いとは思うが。
「むー……」
多分だけど、蒼華が唸っているのは命のやり取りをしたことに対してじゃない。
いや、少しはあるのだろうが。
それが主な原因なら唸りもせずに枕に突っ伏してると思う。
んー……。
「さっぱり分からん」
「それだけっ!?」
蒼華が跳び起きる。
時折ゴロゴロと転がっていた所為か、髪が大変なことになっている。
「もっとこう、心配するとか、優しく声を掛けるとか! あるじゃん!」
「いや、大丈夫そうかなと」
これだけ吠えてりゃ十分だな。きっとやせ我慢なのだろうけど。
蒼香から見えないところで拳を握り締める。
肉を貫く感触。真っ赤な血飛沫。その臭い。断末魔。
眼の奥に焦げるような痛み。恐らく幻痛。
こりゃ蒼香よりも参ってるかも知れない。
牛鬼の時はいっぱいいっぱいだったから、考えなくても済んだんだが。
「ふぅー……」
いかんいかん。
このままだと頭も体も腐る。
一回外でも回って気分転換してくるか。
「蒼香ー、外行くけどどうする?」
「行くー」
枕をモフモフとこねくり回して遊んでいた蒼香が反応する。
大体青が多めの服を着ているから、オレンジ色のパーカー姿は少し新鮮である。
一応剣も持っていくか。なにかあった時に困るし。
若草色のコートをハンガーから取る。
大丈夫、血の臭いなんてしない。ちゃんと洗ったし。
「ほら行こうさあ行こう早く行こう」
「押さんでも行くっつの」
なぜかとても元気になってる蒼香に押されて宿を出る。
まだ空は青いがもう1時間もすれば夕焼け色に染まるだろう。
「どこ行くの?」
「……まあ、適当に」
新しく来た街ということで結構なんでも面白く見える。
酒場、宿屋が多いのはここが山を越えるための街だから、ということなんだろう。
あとは製鉄所や武具屋、武器工房などがちらほらと。
山に上がった方はまだ見ていないが、恐らく鉱夫たちのための宿舎などが多いんじゃなかろうか。
「武器専門店だって。覗いてみる?」
「あー、おっさんから貰った剣も少し刃毀れしてるんだよな」
良く見ると細かい傷がびっしり入ってたり。
この街ならおっさんに研ぎ直してもらえるかね。
「こんにちわー」
「……うちは果物ナイフは置いてないぜ」
「いや、剣を見たいんだけどいいかな?」
明るすぎず暗すぎず、壁が見えない程に武器がずらりと立て掛けてある。
こんな風に武器しかない店はこっちでも始めてだから面白い。
剣はもちろん、槍にハンマー、斧に棍、弓矢に杖などもある。
一部、誰が使えるのかと思うくらいに大きい剣やハンマーが置いてあったが小人がいるのだから逆があってもおかしくないな。
「蒼香はナイフはいいのか?」
「そんなに使ってないからねえ」
蒼香の戦闘適正距離が近~中距離とはいっても多彩な魔術と魔力強化の石があるからそうそう使わないということらしい。
というかそもそも魔術特性が武具だからというのもあるんだろうな。
魔術でナイフくらいなら作れるし。
だから蒼香にとって本物のナイフを使うのは本当に最後の手段なのかもしれない。
「あ、これなんていいんじゃないかな?」
「また特殊なもん持ってきやがって……」
蒼華が手に持っているのは戦輪である。
真中に大きく穴をあけた金属の円盤の外側に刃を付けた投擲武器。
ブーメランのように戻ってくることはない、と思う。
「消費物だからかさ張るぞ」
「えー、じゃあこれ」
ジャラリと音を鳴らして持ってきたのはこれまたマニアックな武器。
分銅付きの鎌。
「鎖鎌は……、うん。相当練習しないと扱えないイメージ」
「あー、やっぱり?」
そう言っていそいそと元の場所に戻す蒼香。
面白半分でなんでも持ってきたりするからこいつとの買い物は時間がかかる。
「せめて剣の範囲内にしてくれ」
「えー、じゃあこれ」
波打つ刀身が特徴的なフランベルジェ。
持ってみるがあまり馴染まない。
おっさんに貰った剣をずっと持ってたとはいえ、握った感覚が違いすぎる。
柄は交換できるんだろうけど、重さとかのバランスが何とも言えないくらいに自分に合わない。
一言で言うとすれば、
「持ってるだけで気持ち悪い」
「えー、なにそれ怖い」
これはダメ、と蒼香が元の場所に戻す。
やっぱりおっさんに頼んだ方がいいか。
手間は掛かるかも知れないが、金はそんなに掛からないだろうし。
「こういう刃毀れとかも魔術でパッパッパーと直せないのかねえ?」
「出来るよ? 打ち直すのとどっちが良いかは別として」
出来るのか。いやまあおっさんなんか魔術で武器作ってるんだから当たり前のように出来るか。
「でもバルドスさんはユーキの剣はちゃんと鍛え直したいんじゃないかな?」
「おっさんも大概に職人気質だからな……」
「さっき街に出る時も生き生きとしてたもんね」
良い笑顔を浮かべていたおっさんの顔を思いだす。
これ以上ないってくらいに良い顔してたもんなー……。
さて、冷やかしでもいいんだが店長のこっちを見る目が少し怖いことになっているのでもう2つ3つ触ってみて、駄目なら出るか。
無難にショートソードやロングソード、ブロードソードを手に持ってみる。
うーん、いまいち……。
ちょっと振ってみたいが、場所はないんだろうか。
いや、でも振ってもあんまり良い方向に変わるとは思えない……。
「まあ縁が無かったってことでいいんじゃない?」
「だな。あんまりいても悪いし」
自分の身を守るものだからこれだけは妥協できない。
合わないと思ったなら絶対に持つな、とはおっさんの言葉だ。
「おっ、と。すまん……ってなんだ、お前らか」
店主の視線から逃げるようにドアを開け外に出ると店のすぐ傍に見知った顔がいた。
「荒神さん」
「どうした、お嬢ちゃん。デートのお誘いか? 5年は早ぇぞ?」
「いえ、さっぱりその気はないので。イリスさんは?」
「あいつならアニマと一緒に買い物だ。時間掛かると思うぜ」
アニマと買い物……?
駄目だ、全く想像できない。
あのどよんと沈んだ人とキャッキャウフフとか考えただけで寒気がするわ。
「荒神さんは何を?」
「俺はそっちの坊主に用があってな。借りて行っていいか? まあお嬢ちゃんも付いて来てもいいが」
「俺に……?」
さて、なんの用があるんだろうか。
首を捻って考えてみるも思い当たることなどひとつもない。
「魔術の使い方を軽く教えてやる。じゃねえとお前死にそうだし」
「ああ、そう」
何かと思えば、魔術の話か。
面貸せよ、とかじゃなくて本当に良かった。
いや、そんなことはないと分かってはいるけれども。
「どこに行くんだ?」
「街はずれの広場だよ。付いて来い」
そう言って、軽い音と共に荒神の体が宙へと浮き上がった。
宙に浮いた荒神の足元には緑色の魔力の球体があり、それを爆発させて推進力を作っているようだった。
緑の魔力は風の属性だったな。
空を飛ぶことも出来るようになるのか、と感心していると蒼香に引っ張られた。
「いいの? 見失っちゃうよ?」
「あ。ちょ、行くぞ、蒼香!」
屋根の上を結構な速度で飛ぶ荒神の姿は飛び上がったときにようやく見える程度に離されていた。
幸い方向だけは分かっているのでどうにでもなるが、遅く行って何か文句を言われるよりかはさっさと行った方がいいだろう。
こちらに来て身体能力が上がっていると言っても家を飛び越えるだけの脚力は無いので、ひたすら家屋の隙間を縫うように走る。
狭い路地。前方から人。
止まってなんていられない。
膝を曲げ、体を沈ませる。
「面倒だ。蒼香、跳べ!」
「ん、分かった」
膝を、体をバネのように、力を一気に解放し空へと跳ねる。
「ほいっと」
頭上から声が降ってきた。
成人男性を軽く飛び越えているであろう俺の頭の上に蒼香の頭が逆さになってそこにあった。
結構無茶な要求をしたと思っていたんだが、
「手、貸して」
「ん」
言われるままに手を差し出す。
蒼香は俺の手を取って緑光を全身に纏い、そこに地面があるかのように空を踏みしめ少しだけ高度を上げた。
さっきの荒神と同じことをしているのだろう。
ただ、俺という荷物があるのと、蒼香の魔術錬度が荒神ほどではないから子供が飛び跳ねる程度しか上がらなかった。
「むー、真似てみたけどこれだけかぁ」
「そんなもんだろ」
むしろ一発で何でも出来ると思ったら大間違いだ。
「風靴よ、降ろして」
重力に少しだけ逆らって着地。同時に疾走。
大通りを行き交う人達にぶつからないよう蛇のように合間を縫って走り抜ける。
路地に入る直前、後ろから小さく音が聞こえた。不意に掛かる影。
見上げると靴を緑色に輝かせた蒼香が先程とは比べ物にならないくらいに空へと飛び上がっていた。
……どういうことだよ。
「せぇー、っの!」
ダンッ、と蒼香のそれとは正反対のけたたましい音。
蒼香のように跳ぶことは出来ない。
だが、この路地でなら――両脇に壁があるこの場所でなら俺だって屋根に上ることは出来る。
即ち、三角跳び。
「ふっ!」
こんなこと子供のころに遊びでやってたくらいだが、ここでならゲームみたいな動き出来るな。
誤算は思ったよりも辛かったってことか。
一息吐いて、こちらを気にしながら屋根を跳ぶ蒼香に行っていい、と手を振るう。
あんにゃろ、本気でチートくせえな。
一度しか見てない魔術を模倣? 複製?
なんにせよ習得の早さが異常な気しかしない。
実はそういう魔術師なんじゃねえの?
まあ蒼香の能力なんぞ俺にはあまり関係ないと考えながら、ようやく目的地に着いた。
荒神は壁に寄りかかり、蒼香はストレッチをしている。
こちらに気付いたのか、荒神は軽い足取りで近づいてきた。
「よう、遅かったじゃねえか」
「アンタが速いだけだろうに……」
しかもアンタはほとんど空飛んでた様なもんだし。
こっちは走ってたんだぞ、チクショウ。
「お前これで速いっつったら本職の風の魔術師に笑われるぞ?」
「本職ねえ……。見たことないからどれだけ速いのか想像もつかんわな」
そもそも周りが多芸すぎて属性が1つしかない魔術師なんていたかも分からん。
俺でさえ2属性持ちだしな。
こうなると逆に1属性持ちの方が珍しいんじゃないだろうか。
「さて、お前の相手はこいつだ」
「……何だコレ」
荒神が差し出した掌に、赤く透き通ったクリオネのような生き物が乗っていた。
「人工精霊、かな? 私も初めて見たけど……、綺麗……」
宙に浮くそれは、蒼香の言うとおり宝石の様な輝きを放っていて幻想的であった。
「ルールは簡単だ。こいつに1発叩き込めばいい。……んだがまあ、なんだ。死ぬ気で逃げろ」
「は?」
景色が歪む。違う。
熱気による陽炎でそう見えるだけだ。
急激に上がっている周囲の温度。
人工精霊の周囲に浮かび上がる赤い陣、陣、陣。
出現した全ての魔法陣が壊れた機械のような不快な音を立てながら輝きだした。
おいおいおいおい、ちょっとシャレになってねえぞ?
閃光が、弾けた。