第九話
「……ここかい? 今滅法拳闘に励んでいる闘士がいるっていう噂だけどさ」
「いらっしゃいませ! はい、闘士でしたらうちの者かと。主様にお取り次ぎしますので少々お待ち下さい」
丁度そのタイミングで外から声が聞こえてきた。どうにも聞き覚えのある声だったので、俺は「チッタ、一旦中断だ」と手を休めた。
今ミーナが取り次いでいるのは、恐らく滅法強いあの女傑だろう。
急いで外に向かう。
ミーナともう一人が立っていた。俺を見つけて少し目が丸くなっている。
「いらっしゃいませ、キャサリン様。いつもお世話になっております、店主のトシキ・ミツジと申します」
「ああ! トシキさん! 商人だったのかい!」
「ええ。まあ積もる話はあの商談テントでお伺いしますよ」
「じゃあ、お邪魔しようかな。その前によろしく」
顔を綻ばせ、その力強い手で握手を求めるキャシーに覚悟を決めて手を差し出した。握手は思ったより痛くなかった。
キャシー。
娼婦であり、六枚羽の冒険者であり、鬼人族。巨人族の血を少し受け継いでいるらしい彼女は、何をするにしても目立つ。
このオアシス街の著名人の一人であり、俺の持つ貴重な人脈の一人である。
握手をほどく。
畏まった口調は困る、とキャシーが言ったので、その言葉に甘えて少しだけ砕けることにする。敬語のまま「ところでキャシーさん、今日はどういった件で来られたんですか? あれですか、拳闘ですかね」と少し親しみやすく接する。余りやりすぎると失礼に当たるので、この辺でほどほどに、だ。
テントにはユフィ一人だった。丁度良い、ユフィに紅茶を入れるよう言い付けた。
「そう! 拳闘だよトシキさん!」
「やっぱりキャシーさんも参加なさるんですか、あのアルベール伯の誕生祭の拳闘」
「ちょっとトシキさん、やっぱり敬語止めなよ。何か余所余所し過ぎて嫌だってば」
「じゃあもう少し砕けますけど、でもやっぱ僕も商人なんでね、お客への誠意と言うことでこの辺で勘弁して下さいよ。ね、キャシーさん?」
「うーん、まあ良いけどね」
首をひねるキャシーを見て思う。
この世界における敬語意識はそこまで高くない。ついでに言えば日本のように、お客様は神様という考えもない。店主が「おう、一つ銅三〇枚だ!」とかいう感じなのだ。
だから、丁寧な喋り方をする俺は結構浮いている。
悪い意味ではない。
そもそも、丁寧な喋り方をするかどうかはあくまで商売スタイルによるだろう。
俺の場合は営業先が広いこと、偉い人とのつながりがそこそこ多いこと、そして見た目が若いということの三つから、敬語を意識して使っている。
敬語を使うとへりくだっているように見える、乱暴な言葉遣いこそいなせだと、例えば鍛冶師など職人系のオヤジは敬語じゃない方が多い。
要はそれぞれ、という奴だ。
そのタイミングで、ヘティが帰ってきた。
「あら、キャシー」
「あ! ヘラ!? 嘘、何でここに!?」
ステラと一緒に倉庫整理と掃除に立ち会っていたらしい。
キャシーはヘティをヘラと呼んでいたが、きっと昔の渾名なのだろう。ヘティは「今はヘティと呼んで頂戴」としなを作って答えていた。
二人の態度を見ていると、どうやら二人は知り合いのようらしい。話を聞いている限りでは娼婦仲間という奴らしい。
顔を綻ばせるキャシーは「なあトシキさん、実は私たち同じ所で働いてたんだよ!」と嬉しそうに喋っていた。
同じところ。
二人は同じ娼館に勤めていた、ということだろう。
話に花を咲かせる二人は、「ああごめんなさいトシキさん」「いやいや、どうぞどうぞ。こうやってお二人のお話聞いているのって楽しいもんですよ」とちょいちょい俺のことを気にしつつも、積もる話を色々と広げていた。
ヘティは賢かった。
俺が傍で耳を傾けているということを意識してか、ちょくちょくさり気なく俺の顔を気にかけつつ、俺が知りたい話題はそれとなく深めたり「これはこういう意味なの」と俺に解説してくれたりしてくれた。
こういう気配りが有り難い。
おかげで地味に色々と詳しくなった。冒険者ギルドでも新米をハメて儲けている奴がいるとか、娼館の経営者とキャシーたち嬢のやり取りなど。
ふと思いついたようにキャシーが切り出した。
「そう、じゃあヘティ。……あんた花の姉御のこと聞いたかい? 最近シャバに出てきたって」
「あら、姉さんが……」
え、それって天空の花マハディのことでは。
俺は一瞬顔が固まったのを自覚した。ヘティも何となく察したようで、「まあ姉さんだものね」とキャシーの気を引きつけてくれていた。俺の動揺をキャシーに気付かせないためだろう。
「でも、花の姉御はこれじゃもう捕まったら死刑だろうねえ」
「そうね……。前も死刑になりかけて、署名運動で辛うじて嘆願が通ったから禁固刑だっただけだものね。姉さんだったら大丈夫だと思うけど……」
俺は何となく気まずかった。
心当たりはある。指輪の話をしてしまったからだ。それを探すために外に出たのだとしたら。
まあいい。
「おっと、関係ない話をし過ぎた。トシキさんごめんね」
「いえいえ、私は楽しかったですよ。キャシーさんのことを色々知ることが出来ましたからね」
「そう?」
「いやあ、今度もっと色々教えて貰いたいなあと思ってます」
「やだな、もう! まあいいともさ、ちょっとサービスしとくよ」
意味深なスマイルのキャシー。
ふとヘティを横目で見ると、少し呆れていた。影になる角度に隠れて蛇のしっぽでわき腹をつんつんとしてきたので、ちょっと妬いているみたいだ。
後でミーナに言いつけるから。
わき腹になぞられた文字がくすぐったいながらも、俺を現実に引き戻した。
「ところで、拳闘でしたっけ?」
「ん、ああその通りだね。どうも凄く強いやつがいるらしいじゃないか。燃えるねえ」
彼女の獰猛な笑みがちらりとのぞいた。
「……あの」
そのタイミングで、丁度チッタが商談テントに入ってきた。
いや、ずっと外で会話を聞いていたのだろう、ただ丁度タイミングが良いと思って意を決して入ったらしい。
覚悟があった。
チッタは真っ直ぐキャシーを見据えていた。
「その、拳闘でしたら、お、オレがその拳闘士かと」
「へえ?」
どこか堅いチッタ。
面白そうに笑うキャシー。
ヘティが「チッタったら。ご主人様の紹介があるまでは勝手に入ったらだめなのに。あと言葉遣い」とぼそっと言ってたが、まあ後で言っておこう。
それよりだ。
「じゃあ、戦うかい?」
キャシーの獰猛な笑みを受けるチッタは、限りなく真顔だった。
寧ろ、何故かかなり逸っている気持ちを抑えているようにも見える。
「その、いいんすか? お、オレ、ちょっと憧れてるんで」
「いいともさ。ねえトシキさん?」
落ち着かない様子のチッタをよそに、キャシーは俺に確認を取ってきた。
是も非もない。
貴重な経験だと思い、俺は二もなく頷いた。




