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エキサイティング=ラヴァー


 足早に大理石があしらわれたエントランスホールを抜けて行く女性がいた。側頭部の毛束を後ろで結っている赤髪を揺らし歩くその人は、かの有名な希少剥離(レアパージ)の異名を肩に提げる時網(じもう)蓮理(れんり)である。

 同業の間では赤髪(せきはつ)の悪魔なる呼び名で通っている彼女が、色白の額に汗を滲ませているのにはそれなりの理由(わけ)がある。


 ――世界から剥離された希少なチカラを是非、君に。


 カツカツ、と小気味好いアップテンポな靴音を響かせる彼女の耳にはしかし、ヒールの踵が打ち鳴らす打刻音を押し退けて先まで対峙していた金髪の男の声だけが反響を繰り返す。


「馬鹿げているわ――あんな災厄(モノ)を呼び戻そうだなんて」


 いきり立って侵入してきた際には暮れに染まっていた自動開閉のガラス戸の向こうはすっかりと夜の色味を強めている。そう長いをした気概を覚えていない彼女にとって、この僅かな違和感は致命的な事柄に思えてしまう。

 すると、ヒールが刻むリズムが停滞した。


「いつから――いつから私は貴方の術中に囚われていたのかしら?」


 美しい直立姿勢を保ってからすぐ独り言のような呟きを伴って振り返った蓮理の目は、エントランスホールの反対方向で構えたエレベーター前で腕組みしている男を睨む。


「――霧月(きりつき)黄世(おうせい)!」


 怒鳴りは無人のホールを揺るがす勢いを以って、腕組みを崩さずにその様をほくそ笑んだ表情で眺め見る黄世を射抜く。が、身は当然の如く、眉の一本すら動じない。

 「いつから」言って、黄世は肩を上下させながら続ける。


「最初からずっとだよ――君がここへ足を運んでくれたその時から、ずっと君は僕の手中で愚鈍な舞を踊って見せてくれていたんだよ」


 嘲笑の顔はその言葉を皮切りに明確な敵意を剥き始める。鷹のように鋭く研がれた両眼の光が一閃――蓮理の保っていたポーカーフェイスを切り抜く。

 憤りに任せて繕っていた怒気を象る面は剥がれ落ち、内から動揺を曝け出した驚嘆の表情が姿を現す。見開かれた紅い瞳は収縮し、口輪筋が緩んだ小さな口は薄開いている。

 顔の側面より伝う冷やっこい汗が頬を通過して痩身な顎の先から滴ると、ようやく蓮理は口を動かす。


「そんな……初めから、ずっと?」


 だが、そこから這い出てきたのは反論ではなく反唱。黄世が告げた言葉を繰り返しただけの模造品。


「一手先を読み、予め保険を掛けていたんだよ。君が断ることは既に分かり切っていた。でもね、寛大にして完璧な僕は愚かな思考しか持ち合わせていない君に機会(チャンス)を与えたんだ――にも関わらず、非常に残念だよ」


 弄ばれていた――否。

 蓮理は黄世の器量が如何な大器を模しているのかを計るために利用されていたのだ。それを理解した連理には最早、屈辱感すらも感じ得ることはない。

 崩れ落ちそうになる膝頭に手を添え、大理石の気品漂う光沢を見据えて譫言を一つ。


「終わった……世界は私の浅はかさの所為で、終わったの?」


 先刻にホールの大気を震わせていた震響とは違う、より重厚にしてゆったりとした靴音が一つ、二つ。頭を垂れる連理へ近寄ってくる。


「そう自分を責める必要はないさ。君が浅はかだったのではない――僕が遥か頭上を行き過ぎていただけのことだよ」




 ◆――二年後



 世界へ言い渡された最終勧告の期限が差し迫った中、ガラス細工の街並みを疾走して行く人影が一つ。物理法則を度外視した動きを見せるガラス製の薄い板を次から次へと飛び移って見せる。


「逃げの一手とは見苦しいわね――猛芭(たけば)(さだめ)!」

「うっせえ、独裁地平(ワンマン)を展開させといて勝手言うんじゃなねえっ」


 そう。今まさに定が闊歩しているガラス細工の街とは、彼を追っている女性が創り出した独裁地平(ワンマンフィールド)なのである。

 展開者が創り出したこの世界では文字通り、全ての事柄に於いて展開者が有利な運びとなる仕組みに成り代わる。例えば――


「無駄な、ことをっ」

「うおっ?!」


 今し方、定が足を着いたガラス板は女性が腕を引く動作を起因に上下運動ではなく、その場での水平運動へ刺し変わる。

 着地と同時に進行方向とは逆に動いてしまった為、定は足を取られて態勢を大きく崩し、そのまましゃがむようにして板上に両手を着いてしまう。


「これで終わりだ、猛芭定っ!」


 この絶好機を女性――鏡間(かがみま)響架(きょうか)は逃さない。一枚差を付けられていた板を踏み切り、手にした半透明の大鎌を振り上げながら跳躍する。

 未だ前傾姿勢を矯正できずにいる定の目は、迫り来る美しい姿の死神を視線で殺すかのような気概を以って睨む。が、虚しくも眼光は物理的な干渉力を持ち合わせてはいない。


「くっそ――」


 畏怖に震える本能とは裏腹に、彼の理性は勇猛にも視線を外すことはしない。死するその間際まで、この無慈悲な運命へ抗い抜こうとしているかのようである。

 しかし、気泡の一粒さえ内包していない美形を極めるガラスの切っ先が、存在意義を全うする際に見せる最上の煌めきを見せるより先――二人の間を貫く朱色の閃光が藍紫色の天上を突き駆ける。


「増援かっ?!」


 空を蹴って距離を取り直す響架が、後方のガラス板へ飛び移ると同時に、閃光が走って来た下方を見据える。


「私がいる限り――その人をヤらせはしません」


 そこに立っていたのは、長い赤い髪を放った閃光の余波で揺らし揺蕩わせる一人のブレザー姿の少女だった。

 無機質な美しさを放つこのガラス張りの空間に在って、少女が向けてくる先の閃光のような朱色の両眼は燃え盛る生気を体現している。


丹理(たんり)っ、どうしてお前がここに?!」


 不意の来訪者に虚を突かれたのは響架だけでなく、加勢された側でもある定も同様。声色にも顔色にも、その色味は濃く表出している。


「詰まらない理由で幼馴染が殺されるだなんて、私には耐えられないから、だから――」

「馬鹿に、するなぁ!」


 丹理の告げた言葉が起爆剤となったのか。それまでは冷淡な敵意のみを面相に映していただけだった響架は、正に鬼の形相とも称えられる表情で丹理の佇む青光る地表へと飛び降りて行く。

 鎌を峰を背に伏せ、上体を全面に押し出したまま降りおりて来る響架を前に、丹理は身構えようと右足を半歩退く。が、しかし。


「人の恋路に口を挟むなぁ!」


 寸分の差であろう。

 丹理が構えからの最速で朱閃律(クリームメロディ)を撃ち放つよりも僅かに先、響架の大鎌が至上の煌めきを放つ方が早い構図が成り立ってしまっていた。


「そん、な」


 丹理が目測を見誤っていたことに気付いた時、美麗にして残酷無慈悲なガラス刃は彼女のか細い首を――軽く触れたところで停止する。


「鏡間、さん?」


 丹理の、そのブれた声帯の由縁は恐怖からではない。


「分かってた……貴女(たんり)みたいに可愛くて女の子らしい幼馴染には勝てないって――こんなガサツで、歪んだ形でしか気を引く術を思い付かないような私じゃ、絶対に(かれ)から好いて貰えないって、分かってた」


 降り際まで見せていた鬼の面を剥いだ内から現れた、一途が故に脱線してからも尚、そんな横道すらも愚直に進み行ってしまった、不器用な少女が見せる綺麗で大粒な思いの丈が由縁だった。

 丹理の首元を冷やしていた諸刃が霧散して行くと、呼応したかのように響架の身体からも力が抜け落ちて行く。


「そんなこと、ないよ?」


 崩れる響架の痩身を抱き支え、一緒に無機質な半透明の地面に座り込んだ丹理が優しい声音で囁く。


「こんなにも綺麗な世界を創れる鏡間さんが――ううん。こんな綺麗な想いを抱ける鏡間さんはね、とっても素敵な人だと思うよ。私が持ち合わせてないしてきな魅力をね、いっぱい持ってるんだよ」

「丹理……」


 虚ろに据えた響架の目が目の前の語り部へ向くと、他意を含んだ混色模様の笑みとは明らかに逸した笑みがそこにはあった。



 独裁地平が解消される際に響く、ガラスを割ったような音を耳の内に残しながら(うつつ)へ舞い戻って来た三者は、一人を除いて憑き物が落ちたかのような微笑を手土産に携えていた。


「何で俺が悪者みたいな構図になってんだよ」

「うるさいよ、定。今回の件は定の鈍感さが招いたことなんだから、大人しく責を噛み締めなよ」


 並び立った恋敵は妙なことに、夕映えの暮れ色を背景にして互いを尊重している様相を呈している。

 夕に染まる定のジト目を垂らした顔はしかし、告げてから響架へ向き直った丹理の姿を見送ると、前方の両者が浮かべているような微笑を浮かべ始めた。


「ま。雨降って地固まる、てやつか」



 世界に与えられた猶予は残り僅かなことに、彼等は気づく由もない。しかし、それは罪深いことでない。

 世界を窮地の谷底へ追いやる事象の存在は強大だが、造形を得てはいないのである。姿を知見することの叶わない相手に対して、それを知らずは罪であると定めてしまうことこそ、それ自体が罪であるのと同義。

 知り得る権利も機会も得ていない彼等が行うべき行動とは、与えられた執行猶予を悔いが残らぬように全うする以外ないのだから。

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