第十一話
「……」
一瞬アントニが息を呑んだのが伝わる。このまま俺の提案に乗ろうかどうか迷っている様子が伺えた。
しかし、アントニは一つ大きく息を吐くと、頭を振ってから答えた。
「……試しましたわい。しかし、感動は得られませなんだ。どうにもこのジジイ、描きたい美や感じたい美は、写実的で具象的な美らしいのですじゃ。フォーヴィスムについぞ美は感じませなんだ」
「それは、今までの話です。これからは分かりません」
「もう分かっているも同然ですじゃ。試しても試しても、どうにも好きになりがたいのですじゃ」
「きっと好きになりますとも。絵を見るだけで浮かび上がる言葉にしがたい感情、色彩から感じる躍動感、形ある澄ました美ではなくより原始的な美。
これらを美しいと感じるには、数多くのフォーヴィスムに触れなくてはなりません。多くに触れて感性が育てば、美しく見えてくる物なのです。きっとこれからますます美しく見えてくるはずですとも」
「……このジジイも、その言葉には騙されたいのですじゃ」
尚も俺が説得するが、アントニは悲しそうに話した。
もう試した、それでも違った、という響きがそこにあった。
「しかし、具象的な美とどうしても見比べてしまうのですじゃ。……フォーヴィスムというのは、写実美と違って、思わず近寄って見入ってしまうような、鬼気迫る細部の描き込みというものがありませぬ」
「まさか」
「それにフォーヴィスムというのは大体、一瞬ぱっと面白いやも知れぬ、とひらめきのような感動で最後、写実美と違ってそこから先はどれほど眺めても何もありませぬ」
「違いますともアントニさん。それはこの世のフォーヴィスムがまだ偏に未熟だからですよ」
「未熟、ですとな?」
ええ、と俺は自信をもって答えた。自信をもって答えないとせっかくアントニに今ある迷いが消えてしまうような気がしたからだ。
「アントニさん。私は貴方に、別に細かくなくても良いですが鬼気迫る描き込みを求めます。そして一瞬のひらめきに終わらない、強い表現を求めます。形にとらわれない貴方なら、描けると思うのです」
「何ですと」
「この世界のフォーヴィスムは、まだ印象派から脱し切れていないと思うのですよ。あなたが、それを開花させるべきです」
この世界のフォーヴィスムは正確にはフォーヴィスムではない。正しい歴史の発展通りに芸術が進んだわけではなく、飛ばし飛ばしで発展したのだということがすぐに分かる。
理由は偏に、ゲームの世界「fantasy tale」の製作者が設定した芸術の変遷がおおまかであったからだ。
正しい芸術の歴史の発展、というものはもちろん存在しない。歴史に正しいも間違っているもなく、ただそのように発展したのみ、というだけだ。しかしこの世界の芸術の発展は、ややもすれば歪であった。
例えば、ラファエル前派と象徴主義。
ラファエル前派というのは、一九世紀イギリスにて、自然の純粋な写実こそ真の表現すべき芸術であると主張し、一五~六世紀のルネサンスへの回帰を意識した芸術群を指す。
そこには古典的手法を意識的に使用する姿勢に、明暗対比などの色彩描写、繊細な線描表現などが強調されており、そこで幻想性、神秘性を強調するような絵画が多く生まれた。
ラファエル前派の残した影響は、写実から離れて幻想性と神秘性をより強調し、色彩や線で暗示的に神話主題を表現しようとした象徴主義がある。
しかし。
ルネサンス、マニエリスム、バロック、これらの時代を経てその最先端にいた巨匠、アントニは、あまりに長生きをしすぎた。影響が大きすぎたのだ。
ルネサンス時代から培われた写術的技法、マニエリスム、バロックにより芽吹いた強調の対比構図。それらを生きたまま使いこなせる芸術家であるアントニは、ややもすればあまりに長生きしすぎたため、ラファエル前派の出現を妨げた可能性がある。
同時にこの世界に象徴主義、と明確に区分付けられるような芸術が見当たらないのもそのためであると思われた。
この世界において、もしも狙い目があるとすれば、このような歪さである。
俺の見立てでは、この世界にはゴーギャンはいなかったらしい。マニエリスムを推し進めて至った印象派、というものはどうにも技巧的に過ぎるきらいがあった。
「アントニさん。貴方の見たままを描いてほしいのです」
「見たまま、といいますと、どういうことですじゃ」
「形を捨てて、見たままを描くのですよ。フォーヴィスムがまだ未熟だというのは他でもなく、まだ観念の色に引きずられて見た色を描いていないからなのですよ」
俺は半分確信していた。
この世界のフォーヴィスムがまだそこまで円熟していない理由は、色彩の革命を起こしきっていないからなのだ。
明るく鮮烈で、力強いタッチをフォーヴィスムというそれは、俺の目からすると、寧ろゴッホの作品のように思われた。いや、さらに言えばゴッホをこの世界に引き連れたとき、彼はきっとフォーヴィスムをさらに推し進めただろうとさえ思われた。
色の使い方が、現実から離れていないのだ。色や形の単純化はなされつつも、それは鮮烈さを強調し原色により近づけたまで。原色、というよりも『リンゴは赤』という固定観念から作られた単調化の世界であった。
皮肉にも、同時代を生きたアントニの強い影響のせいで、フォーヴィスムは強い固定観念から離れきっていないのだ。
写実的美を基調とし、バロック、印象派時代を経て、現実をやや僅かに強調する手法を得たアントニは、リンゴは赤、ひまわりは黄色、影は黒、というように色彩強調の手本というものを作ってしまったのだった。
期せずしてそれは、後の時代の芸術を引きずることになる。
写実の美の中に、観念上の想起された美を描くアントニの手法は、はっきり言ってしまえば、『彼の観念』の強く反映されたものになっている。
常識の固定観念である。
木は茶色なのである。影は黒なのである。たとえ木が赤っぽく見えて、影が青っぽく見えたとして、それをゴーギャンの教えのように木を赤く影を青く描く画家はいなかったのだった。
「アントニさん。貴方にはポール・ゴーギャンに、モーリス・ドニに、そして行く行くはアンリ・マティスになって欲しいのです」
「……どなたですかのう?」
「これからの貴方ですよ」
俺は立ち上がってアントニに絵筆を握らせた。
「貴方には、色が見える。貴方にしか色は見えない。その見えたものを描くことこそが、まずは美しさの最初のステップなのではないでしょうか」
「……」
「どうですか?」
「……騙されたいのは山々ですがのう……」
否定を言いかけて、しかし直前でアントニは「いや」と呟いた。
「……トシキ様。このジジイは美しいものを描きたいのですじゃ。じゃから、もうこの形の見えない自分では描く事も出来ず、描く意味もないと思うておったのですじゃ」
「はい」
「しかしそれでも美しいものがある、というのですかのう? もう一度美しさを思い出させてくださるのですかのう?」
「はい。間違いなく」
「……しばらく時間を下され」
小さい呟きだったが、言葉には熱が帯びていた。




