第三話
「うーん、どれも甲乙付けがたいなあ! 僕はヤコーポ殿は天才だと思うんだ、まさに音の王だよ! でもね、アリオシュ翁の折り紙アートも好きだなあ。でもね、『天空の花』マハディの桜の着物染めも美しいと思ってるよ」
「なるほど。いずれも素晴らしいものだと思います、甲乙付けがたいですね」
しかし、芸術となるとベリェッサは本当に楽しそうに喋るな――と俺は思った。
「ああ、もう! 芸術に抱かれて死にたい!」
「左様ですか」
「美しいものに囲まれて人生を終えるなんて、幸せだと思わないかい?」
「……。きっと幸せなのでしょうね。幸せに囲まれて死ぬ人生は、幸せなのでしょう」
「君にも分かるかい!」
「ええ。ただ、その前にまず幸せになりたいですけどね」
「ああ、間違いないね」
言うなり二人の会話が一端途切れてしまった。
幸せ。
もしかしたらベリェッサ嬢も、幸せになりたいと思っているのだろうか。芸術をこよなく愛するその行為は一種の逃避行動なのか。そんな予感がふと脳裏を過ぎったが、口に出すべきことではないし確かめる術もないので口にはしない。
「ところで、トシキ君は奴隷商だっけ?」
「ええ、そうです」
「お店の経営は上手く行っているかい? もし良かったら資金援助とかしようか?」
「大丈夫ですよ。今幅広く営業を取っておりまして、人材派遣業と副業で生計を立てております」
「そう? でもね、辛かったら僕を頼っていいからね」
急にどうしたというのだろうか。
「その、だって今日も僕のわがままに付き合わせちゃったからさ。埋め合わせしないといけないかなって」
「ああ、お気遣いなく。埋め合わせだなんて恐れ多いです。今日の用事はそこまで重要ではございませんでしたから。むしろ私がいなくなって奴隷たちも伸び伸びしているかと」
「……そうなの? え、ていうかそんな奴隷商初めて見た」
「ははは、お恥ずかしい限りです」
埋め合わせをしたい、だなんて言い出すベリェッサ嬢であったが、今日俺はどっちみち商店から離れて営業活動をするところであった。その営業先もまあ、言ってしまえば鍛冶屋や武器屋であり、さっきちょこっと博覧会に足を運ぶ前に挨拶だけ済ませてきたところだ。
白紙になったのは、そのあと飯でも食べながら彼らと交渉して具体的な数値を詰めようというプランであり、それはまた後日に回せばいい。
それよりも令嬢ベリェッサとの用事のほうが遥かに重要であった。なにせ彼女は貴族なのだ。機嫌を損ねられたら何をされるか分かったものでない。
気分としては鍛冶屋とか武器屋と交渉したかったが、令嬢ベリェッサとの約束をほったらかしには出来まい。
「奴隷商の主人がいなくなって伸び伸びって……」
「ええ、何でも奴隷たちで『女子会』なるものをするようです」
眉をひそめるべリェッサをよそに、俺は微妙な表情を作って答えた。
帰りたくねえ、と切に思う。
女子会だなんて、そんなのどう考えても俺への愚痴とかじゃねえか。
そもそもヘティとミーナの二人で女子会が開かれているっていうだけで俺はもう胃が痛くなる、というのにさらに追加されるメンバーがユフィ様である、イリとネルも若干怖い、きっとあることないことで盛り上がるに違いない。
外泊しようか。
久しぶりに夜のキャシーに会いに行くのも悪くなさそうだな、と意識を遠くに飛ばす。
「女子会? もしや奴隷たちでサロンでも開いているのか! 面白いな! 実に面白い取り組みだ」
「ええ、私も面白いと思っておりました。……ええ」
サロンというのは上流階級の貴族が開く社交界のことである。もちろん女子会とは全然違う。
女子会、まあある意味社交界であろうけど、べリェッサ嬢の想像するような知的な会ではない。
あれこれ考えると、どんどん気分が重くなるのが分かった。もう光景が想像できる。ミーナが率先して愚痴ってユフィと二人でわんやわんや盛り上がるのだ、そして聞き上手のヘティがしれっと毒を吐いて、イリはうんうん頷き、ただ一人ネルが俺のために心を痛めてくれるのだ。しかしミーナかユフィかが爆弾発言をして、ネルが俺に失望してジト目しか寄こさなくなるのだ。
乾いた笑いしか出てこない。
「大丈夫かトシキ君? 顔色が優れないぞ? え、や、やっぱり僕のせいか、僕のせいなんだな? ご、ごめんね、その」
「いえいえ、ご心配なく。……ところで、何か話があったようですが」
「ああ、よく気付いたね」
「商人ですので」鑑定スキルの心理グラフを見ていたら、いつ話を切り出そうか窺っていたのが丸分かりである。
「……話のそらし方も一流だね。えっと、僕がどうして君が奴隷商なのか確認したのかっていうとね。トシキ君にあって欲しい人がいるのさ。……人というよりは奴隷だね」
「奴隷?」
「そう。……アントニ・スヴァルツドヴェルグ。ドワーフだけど芸術にとらわれた変わり者。そして、自暴自棄になって無茶な勝負に負けて、奴隷になった人」
◇◇
「ですよね! 思いますもんそれ! そこ黙っとけばいい雰囲気なのにってタイミングでも喋りかけますし! こっちの体を拭くときとか『ミーナは綺麗さ』なんて会話のつなぎにいちいち挟んだり! 絶対あれですよ、主様、無言で二人っきりとか耐えられないパターンの人ですよ!」
「ご主人様は、コミュ障」
「そうですよイリ! 何か知らないですけどこの前二人で買出しに歩いているだけだっていうのに、急に上向き出したかと思ったら『ふう。あーあ、買い物だなあ』なんて独り言いってて。買い物だなあ、て! いや買い物ですけど! そのナレーション要る!? みたいな」
「ふふ、分かるわそれ。この前も御主人様ったらね、お店に座っていたら『何しよっかなあ、調薬しよっかなあ』とか言いながら店主用テントに向かったの。その様子を何となく眺めてたらすぐに出てきて『やっぱ調薬やめた。営業行こうっと』とか言いながらいそいそ支度してたの。面白かったわ。何でいちいち口にだすのかしらねえ」
「うわー! ヘティのそれ、めっちゃ想像できます!」
「……ヘティさん、そうなんですか? ご主人様って意外と構って欲しい人なんでしょうか……。何か可愛いですね」
「ええそうよネル。ご主人様、ああ見えて可愛げある人だと思うわ」
「嘘……」
「ユフィ、ショック?」
「え、意外、ていうかそんなの知りたくなかった……。何ていうか、あの人何でも勝手に自分で決めるワンマンみたいに思っていたから……」
「ユフィ、ご主人様のこと、尊敬しているよね」
「え、や、尊敬とか、違ッ」
「何か、大人に噛み付く子供みたい。呼び方も、あいつから、あの人になってる」
「違うし! 呼び方変えたのはけじめだし! 尊敬する要素ゼロだし! ……ていうか皆尊敬してるの? どうなのイリ?」
「ん。一応。お仕事はしっかりしていると思う」
「嘘でしょ……」
「私も尊敬してます。ご主人様はマリエールさんのことを凄く理解してました。ルッツ君も、カイエンさんも、チッタさんも。人を理解できるのはきっといい人だからだと思うのです」
「ネルまで……」
「えー、ユフィは尊敬してないんですかー? 私普通に主様は尊敬してますけど。行動力と知識量半端じゃないですよ、あれ」
「え、で、でも、尊敬っていうよりかは、人間離れしてるっていうだけよ、私的には」
「ふふ、そうね。……私も尊敬するところはあったけど、最近はダメ可愛い面ばかり目に付いちゃうわ。ふふ」
「あー。ヘティダメ可愛い男好きっぽそうですよねー。でも、私は尊敬できる人じゃないと厳しいですねー」
「あら、その割にミーナが一番ノリノリでダメなところ挙げているじゃない」
「尊敬できるけどー、が良いんですよ! え、だってあの人あれですよ! 未だに女と会話すると緊張するみたいなこと言ってたんですよ! 良いじゃないですか! そういうのどストライクですよ!」
「……あの、チッタさん、大丈夫ですか?」
「え、ネル? オレが?」
「そうよね。チッタさっきからずっと黙ってばっかりじゃない。何かあるなら言ったほうが良いわ」
「いや、ヘティさん、オレこういうの慣れないんすよ……。何か、オレの中でのイメージじゃ、商人様って凄いハキハキしたスパルタで、でも優しい人みたいなそんな感じなんすよ……」
「ね、ね、チッタ、主様は緊張してませんでしたか!」
「……ちょっとしてたっす。多分」
「ほらー! ほらほら!」
「……何か、ミーナさん。多分ですけど、オレのほうが背が高いんで、商人様はオレのこと見上げなきゃダメなんですよ。何か、それがプレッシャーになってるんじゃないっすかね? んで、早口になってたまに噛むんすよあの人。『ここはこうしゅるんだ』とか。でも笑えないじゃないっすか! やっぱ怖いっすよ! だからオレ、『うす!』みたいな」
「可愛い! それ可愛いですよチッタ! ですよねネル!」
「はい、何かチッタさん可愛いです!」
「そっちなの!?」
にぎやかな会話が聞こえる。今のところ途切れる様子はなさそうである。
俺はというと、死にたくなっている。
博覧会から帰ってきて、精神的な疲労が大分残った状態でこれだ。何で俺こんなにぼろぼろなんだろう。
恨み言の一つ二つ言ってみたいが、多分ボロ雑巾になるのは火を見るより明らかだったので、無言で店主用テントに帰ろうとする。
「――今もし主様が外にいたら面白くないですかねー? どうなんですかー?」
そんな矢先のこと。
何てタイミングで話を振りやがるんだ、と背筋が寒くなった。
咄嗟に走って逃げようかと思ったが「とぅ」といきなりミーナに飛び掛かられて捕まえられてしまう。
女子会メンバーたちは全員ぎょっとしていた。
俺は表情に困った。乾いた笑いしか出てこない。
何か意味深な笑顔を浮かべたミーナだけが、この中で唯一余裕があった。
誰の会話を俺に聞かせたかったのか。
誰へ会話が俺に聞かれていることを知らせたかったのか。
久しぶりにミステリアスな笑顔を浮かべるミーナは、「これで皆仲良くなるんですよ」とヘティのそれより読めない表情で囁いていた。




