第十三話
十日間は早い。気を抜いていると直ぐに過ぎてしまう。
俺とチッタはひたすら練習に励んだ。練習に励む姿が余りにもひたむきだったためか、他の奴隷たちもそろそろ本気で俺の商売を心配するほどであった。全然奴隷商をしていないぞ、この新しい主人は、と。
彼らから見たらそうだろう。毎日営業と称しての外回りが殆どで、冒険者ギルドや商人ギルドから定期的に依頼を拾ってくる。たまに料理を作ってはアリオシュ翁の接待を兼ねて昼ご飯を一緒に食べる。器用な奴隷と一緒に調薬してはそれらを薬師に売り払う。定期的に催しを開いて、槍の演舞、ちびっ子たちの歌、そして出店にルッツを呼んでの肉炒めと酒の露店販売。奴隷たちの仕事は短期契約がほぼメインを占めており、本当に時々奴隷を買い求める人が来る程度。
それももはや奴隷契約以外はヘティ一人でも可能とあらば、まさに破天荒としか言いようがないだろう。
曲芸的な営業回しにより、日々の稼ぎはむしろ微かに増加しているというのだからますます奇っ怪というわけだ。
奴隷たちは俺の扱いにますます困っているようだった。
この間まで小間使いかと思えば、いつの間にか店主になっており、しかも忙しく働き回るがそれは奴隷商として忙しく働き回っているかと言われると微妙。各地への宣伝は余念なく、人脈作りとやらは幅広く、お陰で定期的に小さな仕事は回ってくるようになったが、ますます奴隷商らしくなくなっている。
これではギルドの下請けクランではないか。
事実、それに近くなっているだろう。
二枚羽の冒険者ノールたちと提携して、冒険者ギルドの仕事に奴隷たちを研修として派遣させ、作業的に小さな仕事をこなしている。
商人ギルドでも、人頭奴隷を要する仕事、例えば搬入作業だとか収穫、納入作業を俺が率先して受け持っている。商人たちも冒険者ギルドを介するより俺に頼んだ方が手数料もかからないため、安上がりだと俺に頼む。冒険者ギルドの仕事を奪いすぎない程度にバランスをとって、俺もその仕事を受ける。
結果的には、人材コンサルタント・ミツジはこのように、ギルドの下請けクラン(パーティーの大きな集まりをクランと言うのだが、その中でもギルドの大型の依頼を定期的に受けて稼いでいる企業のような組織のようなそんな存在を下請けクラン、と呼んだりしている)のような立ち位置になりつつあった。
こうなると身の振り方が大変になってくる。従来のクランと角が立たないように仕事を棲み分ける必要が出たりと、ますます営業として外回りをするわけだが。
俺は、とにかく毎日一回はテントから出かけるような日々を送っている。帰ってきたら今度はチッタとの訓練だ。
奴隷商とは。
マルクの姿を知っているだけに、皆にとって俺は本当に風変わりだと見えるのだろう。
だが彼らはもう受け入れているように見えた。
カイエンの時は、まだ納得しているようでもあった。槍演舞とかぐらいしかさせていなかったからだ。
ルッツの時から違和感を覚えつつも、宣伝と資金稼ぎとを兼ねた営業戦略だと受け止めていたらしい。
だがマリエールの件を経て確信したらしい。名前を残したくないのか、得意なことをさせてやろう、という台詞通り、一人一人の希望を尊重する経営をしていると。利益が見込める限りは協力的だと。
「チッタ、明日、いけるか?」
「大丈夫です、商人様」
チッタが腹筋をしている傍で、俺は調薬を続けていた。正確には調薬の暇を惜しんで、チッタの様子を見ているというのが正しい。
彼女の真剣な様子を見て、俺は安心をした。そのまま一人、考えを続行することにした。
奴隷たちの印象。
きっと奴隷たちにはこう見えていたはずなのだ。営業戦略、宣伝戦略だととかく知に働く頭でっかちの十五歳の若造が、たびたび槍演舞戦略だとか露店販売戦略だとか博打を打っては何とか運良く成功している、と。
それが意外にも失敗しても金銭的損失が少ない勝負を繰り返し、後に営業を広めて定期的な仕事が受注できるように働いていたのだと知られるようになって、見方が変わったのだろう。
俺は十五の子供と見られることはなくなった。
その代わり、スパーリングもこなし調薬もできる奇人という扱いになった。
素直に尊敬してくれるのが、ミーナ、ヘティ、ネル、ステラ、チッタと言ったところ。
そのほかの奴隷たちは俺の多芸さにほとほと呆れている。
実は、確かに奴隷たちから侮られのようなものを感じ取ったこともある。年相応の子供らしく、甘い人間だと。奴隷たちに随分甘い処遇を与える主人で、ちょろいと。
それが時間を経て、甘いわけではないのだと認識されるようになったのはいつの頃だったか。
槍稽古が思ったより厳しかったからか。ちょくちょく貰う仕事の量が増えだしてからか。マリエールへの歌の稽古が容赦なかったからか。
最近は、チッタへの指導の容赦のなさを見て、やはり甘いわけではないのだという認識を再確認したという雰囲気だ。
最近俺は楽しい。
身の回りの様々なことが徐々に好転している、という気がする。
目に見える数字として、ステータスの数字と、スキル経験値が蓄積されているからだろうか。
営業を通して色んな人と会話していると、今俺は仕事をしているのだという充実感を得られるからだろうか。
調薬やギルドからの仕事の受注など、安定した収入源を得て安心しているからだろうか。
だから毎日が楽しいのだ。
そして、だからこそ本気で、チッタの優勝を実現させたいと思うのだ。四〇日も付きっきりで指導を施した奴隷なんて、俺も初めてなのだ。
勝たせたい。
これはある意味、俺の挑戦でもある。
俺の指導力、俺の鑑定スキル、それらの試金石としての絶好の機会なのだ。
(チッタを勝たせたい。その気持ちは俺にだってあるとも)
そして何より、四〇日も俺の言うことを聞いて愚直にトレーニングを続けてくれた奴がいるのだ。
そいつに良い目を見て欲しいと思うことぐらいは、普通の感情なのだと思う。
「……ちょっと失礼」
「? ああ、大丈夫っす」
一旦テントの外に出る。人の気配を感じたからだ。
外に出たら直ぐに分かった。
銀髪のエルフ。
夜の景色が外に広がっており、月明かりが優しく砂漠を照らしている。暗闇を焚き火が照らす世界で、一人の少女が立っていた。
ユフィ。
怪訝そうな表情と、少しだけ驚いたような表情が混ざり合っていた。それは彼女のいつもの、俺に向ける敵意とは一風異なるものであった。
ユフィは、どうやらチッタの様子を見にきたようであった。
「……気付いたの?」
「まあな」
「……ますます人間離れしているわ……」
呆れ顔で俺を見上げる彼女に、俺は「そうかい」としか返さなかった。
彼女はそんな俺に何か物言いたげだったが、それより聞きたいことがあるという感じで口を開いた。
「あの、アンタ的にはチッタは、あのキャシーに勝てると思う……?」
「三割ほど。勝負は時の運だ」
「三割……」
三割というのは適当な数字だが、俺の見立てでは半々よりは低いかなという程度である。
「随分あっさりと喋るのね。チッタが不利っていうことを平然と言えるその心理。悔しさとかそういうのはないのかしら」
「むしろ誇らしいさ。勝ち目ゼロの素人が四〇日程度で三割も勝ち目を見込める選手になった」
「……アンタ、ドライなのね」
「まさか。望みを言えば一〇〇%勝ってほしい。だが後は信じるか見守るだけの立場だ。感情を挟んでも事実は変わらないさ」
「……そうね、アンタはそういう人だと思ってた」
皮肉げな笑み。感傷を覚えている自分に対しての自嘲のようなもの。あるいは目の前で淡々と業務をこなしている俺の方が正しいのだろうと、でも相容れないというニュアンスを漂わせているようなもの。
そう言う類の笑みを浮かべているユフィは、相変わらず目つきが厳しいものであった。
「……ねえ、努力って」
「ああ」
「……何でもないわ」
「時々報われるだろう」
求めてもない答えを答えることにした。そのことにユフィは、押し黙った。
「……暇つぶし? それとも道楽?」
何が暇つぶしなのか敢えて言葉にしなかったユフィの気持ちを、俺は汲み取った。
「人生は長い暇つぶしで道楽だ」
「……そう」
「ただ、道楽というよりもむしろ、真剣に向き合っているつもり だ」
「……嘘でしょう」
「本当だ」
再び押し黙る二人。
「……下手に希望を見せることは、時々辛いことだと思わない?」
「ああ。でもお前も分かり切ってるくせに」
ユフィの瞳が揺れていた。
「……語ることは大言壮語なのに、いつも妥協しているのはどうして?」
「最適解とバランス。後は、ビジネスだからな。金としがらみはいつも付き物だ。……言っても俺はまあまあ甘いつもりなんだが」
もう一歩ユフィが近づいた。
「……何がアンタをそんなに突き動かすの?」
「こうしていたいからだろうな。俺は幸せになりたいんだ」
彼女の顔にはますます分からないという表情が浮かんでいる。
「……アンタは何で悩まないの? 葛藤はないの? いつも一人でさくさく決めて、いつ感情を表に出したの?」
「割と感情は表に出してる。葛藤は割とある。さくさく決められるのは経験がそこそこあるからだ。悩みはなんか、俺は一回死んで生まれ変わったんだって気分で生活したら、割とこんなもんだなあってさくさく処理できるぞ」
「……その割に浅いし、かといって情にもろいのは何でなの?」
「ちょっと待て、誤解してるぞ。俺は悩まない人間でも感情が表に出ない人間でもない。近い表現で言うと諦めている、というのが正しい」
「……諦めている? 何を? アンタがこの店で一番諦めの悪い人でしょう?」
「色々諦めながら生きてきたんだよ。嘘みたいな話かも知れないけど、俺は割と何でも器用に出来たタイプの人間だったから、色々細かく諦め諦めして生きてきたんだぞ。……今は諦めることが少ないから楽しいさ」
「……アンタは大人ぶってるけど、その癖、人を本気で腹立たせたり、人のトラウマをわざとほじくったりする無神経を行うのはどうしてなの?」
「怒るなよ? 効率的だからだ。……ていうか、本気で苛立たせているつもりもないし、トラウマを不用意にほじくったりもしてないぞ。向こうから話してくれる場合が殆どだ。無意識のうちにそんなことをしているんだとしたら、謝る」
「……ねえ、アンタは何がしたいの?」
「やりたいこと。皆もやりたいことやれよ。楽しいぞ。その代わりそれで生きていくとなるとしんどいけど、それはお前等の自己責任だからな、俺は他人だ、知らねえぞって感じ」
「……他人なの? アンタ、家族ごっこしていると思ってた。奴隷たちを奴隷だと扱っていないから、家族ごっこしているだけだと、気持ち悪い人だと思っていたわ……」
「知るかよ。他人というよりはもう少し距離を縮めたつもりだがな。仲良くしてるつもりだし、てか仲良くしてくれる奴とはそれなりに仲良くしているし、てかそれが普通だろ。……なあ、お前が俺に冷たかったのって、俺が家族ごっこしてるやばい奴と思っていたからなのか?」
「……それもあるけど、エゴの人間だと思っていたから……」
「まあエゴだけどな。……夢を押し売りだったか。ヤコーポと同じだとか前言ってなかったか? 半分当たってるぞ。でももうちょい人並みに、他人の幸せを祈っている人間だぞ、俺は」
「……ねえ、アンタは、私のこと嫌いでしょ?」
「いや、まあ、クソガキだし、目の良いクソガキだから更に面倒くさいとは思っている。けど嫌うほどでもない。あんまり大したことないな」
「……優しいの? それとも諦めているの? 所詮は道楽なの? ねえ」
「知らん。俺が疲れないバランスを維持しているだけだ。そんなの俺の気持ちの問題だ。ていうか気持ちの問題だから答えはない。……ユフィ、何事にも答えがあると思うなよ。世の中にはだいたい適当な部分もあるぞ」
「……曖昧にするのが好きなの? ミーナもヘティもそうやっているの。ネルまで」
「いや、問題の本質はそこじゃないな。多重婚もありの世の中だし。……それに今の気持ちが恋愛じゃなくて憧れだとかまやかしだとかそういう可能性もあるからな、今は俺の稼ぎもそこまで多い訳でもないから、あいつらの様子見も兼ねて、ひとまずは仕事に打ち込んで稼ぎを増やしたいってだけだ。そうすれば失敗はない」
「……アンタの気持ちはどこにあるのよ? 恋愛だけじゃなくて、仕事も、その生き方も」
「難しいことを聞くな。……俺も分からんな。曖昧だけど幸せになりたいというか、やりたいことをやりたいというか、それに尽きる。……びっくりすると思うけどな、実は昔もっと雁字搦めだったんだ、生き方とか色々な。今は本当にとことん自由だからさ、俺はやりたいことを出来て結構堪能しているぞ」
「……アンタは、どんな生き方をしてきたの? もう、何も分からない、いや、分かるけどよく分からない……」
「普通に生きてきたつもりだ。思考のプロセスが違うのは、ぶっちゃけ今まで生きてきた人生が全然違うからだ。……なあ。お前みたいな賢い奴によくありがちだけど、他人のことを分かったつもりで自分の尺度で測ろうとするその態度。めっちゃ他人にばれてるぞ。だから、もう少し上手く測れ、というかもうちょっと他人を敬うことをお勧めしとくぜ」
「……アンタは、凄いと思う。でも、尊敬するのが難しいの……」
「無茶言うなよ。尊敬されるために生きてるんじゃないんだよ俺は。勝手にしろよ。……まあ、お手本になるようにちょくちょく頑張っていたってのは認めるが、その程度だ」
「……私、アンタのこと、誤解してなかったかも」
「いや、それは腹が立つ。正直お前何も見えてないから俺のこと語るな」
「……ごめんなさい」
「謝るの遅すぎ。いいか、早さは誠意だ。今度から色んな奴に早めに謝れよ」
「……アンタのこと、同じぐらいの年のガキだと思ってた……」
「……」
「何で黙るの?」
「ガキっぽさがあるのは認めるけど……ちょっとショックなんだよ」
「……アンタ、……いや、そうね」
「良いから早く寝ろ。……俺はチッタともう少し練習をする」
「……じゃあね」
急にどうしたというのか。ユフィはいつの間にか質問魔になっていた。
長い問答を終えて、ユフィの表情は何故か晴れやかではなくなっていき、その代わりに一方で穏やかになっていた。あるいは、ちょっとだけ情のような何かが見えたというか。
「今度から、ご主人様って呼ぶ。死ぬほど嫌だけど」
「お前いい性格してるよ」
立ち去り際の台詞に、俺は思わず笑ってしまった。