「思うのはあなた一人」
比呂と歩生は田んぼのあぜ道を歩いていた。
ここは小学校に行くために6年間二人で通った道。
通いなれた道だが歩生が疲れて歩くのが遅れるので
比呂が花や虫などを見つけては休憩をして、またゆっくり歩き出す。
季節は秋、まだ暖かい陽射しと心地よい風を感じて二人は歩く。
歩く度にヒラヒラとスカートが揺れる。
「ねぇ、比呂。今年も咲いてるかな」
「毎年咲いてたんだ、今年も咲いてるに決まってるよ」
「咲いてると、いいなぁ」
歩生は比呂とつないだ手を大きく振った。
そんなにキツイ道でもない。
6年間通った道だから身体が覚えているはずだ。
でも、今の歩生には思うように身体がついていかなかった。
気づいたのは夏。
ふいにぶつけた足があまりにも痛くて病院にいったら
専門病院を紹介された。言われるがままに検査を受け、診断されたものは非情な結果だった。
親に付き添われて入った診察室で余命宣告をされた。
病名は骨肉腫と言われ、すでに幾つも転移していて若さ故に進行が早すぎたのだと。
さらに肺に「癌性リンパ管症」も発症したらしい。
詳しくは分からないけど、ここからは自分で歩いて動く事もできなくなるだろうと言われた。
そして息をする事も辛くなり、これからは痛みを緩和して眠るように旅立つだろうと。
あぁ、もう死んじゃうのかと思った時、無性にあぜ道に咲く花を見たくなった。
小学校、比呂と一緒に通った道、
あの時が一番楽しかった、と思いだして。
中学、高校と進むにつれて、周りから一緒にいるのはおかしいと言われる。
小学校は生徒がいなかったから、いつも一緒にいて当たり前だったのに。
それがおかしいと知って二人の距離は徐々に離れていった。
でも悲しかった、もっと一緒にいておけばよかったと思う。
だから、せめて今は一緒にいたいと思って比呂にお願いした。
「小学校の時によくみた花をみたい」と。
比呂には言っていない。自分が来年はもういないことを。
「……歩生?どうした?」
比呂が歩生が上の空になっているのを気にした様子で顔を覗き込んできた。
「あ、ううん。大丈夫。最近、体動かしてなくて鈍ったなぁって」
歩生は比呂にバレナイように笑いながらごまかす。
──まだ見た目でバレてしまう程 痩せこけていないはず。
──疲れやすくなっているだけ…
「しんどかったら また今度にするか?」
いつもと違う歩生に気づいたのか比呂が気を遣ってくる。
「あともうちょっとだし!今日見に行きたい!」
──今日を逃したら もう見ることはできないから。
「じゃ、日が暮れる前に行かないとな?」
比呂が笑いながら歩生の頭をポンッポンッと軽くたたいた。まるで昔のままのような距離に元気が出る。
「うん。あと少し 頑張る!」
歩生は比呂と並んでゆっくりと歩き出す、一歩一歩踏みしめて。
「ハウスが見えたから、あと少しだな」
比呂の声に歩生は顔をあげた。視界の先に見えるあのハウスを超えた先に目的地があるのだ。
歩生は自分の身体に鞭をうってなんとか足を進ませる。
ハウスを曲がった先にある田んぼのあぜ道には、見たかった赤い花。
そのあぜ道には「彼岸花」が咲きほこっている。
まっすぐつながっている道の先にもずっと続いている。
ずっと眺めていると「あっ!」と比呂が驚いた声を上げたのが聞こえた。
「歩生、後ろみて。すごいからっ」
興奮した比呂に手を引かれて振り向くと、前までは近所のおばあちゃんがお花を植えたりしていた場所。
そこに凛とした姿で、一斉に咲き乱れる彼岸花は壮観だった。
「………綺麗…」
その景色をみて歩生は言葉につまった。
涙が滲みそうになるのをグッと堪える。
自分は もうこの景色を見る事ができないのだ。
ずっと一緒に過ごして芽生えた比呂への想いもここでお別れにしなくては。
──ここから先、痩せて醜くなって死んでいくのを見せたくない。
──せめて綺麗な思い出として記憶に残りたい。
最後に選んだのは今日、
まだ自分で動けるうちに比呂と彼岸花を見る事だった。
明日病院に行けば、もう出ることは許されない身。
そして次、出る時には私はもう動かなくなっている。
今日が私の動ける最後の日を、少しでも目に焼き付けていなくては。
無言で彼岸花を見つめる歩生の背中を支えながら比呂は
「なぁ、歩生は彼岸花の花言葉知ってる?」と聞いてきた。
「え?情熱とか?」ふいに聞かれて比呂の顔を見上げながら答える歩生。
「それもそう。でも『思うのはあなた一人』って花言葉もあるんだ。」歩生に目を落として比呂が笑った。
「彼岸花ってもっと激しいイメージなのに意外だね」歩生もつられてフフっと笑う。
何も言わずそっと支えてくれている優しさが身に染みる。
「俺達、ここを通ってた時は一番一緒にいたのにな…」
比呂は目線を上げて辺りを見渡しながら昔を思い出したのか目を細めていた。
「そうだね。中学からだんだん離れちゃったもんね」
「なんで離れる道を選んだんだろうな…、ずっと後悔してた」
「………私も…後悔してた」
歩生は比呂の言葉に歩生は言葉につまりながら、想いを心の中に押しとどめた。
比呂は、歩生にそのまま話し続ける。
「もっと一緒にいておけばよかった。周りが何と言おうと俺達の仲には関係なかったのに。
歩生は俺といて冷やかされて嫌だったよね、ごめん。
やめさせようと思って、離れたら隣に戻れなくなって……今更だけど」
こんな誤解をとくための会話すらもできていなかったのだ。
思春期に生まれた厄介な感情と、今までの築いてきた関係が壊れた2人はあれからずっと離れていた。
「そんなことないよ。そう言ってもらえて嬉しい」
旅立つ時に持っていく思い出が増えた、と歩生は心の中で喜んで笑った。
「学校離れてるけど また会えるかな。今からでもやり直したい…」
比呂の顔は歩生の頭にうずめ、歩生の背中を支えていた手は、いつの間にか歩生を後ろからそっと抱きかかえていた。
「………私も………やりなおしたい…」
歩生も比呂の腕にそっと手をそえた。
もしもやり直せるなら、別れる日が同じだとしてもずっと一緒に過ごしてきたかった。
でももう残された時間は少ない…。
私は桜を見られるかどうか…。
歩生が手をそえてから比呂の腕に力がこもる。
「だから……、歩生 一人でいこうとするなよ…。最期まで一緒にいるから」
「………なんで知って…るの?」
比呂の発言に驚きを隠せなかった。
どこまで知っているのか、どこまで喋っていいのか歩生は戸惑ってしまう。
「この間ばあちゃんのお見舞いに行った時、病院でおばさんといる歩生をみた。ばあちゃんも癌だから…まさかとは思ったけど」
歩生は比呂のお婆ちゃんが入院している事と、通院していた所を見られていた事にショックを受けた。
一人ひっそりと彼岸花のように咲いて、散っていくつもりで綺麗に咲いている今見たかったのだ。
比呂の中では綺麗なままの自分で残っていたいから。
「それから俺に連絡してきたじゃん。そこまでここに来たいの?って思っておばさんに聞いたよ。
……最後だからお願い聞いてほしいって。来年は見られないからって泣いてた。」
「お母さんもおしゃべりだなぁ…」歩生はつくり笑いしかできなかった。
た
──ばれちゃった、私がもう朽ちていくだけの身体だってことを。
「俺、おばさんに頼まれたから来たんじゃないよ。
あんな離れ方したのに一緒に行きたいって言ってもらえて、俺 そばにいてもいいのかって思った。
これで最後っていうなよ。歩生が一人でいきたくても俺イヤだから。
歩生が生きてる間に俺まだ一緒にいたい。出かけられなくてもいい。
もう離れているのは嫌なんだよっ なんで歩生がこんな………っ」
最後の方はもう言葉にならなくて、比呂は歩生を強く抱きしめながら泣いた。
歩生もこんな自分でもそばにいてほしいと願われて、ただただ嬉しくて涙が止まらなくなる。
もうきっとこんなことは最後だ、と思いながら今 私生きてるって思った。
彼岸花が風にふかれてサワサワと音をたてる中、二人は今までの中で一番近くにいた。
二人は散々泣いた後、日が暮れかけてしまったので比呂は歩生を抱きかかえて2人で歩いてきた道を帰る事にした。
視界が悪くなった中、歩く体力すらなくなっていた歩生を歩かせる訳にもいかず、日が落ちて冷えてきたことで風邪をひかせたくなかったから。
歩生がスカートだった事もあってお姫様だっこの状態だった。
歩生は最後まで嫌がったし、「重たいでしょ。だからおろして!」と粘ったが、そんな事なかった。
軽くて、消えてしまいそうな細さに比呂は「俺、鍛えてるから大丈夫だよ」としか言えなかった。
こんな事で歩生の未来を実感するのは酷だった…。
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それから時が経つのは早かった。
毎日のように比呂は歩生に会いにお見舞いに行き、歩生もまたそれを受け入れる。
最初は笑って会話もできたし、みたい映画があれば借りたりして一緒に見た。
出かけたいとぐずる時は、彼岸花を見るために出かけた時に撮った写真をアルバムにいれて渡してはなだめた。
冬の寒さが厳しくなるにつれ、歩生は立ち上がれなくなり、起き上がれなくなり、2月には呼吸器をつけている姿で会話も厳しくなって…。
痛みを和らげるためにモルヒネを打つ、意識が朦朧として寝ている事が増えた。
だんだんと痩せ衰えていく歩生を見る事は辛かったが、まだそばにいられると比呂は毎日通う。
眠っていてもいつ起きるか分からないしとずっと顔を眺めては一人話かけたりした。
そんな比呂の姿をみた歩生の母が病室の外で涙ながらに訴えてきた。
「比呂くん、もう歩生ね…春まで持たないの。あと1週間くらい…このまま眠ってくように逝くだろうって…」
比呂は限りある時の無常さに行き場のない怒りを感じる。
それでもそばにいようと誓ったのだからと歩生の前では笑っていようと。
あと、何回歩生と会えるのだろうか…
終わりがこなかった事を喜びながら毎日が怖かった。
そして終わりの日がきた……。
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歩生が一人、空に旅立っていってもう3年になる。
比呂は今年も最後にでかけたあの場所に来た。
「歩生…… おまえのところからも見えるか?今年も彼岸花、綺麗に咲いたぞ…
凛として、まっすぐと立って咲く姿、歩生みたいだ」
比呂は歩生が亡くなった後、祖母の容体も悪くなり、なかなか歩生の実家に顔を出せなかった。
行けば歩生がいない事を実感して、比呂は涙が止まらなくなるから。
また歩生の家族も若くして旅立ってしまった娘との別れの辛さから遺品整理をできずにいた。
歩生がいなくなってから、お互いに向き合えずにいたのだ。
先日「歩生が最期に書いたであろう手紙が見つかったから」と歩生の母より連絡を受けた。
手紙は病室に持ち込んでいたアルバムの、最後にでかけた彼岸花の中で撮った写真と共に挟まっていたそうだ。今日、数年ぶりに歩生の実家に行き、手紙を受け取ってきた。
手紙の存在を知った比呂は、ここで読もうと思っていた。
なんて書かれているかなんて知らない。
それでも最後まで一緒に歩いた場所で読めば歩生を近くに感じられると思ったから。
一人、彼岸花が咲いていないスペースに腰をおろし、赤い花に囲まれながら手紙を開いた。
『比呂へ
生きている間に言う勇気がなくてごめんなさい。
彼岸花を見に行ってもらった時、綺麗なままの私を覚えていて欲しくて黙って逝くつもりでした。
比呂のこと、ずっと好きでした。でも怖くて言えなかった。好きでいるだけで幸せだったから。
比呂のことだから、きっと私が眠るようにいく間際までそばにいてくれると思う。
彼岸花のように儚い運命だったけど最期まで比呂に甘えてばかりでごめんね。
今日までずっとありがとう、比呂との思い出があれば私、寂しくない。
比呂が教えてくれた花言葉の「思うのはあなた一人」私にとって比呂は大切で大好きな存在でした。』
読み終えた比呂は手紙を持つ手に力が入ってくしゃっと皺がよってしまい慌てて伸ばした。
今まで知っている歩生の文字とは違い、震えて、少し崩れていた。
ところどころに濡れた跡が分かる。
「これ、あの後に書いたのか…」
比呂は病室の前で歩生の母と喋った日を思い出した。
きっと聞こえていたに違いない、そして悟ったと。
「歩生…さっきおばさんから手紙もらったよ。
………遅いよ、俺だって好きだったのに」
涙がでる、歩生が亡くなった時以来、我慢してきた涙が…。自分の不甲斐なさに涙がでる。
早くに旅立ってしまった分、想いが募って胸に住みついて離れない。
天を見上げて比呂は思う。
──歩生、、、俺もだよ 「思うのはあなた1人」
比呂の周りで彼岸花がサワサワと揺れる
泣かないで、と言わんばかりに。
比呂は1人 彼岸花に囲まれて泣いた。
前半は歩生の視点から、後半は病のせいで動けなくなったため
比呂の視点から書いてみました。
2020.03.15. 文章を少し直しました。