第八話
屋敷を出る際、「ねえ、領主誕生祭の最終日だし……一緒にどこか行かない?」とベリェッサ令嬢にアプローチを受けてしまったが断った。
二人で歩いている姿を他人に見られては困る。それもかなり。変な噂が立つと、ものすごくやりづらくなってしまう。
第一、ベリェッサ嬢はこれからアルベール伯爵家で開かれる立食パーティに参加しなくてはならないはずだ。それをすっぽかして俺みたいなどこの馬の骨ともわからないやつと出かけていた、だなんてことがばれたら一大スキャンダルになる。
そんな訳で、また今度機会があればお願いします、と丁寧に断った。
ベリェッサ嬢はすごく寂しそうな表情で、じゃあまたね、と手を振ってくれた。
(……結局、答えは見つからないままか)
帰路に就きながら考える。今の俺のやっていることは正しいのだろうか、と。
何度考えても最適解はこれなのだ。
脳の障害を治す有効な手立てがない以上、作業療法として効果があるかもしれない粘土細工を続けつつ、芸術スキルの経験値を稼ぐ。
そして肝心の絵画については、彼の知らない新しい技法を俺が提案できないか模索しつつ、彼には水墨画などちょっと新しい取り組みをしてもらうのだ。
そうだ。これしかないのだ。
(順調、とは言いがたいが進捗はある。このまま続けたら無難に依頼を達成できるだろう)
後夜祭の空気を肌で感じながら、夜道を歩き肩で風を切る。
このアルベール伯誕生記念祭での利益は、チッタの準決勝進出に対する賞金、そしてスポンサー契約、あとはルッツの力を借りて祭事堂に出店を出したことによる肉炒めの売り上げ。
令嬢ベリェッサから引き受けた今回の依頼の報酬も合わせて考えると、金貨八枚程度になる。
たった三日間でこれだけの利益だ。振り返ってみれば十分であろう。
(……何か目に見える結果をもってして依頼完了、というわけじゃないからな。だからどうしても必然、こういう仕事になってしまうわけだが)
カイエンのように冒険者にさせるわけでもない。マリエールのようにオペラの入団テストに合格させるわけでもない。チッタのように拳闘大会で結果を残すわけでもない。
もう少し言えばルッツのパターンとも異なる。料理を許されてこなかった彼に料理技術を教えるのは非常に簡単であったし、彼が料理を躊躇っていたのは身体的な理由ではなく心理的な理由によるものだった。
今回のアントニのケースは、技術は既に遥か高みの領域にあり、しかし身体的な困難を抱えている。
(自分の仕事の範疇じゃない。It is none of my business、って奴だ。俺は依頼されたことだけをすればいい)
依頼されたこと、それは『彼を再び芸術の世界に戻してあげて欲しい』であった。
俺は『芸術の世界に戻るための指針について、相談に乗る』ことだけ承諾した。
後はアントニの気持ち次第である。
(アントニは、何故芸術の世界に戻ろうとしないのか結局語ろうとしなかった。今手元にある絵を世に出すことにどこか納得していないようだった)
端的に言えば、納得していない。その理由は恐らく彼の描きたいものではないからだ。
おそらく彼の書きたいものは、形が見えないと描けないのだ。しかし彼はもう形が見えない。
このジレンマは、きっとこの先一生解決できないに違いない。
(呪い、か)
奇しくも昔ルッツに語った言葉が、アントニの口から出てきた。呪いという言葉。
叶わない夢は不幸なのですかのう。
アントニの言葉を脳裏でリフレインさせながら、俺は自分の店のテントへと帰った。
◇◇
自分の店のテントに帰るまでの道すがら、俺はとある人物に捕まってしまっていた。
まさかこんなことになるとは思わなかった、と思っても後の祭りだ。
女盗賊プアラニ母娘と一緒に、後夜祭の店舗巡り。
「認識齟齬を周囲に振りまいておりんす。誰にも気付かりんせん、わっちが保証しんす」と得意げにいうマハディだが、そういう問題ではない。
「だってぇ、気付いたのおんしだけでありんすよ? 本当におんしは目が利く人でありんす」
「何で俺が気付いたことに気付いたんですかねえ」
「そねぇなこと気にしなんでおくんなんし?」
俺がマハディ達に気付いたことを表情か気配かで読み取ったらしい。
俺だって交渉スキルLv.3持ちの端くれ、ポーカーフェイスなど本心を悟られない技術は人並み以上に上達したつもりなのだが、天下のマハディには適わないらしい。
ならばいい、もういっそ開き直って色々尋ねてしまおうか、と思い立って口火を切る。
「この機会に聞いておきたいことがあるんです、質問宜しいですか?」
「何でも聞いておくんなんし」
にこりと笑って応ずるマハディに、娘プーランは不機嫌な表情で咎めるように口を開いた。
「……母上、気を許してはいけません。この男は非道の卑劣漢です」
「おこがましいこと吹かしちゃいけんよ。この人は、おんしの命を取ろうとはしなかったんよ。それに初めても取ろうともせなんだ。わっちを脱獄させようと早まって馬鹿なことをしよったおんしを、ある意味お見逃しおくんなしたんよ。
結果的に何も失わなんだし、犬に噛まれたと思って深く反省しなんし、ね?」
「……ですが、やって良いことといけないことがあります」
「そうねえ。それはそれ、これはこれ、ね?」
ちろり、とマハディの舌が見えた気がした。
小声で「もし何とあれば、わっち手ずから参上して、この方に同じような目にあってもらいんしょ」と艶っぽい笑みで俺を見据えている。何をどうされるというのか。Lv.5同士の勝負になるというのか。
キャシーとの勝負で既に、勝敗は房中術のレベルだけでは決まらないということを身をもって知っている――だなどと詮無きことへと逸れそうになった思考を、すぐさまに元に戻す。
「その度は失礼しました。サバクダイオウグモによるオアシス街襲撃事件は、大変大きな事件でしたので、第一発見者である私手ずから犯人を拷問したという体にしておきたかったのです。……私がサバクダイオウグモを呼びつけた者どもの一味と見なされては適いませんので」
「貴様!」
「よしなんし。そねぇな話はお祭に持ち込んじゃいけんよ。ね?」
「ありがとうございます、マハディさん。……では質問に移りますが」
軽く咳払いをして、俺は二人に向き合った。
聞くべきことは沢山ある。
キャシーやヘティとの関係は何なのか。ヤコーポやアリオシュ翁との関係は何なのか。脱獄した理由は何なのか。
違法賭博に携わるアルレッキーノを知っているか。勝負に負けたら奴隷に落とすような奴を知っているか。アントニはどんな芸術家なのか。最近の芸術はどのような流行にあるのか。
どれも重要な質問である。しかし、踏み入った話にならないように、知りすぎて始末されてしまわないようにしなくてはならない。
「もう、やっぱりおんしは業突く張りさんでありんす」
「お礼としまして、今日は私の方からお二方に奢らせていただけたらと思います」
「あれあれ、ならばたらふくご馳走さんになりんしょ」
「いやあ、何卒お手柔らかに」
「ふふふ、冗談でありんす」
ころころ笑いながら一人楽しそうなマハディは、天空の花と言われるだけはある。鑑定スキルを使って気付いてしまった彼女の年齢から鑑みれば、全くもってお若い。
ちなみに年齢のことを考えた瞬間に、脇腹を凄い痛さで抓られたので、本当に心が読まれているのでは、と思わず身構えてしまった。