第十六話
普通ならば二位のチッタと三位のリカルが戦うはずでは。
そう思って俺は司会を見た。司会の彼に鑑定をかけると、心理グラフに動揺だとか罪悪感というものはあまり見られなかった。
「……実は既に予選の試合で、リカル選手とチッタ選手が戦っているので、準決勝はあえてこの二人が戦わないように調整しました」
司会の男はそう言っていたが、そのタイミングで鑑定スキルが嘘を感知した。
瞬間、俺は悟った。
(そうか。決勝戦がチッタとキャシーの女対女になる可能性を恐れているのか)
下らない、と思った。
どうやら拳闘大会の決勝戦で、女対女になってしまうとまずいらしい。
見栄え的な問題なのか、それとも女に対する偏見によるものなのか。いずれにせよ、拳闘大会の運営側の不当な意図が透けて見える。
この拳闘はアルベール伯の誕生記念ということで、アルベール伯の不興を買わないように見栄えを気にする一面もあるのだろう。
話が分かってしまえば簡単だった。
「……どういうことよ。リカル選手とチッタが戦ったから無理っていっても、じゃあマンデラ選手とチッタが戦えばいいだけじゃない」
「ユフィ」
ユフィは露骨に怒っていた。不正義を激しく嫌う彼女だからこそ、この運営側の采配に憤っているのだろう。説明すべき理由はリカル選手とチッタを引き離したことではなく、何故チッタとマンデラ選手ではなくチッタとキャシーなのか、というところだと目を吊り上げて怒っていた。
だが、仕方がないことなのだろう、と俺は思った。
(判定負けや架空の反則行為で、キャシーやチッタを準決勝進出から蹴落とさなかっただけマシと考えるべきなんだろう)
もしも本気で見栄えを気にするのであれば優勝者に彼女たちが躍り出る可能性を阻止するために、最初っからチッタやキャシーのために女子リーグを設けて、別リーグの選手扱いするはずだ。
そこまでしなかったということは、つまり、決勝戦の構図が女対女になること『だけ』は前代未聞だからなるべく回避しよう、という保守的な判断が運営によって働いたというただそれだけのことである。
(それに、もしかしたらくじ引きの結果、チッタの対戦相手がマンデラなのかキャシーなのか公平に決められたのかもしれないのだから)
いくらでも言い訳は立つ。
こういうことに腹を立てていては、世の中切りがないのだ。
疎まれるリスクを背負って司会に「ちょっとおかしくないか」と声を上げるには、ちょっと採算が合わない。ならば黙って飲むほうがいい。
むしろ逆手にとって、『準決勝でキャシーと戦わされるという露骨に不利なマッチング操作を受けたが、それでもなお準決勝まで進出する実力、さらにリカル選手を破るほどの腕前の悲劇のファイター』とチッタのポジティブキャンペーンを飲み屋で繰り広げて宣伝に使ってやろうとすら考えられる。
(まあ、腹立たしいことは事実だがな)
俺は人知れず溜め息を吐いた。
「いいじゃないっすか」
そんなユフィの様子と、あともしかしたら俺の様子を見ていたのだろう。チッタはそう励ますように満面の笑みを浮かべていた。
「キャシーさんとベストコンディションで戦えるっすね。準決勝で無駄なスタミナ使うより、全力でキャシーさんと戦えるほうがいいっす」
そう明るく語るチッタに、怒りの感情はなかった。
◇◇
「残り九日。今日を除けば八日がお前に与えられた時間だ」
「はい!」
「技術をしっかり学べ。俺が教えたこと全てを身に付けるんだ」
「了解っす!」
威勢のいい返事をするチッタ。彼女は今、柔軟運動により各関節を柔らかくしている最中であった。
柔軟性はかなり重要である。腰と肩の可動域が増えることでパンチのバリエーションは増えるし、威力だって伸びることもある。これも基礎のうちの一つだ。
「柔軟が終わったらシャドーだ! いつものように回り込む動きをしながらのシャドーと、踏み込む動きを取り入れたシャドーとか、とにかく動くことを忘れるな!」
「はい!」
シャドーのメニューのほとんどは、対戦相手を翻弄するようなヒット&アウェイのもの。相手のパンチを下がって回避しては左に回りこみ、そこから左ジャブを起点とする変則ワンツー。
インファイトのときのこなし方は、俺との寸止めボクシング、つまりマスボクシングで覚えればいい。今はシャドー。動きながらコンビネーションを決められるようにするほうがよい。
(ウィービングの技術などを磨くのは、マスボクシングだ)
チッタを見ながらふと思う。
彼女はもう、五〇日ですっかり変わってしまったように思う。
例えば体つき。
元から筋肉質だった彼女だが、腹筋や背筋、そして太ももとふくらはぎが幾ばくか発達した。筋肉を酷使してもポーションを使った超回復で筋肉をすぐにつけることが出来たので、短い期間でも高効率的に体を作り上げることが可能だったのだ。
他にもその身のこなしだ。
最初はパンチすら雑なフォームだった彼女が、俺の鑑定スキルによる指導のおかげか、少なくとも意識すればかなりいいフォームで試合が出来るようになっていた。スタミナもついて、たとえ疲れたとしてもそのよい姿勢を維持できる時間がぐんと長くなった。
「ねえ、ご主人様」
ふと、後ろから声が掛けられた。振り返るとそこにヘティがいた。
「ん、ヘティか? どうした急に」
「ステラが寒気がするって言っているの。もしかしたら何かないか診てあげてもらえないかしら」
「ああ、分かった。今行く。……チッタ、そのまま続けてくれ、すぐ戻る」
背中越しに「了解っす」という声を聞きながら、俺はステラのほうへと向かった。
ステラ。
ゴブリン族でありながらも魔術に長ける、ゴブリンメイジの血を引く者。喋れない彼女は、一種の呪いにより言葉を失っているのだと俺は解釈している。
鑑定スキルをつかったときに、呪い、というバッドステータスが表示されるからだ。
「ステラ、大丈夫か?」
焚き火の側で暖を取っているステラとネル。恐らくネルはステラが心配だから彼女についてきたのだろう。「ご主人様、ステラが……」と切羽詰った顔で俺を見ていた。
焚き火で暖を取っているということは、夜の砂漠の冷えが体に堪えたということだと思われる。
手を振って、問題ありません、と答えるステラの様子はどう見ても強がりであった。「ちょっとそのまま待っていてくれ。この程度なら軽く薬を作るだけで治る」と二人に一応伝えて調薬を始める。
(そろそろ、ステラの話も聞いておいたほうがいいかも知れないな)
調薬しながら考える。
とても残酷な話だが。
もし仮に俺の手持ちの奴隷から死人が出たとしよう。その場合は俺は手厚く彼らを葬らなくてはならない。そうでなくば奴隷たちの気持ちは、随分と俺から離れてしまうだろう。
奴隷商としての経営と同時に、人材派遣のような仕事もしている俺からすれば、奴隷は貴重な労働力だ。
手厚く遇して、モチベーションに翳りをきたさせないようにするべきなのだ。
(もちろん人道的な気持ちも俺にはある。ステラの望みをなるべく叶えてあげたいという、そういう良心に似た何かも)
調薬が終わる。後は白湯に溶かし込ませて、そのままステラに飲ませるだけだ。
テントの外に出て、肌寒そうにするステラとそんな彼女の背中をさするネルに薬を手渡す。
ありがとうございます。そういう台詞を呟こうとしたステラの唇は、形だけそう動いて、そこから何の声も出てこなかった。
鑑定スキルがある俺にしか読み取れないステラの言葉。この世でもっとも正確な読唇術が出来る俺には、続きの言葉まで『視えて』しまった。
それは。
『でも、死ねない限りは死ねない呪いなのです』
どことなく諦めのような響きのある言葉であった。




