第四話
Merry Christmas
(やべー,超恥ずかしい)
駆け出したい思いを抑えながらなるべく目立たないように,早歩きで茂み道を歩く。
(うわっ,って言われたぁ。そりゃそうだよなぁ,あぁもう今日は散々だぁ)
僕は羞恥を通り越し思わず泣きそうになりながら,帰り道をトボトボ歩いた。
「立花至恩くん」
するといきなり声を投げられた。
僕はさっきのこともあってその声に情けなくも肩をビクっとさせた。
―――嫌な予感がした。この声は僕が……あの…例の本を手に取ったときに『え?』っとドン引きするように発せられた声音ととてもよく似ていたから。
声のした方向を向くと,帽子を深くかぶった男がすぐ後ろに立っていた。
この人、本屋で見かけた。漫画コーナーで週刊誌を立ち読みしてた人だ。
あの時の僕は周囲への警戒が異常だった。お陰で本屋にいた人の顏となりの大半はまだ頭の中に残っていた。
真後ろから声を掛けられた時からなっている僕の中の危険信号は脳を一時的に活性化させた。
わざわざ追いかけてきたのか?何のために?
今手元にある本のタイトルをもしかして知っている?
揶揄うためにわざわざ?何のために?
関わらずに逃走する?そうしよう。
一瞬のフリーズの際に結論を出すと、直ぐさま実行に移った。
それに買い物の件を穿られたくないので無視して道をまた歩き始めた。
「あれ,立花君?」
僕は一層の速さで歩いた。まるで,聞こえていないかのように歩く。
その男は僕を困ったように再度呼んでくる。
「ちょっとぉ? 立花君?」
至恩が全く足を止める気がないのに気づいたのだろう。その男は,駆け足で至恩の元まで来ようとした。
すぐさま至恩も走り出し,まるで鬼ごっこのようになった。
つーか,えぇ⁉ 走ってまで追いかけてくんのかよっ! キモイキモイキモイ。
気持ち悪さが至恩の足をさらに加速させ,あの男との距離が少しづつ離れようとしたとき――――
「さっき本屋で『無理やり弟を着せ替え人形にしたら,女装が一番イケた件』ってやばい本買ってた立花至恩く――――」
「やめろっ‼」
思わず叫び返した。
あいつ卑怯だぞ‼
「あんた,誰だ?」
僕は訝し気に問いただした。
「ん? ああ,オレ? オレは黒瀬司というものだ。見ての通り,ただの怪しい奴だよ」
そういわれると確かにその通りで,しかもどうにも気の抜ける話し方をする黒瀬という男に毒気を抜かれてしまいそうになる。
見たところ30ぐらいの男で,髪を整髪料を使って上げていて,服装はスーツを着ている。
「なんで僕を呼び止めた? 揶揄いに来たのなら帰ってくれ」
「いやいや,さすがにそこまで暇ではない。平日にこの年の大人がやることと言えば仕事なんだよね。残念ながら」
仕事?……この状況が?
僕は警戒心をむき出しにしたまま黒瀬を睨むが,彼はおどけたような口調で続けた。
「いや~,君を尾けていたらあまりにもヤバそうな本を買うものだから,驚いて声が出ちゃったよ。ははっ、あれで顔見られたし,失敗したなぁ」
尾けていた⁉ 僕はさらりと驚くべきことを告げられ,驚愕していた。
「なにあれ? 君の趣味? 立花至恩くんって変態なの?」
「僕の趣味じゃないよ⁉」
自分が変態の汚名を着たくなくて即答で否定した……いや,そうじゃなくて。
「なんで僕のこと尾けてたんだよ。何者なんだ?あんた」
警戒心を纏いなおして至恩は問う。しかし,黒瀬はポケットから煙草を取り出して慣れた手つきで火を着けた。
「……おいっ‼」
ゆっくりと煙を吐き出す黒瀬に,僕は焦れるように語気を強めた。
「教えてもいいけど,そのかわり一緒に来てくれないか?」
「は?」
あまりにもその場の状況に相応しくない提案をする黒瀬と名乗る男に僕は混乱しそうになる。
「何言ってんだ? あんた」
「まあ,そうなるよねぇ。じゃあ,少し話をしようか」
口から吐き出され漂っている煙のようにゆっくりとした口調で黒瀬は語りだした。。
「立花至恩。年齢は16歳。昔の苗字は脊山」
脊山と聞いた途端,ぴくっと肩を震わせ表情が険しくなってしまった。
「幼少期は母子家庭で,母親から虐待を受け,10歳ぐらいまでは劣悪な環境で育ったが母親が失踪した。いわゆる捨て子って奴だ」
「……やめろ」
なぜ知っているという気色の悪さと土足で自分の領域に入られたような不快感を顔に滲ませ,僕は黒瀬に詰め寄るが、黒瀬はその眼光を薄笑いで受け止め,続きを話し始めた。
「そして,今の立花灯さんに引き取られる。現在の年齢は27歳。当時の年齢はと……随分と幸運だよね。君は」
「………」
自分の静止の言葉にも耳を貸さずに話す黒瀬に至恩の眼が据わった。
その眼を見て黒瀬は嬉しそうに,口端を吊り上げる。
「良い眼だ。今のオレにその目を向けるのは正しいよ」
「……なんだあんた,人の過去を分かったようにつらつらといい並べて」
「さっきも言ったけど君を連れて行かなくてはならなくてね。一緒に来てくれないかい?」
先程述べた要求をもう一度繰り返す黒瀬に,僕は嘆息すると,
「もういい……」
と急速に迫り,拳を振りかぶった。
この人と話をしていると昔のことを思い出させられるし、何より灯さんのことを知っていることがもう危険だ。
「おっと,行き成り暴力か。威勢がいいねえ」
「⁉」
それを容易く避ける男に面喰らった。驚いたのは拳を避けられたことではなく,向き合って初めて分かる身のこなし。
(こいつ,強――――)
「ぐっ⁉」
僕の拳を避けた直後に繰り出されたボディブローへのカウンター。
あたりに鳴り響く鈍い音。
溝内に入った拳に吹き飛ばされて,転がった。
「げほっげほっ,はぁはぁ」
僕は暫く呼吸が出来ず動けなくなった。
「ああ,ごめんね~ごめんね~。でも,急に殴りかかってくる方が悪いんだよ?」
大して悪びれてもいないような声色で軽薄そうに,そんなことをいった。
「ぐっ、うる、さい。誘拐犯を、はぁ、僕はただ迎撃しようと思っただけだ」
「そうか,君は昔に格闘技の心得があるんだったね」
「……げほっ,はぁはぁ,本当に,げほっ,……あんたいったい何者だ?」
腹を抑えて立ち上がった至恩を見て男は驚嘆の声を漏らすと,すぐに薄ら笑いを浮かべた。
「通称『ツノ掴み』と呼ばれるよくわからない組織の構成員だよ。立花至恩くん,再三繰り返すが、ご同行願おう」
は? つ,つくのつかみ?
「君を連れて行かなくては行けなくてね。……そう固まるのも無理はないけど,今すぐ一緒に来てくれ」
車をさっき君が居たショッピングモールの駐車場に止めてある。と,黒瀬は口にした。
至恩は,そんな説明で付いてくると思い込んでいる黒瀬を嘲るように嗤った。
「はぁ………はは、あんたそんな説明で僕が着いていくと思っているのか? 行くわけがないだろう」
黒瀬に押し出された空気を肺が取り戻すと、馬鹿にするように吐き捨てた。
そうすると黒瀬は困ったように,
「そう言わずに,君のためでもあるんだ」
と尚も連れて行こうとする。
「あいにく,知らない人に付いて行くなって教育されているもんでね」
嘘である。灯さんはそんなこと言わない。
黒瀬は僕の言葉にため息を吐くと仕方ないと呟き,懐から何かを取り出した。
「……っ⁉」
それを見た瞬間全身の皮膚が粟だち、本能が『逃げろ』と怒鳴り声を上げたのが分かった。
マジか、初めて見た。
僕は『本物の銃』を前に立ち竦む。
「言葉は尽くした。実力行使に移るよ」
言葉で諭すのは苦手なんだよね、とボヤくようにいうと短銃を至恩に向けた、黒瀬は最後の忠告と言わんばかりの声色で告げる。
「一緒に来てもらうよ」
痛い思いはしたくないだろう?と,こんな田舎町には似つかわしくない短銃を構えながら宣告する。
「っ……」
動けない。抵抗できない。
本物の銃を向けられた至恩の初めての感想はそれだった。
ただただ,やばいという焦燥感だけが体を発汗させる。
焦燥感で,至恩の時間が圧縮され一瞬でいくつもの考えが頭を過る。
どうする?
付いて行くか?
それとも逃げるか?
どうやって?
凝縮される時間の中で答えの出ない考えが頭を巡る。
黒瀬を一瞥すると,人を撃てる人間なのかが一目で分かった。
こいつは撃つ。今まで撃って来たんだ。
そう思わせる眼をしている。
『人殺しの眼』その目を表現するにはこの言葉がぴったりだった。
悠然とした雰囲気はあるのに動いたら撃たれるという確信だけがある。
―――逃げられない。
僕は恐怖で手を上げようとしたが,その時に自分が袋を持っているのを思い出す。
先程,本屋で買った本が入った袋だ。
「あっ……」
忘れていた。そういえば持ってたな。
「……………」
カサっと中の本が揺れる。
まるで空気を読めていないジャンルの書物が納まった袋を見た瞬間、灯さんの顔が脳裏に一瞬ちらついた。
彼女との日々が懐古的なまでに懐かしい。
だからか、今朝のやりとりが頭の中に蘇る。
「行ってくる。至恩」
朝食の片づけを僕がしていると灯さんは一人身支度を済ませ、社会人の(ー)武装に正装していた。
見慣れた姿とはいえ息を呑む程の凛然とした姿に、夜の彼女の姿との落差に笑みが浮かんでしまう。
「あ、そうだ。書き置きしておかないと」
「ん、なにを書いているの?」
そのまま家を出ようとしていたであろう灯さんは懐からメモ用紙と胸ポケットからボールペンをテーブルに出すとペンを走らせた。
僕が何を書いているのかを覗こうとして近づくとビリっと用紙を裂き目の前に突き出してきた。
「御使いを頼んだ本の名前が書いてある。間違えて違うものを買ってきたら私のこと教えないから」
「…………うん…」
びっと用紙を渡してきた灯さんの覇気のある顔は楽しみにしすぎて、帰ってきた時に手元になければ昨日の乱れ髪の再来になるだろうことは間違いない。どころか、夕食を無視してふて寝するだろう。
「わかったよ。ちゃんと買ってくる」
僕がそういうとにんまりした笑顔になってふふっと微笑んだ。
分かりやすく楽しみにしてるなーとスーツ姿で珍しく笑う灯さんに軽くたじたじになりながら内心思う。
「いってらっしゃい灯さん。晩御飯を作って待っているね」
僕は目一杯に微笑んで灯さんを送り出そうとした。
その時僕を見る灯さんの眼が優しく緩んだ。
そして、緩やかな雰囲気とその表情に今日は本当に不思議な日だなと僕も優しい気持ちになって微笑んだ。
「至恩、私は……ちゃんと頼っているよ。お前はそうは思っていないかもしれないが、至恩がうちに来てから久しく感じていなかった家の大切さがよく分かった。……感謝してる」
僕は今度こそ驚いて声が出なかった。………こんな事初めて言われた。
何か言い返したいけど何も言葉が浮かばない。何か言わなきゃ、せっかく灯さんが感謝を口にしてくれたのに。
僕の方こそって、それだけでいいのにっ………口が震えて動かない。
でも、ここで何も言わないのは絶対にダメだ。だからせめて精一杯に笑った。
「―――っえ……?」
灯さんに引き寄せられた。僕は急なフレグランスの匂いと柔らかな感触に放心してしまった。
「頼ってよって言ってくれたこと嬉しかった。ホントに……ありがとう。帰ったらもう少し頼らせてくれ……行ってきます」
僅か数秒のうち包容を解くと、振り返らずに玄関に向かいそのまま行ってしまった。
本当に情けない僕はそれまで固まっていて、玄関ドアを開ける音で肩をぴくっとさせて硬直が解けると、
「……いってらっしゃい」
と、玄関に呟くことしかできなかった。
「はぁ~」
重々しい溜息を吐いて至恩は仕方ないなと,覚悟を決める。
「……付いて行くわけにはいかないみたいだ」
決然とした瞳で至恩は言うと,黒瀬は唖然としたように眼を見張り,何度か瞬きをした。
「……本気かい? 死ぬかもしれないよ?」
この状況で発する言葉かと,黒瀬は至恩の正気を疑った。
本当にどうかしてる。こんなことで命を懸けるなんて。と本が入った袋を見つめながら至恩は心の底からそう思う。
―――でも。と,至恩は心の中で決意する。
自分に呆れて思わず笑ってしまいながら至恩は力強い瞳で言い放つ、
「あんたがドン引きした本を楽しみに待ってる人がいるからな!」
「……そうか,覚悟ありか」
非常に遺憾に思っている声音で黒瀬はいうと,決然とした眼で銃を構え直す。
空気が張り詰め,膨らんでいく。もう、クビキリギスの鳴き声は聴こえない。
風がと吹き両者の髪を揺らす。
「「………」」
一瞬の沈黙が二人の間に落ちる。
「っ‼」
沈黙を破ったのは至恩だった。
構えられた短銃に目掛けてもう片方の手に持っていたエコバックを下から銃に向かってぶん投げた。
「⁉」
黒瀬の視界が,至恩が投げたエコバックに書かれたハレルヤ君で覆われた。
―――瞬間,間合いを詰めた。
黒瀬は飛んでくるハレルヤ君を銃を構えた手とは逆の手で弾くと距離を詰められていたことに驚く。
(逃げない⁉)
逃げるのではなくこちらに接近して来た至恩に驚愕する。
「ふっ‼」
至恩はこちらに向けられた短銃を腕ごと右足で蹴り上げた。
「くっ!」
銃が宙を舞う。そして,地に戻した右足を軸足にして,左足で回転前蹴りを黒瀬の胸に放つ。
「しッ!」
「っ!」
黒瀬の体は後方に押されるように飛ぶ。
黒瀬と至恩の距離が再び開いた。
宙に上がった銃が草むらに落ちる。
それを横目でみて至恩はにっと口端を上げた。
前蹴りの反動を後ろに回転するように逃がすと,黒瀬は追撃に備えて拳を構えた。
「なかなか,良い動き――――」
このまま向かってくると思いきや至恩はくるっと黒瀬に背を向けて全力疾走で走った。
「――――だ,ね? ……えっ? 嘘っ⁉」
ぴゅーんという効果音が聞こえてきそうなほどの見事な全力逃走。
「まじか……」
蹴られた胸の泥を落とすように手で払いながら,まんまと逃げられた落胆の言葉を漏らした。