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奴隷キャリアプランナーは成功できる職業  作者: Richard Roe
7 勝利までのキャリアプラン
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第二十一話

 開始早々、チッタは面食らうことになる。

 相手のキャシーがオーソドックススタイルから変わっているのだ。左手を前に出し右手で顔を守るオーソドックスは、最も隙の少ない構えの一つである。

 キャシーの構えは今やノーガード。両手をだらりと下ろし、その代わりに重量物である腕を下げることによって足のステップと身体の動きが良くなっている。

 チッタは気付いた。キャシーは本気なのだと。

 観客は沸き立った。ノーガードのキャシーが見れると興奮新たに歓声を上げている。

 本気のキャシーは、ノーガードの両手で翻弄するような数多くのパンチを放つと聞く。両手が下がった構えなので、自然と下から振り上げる軌道の読みにくいパンチが多くなり、巨体のリーチも相まって戦いづらいことこの上ない。

 相手は笑っていた。

 来いよ、と言わんばかりの態度。それを受けてチッタは、接近する。

 もとより接近する他なかったのだ。リーチで劣る以上アウトボクシングに徹するのはやや不利だ。判定勝ちもあり得ない、相手のラッキーパンチ一つでKOの危機まである。ならば距離をとってフットワークで打点を稼ぐアウトボクシング、という道はないのだ。

 両手で顔下半分を守るピーカブースタイルで受けて立つ。

 姿勢を低く、潜り込むようにインファイト。

 地面を蹴る。


「シッ!」


 接近。

 同時にキャシーが動いた。突然の右。しなるような独特の軌道に、チッタはガードを固めて防御した。回避できないのだ。

 続けて三つ拳が飛んでくる。右、左、右、リズム良く荒く弾く。

 踏み込む。

 切り込むように、強引に接近戦に持ち込むほうが却って安全だ。ボクシングでのパンチは伸びきったときが一番威力が高いのだから、相手の手が伸びきらないように内側に潜って戦うのがよい。

 荒っぽく距離を詰める。


「シッ!」


 ここからはチッタの攻撃。左、右。ワンツー。かわされる。さらに左フック。これもかわされる。

 相手に紙一重で上手く回避される。見た目に反して速いボディワークだ。捉えたと思わせて、すぐに体ごと避けている。大振りを誘ってカウンターを打とうとしているのか。

 乗った。

 チッタはあえて打って出た。

 ワンツーを愚直に続け、ボディを絡める。

 かわされる。面白いように避けられ、肝心のボディも当たりこそすれ勢いを横に流される。

 見事な回避である。これもまた紙一重で避けている。どうやらかわし続けて、こちらの攻め疲れを狙っているらしい。


「シィッ!」


 上等、面白い。攻め疲れを承知の上でさらに攻める。

 どうせ最後のラウンドならば攻めて出るべきだ――そう短く覚悟を決める。

 鋭く前進しボディフック。踏み込みを深くして射程を伸ばす。そう、いくら対戦相手が回避に徹していても、スウェーでかわそうとしてもボディはあまり動かないのだ。

 故に、ボディフックは相手の脇腹を綺麗に捉えた。

 決まった。

 と思った瞬間に炸裂音。

 チッタの顎が跳ね上がった。

 二度炸裂音を聞いたことに気付く。一つはチッタ、一つはキャシーの一撃。どうやら相打ちになったらしい。


(は、ようやく打ち合えるってことか)


 キャシーのアッパーは鋭かった。こちらがボディフックを決めた一方、顎に一発。現状痛み分けというわけだ。

 構わない。このまま押す。

 チッタの決断は早かった。ウィービングで体を揺すり、反動をつけてもう一度ボディへフック。僅かに届かず、顔へ牽制打を返される。一瞬だけ顔が弾かれた。

 それでも押す。勢いはこちらにある。

 踏み込んでもう一発、右のボディフックを繋げる。気迫が勝ったか、クリーンヒット。右に程よい反動が返ってきた。


「くっ」


 苦悶に一瞬顔をゆがめたキャシーに、もう一度目隠しのジャブをお見舞いする。直線状を走る速い左はこのままキャシーの顔面に――。

 当てない。

 当たる前に拳を下げて、返す刀、もう一度露骨に右ボディを食らわせる。目隠しからの右ボディへの完璧なコンビネーションは綺麗にキャシーに刺さった。

 しかし――。

 反撃。

 相手の振り下ろしの右ストレートが、チッタの左頬を打ち抜いた。質量を伴う渾身の一撃は酷く重たく、チッタの目から火花が散った。視界がグレーアウトし一瞬何も見えなくなる。


「シッ!」


 このままではまずい。

 気力でもう一回、左ボディストレートを見舞う。命中。そのままタックル気味にぶつかっていき、ぼやける視界で右フックを放つ。

 何とか当たれと祈る一撃。右フックさえ当たれば時間を稼げる。その間にチッタは立て直せるはずだ。

 辛うじて命中する。これで一瞬時間を稼げた、と思ったのも束の間。

 反撃、右頬に衝撃が走る。恐らく相手の左フックだ。大きな衝撃が脳に走り、グレーの視界が揺すられて光が見えない。

 フックの応酬は互角。

 それにしても口の中の血の味がひどい。


「シィッ!」


 ここでもう一つ切り札を切る。

 目が見えなくても当たる一撃だ。

 左のアッパー、露骨にキャシーにクリーンヒット。相手は何故アッパーが来たのか当惑していた。

 当然だろう、この動きはボディアッパーの動き。同モーションのパンチに引っかかったのだ。

 相手は脳が揺すられてか、一瞬だけ隙を見せていた。


(畳み掛ける!)


 瞬間のオーバーハンドライト。遠心力を思い切り乗せる。背を回る縦振りの大きなフックは、再びキャシーを思い切り叩きつけ――


「シッ!」


 何が起こったのか分からなかった。

 衝撃。

 こめかみへのうち下ろし。地面の感触。

 肩から叩きつけられたのだ、と理解したときには、世界がめまいで回っており、吐き気が込み上げてきた。

 立てない。


(何だ、何が起きた?)


 キャシーは片膝を突いている。チッタのオーバーライトハンドに意識を刈り取られ、思わず片膝を突いてダウンを取られたのだろう。

 では自分は。天を仰いでいる。

 打ち下ろしのストレートを貰って、ダウンしたのか。

 珍しくダブルダウンとなって、レフェリーが少し狼狽えているのが分かった。

 理解が追いつく。

 同時にカウントが六。テンカウントまでに立ち上がらないと。もがいて立つ。足が震える。


(ダメだまずい!)


 カウント十までにファイティングポーズをとらなくてはKOになる。だが、倒れそうなぐらい足がいうことを利かない。

 辛うじて取ったファイティングポーズは、自分でも分かるほど力がない。

 試合が再開される。

 このままでは負ける。

 そう思ったチッタはすぐ動いていた。

 手だけを振るう。

 弾こうとするキャシー。

 瞬間、相手に合わせて足で地面を蹴る。転びそうになりながらも手を伸ばす。


(もう一度クリンチだ!)


 何とか抱きとめ、相手を固める。

 クリンチ成功。

 しかし同時に脇腹に鈍痛。


「ッ!」


 脇腹を殴打されている。右脇腹に強烈なダメージ。


(ダメだ離したら負ける!)


 ひしとしがみつき、嘔吐感と脇腹への激痛を堪える。


「ブレイク! 離れるように!」


 指示が出て引きはなされるが、チッタはまだ回復しきっていない。

 試合再開。

 同時に、速さの出ない左ジャブで牽制。

 相手が弾こうと手を伸ばしたその瞬間、弾かれるまえに手を戻す。そして右ボディ、と見せかけてまた踏み込む。


(まだだっ)


 クリンチ。三度目だ。

 そろそろ抱き込んで固めるというより、しがみついているだけだ。


「っぐ!」


 またわき腹を思いっきり叩かれる。チッタはそれでも手を離さなかった。

 観客が視界に入った。

 観客らは二度三度のクリンチで、熱が引いていた。

 さっきまでの熱戦に歓声を上げていたというのに。キャシーがほぼ互角に押し込まれて、熱い試合展開に叫んでいたというのに。彼らは今やクリンチばかりのチッタを詰っていた。


『ボクシングをしろ』『抱き合っているんじゃねえ』『戦え』


 無遠慮な声がチッタに聞こえてきた。

 泣きたい、と思った。試合で弱っている心に罵声は余りに辛かった。


「ブレイク! 離れて!」


 引き剥がされる。

 すぐに試合が再開される。少しばかりの回復、それでも足がまだ重い。


(行けるか、厳しいか)


 足が利かない。それでもウィービングを忘れずリズムをつける。

 べた足に近い移動、しかし徐々に相手への距離を徐々に詰めていく。

 インファイトしかない、だから怖くても近付くしかないのだ。

 相手のジャブ、ストレート。それらを必死で避ける。避けながらこっちからも手を出す。力のないワンツー。当然弾かれる。

 それでも、まだ戦うしかない。


「シッ!」


 左のロングフック。かわされる。右ボディストレート。あまり効いていない。

 こちらの攻撃の弱さに引きかえ、相手のフックは鋭く勢いがある。上体を揺すってウィービングで回避。右アッパーも辛うじて避ける。


(もう、負けてもいいだろうか……?)


 心に生まれた弱音は、チッタの本心である。

 あの時のスパーが蘇る。あの時、『人材コンサルタント・ミツジ』の店に作った簡易リングで、キャシーが自分を圧倒し、自分は五回も地面に伏せた。

 あのときの絶望が苦く広がる。

 敵わないのか。

 自分はこのまま、敵わないままなのだろうか。

 一瞬だけチッタの内心に生まれたその弱音は、瞬く間に心の中を埋め尽くした。もう負けてもいいという気持ちが首をもたげ、その瞬間、心のどこかが叫びを上げた。


(違う! まだ、負ける前にやり残したことがある!)


 右フック。避けられる。左アッパー。避けられる。

 それでもチッタは懸命に距離を離さなかった。更に近づいて相手をやりづらくさせる。

 離れたら負ける。試合にも負ける。だかそれ以前に、何かに負けてしまうのだ。

 チッタは気力を振り絞った。今から勝負を掛けるのだ。

 次で決める。

 食いしばって、体全身をばねのようにしならせた。


「シッ!」


 最後の賭け。

 左のボディアッパーと右のボディフック。ウィービングで勢いを乗せ、顔面へ右の変則ジャブを放つ。

 いきなりの三連続に、キャシーは勢いを殺されて怯んだ。

 その隙に、もう一度思いっきりの左ボディフックを叩き込む。遠心力を付けて鞭のようにしならせたこの一撃は、手から伝わる感触でクリーンヒットだと分かった。

 キャシーは一瞬体を折った。絶好のチャンスだと分かった。相手の足は今封じられている。

 全ての準備は整った。


(――今だ!)


 オーバーハンドライト。背中から回ってくる縦振りの凶悪な右フック。

 左ボディで相手の足を封じた瞬間の、起死回生の一撃必殺。遠心力をつけて、鎌のように振るわれたそれは、一撃で巨体をなぎ倒すような勢いをもって。

 しかし。

 弾丸のように速い相手の左ストレートを招きいれ。

 カウンターによる一撃がオーバーライトハンドの軌道より内側を真っ直ぐ描くことが、目で分かり。

 このままでは先にチッタが倒れる。


(読んでいたさッ!!)


 途中でオーバーハンドライトは『止まる』。

 急にしゃがみこむチッタ。

 全てはこの一撃のために。

 ――サンデーパンチ(得意のパンチ)はアッパー。

 がら空きのキャシーの顎が見える。


(何のためにオーバーライトハンドの右フックを意識させてきた? 何のために左アッパーを回避させてモーションを覚えさせてきた? ――その答え、教えてやるよ!)


 前に踏み込み体重をかける。

 ウィービングの反動。沈み込んだときの足腰のばね。オーバーハンドライトの腕の勢いをさらに、それに利用して、役者は完璧にそろった。

 全ての勢いを乗せ、左腕がしなる。

 まるで左アッパーのような同モーション。しかしこれは左アッパーではない。フックとアッパーの中間をなぞり、アッパーより伸びる拳で相手の顎を確実に捕らえる。キャシーは、スウェーの距離を間違えた(・・・・)


「シィッッ!!」


 スマッシュ一閃。

 がら空きの顎に叩き込んだ、本物の一撃必殺の拳。


 ――勝ちにいく戦い方が欲しくないか。


 爆ぜるような衝撃と、乾いた木を折るような打撃音が響き、スマッシュはこの上なく見事、キャシーに突き刺さった。

 そして。


「っ!?」


 無情にも。

『そこまで読んでいた』キャシーの右打ち下ろしのカウンターストレートが、体のばねの反動をつけたチッタの左頬を打ち抜いていた。

 瞬間、チッタは意識を遠く失った。






◇◇






「チッタ! なあ! おい!」


「……ぅ、ぁ」


 慌てて駆け寄った俺は、リングの上のチッタの気が付くまで呼びかけていた。

 非常に危険なダウンをしていた。それは即座に回復ポーションを三瓶ほど振りかけるほどであった。

 だが、動転しすぎたと思う。鑑定スキルはそこまでの危機を訴えてはいなかった。チッタの命に別状はない。脳にも悪影響はなさそうである。


「……しょ、に、様……?」


「ああ、チッタ、無事か!?」


 後ろでレフェリーや運営関係者たちが揉めていた。森熊の旦那と言い合いをしている。

「やはり下ろそう」「関係者以外はリングに入ってはいけない」「うるせえ、トシキはチッタのマネージャーだ、関係者だ!」

 やかましいそれらはしかし「放っておけ!」というアリオシュ翁の鶴の一声で鎮圧された。

 遅れてゴング係が「関係者だったそうです! 先ほど許可をとってリングに上がったので大丈夫です!」とレフェリーたちに通達していた。


「……こ、れは」


「ああ。……よく頑張った」


 朦朧としたままのチッタが、起き上がろうと体に力を入れようとしていた。

 それを俺は制する。「寝ておけ、命令だ」と言い含める。


「……ああ、ぁ」


「……」


 薄ぼんやりと、しかし何かに気付いてしまったかのようにチッタは目をつぶった。そしてそのまま、溜め息を吐いていた。


「担架を待つぞ」


「……負け、すね」


 即答できなかった。


「……負け、すか」


「……ああ」


 即答できなかったのは、チッタが泣いていたからだ。


「……これが、負けなんすね」


「……」


 力なく手を持ってきて、顔を覆うチッタ。


「……ぅ、う」


「……」


 体をかすかに震わせながら、チッタはしばらく黙っていた。漏れる嗚咽に、俺は思わず目をそらした。

 リングの隅で座っているキャシーと目が合った。お互いに静かに一つ頷く。キャシーは「お疲れ様」と口だけで言葉を伝えてきた。


「……ぅ、く」


「……担架が来たぞ」


 肩に手を回して抱える姿勢をとる。リングの隅にいたキャシーもやってきて手を貸してくれる。そしてあまり上体を動かさないように、慎重に担架の上に載せる。

 かすかな声が聞こえた。


「キャシーさん……」


「……何だい?」


 しゃくり上げるような、濡れた声。それでもチッタは聞こうと、言葉を紡いでいた。


「強さって何ですか」


「……」


 担架が担がれる。運営の人が控え室の側の休憩室に運び込むのを、俺も許可を取って付いて行くことにする。

 立ち去る際、背中から言葉が聞こえた。


「……アンタ、強かったよ」


 キャシーの言葉。

 担架に揺られるチッタの表情は、ちょうど見えない。

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