第十八話
アルベール伯誕生記念祭は、前夜祭、本番、後夜祭に分かれて三日に渡る。
三日間の間は、人々も必要以上に働くことを禁じられ、祭りを楽しむよう言い渡されるのだ。
冒険者などはその間働かない。商人は金貨を納めることで商売が許可される。働くことを公に奨励されているのは衛兵ぐらいだ。
とりあえず楽しむこと。
領主の誕生記念をオアシス街全体で祝うことが住民の義務とされた。
前夜祭の日は、今から祭りが始まる、という意識を高めるためにわっと盛り上がるイベントが行われたりする。
例えば闘牛。赤いマントを片手に、人気の闘牛士セルバンテスが牛をいなして、最後は殺す。殺された牛は神に祭られ、最後に食される。
他にもオアシス街の衛兵音楽隊のコンサート。普段は衛兵としての仕事をする彼らだが、こういう祭事には決まって彼らが駆り出され、コンサートを行って領民を喜ばせたりしている。
そしてそれらのイベントが終わり次第、前夜祭はついにメインイベントを迎える。
拳闘最強決定戦。
『領主誕生記念杯』、通称領主杯と呼ばれるそれは、前夜祭でも屈指の盛り上がりを見せる一大イベントである。
何せ冒険者にとっては、この上ない娯楽だ。
目の前で繰り広げられるのは力と力のぶつかり合い。高スピードで披露される技術の応酬。そしてお互いを称えあうスポーツマンシップ。
戦いに身をおく者で、心の躍らない者がいるはずがない。
拳闘の予選を勝ち抜いた者たちは、全員が全員素晴らしい拳闘士である。彼らの戦いは、冒険者たちを盛り上げ熱くさせる。
だから、オアシス街に駐在する少なくない数の冒険者たちは、ほぼ全員その拳闘の戦いを見るために、祭事堂まで訪れるのであった。
「うわあ、人数が凄いですねー」
「ミーナ。はぐれない」
「ごめんごめん、イリ。……あれ、私イリに注意されてる?」
俺と皆は今現在、祭事堂の側で露店を開いて肉炒めの販売を終えたところだ。さっきから飛ぶように売れるので、どれだけ頑張って肉を仕入れてもすぐに消費されていって面白かった。
もうそろそろ拳闘の試合も始まることだし、切りがいいのでこの辺で片付けに入ろうとしていたところだ。
「いやあ、蚤の市の時よりも面白いぐらいに売れましたね……」
「ルッツ、そりゃ場所が変わったからな。蚤の市のときは中々辺鄙な場所だったから『隠れたB級グルメ店』みたいな感じだったけど、いざ祭事堂前に来てみれば人目に付くし良い匂いは漂うしで、皆喜んで買っていく。……ぼろい商売だ」
「その割りにトラブルも少なくて、ちょっと個人的にはびっくりです」
「まあ、それはお前が徐々にオアシス街の人々に認められつつあるからだと思うぞ、ルッツ」
油の付いたヘラをレモンの皮で拭きながら「そうですかね」と苦笑するルッツ。
今日は彼に関するトラブルが少なかった。料理が上手いオークがいる、という噂のおかげだろうか。あるいは露店に堂々と『人材コンサルタント・ミツジ』と書いたことで「ああ、あの店なら何でもやりそうだ」と、肉炒めを買う前にこれはイロモノ商品なのだと覚悟した上で買ってくれたからなのか。
文字の読めるような人々はそれでイロモノだと覚悟した上なので、たとえ魔物が料理していても驚かない。文字が読めないような人々はあまりそういうことを気にしない。そういう具合だったのかも知れない。
もちろん典型的な「魔物が作ったものを食えるか」というトラブルは無くはなかった。
しかしその時は、ヘティの考案した例のサクラ作戦(サクラの客に「うるせえぞつまみ出すぞ」と威圧してもらうもの)によりそういう輩は穏便に排除することが出来た。
結果、利益は相当量を叩き出し、売り上げは一日四五〇食を記録した。
「凄いですね……。これ、蚤の市のときの一日の売り上げの二倍近くありませんか?」
「ああ。ぶっちゃけ売れすぎって奴だ。もう一枚鉄板とヘラとか買って、しかも祭事堂の前といういい場所をとるための場所料、屋台貸出料まで勘案しても、一日で元を取って利益まで出してしまった」
「……今回の損益分岐点ってどこだったんですか」
「肉をまとめ買いしたのと包丁を買わない分安くなって、その代わり場所料、屋台貸出料が嵩んで、結局四〇〇食売ればよかった」
場所料、屋台貸出料の合計が金貨一枚って相当高いと思うのだが。
そうですかー、と感嘆の声を上げるルッツ。
俺も少し驚いた、というのもルッツがこういう損益分岐点とかそういう知識を持っていて、何気に計算が出来ているのだから。
しかし最低三日間で四〇〇食、はかなり低いハードルだった。
あとは売れば売るだけ利益になる、というのだから非常にぼろい。
今日と同じ四五〇食をあと二日売ると考えて、一食あたり利益の銅貨四〇枚に九〇〇を掛けて金貨三.六枚。
ルッツに謝礼の銀貨六〇枚を支払っても十分の利益だ。
ちなみにこれはかなりのハイペースでの売れ行きだった。一食一五分かかると考えた上で、同時に二〇枚焼けるとして三〇〇分での処理。もちろん絶え間なく焼いた前提でこれなので、お金の受け渡しなどのロスタイムを考慮する必要があるが、働いた時間は大体感覚で六時間程度だったと思う。
今日はあえて六時間で切り上げた。チッタの拳闘があるからだ。
しかしもしもこれを蚤の市で行った普通の営業と同じように一〇時間で営業すれば。もう少し頑張って金貨四枚の利益を目指せそうである。
(下級奴隷一体を売った収入とほぼ同じ。……随分と簡単なもんだ)
俺はそんな感想を漠然と抱きながら、後片付けを済ませた。
「まだ続けてらっしゃるんですね」
「ん? 何がだルッツ」
「人の夢を叶えること」
振り返って見てみれば、ルッツの顔には意味深な笑みがあった。
「どういう意味だ?」
「そのまんまです。……貴方のような奴隷商人がいてよかったなと思っているんです」
「そうか」
「嘘じゃありませんからね。僕は貴方のようにおせっかいを焼いてくれる人がいて助かったんです」
「お節介か。そんなもの焼いたかな。俺はただ、料理をしたいけど悩んでいるっていう奴がいて、そいつが凄く料理が上手だから、利用して利益を稼いだだけだし」
「いえいえ、そんな。あれのおかげで僕は、多くのことを学びました。料理を作る喜びと、僕に待ち受けてる偏見と困難を」
「そういって貰えたら嬉しいってもんだ。……でも、本当に俺は利益が欲しかっただけだ。これは間違いなく本当のことだ」
打ち明けると、これは本音だ。
ルッツに無理やり現実と向き合わせるような真似をしたのは、正直良い行いではない。それを経てルッツが前に進もうと決意しただけだ。結果的に良い方向に転がっただけに過ぎない。
俺は単純に、宣伝効果と利益を両方得たかった。そこに都合よくルッツがいただけなのだ。
感謝してくれるのは嬉しいが、そこまで感謝される覚えはない。
「だから、お礼もそこそこにしてくれ。お互いwinwinだった、ってことで」
「うぃ……? まあ、僕で出来る範囲でこれからもお手伝いしますよ」
「ああ、そうしてくれ。近いうちにまた料理を持ち込むかも知らん、また協力してくれ」
「はい! ……そういえばそろそろ拳闘ですね」
「ああ。そろそろちょっとここを後にしようと思っている。後片付け用に何人かこの場に残すから適当に片付けておいてくれ。終わったらうちの奴隷が屋台を見張るから、帰ってもいい。それでいいか?」
「ええ。ありがとうございます。後片付けが終わったら僕も拳闘を見てみようかなと思ってます」
「そうか」
ふと油時計をみると結構時間がせっついていた。気の早いユフィたちに席取りを頼んではいたが、そろそろ俺たちが席に着かないと、せっかく取った席を取られてしまうかもしれない。
とりあえずミーナやヘティに「さ、拳闘を見に行こう」と誘いかけて、その場を後にした。
視線を感じた。
振り返ると、ルッツではなかったし、誰とも分からなかった。
気のせいだと思いつつ「じゃあ任せたぞ、ルッツ!」と大声で手を振る。
分かりました、という声を背に祭事堂の中へと足を運んだ。
◇◇
「紳士淑女の皆様! こんばんは! 今年もやってまいりました! 第三一回領主誕生記念杯! 栄光を手にするのはどの選手か!?」
音魔法によって拡声された司会の声。
クリスタルに封じ込められた記録魔法、幻影魔法によって、選手の上空に映し出される立体映像。
これらは全て、祭事堂で演説する領主や貴族などのためにと設計された装置であったが、その装置はこれから、選手の巧みな格闘戦を映し出すものへとなるのだろう。
ここに来るまでの時間に、キャシーから「知ってるかい? これはね」と教えてもらったものだ。
流石に何度も拳闘大会に出場しているだけあって、キャシーは詳しい。チッタはその話を聞きながら、何とか緊張を紛らわそうと大げさに「へえそうなんですか」と相槌を打ったものだ。
(ついに、ここまで来た)
司会の声が遠く感じる。
観客の熱気が控室まで届いていて、一種の地鳴りのような震えを生み出している。
光魔法によって明るさを維持されたあのステージにこれから向かうのかと思うと、自然と身がすくんだ。
(あそこにたどり着く前に、飲まれてしまいそうだ)
この大人数の観客に見られて戦う。そのことに未だに現実味が湧かない。自分が戦うのか。自分が準決勝まで勝ちあがったのか。そういう実感が全く湧いてこないのだ。
どちらかというと、ひょんなことで偶然ここに放り込まれた、というほうが感覚として近かった。
「……ということです。では続いて、準決勝進出の選手紹介に入りたいと思います!」
司会が選手のプロフィールを読み上げる。
何度も準決勝に勝ち上がり、最大のライバル森熊と優勝を分かち合っている傑物、娼館「椿の宿」のキャサリン。
衛兵長ハワードと腕前を競り合う、衛兵団の若きエリート、マンデラ。
拳闘大会には何度か参加してそれなりの結果を残しているが、準決勝に進んだのは今回が初めてという実力派闘士、「ミロワール奴隷商店」のリカル。
「そして! 突如現れて準決勝まで勝ち進んだ期待のホープ! キャサリンと同じくオーガにして女性! しかし戦い方は正にスピードスター! 『人材コンサルタント・ミツジ』のチッタ!」
歓声。
チッタはそろそろ時間か、と控室を出た。入場門に足を進め、呼吸を整えて気を落ち着かせる。
この入場門をくぐったら、戦いが始まる。
「さあいよいよお待ちかね! 第一試合『チッタ選手 対 キャサリン選手』、選手入場です! 青コーナーより期待の新星! チッタ選手の入場!」
リングコール。
呼ばれるままにチッタは駆け出した。
大きな歓声を背にして、彼女はリングの上に飛び乗った。




