第五話
次の拳闘大会は、時期にして二ヶ月後になる、当代領主誕生記念日に開かれる。
この砂漠の街「オアシス街」を治めるアルベール伯の誕生日を祝うための式典があるのだ。
その式典では蚤の市に勝るとも劣らない数の人が集まる。
商人たちも活気立つと言うもの。
しかし、蚤の市とは目的が違う。
蚤の市は正に「商取引するためにオアシス街全体が賑わう」というもの。一方でアルベール伯爵誕生記念祭は、「アルベール伯爵の誕生記念日を街の皆で祝う」というもの。
つまり外部から商人たちがやってきて商取引を盛んに行う、という訳ではないのだ。
「それにしたって、規模は大きいですよ。いや、下手したら誕生記念日はもっと豪華になると思いますよ」
ミーナはそんなことを言いながら訓練を見ていた。
チッタはオアシス街から水を汲んではこっちに運ぶ、を延々と繰り返している。これは足腰を鍛えるための重点的なトレーニングだ。
拳闘の試合を有利に運ぶためには、肺活量とスタミナを底上げしなくてはならない。適度なランニングは有酸素運動~無酸素運動の境目に存在し、肺活量、スタミナの訓練に一役買う。
もちろん、肺活量とスタミナを鍛える方法は数ある。しかし走ることで足腰を鍛えるという一石二鳥を目論んでいるのだ。
体格が小柄なチッタは、打撃に体重を乗せて力を補わないといけない。ウェートシフトってやつだ。ウェートシフトとはつまり体重移動のこと。体重を乗せることによる打撃強化。足腰の力はその際どうしても必要となる。
チッタによる水汲みダッシュは、そういう根拠に基づいた立派な訓練なのだ。
一方俺はフォームを練習するのみ。
理由は、単純に走りたくないからである。
「やっぱり豪華になるか。そりゃ領主の誕生日を祝うものだからな。蚤の市に負けてたらちょっと格好付かないよな」
「はい。むしろ商売のための蚤の市より、祝うための領主誕生記念日の式典の方が騒がしくなると思いますよ。何せ住民はわいわい賑やかに振る舞わなくちゃ、という暗黙のプレッシャーが掛かりますからね」
「へえ、じゃあ俺たちも騒がなきゃだめなのかねえ」
「義務じゃないですけど、まあ、祭典当日は店を畳むところが多いと思います。……ところで主様は走らないんですか?」
「俺はチッタに正しいフォームを教える義務がある」
正しいフォーム。
型の重要性は既に何度も触れている通りだ。どの姿勢が最も力が入りやすいか、ということは既に過去の偉人が体系立てて研究している。
効率良い肉体の運用方法。せっかくその知識があるというのなら、それを学ばない道理はない。
ということで俺は、自分のフォームを何度も鑑定し直しては適合率を高める、を繰り返している。
正しいフォームから正しく左、右とワンツーパンチを振ることで、スキル経験値が蓄積される。スキルレベルが上がれば、スキルの補助がかかって俺の格闘能力は簡単に上がる。
いわゆる近道というか反則というか。この世界の仕組みありきの底上げ方法である。
「あの、主様のことなので多分考えがあってのことだと思いますけど……さっきからフォームがコロコロ変わってるんですけど大丈夫ですか?」
「ああ。両手ガード、片手ガード、ノーガード、どれも構えとしては複数あるからな。それらをちょっと一通りな」
「そんなにたくさんやるんですか? ……やっぱり主様は一芸特化タイプじゃなくて多芸派トリッキータイプなんですね」
「まあな」
正しくは、ノーガード、片手ガードとかを適当に試してみて、一回鑑定して「ヒットマンスタイル」とかいう名前を手に入れ、その後はひたすら「ヒットマンスタイル」の練習、というようにして習得している。
そうやって場当たり的にフォームを見つけることで、俺の引き出しを増やすのだ。
格闘術スキル経験値もどんどん追加されていく。
スキルの加護のおかげで俺の基礎能力が着実に積み上がっていく、その感覚が何となく実感できる。
「でも主様が多芸派タイプだからと言って、チッタがそのテクニックを全て身に付けられるとは思いませんが……。むしろ不器用な気がしますよ、あの子」
「それはそれさ。どうしても二ヶ月で拳闘大会優勝、となるとスケジュールに無理が出来る。俺の仕事はそれを何とか実現可能なレベルに叩き上げることさ」
「……あの、今優勝って言いませんでした?」
ミーナが俺の何気ない一言を聞き咎めて、唖然としていた。
優勝。まあ出るからには狙って貰わなくては困る。
「実は割と勝算はなくはない、と睨んでいるんだ」
「……本当ですか?」
「複数スキルを取得することによる基礎能力の底上げ。および近代格闘術に裏打ちされたボクシング技術。……この二つのチートがあれば割といいところまで食い込めるだろうさ」
「スキル、ボクシング、チート……」
俺が使った現代用語に耳ざとく反応したミーナは、どことなく苦笑いを浮かべていた。
俺がしようと思っていることが何となく分かったのだろう。
主様って、昔ボクシングやってたとかそういう経験者ですか? 知識豊富すぎてちょっと引いてるんですけど。
そう言うミーナに、これが俺が貰った能力、と説明して軽く流す。
「とは言え複数スキルを習得して能力底上げを図るのは、どこかで頭打ちになるだろうと思う。その際にどうしても物を言うのは基礎だ」
これは半ば確信している。
俺の鑑定スキルによる知識指導があれば、二ヶ月で技能を習得するのは簡単だ。一〇個のスキルをLv.1位に育てるのなら訳ない。二〇個でも可能だと思う。
だが、それには限界がある。舞踊スキルを習得して足運びが上手になったところで、ボクシングのフットワークが良くなるとは限らないのだ。
どうしても最後に物を言うのは基礎。
スキルを大量に取得して基礎能力をドーピングしている俺が未だに戦闘になると鈍臭い(いや戦ったことはないが、多分鈍臭いだろうと思う)のは、その基礎が欠けているからなのだ。
「よってチッタには、肉体鍛練、複数スキル取得、基礎トレーニング、実戦、を繰り返してもらう」
「へえ、なるほど……て、実戦ですか?」
「ああ」
やはり場数を踏まないと本番で緊張して力が出ないだろう。
幸い、実戦に関してはうちの奴隷達がいる。いないよりはマシだろう。
「あ、そろそろ限界か」
などと話していると。
ぜいぜいと肩で息をしながら、チッタが帰ってきた。
正しくは何度も行っては帰ってを繰り返していたが、そろそろ水汲みダッシュが出来なくなってきたのか、立ち上がることも困難そうだった。
うぷ、と顔色も悪そうで、どうやら吐き戻しそうならしい。
ミーナがうへえ辛そうですねと呟いていた。
「よしチッタ、ゆっくり、少しだけ水を飲め。一気に飲み過ぎると吐き気を抑えるのに逆効果だ。飲んで、休んで、飲んでを繰り返して吐き気を抑えるんだ」
「あ、ああ、商人、様、了解、す……」
言葉もかなり切れ切れで、随分と息が上がっている。
これは仕方ない。しばらく休ませたら、筋肉をほぐすためマッサージを行うしかないだろう。
そんな姿を見せたらミーナが嫉妬するに違いない。
ちょっと席を外して貰おう。
俺はミーナに槍の訓練を言いつけた。彼女は「終わったら私にもマッサージお願いしますね?」と少し期待するような目で俺を見ていた。
見破られていた。そんな目をされたら、するしかなくなるってやつだ。