新第三話
「あ、主様ー! お帰りなさいませ!」
「ああ、ただいま」
テントへと戻ると、ミーナが槍を振って俺の帰宅を温かく迎えてくれた。
何故彼女が槍を持っているのかというと、槍の稽古を奴隷たちにつけている途中だからである。
奴隷達は誰も音を上げてこそいないものの、ミーナの指導はなかなか厳しかったらしく奴隷達の表情には疲れが見て取れた。
果たして稽古の効果はあっただろうか、と覗き込んでみる。
(鑑定スキルを使うと、確かに槍術のスキル経験値に成長が見られるな。……誰でもスキルは後天的に取得可能だということがこれで証明できたわけだ)
彼らのスキルの成長を見て俺はこっそり確信した。
奴隷たちに槍稽古をつけることの最後の狙いはこれである、即ち『スキル取得の検証』だ。
俺の交渉スキル、運搬スキルが既にその可能性を示唆しているが、どうやらスキルというものは後天的に取得することができるものらしい。なのでもしかしたら俺も槍術や剣術を習得してスキルチートをすることができるかもしれないのだ。
どうやらこんな所までゲーム「fantasy tale」の設定通りだとは、と若干苦笑する。
「どうだ、槍稽古のほうは順調か?」
「まあまあ順調です。槍捌きを見ていると筋がいい奴隷がちらほらいて、何か教えがいがあって楽しいですねー」
ミーナ曰く、皆が真面目に取り組んでいるので指導しやすいらしい。
うちの奴隷三〇人中、ほぼ全員が槍の稽古、剣の稽古などに自主的に参加している。
自分の身体能力に自信のある者はもちろん、中にはあまり戦闘に適正のないものでさえ、どうせならばと参加しているようであった。
あの俺の演説の賜物なのか、そうではないのか、それは定かではない。
ともかく、全員嫌々させられている訳ではないので、ミーナの指導をよく聞き、悪い点を自発的に直してくれる。結果的にミーナにとって指導しやすい状況になっていた。
「それに、近々魔物討伐に駆り出されるかもしれないということで、戦闘奴隷たちは気合いの入りようも一入ですね」
ちら、と戦闘奴隷たちを見やるミーナ。
戦闘奴隷というのは文字通り、戦闘要員としての活躍を期待される奴隷のことである。
今現在『人材コンサルタント・ミツジ』にいる戦闘奴隷は一三名。
彼ら一三人は、俺が鑑定スキルを用いてステータスの高い者や、槍術スキル、剣術スキルなどの適性の高い者を選別して残った者たちである。
槍の稽古を本格的につけられているのは六名、剣の稽古のほうは五名、稽古をつけている二人を合わせて合計一三名という内訳になっている。
稽古の指導者の二名は、その中でも槍術スキル、剣術スキルが一番高い者だ。
槍術の稽古をつけているミーナは、槍術Lv.3(もうそろそろLv.4になる)を保有しており、実はうちの商店の中で一番戦闘能力が高い。
そんなミーナの指導ということもあってか、奴隷たちの槍捌きもみるみる上達して様になっていた。
「なるほど、順調そうだな。ちょっと前までは槍に振り回されているようで大して強くなさそうだったのに、今じゃ慣れたもんだな」
「ええ。スラム街によくいるちょっとした酔っ払いとか浮浪者じゃ全く太刀打ち出来ないでしょうね」
槍なのに太刀打ちか、とふと思った。
では剣術のほうはどうだろうか、と俺は視線を剣稽古をしている奴隷たちの方に向けた。
「……そいつはダメだぜ、剣を振るとき反対側の腕の脇が開いていると、胸筋が開いてそっちに軌道が逸れるってもんだ」
一人のリザードマンが奴隷に指導を与えている。
カイエン・レプティリアン。剣を片手にそれなりに活躍した元冒険者で、現犯罪奴隷。やたらと長身で見た目も怖く、しかし話しかけるとそこまで気むずかしいわけでもない、気のいい男。
彼の指導の具合は、まずまずというところであった。
剣術Lv.2(もう少しでLv.3になりそうだ)の彼は、槍術Lv.3のミーナとはやはり差があるのだろうか、教えている奴隷達の成長具合でいうとミーナの方が戦闘奴隷たちのスキル経験値が大きく育っていた。
とは言え余り気にするほどの差ではない。
「……カイエンの方も良い指導をしているな」
「ですね。彼は元冒険者ですし、魔物を討伐するコツを一番深く理解しているのではないでしょうかね」
そうだろうな、と俺は思った。
カイエンの指導は、型を反復させて学習させるミーナのそれとは異なり、実戦形式にかなり近い指導になっていた。
型を体で覚える事で効率のいい捌き方を咄嗟にかつ無意識に繰り出せるようにするミーナの方法と、実戦においてどこを攻めたらいいか、どこを守ったらいいか、距離をどの程度保つべきなのかという戦いの勘を育てるカイエンの方法、そのどちらも正しいものだと俺は思う。
ただ、その性質上自主練習や反復学習がしにくい分カイエンの指導の方が奴隷達のスキルレベルが育ちにくくなっているのは仕方がないことなのかもしれない。
「……でも、カイエンはどことなく流しているな。もしかしたらもう二度と剣を握るつもりはなかったのかも知れない」
剣気に覇気があまり感じられないのは、だからなのかもしれない。鑑定スキルによるカイエンの心理グラフの分析も、必死なそれではなく、どことなく上の空めいた気持ちだと示していた。
空虚な剣。
俺は別に剣に詳しいわけじゃないが、鑑定スキルが、カイエンの体に全く無駄な力みがないことや、カイエンの心に精気がないことを教えてくれる。
ある意味洗練されている、という捉えかたで見れば好ましいことなのかもしれないが。
「……もう二度と剣を握るつもりがなかったかもって、つまり、犯罪奴隷だからですか?」
周りに聞こえないように、小さな声でミーナが確認してきた。
俺はそれに「ああ」と小さく頷き返した。
カイエンは、罪を犯したことで奴隷に身を落とされた犯罪奴隷である。
その罪とは、かつて冒険者として護衛していた貴族の少女を、彼女欲しさに依頼を破り、一緒に冒険者としてパーティを組んでいた友人を殺害し、結果貴族の少女の顔にも傷を追わせたこと。
友殺し。
それがカイエンの抱えている汚名だ。
(……本当に友を殺したのか? )
そんなことを考える俺の視線の先で、カイエンが奴隷に向かってふっと薄い笑みを浮かべていた。
「おいおい、剣に力がないぜ」
彼の口からこぼれ出たそれは指導の言葉なのか自嘲の言葉なのか、俺にはついぞ分からなかった。
「――へえ、こんな夜中に何の音かと思ったら、ご主人様も槍術を習得するつもりなのかしら」
「すまんヘティ、起こしてしまったか」
「いいわ、私が個人的に眠れなかっただけだもの」
夜。
皆が寝静まり、すっかり周りが深い闇に包まれた頃を見計らって、俺は槍を振るっていた。
それぞれ「鍬の型」「角構え」など型に名前が付いているので、ひたすら再現していく、ただそれだけの作業。鑑定スキルはその作業に一役買っていた。
何故なら、鑑定スキルは『構え』や『型』に対しても鑑定を実行することが可能だったからである。
例えばこの動作は「月の型」、あるいは「牛の型」、というようにどの「型」なのかという鑑定結果を表示し、そしてその構えがどれほど上手なのかを熟達率、適合率などで評価してくれるのだ。
つまり、目に見える形でどこがどう悪いのか、という情報が一発で分かる。
後はその熟達率、適合率の数値に注意を払いながら、体に動きを覚えさせていく作業でしかない。
徐々に洗練されていく俺の動作を見ながら、ヘティは静かに微笑んでいた。
「冗談みたいな早さで上達するのね。私は専門家じゃないから分からないけど、素人目から見ても上手よ、ご主人様」
「……まあ、鏡がなくても知識がなくても、どこがどう悪いのかが分かっちゃうからな……」
「? よく聞こえなかったわ」
俺の小声の独り言は、結局ヘティには聞こえなかったようだった。
踏み込んで鋭く突く。即座に飛び跳ねて距離を取る。上に下に突き分ける。
基本のこの動作を、俺は殆ど完璧にこなした。
この段階で俺は槍術スキルLv.0を習得することに成功し、スキル取得前と比較すると明らかに体の動きがよくなっていた。
スキルの加護であろう、動きの俊敏さが明らかに底上げされている。
(この調子でスキルを複数所持すると、とんでもないことになりそうだな)
スキル一つでこの有様なのだから、例えば剣術スキルや舞踊スキルなど、そういった他のスキルを取得すればどうなるだろうか。
きっと相当強くなることは想像に難くない。
それこそどんなスキルを習得するにしても鑑定スキルがある。剣術でも同様に、この動作はこの型でこの構えで、と試行錯誤的にスキルを習得していけるだろう。
そしてそのたびに、俺にはスキルごとに加護が掛かるわけで。
「……まあ、俺は奴隷商なんだけどな」
強くなったところで一体何なのだ、と俺は自分に苦笑した。無意識のうちに強くなろうとしている自分が可笑しい。
「……ねえ、ご主人様。貴方は何を目指しているのかしら?」
「ん? どうした、ヘティ」
「言葉通りよ。一体ご主人様は何を目指しているのかしら。奴隷たちに向けて、『この世に命をもらった以上、名前を残したいとは思わないか』なんて、『奴隷とは心の在り様』なんて、そんなこと言っちゃって……そう……」
ふと槍の動きを止めてヘティに向き直ると、彼女は不思議な表情をしていた。
空虚な表情という表現が最も近しいのだが、何かもっと別の質問をその言葉の裏に込めていて、その答えを知りたがっているような様子であった。
要は、遠い目。
今を見ていないという意味では『虚ろな表情』という言葉は、確かに彼女を端的に表現していた。
「ヘティは、俺に何を目指して欲しい?」
「……そんな切り返しってありかしら」
「教えてくれよ」
突飛な質問だったが、ヘティはしばらく考えて、答えてくれた。
「『何か』を目指していて欲しい、かしら。『何か』には別に希望はないけど、でも何でもいいから『何か』を目指していてくれたら――」
「へえ、面白いな。奇遇だ」
「……。変なこと言ってるかも知れないわね。忘れてもいいわ」
「分かった。次思い出すまでは忘れておく」
多分完璧に受け答えをした、と俺は思う。
何かを目指していて欲しいという気持ちは、実は俺にはよく分かる感情である。人が何かを目指してひたすら頑張っている姿を横でそっと見ていると、それを時々、ずっと眺めていたくなるような気持ちになることがある。
それを見守っていたいという親心ではない。
ただ、ひたむきに頑張っている姿が、時々、疲れて磨耗している自分に突き刺さって目が離せなくなるのだ。何であんなに眩しいのだろうかと。
ただの感傷だが、俺はそういう気持ちがよく分かる側の人間であった。
だから、ヘティの言葉は忘れることにした。忘れるのではないが、深くは聞かないことにした。
その代わりに、会話の繋ぎがてら、ちょっと違うことを質問することにした。
「なあ、ヘティ。……何か叶えたいことがあるなら後押しするぞ」
「叶えたいこと、かしら」
「そうさ」
槍の型の練習を再開しながら向こうに尋ねる。返事はしばらく来ない。
ならば演舞の練習、『炎の演舞』を練習しようと俺が姿勢を改めたところで、ようやく独り言のような言葉が聞こえてきた。
「叶えたいって、何なのかしら」
今度こそ聞こえなかったふりをしたほうが良いだろう。こういう類の独り言はあまり触ってはいけない。
そう思いながら俺は演舞の型を反復させた。
「そうだヘティ。次の改革について教えておこう」
「あら、まだ残っているのかしら?」
稽古を続けてしばらく、ふと脳裏に「あ、このことまだ教えてなかった」と思い出したことがあったので告げておく。彼女が帳簿を読める、というお話を聞いてふと思いついたアイデアである。
テントの清掃と換気、店先での演舞、それに加えてまだ何かをする必要はあるのかと言われると、もちろんまだ何かをする必要がある、と俺は思う。
ヘティに対して「ああもちろん」と答えて、俺はヘティに一冊の帳簿を手渡した。
顧客帳簿。
これを今から整理するのだ。
「顧客帳簿、見たことある?」
「あら、奴隷にはそれを閲覧する権利は無いはずよ。情報漏洩の可能性もあるし」
「そうだな。お前たちはいずれ誰かに雇われる。だからこういう情報は触れてはいけない、はずだ」
顧客帳簿をめくるヘティ。
リスト化された情報には、名前、住所、誰を引き渡したか、いくら取り引きしたか、などの情報が書かれている。
正直もっと詳細を書き記してくれたら助かったのだが、マルクはそこまで几帳面ではないらしい。
(とりあえず先ずは、彼らに手紙を書いて)
最初にすべきことは、手紙による店主の代替わりの挨拶だ。
今までの店主マルク・ドレーシーは新しく店主になったトシキ・ミツジに代替わりし、お店の名前も変わりました、と伝える。
これを顧客帳簿に書かれている人たち全員に送るのだ。
既存の顧客を囲い込むこと。これは営業における基本だ。
新規開拓した顧客はおよそ七%しかリピーターになってくれないことが統計で分かっている。
つまり、新しく人を呼び集める戦略だけでは定着率が悪すぎるのだ。
ならばどうするかというと、リピーターになってくれるように工夫するのだ。
例えばこのように手紙を送ること。それだけでも「この奴隷商は顧客のことを忘れてはいないのだ」と心証が良くなる。
更に優待サービスとして「装飾品や服に心付けさせて頂きます」とでも書き記せば、次にもう一度訪れてみようか、と考えるきっかけにはなるだろう。
「手紙を書くのかしら。ご主人様って奴隷の槍演舞だとか面白いことを思いつく人なのに、文字も書けるし手紙の挨拶もきちんとするし、案外真面目なのね」
「ああ。基本あっての面白いことだ。こういう報告の挨拶は社会人の常識」
「この手紙は? 挟まっていたけど」
「手紙の雛形だな。それと同じ文面のやつを複数枚書く予定だ」
前世の日本で人材キャリアコンサルタントをしていた頃を思い出す。
キャリアコンサルタントの営業は、新規開拓がかなり難しい分野である。もっぱらの取引先は今ある人脈繋がりの会社相手だ。
特に俺は、広告業界に特化したキャリアコンサルタント企業に勤めていたため、広告業界へのコネ作りを必死に頑張ったものだ。
そこで学んだのは、挨拶の連絡は非常に重要だということ。
例えば「こちらからご紹介したい転職希望者がおります」とアポイントを取ることはもちろんのこと、「ご紹介した○○の仕事ぶりはいかがでしょうか」とアフターケアの連絡を入れること、「前任の担当者、○○から仕事を引き継ぐことになりました三辻 俊樹と申します」と引き継ぎの挨拶も忘れてはならない。
キャリアコンサルタントの仕事はかなり営業に近い。
営業は人と人のつながりを重んじる仕事だ、何か細かいことでもしっかり挨拶し、様子をうかがうことが重要だ。
やはり相手方だって、取り引きしてて気持ちのいい人と営業をしたいはずなのだから。
今俺がやってることはさしづめ、紹介した奴隷の仕事ぶりのアフターケアと、前任者からの引き継ぎの挨拶ってところだ。
(特に、こういう異世界における貴族などは、挨拶などを重んじる傾向にあるはずだ)
これは勝手な思いこみだが、恐らく間違ってはいないだろう。
証拠に、オアシス街にある大型商会などは、従業員の挨拶が徹底されており品格が高いことが窺い知れる。
貴族は体面を重んじるものだ。
だからこそ、手紙を書くことには意味がある。
手紙を書くことはつまり、この奴隷商は体面を重んじてくれる商人なのだという印象を与えるのだから。
「あら、文字も綺麗なのね。言い回しは少し気になるところがあるけれども」
「そう、ヘティ。お前にはその言い回しの校正を頼みたい。高級娼妓のお前になら出来るはずだ」
ヘティは「へえ」と柔らかくほほえんだまま、しかし瞳にどこかしらの好奇の色を宿していた。
俺の話を面白いと思ってくれたのか。
「……でも、私は所詮は娼婦なのよ? 男の人に花を売るだけの能しかないもの」
「違うな。お前の瞳には理知の光が宿っている。職に貴賤はない、魂のあり方に貴賤があるんだ」
俺はヘティの肩に手を置きながら、正面から彼女の顔を見据えた。
「ヘティは綺麗なだけのお人形さんじゃない。この店の中でいうなら誰よりも賢い。だからこそ頼むんだ」
「え――」
俺の言葉は届いたのかどうか、ともかくヘティは押し黙っていた。
心理グラフの動きを見ると、彼女の心の大部分は当惑であった。鳩が豆鉄砲を食った様とはよく言うが、今のヘティはまさに、何か不意打ちのように重要な言葉を投げられた時のような反応をしていた。
何だ? そんなに変なことを言っただろうか?
しかし、俺が仕事を頼んだことを不快がるような心理の動きはなかった。
自分の能力を頼られたことが嬉しかったのだろうか? 何と表現すれば正しいのか分からないが、彼女の反応は言わば『役割を見つけた』という喜びに近いものがあった。
ならばひとまずは安心していいだろう。
(まあ、はいと言わなくても俺からヘティに命令すれば、彼女はやらざるを得ない訳だが)
だなんてナンセンスなことを考えつつ、「まあ嫌なら言葉遣いの校正、やらなくてもいいよ」と俺は言い残して、そろそろ眠ることにした。
流石にそろそろ夜もいい頃だ。
今俺は、全身が稽古で程よく疲れているので、きっと横になったらあっさり眠ってしまうだろう。
槍を倉庫にしまいながら、俺は体をぐいと伸ばした。
倉庫から戻る途中で、帳簿を無言で抱えているヘティとすれ違って、俺はそういえば返事を聞いてなかったなと思い出した。
「ああ、悪い。嫌だったら返してくれ」
「……いいえ。やるわ」
「お、それは助かる」
なるほど、引き受けてくれるというのならありがたい。このまま彼女に任せておこう、と俺は思った。
しかし、彼女が帳簿を抱えながら浮かべていた表情は、何とも表現しがたいものだったのが妙に脳裏に引っかかる。
それは、こう、何というか、お前は綺麗なだけの存在じゃないと言われた言葉を反芻するかのような表情だった。