第一話
「ただいまです!」
帰って来るなりミーナはいきなり抱きついてきた。よほど会いたかったと見える。俺の胸元に顔をすり付けて、ひしと離れない。
顔をすり付けるってまるで動物では。そんなことを失礼ながら思ってしまう。
というか。
「ミーナ、体洗え」
二週間近く砂漠の遺跡にいたのだ。
ミーナからする匂いが、その。
「……」
ユフィが凄い顔で俺を見ていた。
潔癖症の彼女からすれば、信じられない光景なのだろう。
まず俺が気に食わない。だがミーナが壮絶なまでに不潔である。ソレに抱きつかれている俺。
ユフィの顔色は複雑だった。ざまあみろという気持ちと、汚いものと汚いものが混ざるのを眺めている生理的嫌悪感。そんな感情で、思い切り引きつっている。
「……体、洗わなきゃダメですか?」
何で洗わないって選択肢があるんだよ。
俺はつい顔をしかめてしまった。
ミーナがそれを見咎めた。思いっきり傷付いた表情になっていた。
すまん、しかめてしまった。
「……昔みたいに、お願いして良いですか」
耳元で囁くミーナ。
そう頼まれたら仕方がない、断る理由がない。
鷹揚に頷く。
後ろから感じるユフィの視線が、一段と厳しくなった気がした。
都合上、店主用テントに二人きりになる。
体を拭くために、バケツに水を張り、タオルを浸す。
水は水魔法で生み出したものだ。さらには火魔法の式を流用し、熱を与えている。お陰でバケツの水は程よい温水になっている。
サービスではない。温水の方が汚れが落ちやすいのだ。
「魔法、そんなに使いこなしちゃってるんですか」
ミーナは俺の手際に感心している。
ほぼ無詠唱。即時発動。
自分でも思う、まるで魔術に慣れ親しんでいる人間みたいだと。
種は簡単だ。
鑑定スキルによる補助が効いているのだ。
正しい魔法式。詠唱単語の意味。魔法陣構築の工程。これらを鑑定スキルは解説してくれる。
お陰で魔術への造詣はかなり深くなった。どういう意味合いなのか、の法則性が見えてきたのだ。
魔術スキル。
おそらくだが、魔術への造形が深まることも技能なのだろう。俺が魔術に詳しくなるにつれ、魔術スキルは成長していった。
それも圧倒的な早さでだ。
現在、水、火、風、精霊、全ての魔術スキルがLv.3になっている。
達成感。
Lv.3というのは一つの節目だ。ここからはスキルを育てるのが飛躍的に難しくなる。
案外簡単にそこにたどり着いてしまった、という呆気なさはある。
だが、俺は間違いなく達成感を覚えている。
「まあな、ある程度は使いこなせるようになった」
鑑定スキルのおかげで、とは黙っておく。
全て鑑定スキルのおかげだ。
詳細検索により、芋づる式に魔法式などを引きずり出して膨大な知識を学んだ。どんな魔法書よりも詳しく正しい知識だ。
俺のスキルの育ちが早いのも納得できるというものだ。
「主様、もう冒険者できるじゃないですか」
「まさか、出来るものか」
スキルのラインナップ的には可能かも知れない。
気配察知スキル、隠密スキルなどの戦闘補助スキル。剣術、槍術、格闘術、などの近接戦闘スキル。各種の魔術スキル。
きっと俺は相当『便利な』冒険者になれるだろう。
だが、足りない。
俺は危機感などや戦闘の勘などが足りないのだ。
端的に言えば野生。もう少し言葉を尽くせば、本来野生動物が備えているべき反射神経や動体視力などだ。
言わば、鈍臭い、という奴だ。
「あんなの、すぐ死ぬ自信がある」
「えー、私やってみましたけどそうでもなかったですよ」
ミーナが体を寄せながら笑った。
彼女が言うには、案外簡単だそうだ。
砂漠の遺跡は魔物がそこまで強くなく、罠も特に存在しない。
そのため基本戦略はサーチアンドデストロイ。淡々と遺跡を進んで、素材を適当に集めて、一杯になったら遺跡入り口の商人たちと素材と食材などを交換する、の繰り返し。
どんどん作業感が強くなってくるので、飽きますけどね。
肩をすくめながらミーナは笑っていた。
「ダンジョンによりけり、だと思いますよ。私の潜ったところなんか本当に初心者の肩慣らし用って感じでしたし」
「へえ、じゃあ人気じゃないのか? 冒険者だって楽して堅実に稼ぎたいだろうし」
「はい、そこそこ人気でしたね。……でもまあ裏通路使いましたからあまり混雑は感じなかったですけどね」
「裏通路?」
はい、とミーナは教えてくれた。
裏通路というのは、どうやらある冒険者が遺跡探索中に偶然発見された通路らしい。
報告は寄せられたもののまだ調査はしていない。
冒険者ギルドは、その通路の安全性を確かめたかったようだ。後回しにしていた件であるため、積み重なって合計六つ。
カイエンたちの依頼とは、その六つの裏通路を確かめることであった。
「まあ、遺跡のレベルから鑑みてもそこまで高難易度ではない、とのことでした。なので私たちが派遣されることに」
「なるほど」
「結果的に、裏通路は全て安全が確認されたので、そのまま冒険者ギルド公開地図に載るそうです」
ピースをするミーナがどことなく得意げだった。
ギルドの地図に残る仕事をしたんですよ、みたいな感じだった。
俺は、はいはい、と軽くいなした。
「ところでミーナ」
「何ですか?」
「前世って信じるか?」
がば、とミーナがこちらを見つめていた。
その反応だけで大体分かった。
「やっぱり紀人なんですね! だと思ってましたよ主様!」
「いや、ミーナこそマレビトじゃないのか? お前ゲームとかフラグとか言ってたし」
ミーナの表現が固まった。
いつか聞かれるだろうな、と覚悟していたことを聞かれた。そういう雰囲気が伝わった。
いやあ、と苦笑いしてから、急に真顔に戻る。
「……どうやら、そのようです」
「……何だ、その言い回しは」
不思議な言い回しが気になった俺だが、ミーナは言葉を噤んでいた。
「だって本名を無くしてるので、記憶がないんですよ」
どことなく悲しげな顔だった。
本名を無くしている。
その言い回しを聞いて、俺は一瞬考えた。
俺はそういえば、ミツジトシキ、という本名を保持したままであった。そして当然、転生するまえの日本の記憶も保持している。
彼女が言った台詞を合わせて考えると、つまり、名前と記憶には関係があるということだ。
「つまり、俺とミーナはマレビトで、しかし名前を覚えている俺は記憶があって、ミーナにはない、ってことか」
「……はい」
首肯するミーナ。
嘘を吐いている様子はない。
だが、にわかには信じがたい。何故ミーナはそんなことを知っているのか。
当然の疑問が脳裏を掠めた。
「……それは、お告げに教えてもらったからです」
お告げ。
ミーナは確かに巫女だ。
降霊の踊りにより霊体をその身に降ろし、時には神を憑依させる。そのお告げの言葉を聞くために。
「そうか。……本名は知りたくないのか」
「……どうなんでしょう」
鑑定スキルは、迷いを示していた。
ミーナの内心では、知りたいと思う気持ちと、知りたくないと思う気持ちが揺れ動いている。
俺は一瞬分からなかった。
知りたくない、それはどうしてなのか。
何か過去があるからなのか。
「まあ、知りたくない、という気持ちも何となく分かるよ」
告白すると、俺は適当に相槌を打っていた。
ミーナは首を横に振ってやんわり否定をする。そういう意味じゃないと。
「いえ、違うのです」
「違う?」
「……いえ、何でもありません」
嘘。
鑑定スキルが無くても分かるような、あからさまな嘘だった。
だが俺はミーナを責めなかった。
知りたくないものに目をつぶる気持ちは、何となく分かるからである。




