第十四話
拳闘大会の予選は、本戦の十日前に二日かけて実施される。
参加者四十名余りを上位四人まで絞るため、簡略的なスパーを八回行って、審査員が得点を付ける方式で本戦出場の四人を決めるのである。
四十名を一度に見るとなると難しいため、審査員は冒険者ギルドの稽古指導教官などが駆り出される。例えば、今回の「拳闘大会アルベール伯誕生記念杯」の審査員に「蚤の市杯」準決勝進出のハワードと優勝者の森熊が駆り出される程、審査員の数は少なくなっている。
そして審査員が付ける得点の合計で予選の結果が決まるのだ。
「……R2の得点です! 10-8!」
審査員が得点を読み上げる。三試合目はチッタが優勢のまま、ついに最終ラウンドであるR3を残すのみとなった。得点がR1で10-9、R2で10-8となると、もはやチッタの勝利は確実と言えた。
「……ねえ、チッタ負けないわよね?」
「どう考えても負けないだろ。採点は、確かダウン一回で10-8、ダウン二回で10-7。つまり、二回ダウンを取られたとしてもようやく同点、ここからは堅実に戦えば余裕だ」
「でも、まだ明日も試合はあるのよ? 疲れは残らない? 拳闘大会で支給される回復ポーションだけだったら致命的なダメージは残るわよね? チッタ結構打たれたわよね?」
「……回復ポーションなら、今日の夜いつものようにたくさん飲ませる。問題はない」
「でもこれが終わっても今日はあと一試合あるのよ? 何で大丈夫って断言できるのよ?」
「俺にはチッタの体力があとどれぐらいなのか分かる。俺の観察力を信じろ。チッタはかなり余力を残している、これは本当だ」
隣でユフィが謎の心配性を発揮している。心配性キャラはネルだったはずなのだが、今日はユフィがチッタを心配しているようだ。
インターバルの休憩が終わり簡易リングの中央に立つチッタの背中を、ユフィは何とも言えない表情で見ていた。
「こ、怖いです……」
ネルは時々痛そうに顔を伏せたり目を閉じたりしている。悪く言えば妄想癖、よく言えば想像力と感受性が豊かなネルは、チッタが殴ったり殴られたりするたびに「ひっ」と怖がっていた。
そんなに怖がるならテントに帰ってもいいのに。
そう思う俺だったが、ネルはどうやら試合を見てみたいらしいので、ならば自由にするといい、とここまで連れてきた次第だ。
感動がみたい。そんなことを言っていた気がする。
ステラお婆ちゃんはそんな彼女たちの側で優しく笑いながら、ネルのことを撫でて落ち着かせていた。
ステラをこの「人材コンサルタント・ミツジ」に迎え入れて良かったと思っている。ステラはイリ、ユフィ、ネル達のことをよく目にかけてくれるし、やんわり優しく彼女たちを教育してくれる。そのような奴隷を教育してくれる人手は、今後の展望を考えるとたくさん欲しい。ステラはその意味で貴重なのだ。
「ネル。怯えないで」
因みにイリも、今日はユフィやネルに「大丈夫、心配ない」と面倒を見ているようであった。三人組の中でも一番面倒見がいいのはイリだろう。ちょっと無口で頑固な彼女だが基本的には良い子なので、俺もユフィやネルの世話をちょくちょく彼女に頼んでいる。
「チッタは強い。今回も勝つ」
「イリ……。でも、人が人を殴るのは、怖いです……」
ぽつりと呟いたネルの言葉に、今度はユフィが彼女へと聞いた。
「ネルったら、そんな暇があるならチッタの心配したら? それともそんなに怖いの?」
「え、だ、だって、ユフィ、どうして人は人を殴れるんですか……?」
「お互いの合意よ。あの場に立つということは、お互いに素晴らしい試合にしようという合意なの。彼らには、怖くても勇気と誇りがあるわ。……ねえネル、怖いならテントに帰ってもいいのよ?」
「……嫌です。感動があると聞きました」
「なら別に良いけど。……それにしてもチッタは大丈夫かしら」
ユフィが呟いたと同時だった。
チッタが得意のワンツーコンビネーションを決め、そこから左フックをこめかみに一撃食らわせた。こめかみ打ち、テンプルショット。実に綺麗に決まったそれは、相手選手をKOさせてしまった。
「勝ったわ! ねえ!」
「ああ」
凄く嬉しそうなユフィ。「こうでしょ、こう」とさっきのテンプルショットを体で再現するというはしゃぎぶりだ。可愛い一面もあるもんだなあと思いながら少しだけ頬を緩ませていると、「……」と急に恥ずかしくなったのか席に着くという一連の動作まで可愛い。
冗談で「後で左フックを教えてやろうか」と言ってみると「……本当?」と返事が来た。
何で食いつくんだよ。
割と乗り気みたいなので「後でな」と答えておいた。
それよりチッタだ。
鑑定スキルを発動させ、遠くからチッタを鑑定する。
チッタの体力はあまり削られていない。体に目立った外傷はなく、殴られた痣も見当たらない。魔物の素材を使ったグローブのおかげでか、選手のパンチのダメージは結構しっかりと緩和されているようであった。
回復ポーションを受け取り、殴られた痕にかけたり飲んだりして傷を癒すチッタ。この分だと次の試合も全然行けそうだ。
チッタの様子をじっと見ていると、急に横から三つの視線を受けた。
「……どうしたんだよ」
物言いたげなちびっ子たちの視線に、俺はステラと共に苦笑するしかなかった。
◇◇
「ちょっと他の選手たちを偵察してくる」
そう言い残して俺は、ちびっ子とステラを護衛の戦闘奴隷に預けた。引き換えに俺は、ミーナを一緒に連れて、他のリングに向かうことになった。
「ご主人様って心配性ですよね」
「どうしてだ?」
「いつも外出するときは必ず護衛をつけますよね。自分だけじゃなく奴隷たちにも。いい心掛けだとは思っているんですけど、ちょっと気になって聞いてみただけです」
ミーナはそう言いながら手で木の棒を弄び出した。
「やっぱり怖いからな」
「そうですか? 多分私より主様のほうが強いですよ?」
「それでも万が一、ということがある。だから念のため護衛をつけるんだ」
俺の回答はこれに尽きる。
この世界は「fantasy tale」に酷似している。治安がいいかと言われると微妙なところだ。スラム街の路地裏に足を向けたら普通に追い剥ぎの真っ最中だった、だなんてことも稀にある。
まだオアシス街は治安が良い方だが、スラム街はとなると怪しい。俺も一人で出歩くことを躊躇う。大体の奴らは栄養失調の物乞いなどだから力もなく怖くはないが、スラム街がそういう荒廃状態にあることをいいことに潜伏している犯罪者もいるだろう、と俺は思っている。
印象としてはこうだ。スラムと聞いて想像するほど悪くはない、しかし奥に向かえばまさに無法になる。
ならば、念のため護衛の奴隷をつけるのは自然な考えだと思う。
別にスラム街だけではない。そこに限らずオアシス街に向かうときだって護衛を付ける癖を身に付けたほうがいいだろう。
「だからこういう拳闘大会の予選を見に行くだけ、とかでも一応念のために戦闘奴隷を連れているわけだ」
「それがいいと思います。聞いといて何だと思うかも知れませんけど、私も同意です」
「頼りにしているぞ」
「……うーん、別に良いんですけども、何か男の人に護衛を頼られるのって奇妙な気分ですね」
そういいながらもミーナは満更でもない様子であった。
周囲を見回す。
予選に参加している選手たちの中で、やはり驚異的なのはキャシーであった。さっきも1RでKOを決めて四試合目を終わらせてしまったばかりであった。「偵察かい?」なんて笑いかけながら、こっちに声をかけてくるほどには余裕らしい。
「ええ、まあそんなところです」
「チッタとか言ったねあの子。あの子は勝ち上がりそうかい?」
「はい、今のところ全勝で四試合目を迎えております。このまま四試合目も勝ちそうですので、まあいけるのではと思っています」
「そうかい、期待しているよ」
そこでふとキャシーは、思い出したように「そういえば」と話を転換させた。
「何か、この大会で面白い話を聞いたんだけどさ。森熊の旦那が見た試合が面白かったってよ。何か選手が両方とも魔法を使いまくってもはや別の試合だったってさ」
「えっ」
「魔法を使ったということで、当然両者失格。ミニスカポリスノ・ナビィタンとか何とかと、魔法少女ミルキーが云々かんぬんだってさ」
「何ですかそれは……」
そんなハプニングがあったというのか。その魔法使いとチッタと対戦が当たらなくて良かったと心底思う。魔法を使われてチッタに怪我でもあれば大変だ。
「そっちは何か面白い話はなかったのかい?」
「ああ、こっちですか。いやあ、特になかったかと思いますよ」
「あら残念」
キャシーはそういって肩をすくめていた。情報収集も兼ねていたのだろうが、俺のほうから提供できる情報はない。後でチッタのリングに連れて行ってもいいかもな、と思っていると「じゃあこの辺で」とキャシーが立ち去った。
何気なく鑑定スキルを使ってみた。そうすると、隠し事をしているときの心理グラフと同じプロットが示されていた。
(キャシーが何かを隠している?)
俺はふとそう思ったが、結果的に一体何を隠しているのかは分からないまま、この日を終えることとなった。
俺の予想では、面白い話というのは「天空の花」関連で、俺がもしかしたらマハディと接触しているのではとキャシーが鎌をかけてきたのでは、というものだった。
しかしどの道確証はないので、何も深く考えすぎないことにする。チッタの所に戻って「怪我はないか?」と軽く確認してから、全員がいることを確かめ、テントへと帰った。




