Page29:目的地と白と
空が茜色に染まる頃。
俺とおっさんはギルドの休憩室の一角で顔を突き合わせていた。
ううむ、まだ顔がザリザリされてるような感覚が。
「つか、結局どこに行きたいんだ?」
体に比べて小さなカップを持ったおっさんが聞いてくる。
ありゃ、そういえばおっさんには詳しいことは言ってなかったか。
まあ、最終的な目的地とすれば……
「前に聞いた祭壇。現状として手掛かりも何も無いけどな」
「どこにあるのかも分からない場所が目的地、ねえ」
そうなんだよなぁ……。
あの野郎、それ以外何も言わずに去って行きやがったからこっちとしては手探りで進まなければいけない訳で。
「何の話ー?」
ギルドの女性に礼の品とやらを貰いに行っていた蒼香が帰ってきた。
蒼香の手には……一冊の本?
「次はどこへ行くかって話だ。つっても決まってるようなもんだがな」
「ん? どういうことだよ」
蒼香は手に持つ本を膝の上に抱えて椅子に座り、おっさんに続きを促した。
バサリ、とテーブルに地図が広げられる。
「この街がここな。んで、歩いて10日前後か。北に行くとするとどうしてもここ」
トン、と一点に指を置いた。
「この山に当たる」
大陸を上下を分ける様に存在する線がある。
さて、山ねえ。それを超える手段っていうと――。
……山登り?
「いや、そんな顔すんなよ。別に山登りなんざしねえっつの」
「え? じゃあどうやって山を……?」
おっさんが言うそんな顔とはどんな顔か、知りたくもないのでそこはスルー。
そして俺の代わりに蒼香が尋ねてくれた。
山を登らずに越える方法?
「トンネルとか?」
「いや、あそこの山は鉱物も取れるから坑道はあるが抜けるようなもんはねえ。ま、鉱山で栄えた街があるがな」
「んー?」
蒼香と2人で首を捻っているとおっさんに大きな声で笑われた。
そして目の前に突き刺さる翠色の矢。
「もう少しお静かに」
「……おう、すまん」
こんなに小さく見えるおっさんも初めてだな。
叱られた子供のようである。
まあ俺も平気な顔してるけど背中は冷や汗で酷いことになってるけどな!
音も立てずに消えていく矢。
残るのは穿たれたテーブルと地図だけである。
「おっかねえなあ」
「もっとこう、物静かな女性だと思ってたんだけどな」
「いやいや、街中であんなもの展開する人がそんなだったら私は偽者かと疑うよ」
ヒソヒソと3人で顔を近づけて物凄く失礼なことを話し合う。
「……一応言っておきますが、聞こえてますからね」
「「「ごめんなさい」」」
即座に3人そろって謝りました。
山越えの方法は現地で見て驚け、と言われてやることも無くなってしまった。
蒼香は貰った本を読んでいるし、おっさんは傷ついた体を解すために柔軟をやっている。
自分も軽く魔術の練習をするが、どうにも上手く歯車が回らない。
仕方がないので蒼香が読んでいる本の詳細でも聞こうとした、そんな時である。
「……何か鳴ってる?」
それに一番に気付いたのは蒼香だった。
微かに響く音。恐らく振動音だ。
俺たちの荷物の中から聞こえている。
「……なんで携帯が」
適当に自分の荷物を漁ると、使われていなかった自分の携帯が振動していた。
恐る恐る開く。
電波は圏外のまま。しかし確かにメールを受信していた。
「何それ?」
蒼香が聞いてくるが、こっちはそれどころじゃない。
充電が残ってるとはいえ、動く筈のないものが動いているのだ。
どこぞのメリーさんからでも電話が来たのかと思ったっつの。
いや、まあメールが届いただけでも十分怖いんだが。
呪いのメールではないことを祈りながら確認してみる。
そこには差出人も件名も無くただ簡素に文が書かれているだけだった。
『"セレスパルナッソス"。その酒場"ひと時の楽園亭"。一番奥のテーブル
アカツキのツルギ』
意味が分からん。
"アカツキのツルギ"が何かは分からないがキーワードか何かとして覚えておけばいいだろう。
このメールの送り主は、まあ、あいつくらいしか思いつかない。俺たちに何をさせたいんだかな。
心の中で悪態を吐くが、そんなことをしても何が変わる訳でもない。
「無視しないで」
頭を鷲掴みにされ無理矢理首の向きを変えられる。
とりあえず叩いて掴むのを止めさせる。
「で、何なんだ?」
「ん、まあ簡単に言うと遠くの相手とも連絡が取れる機械。ここじゃ使えない筈なんだけどな」
柔軟を止めて興味深く聞いてくるおっさんの問いに答えながら、携帯を蒼香に手渡してやると物珍しそうに見ている。
携帯は無いんだよな、こっち。どうやって送ってきたんだか。
「ねえ、バルドスさん。この"セレスパルナッソス"って次の街だよね?」
「おう! 別名、鉱石と風の街だぜ!」
蒼香の問いと、おっさんの答え。
蒼香が何を気にしているのかは分からないが、おっさんが言った街の別名にちょっと興味が引かれた。
山が近いから風の街なのかねえ。
それとも何か魔術に関係していることだろうか。
「何か、薄気味悪いね。まるで全部見られてるみたいで」
「まあちょっとタイミングが良すぎる気もするが、山を越えるならここが一番安全だしなあ」
一応別のルートもあるのか。
流石に山登りなんてしたくないし、何より安全な道を行きたい。
いや、その街で白でもその使いでもが待っているのであれば是非とも別のルートを行きたいが。
「ま、考えても分からんよ。気楽に行こうぜ」
考えることを放棄する。
もしもを考え出したらきりがない。
楽観的すぎるかも知れないけど、俺はこれくらいで十分だね。
難しいことは分からんよ。
「そのとーーりっ!」
「は?」
壊れるのではないかと思うくらい大きな音を立てて誰かが入ってきた。
その姿を見て、すぐさま脇に立て掛けておいた剣を取る。
「あんたは、どっちだ?」
「おい、ユーキ?」
病的なまでに白い肌、膝まである髪、飾り気も何もない白いドレス。
上から下まで真っ白なその姿。
夢に出てきたあの姿と同じ。アレと違うのは大鎌を持っていないところか。
「ん、あぁ。仕方ないか。姉さんにやられたものねえ」
「あんたがアレじゃないって証拠は」
いや、証拠もなにもない。
そもそもアレだったらこんな悠長に会話が出来る筈がない。
困ったように首を傾げる白い女を見てそうは思うが、体が完璧に固まってしまっている。
「んーと……、あんなに愚痴を言い合った仲なのに、私のことは遊びだったのね!」
「愚痴を言ってたのはあんただけだし、誤解を招くような言い方をするんじゃねえ!?」
両手を合わせて良い笑顔になったと思えばこんな発言をしてくれた。
確かにこの人は先に出てきたほうの人だわ。
先程まで緊張していた自分が馬鹿らしく思えて、一気に脱力して椅子に座り込んだ。
「で、結局なんなの?」
「……俺にも分からん」
それにしても蒼香よ。誰なの、じゃなくてなんなの、とは酷いな。
いや一連の流れを指しているんだったらなんなのでいいけど、明らかにあの白い女性を見ながら言ったし。
「じゃあ自己紹介しよっかな」
大笑いの余韻を残す表情で女が口を開く。
黙っていれば綺麗なんだよな。黙っていればの話だけど。
「うーん、そうね。イリスって呼んで。魔術は光で広範囲殲滅型。スリーサイズは上から――」
「アレらとの関係は?」
関係ないことを言い出したので無理矢理ぶった切る。
少しの沈黙。
「……戦友、が一番近いかな」
イリスの眼はどこか遠くを見ているようだった。
想いを馳せているのか、こちらのことを忘れてしまったかのように視線は中空を彷徨っている。
蒼香はあまり面白くなさそうな顔をしている。
おっさんは、別段意見は無いんだろう。
「で、そのイリスさんは何のためにここに来たの?」
棘を含んだ蒼香の言葉。
機嫌悪くするなよ。後々面倒なんだし。
蒼香のジトッとした視線を受けながらも別段気にしていないようある。
「まあ、あなたたちのお手伝いよ」
「手伝い?」
「そう。姉さんとか、アキラとか大変だったでしょ? 私がいれば少しは収まると思うし」
確かに大変だった。でもなんでそれはアンタがいれば収まる?
くそっ、分からないことが多すぎる。
情報を整理していると、突然テーブルが派手な音を立てて跳ね上がる。
「お父さんはなんでユーキを狙ったの!?」
「……今はまだ教えることが出来ないわ」
蒼香が拳を叩きつけたらしい。
噛み付くように身を乗り出した蒼香の体から赤い魔力も漏れ出しているし、少し落ち着かせないとマズイか。
「何を言って――!」
「じゃああいつらの目的は?」
蒼香を遮って質問する。
あと、少し声を抑えないとまた射たれるぜ?
肩をすくめながら蒼香に視線を送ってみる。
まだ何か言いたそうな顔をしているが椅子には座ってくれた。
「ごめんなさい。それも駄目なの」
ふむ。
今、俺たちが知ったらいけないってのはなんでだ?
自分の口からでは言えないなら分かる。だけどイリスは今はまだ、と言った。
知られたら困ること?
「まだ物語は始まったばかり……」
「?」
イリスが小さく呟いた。
物語?
序盤だから話せないこと?
……その物語の核心へと至ること、もしくは核心そのもの、かな。
なんか、こう、最後の扉を開く鍵を持ってるけどその扉がどこにあるのか分からないような感じだな。
面倒なことになってきたな、と椅子の背もたれに体を預けて天井を見上げる。
「じゃ、そういうことだから私も一緒に行くからね」
「却下。得体の知れない人を近くに置いておきたくはない」
ああもう。また蒼香が噛み付いて。
まあ確かにこれ以上ないってくらいに怪しい人だけどさ。
でもどう考えても鍵を握る人なんだよな。
おっさんを見ても肩を竦めるばかりで何も言わない。
「得体の知れないって……。ただの魔術師よ」
ただの、ねえ。
ぼんやりと天井を見ながら会話を聞く。
「私が今言えるのは、あなた達に死んでもらっては困る。それだけ」
死んでしまうと物語が進まないから。
そしてこの物語が進まないと、もしくは終わらないとイリス自身が困るということ。
「あなたに言われないでも死ぬつもりは全くないよ」
「一番危険な職業に就いてるのに、絶対に死なないと言えるの?」
……駄目だな。情報が少なすぎる。
目的も何も分からないからこれ以上の推測は無駄かな。
とりあえず今やるべきことはこれの収拾をつけることか。
「なあ、おっさんは? 賛成? 反対?」
蒼香とイリスにも聞こえるように話しかける。
話しかけられた当人は露骨に嫌な顔をしたけれども。
「俺ぁ元々お前たちにくっついて来たようなもんだからな。正直に言えばどちらでもいい、だ。会話の内容が8割方分からねえし」
「そっか。蒼香」
「……何?」
物凄く不機嫌な顔と声音で返された。
「アキラさんのことについて、俺らは何も知らないようなもんなんだ。多少不審な点があろうが来てもらったほうがいいんじゃないのか?」
「それは、そうだけど……」
「まあ、あれだ。俺は別に問題ないと思ってる」
そもそもこの人じゃなくても俺たちについてくるメリットが無いし。
ついてきても何も得るものが無いのであれば、そういうところには近寄ってこないだろ。
「……1つだけ誓って」
「なぁに?」
「裏切らないでね」
ゾッとするような声音で蒼香が囁いた。
おっさんも雰囲気に呑まれたのか少し腰が引けている。
「創世の神の1柱"フォルモント"の名に誓うわ。どんなことがあっても、私は、あなたたちを裏切らない」
真剣に、蒼香を真っ直ぐ見つめてイリスは誓いを立てた。
蒼香とイリスは視線を逸らさず、ただ互いを見ている。
「……了解。一緒に行こう」
沈黙を破ったのは蒼香だった。
正直、ホッとした。ここで折れてくれなかったら今後の方針をノーヒントで決めなきゃいけなくなる。
「しかしまあ、あのイリスって嬢ちゃんもすげえ名前出すな」
「うん?」
「"フォルモント"っつったら満月を象徴とする誠実さを表す女神だ。それだけ本気なんだろうよ」
へぇ。誠実さねえ。
どっちかってーと俺は創世の神の方が気になったんだが、まあ後で聞こうじゃないか。
「じゃあ、これからよろしく!」
花のような笑顔、と言えばいいんだろうか。
自分の語彙の少なさにうんざりするが、まあよしとしよう。
「ああ、そういや。これ、何のことか分かるかね?」
イリスに携帯を渡す。
「アカツキのツルギねぇ。懐かしい合言葉……」
「合言葉なのか?」
おっさんが会話に参加してくる。よほど暇だったんだろう。
まあおっさんは蒼香の親父さんにも会ってないから話が分からないってのも当たり前なんだけど。
「そう、私たちの旅団だった"ピースメーカー"でアキラが使う合言葉」
平和を作る者たち、ねえ。
それに私たちの旅団だった、ね。
「……"ピースメーカー"? 待て待て待て。あれか? お前らが言うアキラってのは鈴谷暁のことか?」
「ん、そうだよ。蒼香の親父さん。つか知ってるんだな」
「馬鹿野郎! 冒険者や傭兵でその名前を知らねえ奴がいたらモグリか世間知らずだ!」
凄い剣幕で怒られた。
そんなに有名な人物だったのか、あの男。
で、それに狙われる俺って何さ?
「そうか。あの人は今行方不明って話だったが、ちゃんと生きてるんだな」
おっさんの言葉には多分、憧れとか尊敬とか、そういったものが含まれているんだろう。
命を狙われた俺としては全くもって複雑な気分ではあるが。
「ま、感傷はそれくらいにして準備とかしましょう。歩くとしたら結構かかるし」
「……そうだな。ちょっと商人ギルドの方に行って手続きとかしてくるわ」
そう言っておっさんは出て行った。
準備に一番時間がかかるのはおっさんだからな。
「ユーキ、イリスさん、私たちも」
「ん? おう」
「はいはーい」
蒼香に連れられてギルドを出る。
もう外は暗くなってきていて店もしまっているだろうから、明日陽が上がったらすぐに出発という訳にはいかないだろう。
今から出来ることと言ったらせいぜい身の回りの物を整理することくらいだろう。
蒼香もそのつもりのようで宿へと足を向けている。
「勇輝、蒼香ちゃん」
「うん?」
「何?」
イリスの声に振り返る。
言い出しにくいのか少し沈黙が続く。
「ありがとう」
真っ直ぐな言葉。
言った本人は照れくさいなどと言ってこっちをまともに見ようともしないが。
ふむ。その言葉が何に対してなのか、はっきりしていないけど素直に受け取っておこうじゃないか。
蒼香は頷いているだけである。
一緒に行くこと云々についてだったら打算的なことが大きいから少し罪悪感湧くけど、必要としている、ということでなら同じだし。
「じゃあ勇輝と同衾しようかなっ」
「その白い服を真っ赤に染めますよ?」
ドーキンが何を指すのかは知らないが蒼香がこんなこと言うんだからまたアホなことを言い出したんだろう。
蒼香とイリスが言い争いをしながら先を進む。
なんだかんだ言って仲良いんじゃないか?
そんなことを思う夜の一幕。
※同衾 同じ夜具で一緒に寝ること。主に男女が一緒に寝ることをいう。