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奴隷キャリアプランナーは成功できる職業  作者: Richard Roe
8 ギャラリーまでのキャリアプラン
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第二話

 老いたドワーフ、アントニ・スヴァルツドヴェルグは全てを諦めていた。

 芸術家から芸術を奪ったとき、残る物は何もない。人並みの技術を他に持ち合わせていればもっと器用に生きられたであろうが、アントニには芸術しかなかった。


(神よ、このジジイめに何を求めておりますじゃろうか)


 アントニは目が良かった。

 物の細かい造形をしげしげと眺め、その細かい部分を絶妙な陰影で表現することに長けていたのだ。尖った部分を光沢表現と流れる筆使いで。丸みを帯びた部分をグラデーションと厚い重ね塗りで。

 生まれる絵画は自然と重厚精緻なものへとなっていく。

 神の目と呼ばれた。

 見える色彩が全て見える、と評判になった。

 アントニはそれ故に、芸術界に名を馳せた。写実主義の流行が強い中で、彼の作風はいかにも時風に合っていたのだ。ぼかし(スフマート)、幾何遠近法、などの様々な遠近法や色彩技法に彩られた精緻画は、アントニ以外の者に再現不可能であった。


(このジジイは、愚かにも神に挑戦しようとした男ですじゃ。恐れ多くも芸術を極めたつもりにありましたのじゃ)


 時代は変わった。

 絵画美術は、写実主義的な流れから、歪みを取り入れたバロック的芸術へと変遷した。人体彫刻には生体学的に不可能な体の捻りを取り入れ躍動的に、人物絵画などは蜃気楼や魚眼レンズを通した世界のような歪曲を芸術に取り込んだ。ただただ現実的な芸術ではなく、『主題』が強調される。神話なら神秘性、騒乱なら躍動感、そういった『主題』だ。芸術はよりリアルからより物語的主題性へと焦点が移しかえられる。

 アントニはそれでも第一線を走った。

 彼のバロックには色気があった。精緻な表現をあえて歪めた作品は、それでも迫るものがあったのだ。

 しなり方が目を引くような曲線。強調された対比。物体の輪郭のバロック的歪曲の強調、色彩的な対比による強調、構図的な強調、と『見せたい物』を強調する技巧は天才のそれを思わせる芸術であった。対比的に照らしあわされる彼の芸術は、この瞬間また新たに花開いたといって過言ではなかった。


(恥の多い人生を送ったと思いますわい。マニエリスムぐらいこのジジイに真似出来ると思うたのですじゃ)


 だが、時代の流れは早かった。

 そもそも歪曲的で強調対比を重んじたバロック芸術は、マニエリスムの産物だ。マニエリスムとはマニエラ(マナー)、つまり表現様式(manner)である。歪曲する、強調する、対比する、という表現様式を手に入れた芸術界は、その表現技巧主義、マニエリスムを推し進め、別の芸術へと辿り着くことになった。

 印象派。

 光の動き、質感を強調する。正面性に囚われず自由なアングルから構図を作る。スピード感を重視し、絵は瞬間瞬間を重んじるようになる。

 アントニの芸術に翳りが出始めたのもこの頃からだ。

 円熟した技法で、それでもなお一流の芸術家ではあったアントニだが、アントニに比肩するものがたびたび現れるようになったのだ。

 絵画は精緻で細やかなタッチを必要とはしなくなった。多少荒々しい線でも強調構図に一役買うものだとして迎合される。

 アントニは目が良かった。良かったが故に、そういう粗い線を得意としなかった。粗い線で構成された現実世界のものが、存在しないからだ。

 それでもなお彼が褒め称えられるのは、彼の芸術が美しかったから、である。


(印象派。実に印象的じゃった。このジジイも見惚れてしまうこともありましたわい。それでもこのジジイの芸術が通用すると思うていたのですじゃ)


 彼に新しい風を突きつけたのは印象派の次の芸術であった。

 野獣派フォーヴィスム。立体派キュービズム。

 どちらも鮮烈でセンセーショナルであった。芸術がただ単なる写実に決別した瞬間でもあった。

 野獣的な色使いのフォーヴィスムは、荒々しくも色彩が派手で明るく、見るからに目を引く。目で見る色彩ではなく、心で感じる色彩。芸術はデッサンや構図などの理知性ではなく、芸術家の感覚的なものを表現するためのものだとする、鮮烈な芸術を開拓した。

 立体派キュービズムは真っ向から反した。

 ルネサンス的写実主義に基づいた一点透視図法を捨て、様々な角度からみた被写体を、無理やり一枚に押し込める。全てがキューブのように構成されるこれをキュービズムと揶揄するものがいて、その名が付いた。

 そしてキュービズム絵画は、フォーヴィスムとはまた異なる。デッサンの理知性、極端な単純化、象徴化。

 フォーヴィスムが色彩の革命であるなら、キュービズムは形態の革命である。


(完敗じゃった。フォーヴィスム、キュービズムは素晴らしい。色彩の進化、形態の進化を感じましたわい。それこそこのジジイに才能が足りないことを突きつけるような、斬新なものじゃった)


 革命の波はアントニを一線から押しのけた。

 アントニの芸術は、古いものだとされるようになった。感覚に訴えかけるような鮮烈さが、周りに負けているのだ。彼の芸術はただの模倣である――とまで言われた。

 それでも時代の流れがアントニに止めを刺さなかったのは、彼の芸術が本当に優れていたからに過ぎない。

 時風に合わなくとも、彼の芸術は間違いなく美しかった。彼が神の目と言われていたのは本当のことであった。

 何が彼に止めを刺したのか。

 それは、脳の障害。


(……形が見えなくなりましたわい。これも、愚かな行為が祟ってのことじゃろう)


 アントニは、この世の物の輪郭を失った。

 溶け出るような世界、形態を記憶出来ない脳障害。アントニに与えられた運命は、芸術家として致命的であった。

 写実画、精密画などもっての他だ。

 アントニの神の目は、この時死んだのであった。






 ◇◇






「これが僕のコレクションさ。素晴らしいだろう? 僕は芸術に目がなくてね」


「お招きいただきありがとうございます。素晴らしい作品の数々に、ベリェッサ様の芸術への造形深さを感じ入っております」


「いくらでも見ていってくれたまえ、この間はお世話になったからね」


 本当だよ全く。どれだけ肝が冷えたことか。

 そんな内心の悪態を他所に、俺は表面上はにこやかに美狂いベリェッサと会話をした。


 あれが宮廷音楽家ヤコーポ殿が作曲されたオーケストラ楽曲を閉じ込めた音楽石さ。彼は正に新バロック的だよ。歌い声がソプラノ・アルト・テノール・バス、どれも予定調和のように混ざり合ってポリフォニー的な様相を表している。なのに彼は独唱による感情表現、モノディを導入して、声楽を新たに革新させたんだよ。彼の推し進めるオペラ、という音楽劇も実に興味深いものだね。

 これは刻印師ミロワールによるオリエンタル芸術の一つ、木彫りのオブジェさ。形状は、まあ、その、淑女の僕が喋るのも憚られる、ファルス(男根)的なものだけどね。シャーマニズム的な毒々しさと生命への畏怖の念が伝わってくる力作だと思うよ。

 それは最近まで活躍していた芸術家アントニの精密画さ。アラベスクを思わせる背景と中央の天使の細かい装飾、そして繊細なタッチが本当に素晴らしい。天使はバロック的な捩れの多様でダイナミックな躍動感を出している。でも後ろのアラベスク状の背景演出は、ゴシック美術に良く見られる豪華絢爛さと精緻さだね。でも全体の調和を重んじた構図は、まるでロマネスク芸術に見られる画一様式の美に近しい。流石に名画だよ、『天空の花』が絶賛しただけはあるね。


 などなど。

 ベリェッサ嬢がうっとりと語る解説は、聞いているだけで疲れる。カタカナが多く、話している内容の半分以上が理解出来ない。

 俺は適当に「なるほど」「素晴らしいです」「美しい」など言葉を合わせているだけだ。


「君も結構詳しいんだね。嬉しくなるなあ、僕も大好きなんだ、美しいものがね」


「いえいえ、まさか。付け焼刃の知識ですよ」


「そんなものか! 付け焼刃の知識の人間が、あの絵画が誰のものだ、とか、あの絵画に使われている表現技法は、だとかを知っているはずがない! 僕も知らないようなことを知っているんだよ? ああ、何だか君には運命を感じるよ……」


「恐縮です。その運命が是非良い縁であることをお祈りします」


 実を言うと、感激するべリェッサ嬢をよそに、会話の最中に鑑定スキルを連発しているだけである。

 作者は誰なのか、その作者は何で有名なのか、どういう表現技法をよく用いるのか、などの知識をそこで仕入れる。

 そして適当に「なるほど、そう言えばネレイカ・カークウッドはフォーヴィスム的な色彩の鮮烈さで情景を際立たせることが得意でしたね。『極彩色の魔術師』とは良く言われるだけはありますね」と知識をひけらかす。そうすれば「君は良く分かっているな!」と食いついてくるのだ。

 種を明かせば実に簡単な話である。

 付け焼刃どころかリアルタイムで情報収集しているという有様だが、なんとかこの場を凌げている。おかげで芸術に詳しくなってしまい、この会話で芸術Lv.0を取得してしまった。

 鑑定スキルには本当にお世話になっている。


「どこでそんなに詳しくなったんだい? ねえ、君はもしかして貴族なのかい? それともデュローヌ家・メディチ家の両家が復興させている芸術サロン『アカデミア』の一員か何かなのかい?」


「ご想像にお任せします。商人とあらば耳が広くなるものですので」


「僕も耳は広い方なんだよ? 『港の街』の大貴族デュローヌ公爵家、メディチ侯爵家、『白い街』の芸術一家ペーリ侯爵家とはそれなりの交友を持っているんだ。でもそんな僕でも知らないような芸術にまで精通しているだなんて……。僕以上に芸術に造形のある人間なんて初めて見たよ」


「お褒めに預かり大変光栄です。実は私も芸術に興味がありましてね。芸術に精通していらっしゃるベリェッサ様の興味のありそうな分野を先に調べさせて頂きました。浅学ながらも貴女と芸術の話ができて、大変嬉しく思っております」


「浅学な訳があるか! 許されるなら僕は、今夜もずっと君と語り合いたいぐらいさ……」


「大変光栄なお言葉ですが、ベリェッサ様。二日続けて夜を明かすことは大変体に障るかと。それに私は平民です。貴女とは身元の高貴さが異なる身分です。あまり私と懇意になり過ぎれば、厄介な噂を招くかと」


「実に残念だよ。……ねえ、君はもしかして僕のことが嫌いなのかい?」


「まさか。貴女との時間は非常に有意義だと思ってます。しかし……貴族の方と接する機会は少なかったので、どうにも緊張してなりません。偶にこうやって楽しいひとときを過ごすぐらいが性分に合いそうです」


「……嫌わないでくれるかい?」


 これは何だろうか。

 貴族の娘からのアプローチに、どうにも俺の方が辟易している。この美狂いベリェッサはどうやら芸術が好き過ぎて、芸術に詳しい俺にかなりの好意を抱いてしまったらしい。


「もちろんです、理由がない限りは嫌いませんとも。気にかけてくださる方を理由なく嫌う商人はいませんよ」


「そうか! 嫌われないように努力するよ!」


 犬っぽい。

 内心に込み上げる失礼な感想を押さえ込んで「恐れ入ります、私こそ嫌われないよう努力いたします」と返す。


(しかし、何でこうなったんだろうな……)


 ここまで仲良くなったのには理由がある。

 昨日のことを回想しながら俺は苦笑した。


 昨日は結局、拳闘大会の表彰式を最後まで見届けることとなった。優勝はキャサリン・オーガ。魔族、女、という二つの偏見を乗り越えて勝利の栄光を手にした彼女は、祭事堂全体の万雷の拍手で称えられた。

 チッタもまた大きく称えられた。奴隷、初めての挑戦、という物珍しさに加え、キャシーを二度もダウンさせることに成功したそのガッツが印象に残ったらしい。

 トロフィを抱え、もう片方の拳を天高く突き上げるチッタの姿は印象的であった。奴隷たちも全員思うところがあったようで、チッタのそんな姿をまじまじと眺めていた。

 奴隷でもここまでの成功を掴める。その証拠をチッタは掴み取ったのだ。

 そして。

 俺は約束通り、ロスマンゴールド商館へとベリェッサ令嬢を送り届けた。先にヘティたちを使い走らせて、ロスマンゴールド商館に無理を言って交渉したのだ。

 夜分遅くではあったが、商人ギルド長、チェーザレ・ロスマンゴールド氏は俺達を快く受け入れてくれた。大きな貸しと共に。


「トシキ君、ようやく私を頼ってくれたね? 今までアリオシュの爺さんしか頼ってないように見えたから、商人ギルド長の私からすれば冷や汗ものだったよ。いつ君に裏切られるだろうかってね」


 にこやかに言うチェーザレ氏は、言外に「貸し一つ」「冒険者ギルドじゃなく商人ギルドの紐付きにした」を強調していた。

 今まで余り隙を見せなかった俺にここぞとばかりに貸しを作ったとアピールをしているのだ。

 だから嫌だったのだ。

 チェーザレ氏を頼りたくなかったのは、交渉スキルがLv.4もある若手のエリート商人だからという点に尽きる。ギルド長となれば現役引退しているひとが殆どのはずなのに、チェーザレ氏は海千山千の現役商人なのだ。俺も営業活動のおかげか交渉スキルがLv.3にまで成長してはいるものの、どうにもチェーザレ氏には太刀打ちできそうに思えなかった。


(色々あったけど、ここまでが話の前半)


 ここまでがロスマンゴールド商館にたどり着くまでの話である。むしろ気を揉んだのはここからである。

 というのも、領主の家族に迎えにきてもらうまでの長い間、このべリェッサ嬢のお世話役につきっきりになったからだ。

 一部抜き出しておくと。

「トシキ君! 君も芸術に詳しいんだね!」と、ロスマンゴールド商館に飾ってある絵画トークで令嬢ベリェッサが目を輝かせて。

「君の奴隷たちは可愛いなあ! あと地味にいい匂いがするよ!」と、毎日湯で体を清潔にさせていることが功を為してか令嬢ベリェッサが感心し、ミーナ、ヘティ、イリ、ユフィ、ネル、チッタに抱き付いたりして。

「ねえ君にも抱きついていいかい!」と令嬢ベリェッサが死刑ものの提案を行い。

「今度僕のコレクションを紹介するよ!」と約束を結ぶが一部始終。


(昨日の今日で、コレクションを見せてもらう羽目になるとは)


 昨日、ロスマンゴールド商館からの別れ際に「明日は僕の芸術博覧会に来てくれよ!」と念を押されてしまった。

 領主誕生祭の三日間ずっと開いている博覧会らしい。

 正直なところ、博覧会に足を運ぶ予定はなかった。その日は単純にチッタのために営業活動をする予定だったからだ。

 チッタのスポンサーになってくれるのは今のところ確定分では『精肉屋バリー』のみだ。だからそのスポンサーを増やそうかと思っていたのだ。

 だが博覧会でそれも白紙になった。


「? えへへ」


 回想から戻って我に返った俺は、いつの間にか令嬢ベリェッサと目が合っていた。

 無駄に可愛い。だが厄介でしかない。

 隣で「あれはね……」とまた新しい作品の解説に移る彼女を余所に、俺は芸術スキルに経験値がどんどん溜まっていくのを感じ取っていた。

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