第二話
ミーナがふと、俺の机に気が付いたようだった。
「あれは……ガラス瓶と、加熱器具ですか?」
「ああ、ちょっと調薬をしててね」
「調薬ですか!?」
現在俺がはまっているもの、というと調薬に他ならない。
調薬。
様々な材料を元に薬を作ること。
配合バランス、調薬の課程、それぞれにおいて深い知識が要求される。
例えば睡眠薬を作るにしても、配合バランスを失敗すれば人を殺す毒になる。
何をすればどうなるのか。
そういう詳しい知識がなくては、おいそれと調薬は不可能である。
「……主様って、どんどん色んなことに手を出しますね……」
「まあ、儲かるからな。それに手広く営業相手が欲しい」
俺が薬を作っている理由は複数ある。
一つには、病気対策。奴隷が熱を出したり風邪だったりすれば、早期に治したい。
他の奴隷に風邪や熱が移ってはかなわないからだ。
もちろん、間に合わないと判断すれば捨てる。
奴隷商としては、病人は切り捨てる、という判断の方が合理的になるのだ。
もちろん、なるべくそれは避けたい。利益の観点からも、周囲の奴隷たちの心証を加味しても、あるいは人道的な理由からしてもだ。
鑑定スキルがあるのだから、初期段階で異変に気付ける。
そうすれば服用する薬も簡単なものでいい。
後は体温を高めに保つこと、睡眠を深く取らせること、の二つで大抵は治る。
一つには、営業。
俺の作る薬は質がいいらしい。それは当然だろう。
配合バランスはかなり適切。
化学変化による薬物の変性を観察できる。
鑑定スキルにより質の良さを鑑定し、質を揃えられる。
何ならば、詳細検索により調合の手順のヒントまで貰える。
これで調合が上手くいかない道理はない。
結果的に俺は、正しい手順を踏むことにより正しいポーションを量産することに成功していた。
後はオアシス街の薬師に少し安めに売り卸すのみ。
当然向こうはこちらと懇意になってくれるというもの。
こちらも原材料との差額で利益を得るし、向こうもポーションによる利益を得られる。
こうやって営業先を増やしておく。
用があればうちの奴隷もよろしくお願いします。
そう顔繋ぎをすることは、訳ない話だった。
「……あくまで営業の道具なんですか」
「大々的にポーション屋とか薬売りを始めるには、人手も足りないし角が立ちそうだ。何より顧客からの信用がない。……営業展開の視野には入れているけど、今の所は小遣い稼ぎ、という奴だな」
小遣いというよりは割としっかりした収入源だ。
だが、様々な困難を思うと本格的に取り組もうと思うほどではない。
よって今は副業扱いである。
ユフィに少しだけ教えてはいるが、まだ俺より上手くは調合できないようだ。
あくまで将来への投資の一つ、ぐらいに考えている。
「もちろんミーナも知りたかったら教えるさ」
「……まあ冒険者ですしね……。暇があったら少しだけ習いましょうかね」
「そうか。薬草の知識とかでいいなら教えよう」
大凡の汚れは綺麗にした。
後は毛並みを整えて、軽くマッサージでも施すぐらいか。
重い荷物をずっと抱えて動き回っていたに違いないミーナは、確かに肩が凝っていた。
主様って、マッサージ師にもなれるんじゃないですか?
彼女はそんな軽口を叩いていた。
俺は苦笑する。
実は、療法術Lv.1の中にマッサージの技術の補助が入っているのだ。
いつの間に取っていたのだろうか、と思わなくもない。
◇◇
(人として生まれたからには名を残したくないか。……そういうセリフを奴隷商人様から聞くとは思わなかった)
皮肉な笑みを浮かべるチッタ。
今現在、彼女の専らな仕事は人頭奴隷のそれである。
「人材コンサルタント・ミツジ」の仕事。
それはいわゆる短期契約奴隷業、のようなものだった。
一瞬だけ人手が欲しい。
そういう需要は当然どこにでもあるもの。
例えば、石材を運びたいから人手が欲しい、などだ。
別に長期的に人手が欲しいわけではない、しかし今これを片づけないと困る。
そういう需要にあわせて、「人材コンサルタント・ミツジ」は人手を貸し出す。
売上は、それなりだ。
他の奴隷商たちも、「人材コンサルタント・ミツジ」に倣って人を貸し出す。
よってこの店だけが利益を独占する、ということにはならなかった。
ただ、主人のトシキは不思議な顔の広さがあった。
営業相手を不思議なつながりで獲得しては、お得意様を増やしている。
手際がいいというのか、発想が風変わりというのか。
とにかく、「人材コンサルタント・ミツジ」はそういう短期契約の仕事により悪くない実績を上げていた。
(……とはいえ、名前を残すほど成功した人は居ないんじゃないですかね、商人様)
チッタは石材を運びながら考えた。
別に今の待遇は悪くない。
むしろ今までより大分が改善されている。
例えば水なんか、主人が水魔法が成長したとのことで、飲む量の制限も緩くなったし、体をこまめに洗ってもいいと許可も出た。
食事も、稼ぎが良かったらいつもより豪勢なものが振る舞われる。
テントも一つ増えて、寝るスペースの問題も大分改善された。
つまり、不満の持ちようはない。
チッタはそれだけで満足なのだ。
ただ、考えてしまうだけだ。
名前を残したくないか。
あれほど大言壮語を吐いたからには、誰かまず一人、名前を残せるような夢を叶えさせただろうか、と。
(キャリアプラン、とか言ったっけ。……まあ、確実にその一歩を歩ませている、というのは分かるけど)
例えばカイエンなんかどうだろう。
チッタは同じ下級奴隷だから、カイエンの出世ぶりが分かってしまった。
魔物使いの賞金首を討ち取った彼は、ギルド専属冒険者としてそれなりに活躍をしている。
というより、蚤の市の前後で仕事が舞い込んで忙しかった冒険者ギルドに、体力あり冒険者経験あり戦闘技能ありの都合のいいリザードマンが見つかった、というだけなのだろうが。
しかしカイエンは結果的に、それなりにいい出世をしているように思われた。
そういえば新米のルッツもだ。
主人の都合で、料理ができる奴に肉炒めを作らせたかったらしい。
それがちょうど都合よくルッツに任された。
料理がしたくても出来なかったルッツ。それがいざ料理をするとなって、逆に躊躇いを覚えていた。
それでも作り続けるうちに、初めて自分の手で客に料理を振る舞う、という体験を経た。
彼は変わったと思う。
何かの覚悟を決め、主体的に作りたい、と言うようになっていた。
結果的に彼は、今は「居酒屋森熊」の料理人として働いている。
話題性もあってか、名前もある程度知れ渡っていることを考えると、ある意味カイエンよりも「名前を残す」意味では成功しているかもしれない。
名前を残す。
ふとチッタは思った。
確かにあの若主人は、それぞれの夢の第一歩を用意している。
しかし、名前を残すかどうかは結局個人の努力次第、という結論なのだ。
(……ならば、自分の夢も聞いてくれるだろうか。叶えられるかどうかは自分次第、でもそれまでの道筋に相談に乗ってもらえたら)
石材を倉庫に下ろしながら、チッタは汗を拭った。
ちょっとした夢。
それは、男に負けないこと。
(拳闘士。……いいねえ、一度は夢見るものだよ)
チッタはオアシス街の祭事堂を眺めた。
単純な理由。
強いとはどういうことなのだろうか。誉れとはどういうものなのだろうか。
その答えをチッタは、まだ知らない。