第八話
「最近面白いことを奴隷にさせてるみたいじゃのう。何やら拳闘大会の練習じゃとか」
「お分かりになりましたか」
アリオシュ翁は、居酒屋森熊の次の新メニュー予定の茄子の味噌田楽を食べて「まあまあじゃの」とコメントを返してくれた。
新食品のモニターリサーチ。
実は現在、俺は居酒屋森熊と提携して新メニューを提供しようと考えていた。その一つが茄子の味噌田楽。異国風調味料、味噌を前面に押し出した料理だ。
例のごとく濃いめの味付けで、味噌の甘辛さが酒を進ませるだろうと踏んでいる。
「お前さんの奴隷が拳闘もどきをやっとる。……さる筋の情報と言うことにして貰おうかのう」
「……怖いですね。何でもかんでもお見通しですか。とても優秀な密偵でもいるんでしょうかね」
この新料理は、単純に居酒屋森熊と何か一つ業務提携をしておきたかったから提案したものである。
ルッツを貸し与えているというだけでは、うちの宣伝には全くならない。だから「人材コンサルタント・ミツジ」の料理スタッフとの提携と言うことにしておいて、新メニューを考案して宣伝を兼ねる。
そのレシピを居酒屋森熊に提供する代わりに、茄子の味噌田楽の利益の一〇パーセントをルッツ経由で頂く。
これも地味な「小遣い稼ぎ」の一つだ。
真のねらいは「料理スタッフ」という奴隷がいることの宣伝だ。
正直、戦闘奴隷に向かない人頭奴隷に何か専門技能を仕込むのは難しい。だからといって人頭奴隷のままでは二束三文の市場価値しか付かない。何か専門技能を教えたい。
料理は、その点仕込む専門技能としては優秀だった。レシピを用意さえすれば、俺が直接指導をしなくても技能が磨ける。手間を省きたいという意味で俺が楽なのだ。
「密偵? 風の噂じゃよ、あくまでな」
「そういえば風の噂で思い出しました、人の記憶を改竄できる密偵がいたらとても有能だろうなと思いませんか?」
「そんな奴おるのかのう?」
今現在アリオシュ翁と膝を合わせて語り合っているのは、そう言った次第なのである。
というよりこの御仁が健啖家だからというのもある。単純にグルメな人なのだ。美味しい料理が好きなので、こういうモニター調査には快く協力してくれる訳だ。
良い話だ。
俺はもう無料でいくらでも料理を振る舞ってもいいと思っている。
傍目からみたら、冒険者ギルド支部長と何度も打ち合わせしている商人だ。アリオシュ翁という後ろ盾を持っているようにも見えるだろう。
荒くれ者の多い冒険者たちにも、俺のことがおいそれと手出ししにくい存在に見えるに違いない。元九枚羽の生ける伝説アリオシュ翁と親しい商人だなんて、手出しすればアリオシュ翁から何を制裁されるか知れたものでない。
自衛のコスト。
それにしては破格過ぎると俺は思う。
「例えば、そんな密偵がいたらオペラを見ながら情報をやりとりすることだって余裕でしょうね」
「はっはっはっ! 面白いことを言うわい!」
表向き、今アリオシュ翁は昼休みの時間となっている。食事をしていますよ、という休憩時間なのだ。
毎回昼休みの時間だけでもアリオシュ翁と会話するのは、それだけでかなり価値がある。
アリオシュ翁は色々詳しい。情報を教えて貰うのにこれ以上ない素晴らしい人なのだ。
雑談とかでも、この世界の常識に疎い俺からすればかなりの価値がある。かと思えば普通に「あの商人は危ないぞい」と教えてくれたりする。
本当に、アリオシュ翁様々である。
「あれはの、音魔法をヤコーポの奴に頼んで会話の音を遮断するから出来る芸当じゃわい。オペラの休憩時間っていったらトイレに立つ奴もおるじゃろ、そんなとき客席の一部が無音じゃったら目立ってしゃあないわ。じゃから、あの一瞬は会話が外に聞こえるでな、雑談で時間をつぶしたんじゃ。雑談がてらにお前さんをからかったまでよ、のうトシキ」
「なるほど、そうでしたか」
今俺がポーカーフェイスを保ったことを奇跡と褒めて欲しいぐらいだ。
何ということをこのジジイ抜かしやがった?
ヤコーポとマハディとアリオシュ翁は繋がっていたというのか?
たくさんの疑問符と遅れてやってくる戦慄に、俺は辛うじて微笑を保つのみであった。
「お前さん目はええが頭は良くないのう。なまくらという意味じゃなくてな、切れるようで微妙に抜けとるという意味じゃ」
「商人の勉強中ですので。これからもご指導ご鞭撻賜りたく思っております」
「よいよい」
この世の闇を見た気がする。触らぬ神に祟りなしということだ。
◇◇
体をひねり足腰を入れて、真っ直ぐ一撃。
足の指先に力を入れてウェートシフト、そして力が逃げないように反対側の腕は胸の前で構える。
結果繰り出されるストレートブローは、俺のミットを痺れさせるに十分な威力だった。
恐ろしすぎる。
ボクサーの拳は凶器である、という言葉も納得できるというもの。
(チッタは強くなった)
単純な殴り合いの域を抜け出ていない拳闘において、チッタの技術は、有り体に言えば余りにも強くなりすぎた。
鋭すぎる。
無駄のない経路を走る最短のジャブ。彼女のリーチの足りなさを補って余りある。もう一〇センチ踏み込んで放てば破壊力も段違いというもの。
ジャブで相手を崩したと見るや、腰を捻って体で打つストレート。左手のガードは外さないまま胸部を開かないことで、右腕を下手に引っ張らないためそのまま捻りの入ったコークスクリュー気味の強烈な一撃が相手を襲うことになっている。
小柄な体から、縦の体の捻りを生かしてのアッパー。脇の腹筋をバネにして相手の顎を打ち抜く。
「ふっ!」
何より、平凡なワンツーコンビネーションが強い。
単純で基本的な技術。しかし同時にだからこそ、その技術を磨くのに果てなく遠い道のりがある。
少しでも早く、少しでも強く。
その遅々たる研鑽の果てに、今のチッタがある。
単純な殴り合いなど足元に及ばない。
技巧の重みがそこにある。
「どうしたチッタ! 技術は付いたが今度はスタミナか! 思った以上に拳闘は消耗する競技だぞ! 舐めて掛かるな!」
「っ はいっ!」
ついに一つ目の壁にぶち当たった。スタミナだ。
こればかりは仕方ない。
オーガ種族というだけで基礎スタミナは非常に高かった彼女だが、それはあくまで一般人と比べてだ。
俺の指すスタミナは少し意味が違う。
相手のパンチをいくらでもかわし続けられるような、レバーを叩くボディブローを受けてもインファイトを続行できるような、あるいは乱打戦になっても息切れを起こさないようなスタミナのことだ。
鍛える近道はない。
ランニングを続けて肺活量と足腰を鍛える他ない。そうやって、全身のスタミナを付けていくしかないのだ。
「避け続けろ! なるべく小さく避けろ! 背中を後ろに反らすスウェーで避ける癖は良くない! 体を振ってUの字を描くようにウィービングで避けるんだ!」
ミットによる俺の攻撃を避けるチッタ。
避けながらもミットに拳を返す彼女は、筋が良くてガッツもある。
素直なのだ。
俺の指導に愚直に従うその姿勢が、彼女をここまで強くしたのだ。
「……チッタ。まだ後一ヶ月もある。それなのにこの成長振りで、俺は驚愕している」
「ま、まだまだっすよ」
汗を掻きながら朗らかに答える彼女に、迷いはなさそうだった。
何故ここまで真っ直ぐなのか。
その理由がふと気にかかった。