第十二話
チッタは思い知った。
得意になっていたのだと。
そのことに気が付いたのは、一度格上の人間と戦ってからのことだった。
それまでは、驕るつもりもなかったのに、どこかで思い上がってしまっていたらしい。
チッタは誤解をしていた。あんまり周りがもてはやし、商人様まで上手だと誉めるものだから、勝つことは簡単なのだと思っていた。
多分事実なのだろう。
自分でも分かる、自分は上達しているということを。商人様が指導する技術、それを没頭して反復練習をしたためか、スパーリングの時にも無意識でそれらを実践できている。完成度も十分高い。
拳闘を続けたためか「格闘術の加護」とやらが味方してくれている、そんな気がする。きっとこのオアシス街程度であれば、拳闘大会で良いところまで勝ち上がることが出来るだろう。
だが、慢心するほどではないのだ。
チッタより上手くない選手は数多くいる。上手くないだけだ。闘い慣れている分、防御、つまりブロッキングが上手い選手は多くいる。体格で階級分けされていないために、その体格を活かした一撃必殺に特化した選手は多くいる。
どれだけ上手くても、チッタは少しミスすれば負ける。
パンチ力は雲泥の差。
手数と引き出しの多いチッタは、なのにリーチが少し足りない。
得意のパンチが今まではワンツーコンビネーション。つまり、左のジャブで相手が崩れてくれないと試合にならなかったのだ。
チッタは気付いた。
自分は強くなかったのだと。
目の前に突きつけられた結果は残酷なものだった。
体格の差、筋力の差。
単純にして覆らない絶対的なもの。
オーガ族だが小柄なチッタでは、一般人とは対等に戦えても準決勝、決勝でその差に頭打ちになるだろう。
技術。
技術での勝利を求めるのは厳しい。
(心がけも練習方法も間違っていたのか)
一度負けてから分かった。知らぬ間に拳闘を舐めてかかっていたのだ。これだけ練習したのだからと自分にとってしんどい練習に満足し、自分の上達だけに自惚れて強さとはこれかと錯覚していた。
何も分かっていなかったのだ。
分かってもないものを侮辱して、結果このように負けて膝を折る。悔しい話だった。負けたことではなく、負けに至る過程が不本意なのだ。
何故こうも愚かなのか。
真剣に打ち込んだ積もりだったし、真面目に戦ったつもりなのに、自分がしたことといえば拳闘という格調高い戦いの儀式に泥を塗るような真似だけ。
無かったことにしたい。
このままでは終われない。
チッタは拳を握った。
(強くなりたい)
強くなりたい。それも心の底から、本当に。
最初にそう思ったのはただ単なる憧れでしかなかった。ああなりたいという羨ましさ。ああなってみたいと思う期待と希望。切迫した理由も何もなく、ただそうなりたいという気持ちだけだった。
生まれて間もない夢だな、という言葉を商人様が言ったのはいつのことだったか。本気で行くぞ、と覚悟を新たにさせた商人様に、はいと威勢良く答えたあの日の自分には、覚悟が足りなかった。
もっと必要なのだ。
強くなりたいと思う。自分が努力してきた1ヶ月。前に進んでいるという実感。それらが嘘にならないように、強くなりたい。
そうすればきっと。
強さとは何か。その答えをチッタは未だに知らない。
しかし、強くなりたい理由がまた一つ積み重なったことだけは分かった。
◇◇
チッタの練習は目に見えて更にハードになっていた。
トレーニングをやりすぎても逆効果だと俺が時々諫めても、ならば筋力をあまり使わないトレーニングと、シャドーボクシングに励み、俺を捕まえては回避のトレーニングに付き合わせたりしていた。
結論から言うと正解だった。
俺の前動作からどんな角度のパンチが来るのか、というのを徹底的に見極める訓練。これはチッタのウィービングのテクニックを確実に底上げしてくれた。
ショルダーブロック、エルボーブロックと幅広くブロッキングが活かせるようになり、チッタの防御、回避能力は格段と上がった。
さらに俺はチッタにフェイントを教えた。
打つと見せかけて打たない、というのではなく、同じ体のモーションから放つ変則ブローを仕込んだのだ。
肩の動き、腰の動きなどの予備動作が全く一緒のブロー。それだけで対戦相手は、どんなパンチが飛んでくるのかを勘違いする。
左ジャブに見せかけてやや外側を走らせたアッパー。右アッパーと見せての右ボディアッパー。
同じモーションなだけに事前に見極めるのが難しい。
相手を良いように翻弄し、インファイトなのにかわして当てる華麗な戦い方をチッタは身に付けていった。
不器用。とんでもない。
チッタは愚直だったし、小細工が上手いとはお世辞にも言えない。しかし相手に合わせて戦闘パターンを切り替えるということが難しいというだけであって、教えた技術は愚直に反復して実現してくれる。
使い分けを余り意識しなければ、チッタは技術を愚直にも身に付けてくれるのだ。
(後はクリンチワークだが)
クリンチ。抱きつく技。相手に抱きついて、相手の出鼻をくじくテクニック。
ラッシュに踏み込む直前やパンチの直前直後など、とにかく相手がここから一気に攻め込む、というその瞬間に脇を抱え込んで抱きつき、腕を使えないようにする危機回避の技だ。
パンチを食らって視界が揺れている時に、時間稼ぎして回復するのにも一役買う技術だ。
しかし。
クリンチの技術習得にギャラリーの奴隷たちは肯定的でなかった。
「……主様。役得狙いですか」
「あらあら、ご主人様ったらチッタにも手を出すのね」
ミーナとヘティはからかい半分でそう口に出していたが、「正直な所どうなんですか」とかジト目を時折見せてくるあたり、俺を信頼してないように見える。
真剣なトレーニングだ。役得だがトレーニングだ。
そう伝えると、ミーナは「私もクリンチ覚えましょうかねー」とか冗談半分に抱きついてくるし、ヘティは「役得ねえ」とか言いながら俺に巻き付いてきたりする。
じゃれ合いというやつだ。
こういうのも悪くない。
しかしこの二人と対称的に、ユフィ以外のチビたちの理解は全く得られなかった。
イリはこの人はこういう人なんだと事実を再確認して悟ったかのような顔付きだったし、ネルはこの人はこういう人なんだと気付きたくない真実に気付いたような顔付きだった。そんな二人に苦笑を浮かべていたステラは、まあまあ目をつぶりましょうよという雰囲気であった。
そしてユフィ。
ユフィは例の如くこの上ないほどに軽蔑するかと思いきや「必要技術の一つ」と意外にも俺に好意的だった。
思わずステラと顔を合わせてしまったほどだ。
「チッタ! クリンチは内側から行け! 思いっきり相手に体をくっつけてしまうんだ! 出来るだけ腕を相手の脇の下ぴったりに入れて腕を持ち上げて、相手の手を万歳の形になるように浮き上がらせるんだ!」
「はい!」
寸止めで相手に拳をぶつけないマスボクシングをしてチッタの回避能力を鍛えながら、ここぞというタイミングでのクリンチを取得してもらう。
(……少々クリーンなテクニックじゃないが、耳の後ろを叩いて三半規管を揺するアンダー・ジ・イヤーというのも教えておいた。どうしてもピンチの時に時間を稼ぐ技術だが……)
顎やテンプル程ではないが、脳を揺らす効果がある。
緊急回避のテクニックとして彼女に一応教えた、という次第だ。
使えるテクニックは全てチッタに教える。一旦教えて使えるかどうかを見て、使えそうなら反復練習させる。
拳闘準決勝、決勝まであと三週間程度。
準決勝、決勝に進むための予選ならば後一〇日しかない。
最善を尽くすのみ。
「よし! 次はシャドーだ! スマッシュとショートアッパーをもっと練習するように!」
「はい!」
俺は威勢のいい返事を返すチッタを見た。その表情に曇りはなかった。




