第二話
立花家の朝は一言で表現すると活発である。
とにかく、寝起きがいいのだ。夜と朝の違いが際立つのは昨夜は眠気に襲われてロクに会話もできなかったこの家の主である。
「至恩、早く朝ごはん作って」
「むぅ、……んぅ………」
ちなみに僕は寝起きが悪く意識が覚醒するまでしばらくかかってしまう。
「起きなさい。至恩」
「………すー」
「起きろって言ってんだろうがッ‼」
「ブフッ‼ゴフッ!バフッ‼ガフッ!」
だが、昨夜とは違う凛々しい顔つきのこの人は寝起きの悪い僕を容赦なく叩き起こした。
でもね叩き起こすと言ってもさ本当に叩くことはないじゃん。普通はさ、肩を激しく揺すったりするぐらいか大声を出すぐらいでしょう。
さすがに朝からマウントを取られて往復ビンタされるのはキツ過ぎるでしょう。
「起きたわね。おはよう至恩」
「ふがふがふが(おはようございます)!」
今日も立花家の朝が始まった。僕は美女に起こされるという思春期男子憧れの朝を迎えたため照れて頬を赤くしながら、最悪の目覚めにどんよりとした雰囲気を纏い台所で朝食の準備を始めた。ちなみに暴力女はシャワー室だ。ほら、夜はあの様だから風呂は朝に入ることが習慣なのだ。
朝食は昨夜のカレーが残っていたのでカレーうどんにしてみた。これでカレーを全て使いきれる。幼少期から食料は大切にしようというのは習慣になっていた。
灯さんは、美味しくなかったら普通に残すから美味しく作らないといけない。
「できた~?あっ、またカレーでしょう?」
「うん、そうだよ。食料の無駄使いは良くないからね—————————ぇって⁉」
最後に刻みネギを加えようとしてネギを刻んでいるときに、思春期の男子には刺激が強すぎるバスタオル一枚のお姿で灯さんはリビングに現れた。
「ちょちょちょっと、なんて格好してるの‼」
「あっ、いい匂いだ」
僕の動揺を全く顧みずほとんど出来上がったカレーうどんの匂いを嗅ぎながら近くに向かってきた。
「あ、灯さん。服着よう。ね?」
スタイルも良いんだよこの人。こんな人が怪我してきたら誰だって怒るよ。
「早く食べたい。早く」
「あの……だから」
「早く」
圧力がすごい。また痛い思いをさせられそうだ。ていうか—————————————
「あの灯さん。僕の反応見てまた楽しんでるでしょう?」
「あは、バレたか」
瞬間、圧力が四散に憎たらしい笑みが浮かんだ。しかし、僕の朱に染まった頬は簡単に元には戻らなかった。
いや、これはさっき往復ビンタされた後遺症だから。ホントだから。
「………………」
「至恩どうしたの?」
「早く服を着てほしいなって思って………」
僕は強靭な精神力で視線をネギに戻して刻むのを再開した。
「そういえば今日から春休みだよね」
「僕は無視されるほどのことを言ったのだろうか」
トントントントン…と包丁がまな板を叩く。
「あっ、タオルが……!」
「えっ⁉」
ばっと灯さんの方を振り向くとにまーと口端を吊り上げた愉快そうな瞳と目が合った。
「うっそー」
「……………じゃあ、朝食は無しということで……」
「えぇ~、わかったよ服着てくればいいんでしょう。……くふっ、それにしてもこっち見たときの顔は、くふふっ傑作」
「やめてくれ~」
あんなの振り返るでしょ、仕方ないでしょ。僕が悪いんじゃない。社会が悪い。
「そうだ、話の続き。休みだから時間あるでしょう?買ってきてほしい小説があるの」
「えっ?ああ、いいけど——————あっ、やっぱり嘘!やだよ絶対‼」
あぶねぇ~。僕には決して理解できないジャンルの本をお遣いすることになるところだった。僕にはというより多くの人にとってはといっても過言ではない。
「服着てあげるから」
「そういう問題じゃない。というかうるさい。さっさと服着る!」
「はーい」
着替えるため灯さんは部屋に戻った。その間に朝食をテーブルの上にのせて箸等の準備をしてテレビを付けた。
丁度お天気お姉さんが天気予報を教えてくれるところだった。
にこにこと美しい笑顔を彼女の背後には遠近法で同じぐらいの高さになっている大きな人形が4体並んでいた。
「いつもながら異様な光景だよな……」
そして天気予報が始まった。『今日のお天気は~』といいながら人形たちの方を向くといつの間にか手に持っていたダーツの矢(普通の数十倍)をやり投げのように構えるとさっきまでの優しそうな雰囲気が一変してオリンピック選手のような鋭利な気配を漂わせていた。
「うわ……」
次に発せられた雄々しい雄たけびは、もう数舜前の優しそうな女性の記憶を僕の…というか視聴者の記憶から消し飛ばし、矢を轟声と供にぶん投げた。
『おらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっッッ‼』
「…………」
その矢は4体の人形の一番気弱そうな顔が描かれた人形に見事に命中した。一瞬人形の顔が引き攣ったように見えたが憐れに思えてくるので見なかったことにした。
『クリーンヒットーッッ‼よっしゃーッ!!!皆さん見てください。なんとハレルヤ君に命中しました。しかも眉間に刺さりましたぁぁ~。これはもう本日は晴天であることは間違いないでしょう!』
一頻り雄々しくガッツポーズをするとくるっとカメラに振り返った。
それはなんというかさすがというべきかプロというべきか振り返ったときにはまた優しそうで奇麗な笑顔の美人がそこにいて、視聴者に数分前の彼女を思い起こさせた。
「…………」
だが、この天気予報はかなりの人気で、朝の視聴率を丸ごとかっさらっているらしく、何より驚異的なのは天気予報が外れても局に全く苦情が来ないという話しまで有名である。
その効果でこのお天気お姉さん……お姉さん…うん、この人には実は性別不明説などもささやかれ、バラエティ番組に出場したとき司会者に『あなたホントに女?』と聞かれてしまうこともあり、そこで怒っても仕方ないはずなのに口に人差し指を当てて『内緒です』と答えてしまうほどの楽しませたがり屋と来たものだから、人気がとどまることを知らない。
そして、ハレルヤ君からダーツの矢を抜き取るところは狩人のそれで、矢を肩に担ぎながら『今日も一日張り切っていってらっしゃーい』というのは視聴者に元気をくれた。
本日もまぶしいほどの美人であった。後ろで倒れているハレルヤ君に憐憫の思いを抱きながらそう思うと画面が切り替わりニュースが始まった。
あっ、今と先程で視聴率が激変したんだろうなぁ。とあの人の偉大?さを感じながら僕もチャンネルを変えようとしたところ、昨日のニュースの続報が流れた。
あのお天気お姉さんに変われと苦情をもらっていそうな面白みのないナレーターがニュースを朗読した。
『先日の一家惨殺事件に進展があったとのことで、報道させていただきます。』
……ああ、【赤い部屋】か。昨日に続き今日もこのニュースをみることになるとは。
進展って、犯人が見つかったとか?確かあの家は父母に姉弟の4人家族だったっけ。リビングが真っ赤に染まっていたか……怖いから早く解決してくれないかなぁ。
『現在行方不明になっていたのは、田鎖直也さん、田鎖やよいさん、田鎖智絵理ちゃん、田鎖まさるくんの4名でしたが、昨夜に田鎖直也さんが遺体で発見されました。遺体の状態から警察は殺人事件だと断定して一家惨殺事件と並行して捜査をしていくとのことです』
朗読し終えるとメガネのナレーターさんからタレントさんに切り替わり、『怖いですね~。近くに住んでいる人は安心して眠れないよね』などと話し始めた。
しかし僕の耳には入って来なかった。思考の中にいたからだ。
遺体で見つかった?事件が起きたのは1週間前だ。家の中で見つかればすぐに報道されたはずだ。今の今まで見つかっていなかったとなると……昨夜まで生きていた?
リビングが真っ赤に染まるほどの血の海から生存して逃げ延びたということだろうか。それとも————————————
ふとテレビから視界を切ると紅長髪が眼の端に入り、思考が中断された。
「………」
灯さん?なんだろう、いつもと雰囲気が違う。
テレビを凝視する彼女の瞳は暗く、酷く冷たい。
「……灯さん。何か知っているの?この事件のこと」
自分でも何でそんなことを聞くのか分からなかった。何故か口を衝いて出てしまった。
眼を丸くしてこっちを向いた灯さんには先程の雰囲気は無くなっていた。
「おかしなことをいうね至恩。なんで私がそんなこと知ってるんだよ。今日の夕飯をちゃんと食べられるかも知らないのに」
おどけるように薄ら笑いを浮かべていたが僕には仮面を被ったかのような違和感があった。
「知ってるんだね。灯さんの仕事って警察だったの?」
「だから、知らないって。何言ってんの至恩?」
前にもこんなことがあった。家事が出来るようになってから、初めて灯さんが傷だらけで帰ってきた時だ。
言いたくないのならば聞くつもりはなかった。だから今まで知ろうとしなかった。
知ったところで助けになんてなれるわけもなかったから。
でも、もうそろ知らないといけない気がした。あんな顔した人をほっとくのは絶対に違うと思った。
「ここはあなたの家だよ灯さん。家の中でまで嘘を吐くのは疲れるでしょう。仕事の愚痴を聞くことぐらいしかできないかもしれないけど、少しは僕を頼ってくれ」
灯さんは、また驚いたように眼を丸くしていたけど口元にもう薄ら笑いは浮かんでおらず、呆けたように口を半開きにしていた。
どうやら嘘の仮面をやっと取り上げることが出来たようだ。
「……本当に驚いたな。追及されるかと思ったら、まさか口説かれるとは」
「くどっ⁉」
どうやらまだ朝にやられた往復ビンタの腫れが引かないらしく、僕の頬から茹るほどの熱が……いい加減にしつこいって?うるさいな。照れ隠しにぐらい使ったっていいだろ。超痛かったんだから。
「それで、話す気にはなったの?」
灯さんは諦めたような笑みを口に浮かべると、
「わかった。話すよ」
と常に入れていた肩の力を抜いた。
「だけど、もう時間が無いときに話すものじゃないし帰ってきてまだ話す気力があったら、話すよ。全部」
今度は僕が目を丸くする番だった。仮面をつけていない彼女はとても儚げで美しい人だった。
話しは一旦おいて置いて、朝食を取ることになった。
「そうだ至恩、話す代わりに小説買ってきて欲しいな」
にへらと笑う灯さんは交換条件として提案してきた。
ずるいな灯さん。そう切り出されたら断れるわけないじゃないか。
「……っ…くっ…わかっ、たよ。あっ、いや待った。通販で頼めばいいじゃん余裕じゃんナイス閃き!」
「いや、ダメ。ちゃんと本屋で買ってくること」
「何でだよ⁉いいじゃないか別に買い方なんかなんだって!ものがあればいいんだろう?」
「ううん。私も辛い思いして話すんだ。至恩も辛い思いしてくれないと釣り合わないだろう」
くそーここで断ったら絶対話さなくなる。いや、まだだ。こっそり通販で買って本屋で買ってきたことにしてしまえばバレることないだろう。
ふふふ、甘いな灯さん。僕はもうただの子供ではない。来月から男子高校生なんだぜ。
「ちゃんとレシートみせてね」
「ちくしょーーーーッ」
すべての逃げ場を封じられて、やけ食いするようにカレーうどんを胃の中に勢いよく流し込んだ。