新第二話
「やあトシキ。実は折り入って頼みがあるのは、アリオシュ翁じゃなくて私の方なんだ」
「いいですよ、アリオシュ翁の護衛さん。……いや、正しくはこうですね、衛兵長ハワードさん」
俺の言葉に「何だ、私のことを知っていたのか」と苦笑いを返すのはこの街の衛兵長、ハワードであった。
ちなみに初対面ではない。アリオシュ翁がマルクの店に来た時、護衛を二人引き連れていたが、それぞれ名前をミロワールとハワードと言った。いや、言ってなかったが鑑定スキルで覗き見るとそういう名前であったのを記憶している。
「いかにも、私がこのオアシス街の衛兵長を勤めているハワードだ。改めてよろしく頼む」
「こちらこそよろしくお願いします、ハワードさん」
お互いに握手を交わす。
硬い手の平からは、ハワードがどれほど槍を握って戦ってきたのかということが窺われて、この男盛りの壮年男性はうちの奴隷の誰よりも強いのではないかと思われるほどであった。
「ふむ、挨拶は済んだかのう?」
「はい、アリオシュ翁。このたびはこのお話にお招き頂き誠にありがとうございます」
今現在、俺含む三名は冒険者ギルドの会議室に集まっている。ここのソファはとても柔らかいので、一旦座ると中々立ち上がりたくなくなってしまう。
文字通り腰をどっと据えて話し合う必要がありそうだ、と俺は思った。
何せ、ここにいるのはオアシス街の大物たち、冒険者ギルド支部長と衛兵長なのだから。
なるほど、会議室にもグレードはあるが、通りで一番高いグレードの会議室を利用するわけだ、と思った。
「ええ、ええ。寧ろワシらはお願いをする立場じゃ。顔を上げるがよい」
そうアリオシュ翁は言うが、多大な貸しがある俺の立場から言わせてもらえば、こちらはいくら頭を下げても下げ足りないほどである。
思い返すと、イリを購入したのもアリオシュ翁の手配あってであった。「決定的な発言を録音するためには、音魔法の使える奴隷が必要じゃろ?」と、奴隷商ミロワールの店に音魔法の使える奴隷を用意してくれたのだ(何度も思い返すように書いてしつこいかもしれないが、ミロワールは占い師にして奴隷商、刻印士、という便利屋である)。
果たしていつになったら貸しを完済できるのだろうか、と俺は思った。
「最近面白いことをしておるようじゃな。奴隷たちに槍稽古をやらせておるとか」
「はい。当店自慢の奴隷たちです」
「して、お主には二つほど頼み事があるのじゃ」
机をコツコツと叩くアリオシュ翁は、資料を俺に手渡して、「ほれ、目を通してみ」と指示をした。
そこには『サバクダイオウグモの討伐』、という文字と、『魔物使いの始末』、という文字が書かれていた。
続く詳細部分にざっと目を通していると、アリオシュ翁が軽く咳払いをした。
「このオアシス街が、魔物一人いない安全なオアシスを中心に広がっておることは知っておるな?」
「はい。オアシス街から離れたところにも大きなオアシスはありますけど、同じ程度の規模で魔物が生息していないオアシスはこの街のオアシスだけでしたね」
「そうじゃ。この街の外にもオアシスはあるが、大抵は魔物の生息地になっておる」
髭を触りながら「冒険者ギルドでは定期的にそれらを調査しておるのじゃが」とアリオシュ翁は前置きした。
「調査員によると、最近とあるオアシスで、魔物に不穏な動きが見られると報告が入ったのじゃ」
「そうなんですか?」
「そろそろサバクダイオウグモの子供が孵化する季節……を少し過ぎた頃なのじゃが、毎年恒例の『大発生』が起きてないんじゃ」
アリオシュ翁が口にした『大発生』と言うのは、魔物が大量に押し寄せる災害のようなものである。
サバクダイオウグモについて言うならば、確かにそろそろ大発生の時期なので、冒険者ギルドがぼちぼち「冒険者求む!」と依頼を出していたりする。
「更には、とある魔物使いジャジーラという男が関与しておるのでは、という疑惑が生じた」
「ジャジーラ、ですか?」
「その名を知らないようじゃな。魔族差別主義者のテロリスト『狂信者』の一員じゃよ」
資料に目を落とす。
魔物使いジャジーラ。数々のテロ行為により恵みの国全土において指名手配されている男で、賞金首。
彼は『狂信者』の一員であり、そして非常に卓越した魔物使いの魔術師である。
しかし、彼はテロリストではなくあくまでフリーランスの仕事人、という立ち位置らしく、今現在は『狂信者』が彼を雇っている、という状況らしい。
魔物使いジャジーラの仕事は、『あたかも魔物に襲われたように偽装して人を殺すこと』『魔物を扇動して騒ぎを起こさせること』だそうだ。
「ワシらは最悪のケースを想定しておる。それは、このサバクダイオウグモの『大発生』が遅れておるのは、他でもない魔物使いジャジーラが何かを企てておるからで、そして今後『大発生』の規模を超える魔物の大群がこのオアシス街に襲いかかってくるのじゃなかろうかと」
「なるほど、十分考えられますね」
「ワシらが何とかしなくてはならんのは、来たるサバクダイオウグモの大群と、魔物使いジャジーラじゃ」
そこでお主じゃ、と話が振られた。
「まずは先手を打って、サバクダイオウグモの巣に討伐隊を派遣してクモの数を減らしたいのじゃ。そのために、お主の抱えておる戦闘奴隷も是非戦力として招聘したいのじゃが、いいじゃろうか?」
「……本来ならば、見返りを要求したい所なのですが」
アリオシュ翁には、マルクから独立する際、多大な貸しがある。その上で見返りを要求するのは、本来ならば厚かましい話になるだろう。
だが、一応牽制のように一言挟んでから向こうの顔色を窺っておく。鑑定スキルに心理グラフという便利な機能があるのだから、それを使わないのはもったいない話だ。
「ふむ、なるほど。逞しいのう。ええぞ、オアシス商人とはこうあるべきじゃ」
「……アリオシュ翁。衛兵長の私が口を挟むのも何ですが、今回のサバクダイオウグモ討伐は市民に課せられた領主命令です。戦力を持っている人間はそれを提供する義務があります。ですから……その、彼が見返りを要求するのは」
「……ま、ハワードの言い分も分からんでもない。お主の言う見返りとやらは余り期待できんのう。……どうする、トシキや」
とまあ水を向けられたが、この話の流れからすると、どうやら俺は試されているらしい。
仕方がない、ちょっとばかり交渉事に挑戦してみるのも一興だろう。
交渉スキルを取得、成長させるためのいいチャンスでもある。
「そうですね。いや、私は別に金貨をたくさんだとか、あるいは私の店をオアシス街に出店させろとかを要求しているわけではなく、領主様にとって負担になるような申し出をするわけではございません」
「ほう? して、お主の要求は何じゃ?」
「免税です。今年一杯分の税を免除していただけるのでしたら、喜んで奴隷達をお貸ししようと思っております」
「……ま、妥当なところじゃな」
と思いきや、交渉スキルを取得、成長させるまでもなく終わってしまいそうであった。
俺の申し出にはもちろん意味はある。
マルクと代替わりしたこと、それにそのマルクが脱税なんかやらかしていたことで、今年一年分の収支計算が非常にややこしいのだ。よっていくら納税するべきなのか、という計算もかなり煩雑になることが予想された。
多分複数人の監査官を雇ってじっくり精査する必要があるのだろうが、そんなことをすると費用が嵩むし時間も掛かる。彼ら視点で考えれば、『せっかく費用をかけてマルクの脱税分の税金を追徴したところで、差し引きして得られる金貨が僅か』ということになる可能性もあるわけだ。
それを今年一年分の納税免除によってチャラにすれば、領主側もまあ、税金監査に費用や手間をかけずに済むため、助かるといえば助かるだろう。
俺としては逆に、大助かりだ。
何せ、今年一年そもそも収入が安定するかどうか目処が立っていないのだから、納税免除の有無は大きい。
一応win-winに近くなる提案をしたつもりではある。
「まあ、マルクのことじゃから相当溜め込んでおるような気はするがのう? その分を免税してもらうことで、おぬしには計り知れない利益があるのかもしれん。……まあ、あくまで仮定の話じゃ」
「……はは、そうですね」
ばれていた。「せっかく費用をかけてマルクの脱税分の税金を追徴したところで、差し引きして得られる金貨が僅か」などと言ったが、実はもし本当に調査されたらかなり追徴されることになりそうなのだ。
アイツ、実は結構溜め込んでいやがったのだ。多分オアシス街に出店する時に備えての資金だったのだろう。
それをそっくりそのまま、免税されたまま俺が引き継げたら、かなり美味しい話なのだが。
「まあ、目をつぶってやるわい。ワシは領主でもないし、監査官でもないしのう。それにそんなのを報告した所でワシの儲けにもならん」
「ありがとうございます」
「それに、かなり大きい貸しになりそうじゃからのう。領主には『奴隷商マルクはあまり金を溜め込んでおらず、追徴金額見込みもそこまで大きくなさそうですから、後釜である奴隷商トシキに免税措置を与えてやって下さい』と言っておこうかの」
「……重ね重ね、ありがとうございます」
これでアリオシュ翁にはますます頭が上がらなくなってしまった気がするが、ありがたい話には間違いない。
何だか恩を着せられすぎていつの間にか逃げ道がなくなってしまっているのでは、とふと思ったが、逆に言えばそれだけ俺の能力を買われているのだろうと考えられる。
前向きにいこう、と思った。
「ちなみに、アリオシュ翁はもう一つお願いをしたいと仰っておりましたが、その内容の如何によっては自分の返事も変わりますので、あしらかずご了承ください」
「おお、そうじゃったな。もう一つお主に頼みたいことがあったんじゃった。のうハワードや?」
「……いつの間にか奴隷商トシキに報酬を払う前提で話が進んでいるのですが、まあいいでしょう。昔からアリオシュ翁はお気に入りの人物には甘い、ということを私も良く知っていますのでね」
苦言めいた言葉をシニカルな苦笑を浮かべながら口にするハワードは、こんなことを言うと失礼かもしれないが、その苦労人っぽい素振りが板についていた。
もしかするとハワードは、常日頃色んな人間のわがままに振り回されている人なのかもしれない。多分今回も彼が後始末をするのだろう。
そう思うと急にハワードに親近感が沸いてきた。
そうとはつゆも知らない当の本人ハワードは、こちらに向き直って話を切り出した。
「さて、奴隷商トシキよ。もう一つのお願いについては私の方から説明させてもらおうか。今回頼みたいのは、魔物使いジャジーラを見つけ出すことなんだ」
「見つけ出す、ですか?」
「君には特定人物を人混みから見つけ出すための便利な能力があるのだろう? 是非ともそれを活用していただきたい」
瞬間、俺は今まで人生でこれほど警戒したことはない、というぐらいに警戒心を昂ぶらせて二人を見つめた。
アリオシュ翁の方は「かっか、そう警戒せんでもよい」と笑っていたが、ハワードの方は「どうやらその反応を見る限り、本当のようだな」と頷いていた。
一体何故鑑定スキルのことがばれているのだろうか。他言した覚えはないのだが。
そう一瞬だけ思ったが、もしかするとあの占い師のせいだろうか、とふと思った。占いによってそこまで暴き立てることが出来る、とは流石に思わないが、何か俺も特殊能力があることがばれてしまったのかもしれない。
「そんな便利な能力があればいいのですがね」
「あるかどうかは我々は知らない。だが、あると仮定して、もしその時は協力してくれないかね?」
極めて大人な仮定である。万が一何かがあったとしても、『我々は彼に鑑定スキルがあるとは知らなかった』と言い逃れできるような方便だったし、そして俺にとっても『俺に鑑定スキルなんてものはない』と言い逃れできる余地が残されている。
こういう人間は交渉ごとが分かっている人間である。ハワードはその意味で、かなり優秀な男なのだろうと思われた。
「……出来る限りで協力しましょう」
こちらもまた、受けることにする。断ることも可能なのだろうが、俺としてもあまり手間は掛からない仕事だ。それで大きな恩を売れるのならばいい条件だと思われる。
「ありがたい。君の能力が不可欠なんだ」
「とはいえ何をすべきなのかを知らないことには承諾できません。詳しくお聞きしてもよろしいですか?」
「ああ、そういえばそうだったな。……サバクダイオウグモの討伐隊のメンバーを一人一人見て欲しいのだよ」
ハワード曰く、魔物使いジャジーラが隠れる場所は限られているらしい。
パターンとしては、オアシス街から離れた|オアシス《サバクダイオウグモの巣》に潜んでいるパターン、もしくは討伐隊のメンバーに紛れ込んでいるパターン、の二つだそうだ。
サバクダイオウグモを効果的に使って大きな被害を引き起こすことができるのは、この二つの場合に限られている、というのが冒険者ギルドの特務調査員の予想だ。
中でももっとも被害が大きいのが、討伐隊のメンバーに魔物使いジャジーラが潜んでいるパターンだという。
討伐隊の動向を常に内部から情報を入手しながら、もし討伐隊に隙があれば、そこに一気に魔物を寄せ集めて討伐隊に壊滅的なダメージを与えることができる。
それによって、もしも討伐隊の戦線が破られてしまい、オアシス街へサバクダイオウグモがなだれ込むようなことがあれば、そのときこそ被害は計上できないほどになるだろう。
かといって、内部に魔物使いジャジーラが紛れ込んでいないかを怯えながら、討伐隊を慎重に慎重に進ませるのも、時間がかかるし、討伐隊のメンバーに精神的、肉体的な負担を大きく掛けてしまう。最悪それで自滅してしまう可能性もある。
「そこで君だ。先にメンバーを一人一人チェックしてもらって、魔物使いジャジーラがいないかどうかを確定させて欲しい。もし見つかったらその時は大きなチャンスだ。だがもし仮に見つからなかったとしても、それはそれでプラスだ。内部に魔物使いジャジーラが潜んでいるかもという幻想に怯える必要がなくなって、思い切り進軍できるからな」
「……なるほど、それは重要なお仕事ですね」
「そうだ。本来ならオアシス領主の領主命令があるから、君は免税措置を申し出る権利はなく戦闘奴隷をわれわれに貸し与える義務があるのだが、もしこれを引き受けてくれるのであれば免税措置ぐらい取り付けてみせよう」
ハワードの口ぶりからすると、俺はかなり重要なファクターを占めているようであった。
まあそれはそうだろう。俺の活躍次第では、無駄な兵糧のコストも削減できるだろうし、心理的にも討伐隊の負担を減らすことができるのだから。
俺にとってみれば皆を眺めるだけでいいのでそこまで負担ではないが、ハワードたちが得られる利益は相当なものだろう。
改めて鑑定スキルのチートさを実感する。
「……分かりました。奴隷を貸し与えるにあたって二つほど約束を守っていただけるなら、喜んで引き受けましょう」
なので、俺はさらなる交渉に踏み込むことにした。失敗してもまあ、交渉スキルの取得、成長になるものだと割り切ればいい。
「二つか? 何だ、言ってみるといい」
「では遠慮なく。魔物討伐にあたって、奴隷達に回す装備、配給は質が平均並みによいものであることが一つ。また、奴隷達には無闇に危険な仕事を任せず、もしも任務の一環で戦死した場合はそれを責任をもって買い取っていただくというのが一つです」
「……なるほど、そうきたか」
これは無茶な申し出ではないはずである。しかしこれは俺からすると重要な約束である。
もしもである、ないとは思うが討伐隊側が『費用を節約したい』『なるべく冒険者の死傷者を出したくない』『ならば奴隷に与える水や食料の配給を減らし、回す装備も質の悪いものにして費用を節約しよう。そして奴隷達を危険な場所に送り込めば冒険者らの戦死者も抑えられるだろう』と考えたら、まずいのだ。
流石にハワードやアリオシュ翁の立場からすると、『今後も鑑定スキルを持っているトシキとはいい関係を続けたい』と考えるはずなので、そんなことはないとは思うのだが念のためである。
「分かった、その条件なら飲もう。……その若さだというのに抜かりない人物だな、君は」
どことなく楽しんでいるような苦笑を浮かべて、ハワードは肩をすくめていた。
「いえいえ、ハワードさんこそ中々どうして油断できません。私は一介の商人ですが、今日一日でハワードさんには勉強させていただきましたとも」
「なるほど、これからも末永くよろしく頼む」
「ええ、こちらこそ」
「ワシからもひとつ、よろしく頼もうかのう。なあトシキや」
「こちらこそ光栄です。是非ともよろしくお願いします」
かくして免税措置を勝ち取った俺は、中々の充足感と共に冒険者ギルドを立ち去った。
ちなみに、衛兵長ハワードとの顔繋ぎが出来たことも収穫ではあるが、個人的には交渉スキルLv.0を取得できたことが何よりの収穫であった。