第一話
美狂い卿ベリェッサは、有り体に言えばボーイッシュとやらである。
男物の貴族服に身を包み、背筋をピンと伸ばしてステッキをつく姿はいかにも男っぽい。顔立ちもどことなく利発な男のようなそれであり、顔立ちがはっきりしている。
しゃべり方も男らしいそれであり、声変わりする途上の少年のような声の高さがますます彼女ベリェッサを男らしくさせていた。
「アルベール伯爵令嬢、お初にお目にかかります。私が彼女らの主人であるトシキ・ミツジと申します」
「いいよ。堅苦しいのは嫌いさ。ひとたび堅苦しい振る舞いを許せば、今後一つの失礼で君を公的に処罰せねばならない。それが嫌なのさ」
「なるほど。そうでしたか」
さりとて、堅苦しい振る舞いをいざなくそうという訳にもいかない。
「ですが公的な場であるからこそ、私からアルベール伯爵令嬢への敬意を表したく思うのです。堅苦しくならぬよう言葉を選びますので、どうかこの辺りでご容赦頂けないでしょうか」
「そうか、じゃあいいよ。……改めてこちらも名乗ろうか。ベリェッサ・アルベール。叙爵はまだされていないから、身分で言えば平民も同然さ。よろしく頼むよ」
「いえ、アルベール様におかれましては敬意を払うのに相応しいお方です。こちらこそよろしくお願いします」
頭を下げつつ鑑定スキルを発動する。
確かにベリェッサは叙爵されていない、しかしそれが対等であることを意味しないのが貴族社会である。
言葉を選ぶ。
親しい態度で目の前の令嬢ベリェッサと仲良くなろうとするのは三流、では二流とは何かと言われたら、親しくなることよりも不敬罪に問われないよう言質を取られないことだ。
むろん一流は両方を狙うこと、しかし俺は別段リスクを取ろうとは思わない。
貴族との顔繋ぎはしておきたいが、付き合い方にはバランスが必要なのだ。美狂いベリェッサとは、慎重な付き合い方が良いと俺は判断した。
「そうかい。じゃあトシキ君、君の奴隷たちについて一つ相談を頼まれてくれないか? ……実は」
「失礼します。そういうことであれば、少々お待ち下さい」
「ん?」
一旦話を遮るタイミングで、後ろのヘティに耳打ちをする。特に意味はない。ただ、次の彼女の一言を耳にしてしまえば言い逃れが利かない可能性があるのでしばらく中座させたまでだ。
ヘティには「すまないが何か重要な話を耳打ちされている振りをしてくれ」とだけ伝える。それだけで俺の要旨を汲み取ってくれる彼女は、やはり賢い。
ベリェッサ嬢の気が逸れてヘティの方へと向かったそのタイミングで、俺は言葉を挟んだ。
「……アルベール伯爵令嬢、申し訳ございません。私としましても貴女のような方とお話しできて大変光栄ですが、本日は夜も遅く、これ以上の夜風は体に障りますでしょう。そして、この誕生祭の間に商談に準ずることを行うことは奨められない行為です。また機会を改めてお話しできませんでしょうか」
「ん、ああ。……何、僕のようなうつけは風邪を引かないさ。それに我が父上の誕生祭の本祭は明日だとも。……と言いたいけど、それは些か横柄というものだね」
「ありがとうございます。では、そろそろお暇したく――」
「ダメだよトシキ君。よく見たら可愛いね君。ねえ、夜に出会った少年少女の二人は何をするか知っているかい?」
謎の食い下がり。
「お褒めに預かり恐縮です。……そうですね、ではもう少し安全な場所までお供しましょう。夜に少年少女が出会ったなら、少年は危ない夜道を帰るお嬢様の身をお守りしなくてはならないかと」
「……うーん。噂通りだよ君は。本当つれないな。一四、五歳には見えないね」
「恐れ入ります」
粘られてしまった。俺は少しだけ内心で面倒臭いと思ってしまった。
本当は夜道をエスコートだなんてしたくはない。しかし帰してくれないのであれば仕方がない。
しかし何故ベリェッサ嬢は粘ろうとしたのだろうか。そこまでしてうちの奴隷が欲しいのだろうか。
生まれた疑問を一旦置いておく。
そのまま俺は彼女の側に控えている護衛に「どちらまでお送りすればよろしいでしょう」と尋ねた。領主の館に行けばいいのか、それとも高級宿などに行けばいいのか、一応確認しておこうと思ったのだ。
返事はない。
どことなくうろたえて「え、いや、私は貴族様の護衛ではありませんが」と戸惑っている。
護衛ではない。そんな馬鹿な。
もう一人それらしき人に「ではあなたが」と問いかけるも、滅相もないと答え返される。
どういうことだろうか。
彼ら二人は剣術スキルを備えているので、てっきり護衛のものかと思ったが。
護衛は誰なのか。そう思った俺の疑問が顔にでていたのだろうか。俺の顔を見て、令嬢ベリェッサは短く答えた。
「ん、ああ。実はお忍びなのさ」
「お忍びですか」
えっ。
言葉の上では冷静に対処したものの、俺の頭の中は何やってるんだこいつという驚愕でいっぱいだった。
護衛も付けないお忍びってつまり、家出とか脱走とかなのでは。
この上なく厄介な匂いがした。
即刻お帰り頂きたい。
「ああ。放蕩娘だからね」
けろりとのたまう彼女。
「では、ご家族の方には秘密ということでしょうか」
「ああ」
頭が痛くなる話だ。
俺が内心何度目になるか分からないため息を吐いたとき、目の前の令嬢ベリェッサは名案をひらめいたと言わんばかりの笑顔を浮かべた。
「そうだ! 良いことを思いついた! 匿ってくれよ! 僕は今日帰りたくないんだ」
良いことを思いついた、じゃない。断じて。全くもって。
「申し訳ございません、アルベール伯爵令嬢。私は平民の立場にあります故、貴族様の事情に踏み入ることの叶わない身です。貴女のご家族の方々の反感を買ってしまえば最後です、きっとこの首一つでは済みません」
「僕が庇うとも。父上はああ見えて僕のことを溺愛しているのさ。僕が庇えば、君は咎められることも死ぬこともない」
「溺愛なさっているからこそです。アルベール伯爵令嬢の身に何かが起これば全ては私の責任です。それこそその美しい御腕に虫でも刺しましたら事件でしょう。私のような卑しい身、如何な処罰でも逃れられますまい」
「大袈裟な。じゃあもしもさ、僕が君の下から離れたとしよう。僕がそのまま野盗とかに襲われて死んでしまえば、引き留めなかった君の責任になるんじゃないかな?」
「家出のお手伝いにならない限りで、野盗に襲われないように匿う程度であれば構いませんが」
ちょっと品の良い商館、あるいは高級宿にお邪魔してそのロビーでご待機願うというのが良いのではなかろうか。
そこでご家族の人に連絡して、穏便に帰って頂く。
金貨五枚ぐらいで迷惑を聞いていただけないだろうか、と予定外の出費に頭を悩ませつつも、貴族とのお付き合いとはこういうものだと自分に言い聞かせる。
一般には、お偉い様と知り合うことは面倒なのだ。
「帰す気満々じゃないか。つれないなあ」
「そう仰らないで下さいな、伯爵令嬢。丁度私も場所を変えようと思っていたのです。こういったところで立ち話も何ですので、一旦ロスマンゴールド商館に向かいませんか? お茶と菓子をつまみながらお話しできたらと」
「ああ、ロスマンゴールドって商人ギルド長の下にかい? もう夜もいい頃の非常識な時間だけどいいのかい?」
「交渉してみようかと思います」
アルベール伯爵家に娘をさらった誘拐犯扱いされるか、じゃじゃ馬娘に嫌われてアルベール伯爵の心証を悪くするか、そんな二択しかないのなら第三の選択肢を喜んで選ぶ。
それは折衷案。
アルベール伯爵の下に無事帰しつつも、この美狂いベリェッサに満足して帰ってもらうのだ。
差し当たって、俺の接待スキルが試される。
「では伯爵令嬢、私ともどもが護衛しますので、どうかロスマンゴールド商館まで付いてきていただけませんか?」
「いやいや、チッタ選手の表彰が残っているだろ? 君が背負っている彼女、良く寝入っているみたいだけど大丈夫かい?」
「そうですね……。ではもしよろしければ表彰式の間、お時間頂けませんか? そろそろ起こして、表彰させねばなりません」
「ああ、いいとも」
話がトントン拍子に纏まってしまった。
実におかしな話だが、反感を買われないように無難な受け答えをしようと思ったら、いつの間にかどこぞの令嬢と夜を商館で明かす羽目になってしまったのだ。
色々とおかしいだろ、と思いつつも話の流れ上仕方がなくなった。向こうは向こうで何故か乗り気だ。今更なかったことにはできまい。
これも全て、令嬢ベリェッサが家出なんかするからである。そうでなければこんなことするものか。
内心で溜め息。
後ろから多種多様の視線を感じるが無視する。同情の視線をくれたのがヘティだけで、他の奴らは、ああ遂に貴族にも手を出すのか、という呆れの視線であった。ステラは呆れではなく生暖かく見守ってくれていたが、違う、そういうことじゃない。
何故そういう発想に至るのか。断じて貴族に手を出すつもりはない。
神待ちの家出少女、しかも貴族。
どう考えても地雷でしかない。現代人の感覚でもやばい奴だと分かる。
(何てことに巻き込まれたんだよ俺……)
家出少女の貴族を放置してさよならしても大丈夫だっていうなら喜んでそれをしている。




