第二十二話
「……観客は盛り上がっているな。なあユフィ」
「……」
「どうやら、マンデラ選手の勝利らしい。衛兵から決勝進出者を出せたということで、関係者は沸いていたぞ」
「そう」
「……リカル選手は惜しくも敗れた。技巧的なボクサーファイターだと思ったんだが。どうやら採点が厳しかったらしい」
「そう」
「マンデラ選手は典型的なアウトボクサー。足も速く、手足のリーチもある竜人族。元々ディフェンシヴな戦い方をするという定評がある彼が、デトロイドスタイルのL字ブロックを使いこなしているところを見ると、勝つのは相当難しそうだ」
「……」
「そこにどう、キャシーが切り込むかだな。……キャシーはそもそも、チッタの回避が上手かったから目立たなかったけども、ハードパンチャーにしてカウンターパンチャーの一人。固いガード、もしくはノーガード戦法で防御、回避に重視をおいて、機会を掴んで一気に畳み掛けるタイプだ」
「……」
「……ユフィ。怒っているのか」
「……」
「俺に怒られても困るんだが」
「……何でよ」
「いや、そりゃ俺無関係」
「何でチッタは、あんな不利な状況で戦わなきゃいけなかったのよ! どこが拳闘はフェアな競技、なのよ!」
「おい、落ち着け」
「落ち着いていられるわけないじゃない! チッタがそもそもあんなにボロボロになったのは採点のせいなのよ!」
「おい、ユフィ」
「採点がチッタに明らかに不利だったから、どうしてもインファイトでKOを狙わざるを得なくなって。だからあんなに危険を冒して飛び込んで勝負をつけに行ったのよ! それであんなに傷付いて! 下手したら死んでいたかも知れないのに!」
「落ち着けよ、運営に聞かれたらどうする」
「構わないわ! だっておかしいもの! 明らかに試合以外の外部要因に不利にさせられているんだもの!」
「怒るなよ。そういうものさ」
「だって!」
「そういうものさ、ユフィ」
「違うわ!」
「……」
「観客だって観客よ! チッタがクリンチに行ったのだって、必死のことなのよ! それを『ボクシングをしろ』とか『逃げてるんじゃない』とか! 好き放題にも程があるわ!」
「……」
「あいつら観客どもと来たら! じゃあアンタたちが戦いなさいよ! 実際にアンタたちがやってみなさいよ! チッタがどれほど努力してきたか、どんな思いで戦ってきたのかも知らないくせに!」
「なあ、ユフィ」
「おかしいわよ! チッタがこの試合に向けてどれだけ努力してきたのか、私知ってるもの! でも、それが穢されたような気がしてならないわ! 汚いわ! 最低よ!」
「分かった、分かったから、な」
「何でよ!」
「落ち着いてくれ、ユフィ、頼む」
「嫌よ! ……あん、ご、ご主人様だって、分かるくせに」
「……分かっているとも」
「じゃあ!」
「だから、俺も業腹だ。……業腹だけども、今は耐える時さ」
「耐えて、どうするのよ!」
「どうもしないさ。耐えるってのは本当はそういうことさ」
「……っ! あ、貴方のそういうところがっ!」
「……」
「……何でもないわ……。そうよ、貴方が正しいのよ……」
「そうか」
「そうよ。……降りかかる理不尽に耐えても、どうしようもないの、でもそれが正しい振る舞いなの。それぐらい知ってるわ。……でも、ねえ、正しかったらいつ報われるの?」
「さあな」
「正しかったら、いつ報われるのよ……」
「でも、降りかかる理不尽があったとして、正しくない振る舞いをしたら、その時はもっと理不尽に付け込まれる。……基本的に世の中に報いなんかなくて、あるのは努力とその結果だ」
「……」
「おかしな話だよな」
「……チッタが、可哀想よ……」
「……そうか」
「ええ」
「……俺はそこまで悲観的でもない」
「……そうなの?」
「今日の出来事は、運営がややアンフェアを働いたかもしれないが、それでもうちのチッタが準決勝まで進んでその実力を見せつけた、というめでたいものだ。腹を立てる道理はない」
「……嫌よ」
「たった二ヶ月しかなかったのに、素人が、こんなビッグファイトに出場して、しかもほぼ互角に渡り合ったんだ。他にも長い間日の目を見なかった選手たちを押しのけてだぜ? ……むしろこっちが理不尽と疎まれても仕方がない。結果を見ればこの上ない大成功さ」
「……」
「十分報われているんだよ」
「……。そんなの、意味がないの」
「そうか」
「私、そういう風に考えられないわ。十分報われているから、今回の試合でちょっと不利な真似をされてもいいだなんて、そんなの、違うと思うの」
「そうか」
「完膚なきまでに叩きのめされて、でもそこから努力して這い上がって、もう一度立ちはだかるキャシーを相手になけなしの勇気を振り絞って。でも受ける仕打ちが、不公平な評価と、観客からの野次。……報われているだなんて思わない」
「……」
「貴方みたいに他人事のように割り切れないの。ごめんなさい」
「……一応言っとくと、俺も他人事のように割り切ってはいないさ」
「そうかしら」
「ああ。俺だって悔しいさ。……ただ、何でだろうな、ユフィより悔しいと思っていないんだ」
「……そう」
「そうさ。……何でだろうな。他人事のつもりはないんだ」
「……ごめんなさい」
「いや、いいさ」
◇◇
「チッタ、気がついたか」
「……はい」
「いい戦いだった。お疲れ様、ゆっくり休むといい」
「……はい」
「回復ポーションならたくさんある。いくらでも使うといい」
「……」
「ハンカチ、貸そうか」
「……大丈夫っす」
「そうか。……あまり汚れた手で目を触るな。手を拭いてやるから、ちょっとじっとしていろ」
「……はい」
「ん。……消毒しとくぞ」
「……」
「よし。手は綺麗にしといたから」
「……」
「チッタ。決勝戦、今マンデラ選手とキャシーが戦っている。良かったら見てみないか?」
「……」
「そうか、なら無理にはいい。もう少しここにいよう」
「……」
「ん。一応言っとくが遠慮はしなくていい。試合後のケアは俺の仕事だ。マッサージ、ストレッチの手伝いぐらい何ともないさ。あと、打撲の腫れを冷やすのも俺の魔法で簡単に出来るしな」
「……」
「もちろんチッタが一人にして欲しいと思うなら、喜んで一人にさせるさ。だから、そのときは言ってほしい」
「……」
「いいな?」
「……あの」
「ん、どうした」
「優勝できなくて、ごめんなさい」
「ああ。それはいいさ。優勝じゃなくても、俺はいい試合を見ることが出来た。十分満足さ」
「……オレ、負けました」
「ああ」
「……あれだけ付きっきりで面倒見てもらったのに、オレ、恩返しできなかったっす……」
「いや、十分返してもらったさ。俺の店の宣伝になったし、チッタが準決勝の選手になったことで俺の出した露店の売り上げも好調だし」
「……ですけど、それは商人様がオレを上手く使ってくれたってだけで、オレ自身が商人様に直接何かお返ししたわけじゃないっす」
「そうか? 準決勝まで進んだっていうだけでも、得られるファイトマネーはそこそこ大きいぞ。金貨一枚、十分だと思うが」
「……そういうことじゃなくて、その」
「そういうことだって。気に病むなよ」
「……お人よし過ぎっすよ、商人様。オレ、商人様に返せない大きな借りができちゃいましたよ」
「そうか」
「……ごめんなさい」
「気に病むなよ。贅沢な奴だな。たった二ヶ月で初心者が優勝するなんて、普通はそうそうないさ。優勝に指が届きかけたお前が凄すぎるだけなんだ」
「……でも」
「二ヶ月。お前は本当に良く頑張った、チッタ」
「……」
「俺は、誇らしいと思っている」
「……オレ、その」
「チッタ。まだ拳闘、続けたいか?」
「え。……はい、もし許されるんであれば、その」
「むしろ続けてくれ。大会とかにどんどん参加して欲しい。……実はお前の戦いっぷりを見て、スポンサーになりたいっていう人が現れたんだ」
「スポンサー……?」
「ああ。どうやら『精肉屋バリー』のおっさんが俺のことを覚えてくれていたらしくてな。スポンサー契約を快く結んでくれたんだ。……といっても金による契約とかじゃなくて、肉を安く卸す代わりにチッタ、お前に『精肉屋バリー』の宣伝とか、売り子業務とかを頑張ってほしいっていう、それだけだが」
「……はい」
「こんな感じでお前に、スポンサー契約をさせたい店があるんだ。防具店、武具店、アクセサリ、料理店。いくつか既に当てがある。まだ決まったわけじゃないが、お前さえよければ早速本格的に交渉にかかりたい」
「……」
「お前の強さを、皆が認めはじめたのさ。これからきっとチッタは、このオアシス街の有名人になるさ」
「……有名」
「チッタ。とりあえず俺の考えではこうだ。ノールたちと一緒に冒険者として働いて生計を立てて欲しい。そして、拳闘の練習なら俺が週一ペースぐらいで面倒を見るから、とにかく拳闘を続けてくれないか?」
「……」
「まだ教えていない技術があるんだ。まだチッタは、強くなれる」
「!」
「そのためには、魔物を倒すことで経験を積んで欲しいんだ。この先の技術を身につけようとするとどうしても身体能力の底上げが必要になってくる、だから、魔物を倒して、チッタには強くなってもらいたい」
「……まだ、強くなれるんですか?」
「ああ。間違いなくな」
「……それ、本当っすよね?」
「ああ」
俺は自信を持って答えた。
チッタは強くなる。それは本当のことだ。
例えばウェートトレーニングで筋肉を鍛え、回復ポーションを使って筋肉の超回復を促す。ただそれだけで肉体改造が簡単に出来る。
魔物を狩ることで経験値(=魔物の魂、マナ)を稼ぎチッタのレベルを上げる。そうすれば肉体がマナで少しばかり強化されて、今の段階では肉体的な制約で実行するのが厳しかった技も実現可能になっていく。
「……」
いつの間にか、チッタの涙は止まっていた。意志を感じさせる瞳だけがそこにある。
一点の曇りもなく俺を見つめ返すその瞳に、俺は真っ直ぐ向き合った。
「これは契約だ。ビジネスだ。俺の期待にこたえて欲しい。その代わり俺はお前に、さらに一歩進んだ技術を教えるつもりだ。……ゆくゆくは、誰も足を踏み入れたことのない境地にだって導いてやるつもりさ」
「はい」
「勝利を掴むぞ。そいつがお前のキャリアプランだ」
手を差し伸べた。
ややあって、チッタはその手を掴んで立ち上がった。
「……商人様。お願いします」
握られている手にかかる力が強くなった。
「オレ、強さって何だかまだ分からないっすけど。でも、オレ、強くなるためにやれることが目の前にあるっていうなら、それをやりつくしたいって思ってます。行ける所まで、行きたいっす」
「その意気だ!」
「はい!」
威勢よく答えたチッタは、そのあと少しだけ鼻をすすって、「……すみません」と握った俺の手を引っ張った。
額に押し当てている。
俺の手に指を絡めて、そのまま両手で包むようにして、俺の手の甲を額へとこすりつけて。
しばらく黙るチッタ。
額に手を押し当てたまま、良く聞き取れない鼻声で「ありがとうございます、商人様」という彼女を見て、俺は、チッタと自分の身長が意外と近いことに気がついた。
「オレ、勝利、掴むんで」
「ん、ああ」
「強くなるんで……っ」
涙声。
立ったまま再び泣き出してしまった彼女に、俺はちょっとだけ当惑してしまった。いや座って休めよ。そう思ったが口にすることは憚られた。
ぐずぐず泣きながら、ごめんなさい、ありがとうございます、強くなりたいです、なんて言葉を独り言のように呟く彼女は、何というか、一途なのだと思う。




