第三話
夜中になってのこと。
皆は寝静まっており、夜番の奴隷が周りを警戒している。
気配察知を走らせている俺には、色んな音が聞こえてくる。
イリの寝息が聞こえる。ヘティと俺と、夜番の奴隷の呼気が何となくわかる。
これほどまでに静まり返っているのだ。きっと、人の足音だって分かるだろう。
(ガルーダの卵を置いていった奴が誰か分かるまで、警戒を強めないと)
それが、俺が夜番の時間に起きている理由だ。
夢のお告げで卵をおいて貰った、とは俺は考えない。
そういう非現実的な仮説は最後の最後に考えるものだ。
だからこそ俺も夜番をする必要がある。
気配察知スキルを磨いているのは、俺と戦闘奴隷のみだ。
しかし戦闘奴隷も、気配察知スキルを積極的に磨いているわけではない。
夜番を経験してきたから結果的に、というだけで、結局は夜に周囲を警戒することを何度も繰り返したから身に付いただけ、という気休め程度のようなものだ。
俺は異なる。
俺は意識的に周囲の気配察知を行っているのだ。
マナを這わせる。マナの風の流れ(人によってはエーテル風とか呼ぶ人もいる)を読む。
普通に音を聞く。目を凝らせる。匂いに気を付ける。
気配と呼ばれるものを掴み取る。
その繰り返しの結果、俺の気配察知はLv.2にまでなった。
もう少しでLv.3に届く。
マナを効率的に運用できるようになったためか、気配察知のスキルの成長も早くなった。
結果、俺は「人材コンサルタント・ミツジ」の中で最も気配察知が鋭くなった。
奴隷たちよりも夜番に向いている主人だなんて、中々どうして面白い話だ。
俺とヘティは白湯を飲みながら、イリを眺めていた。
イリは卵を抱えたまま寝ていた。
寒くないように火の前で座って、しかし燃え移らない程度の距離で。
そんな様子を見て、俺とヘティは微笑んだ。
立派に卵を守っているじゃないか。
可愛らしい寝顔を晒して、全く無防備な姿だったが、それでも責任感は人一倍強いようだ。
こういう姿を見せられては、言い出しにくい。
「……卵、そういうことなのよね」
「ああ」
ヘティは恐る恐る尋ねた。
彼女も何となく気付いているみたいだった。
ガルーダの卵が孵らない可能性が高いということに。
イリの様子や、俺の様子で察したのかもしれない。
白湯を飲む。
夜の冷えた砂漠には、こういう暖かいものが欲しくなる。
砂は熱を保持しにくい。
だから夜は、過酷なほど冷えるのだ。
それは、卵が弱るのに十分であった。
「……ステラか」
ふと気配察知に誰か引っかかったので振り向くと、ステラがいた。
彼女もまた起きている奴隷の一人だった。
イリの背中にローブをかけたり、卵を時々回したりと、甲斐甲斐しく世話している。
「ステラ、いつもありがとう」
礼を言うと、にこりとするステラ。彼女は喋ることが出来ない。
こちらの言葉は分かるが、自分からは喋れないらしく、意志疎通は筆談か身振りかのみである。
過去に何があったのか、いつか聞こうと思っている。
どうなさいました、旦那様、と目で問うてくる彼女。
鑑定スキルがあるからこそ気付ける問いかけである。彼女とコミュニケーションを取れる人間はとても少ないのだな、と今更ながら気付いた。
「ステラ、君も母親だったのだろう?」
ええ、そうでした、とステラは首肯する。
「子供は元気か?」
今度は、静かに微笑むだけ。
ステラの返事に、俺は何となく察しがついた。
つまりステラは、息子の消息を知らないのだ。
鑑定スキルで調べると、彼女の息子はまだ生きていた、がそのことをどう伝えたものなのか迷った俺は、結局口に出さないことにした。
「ステラ。君ならイリに優しく接してあげられるはずだ」
はい、旦那様。ステラは畏まって頷いた。
きっと彼女ならば、気が立っているイリの側にいてあげられる。
彼女の優しさと豊かな経験があれば、そんなイリを優しく見守ってくれるはずなのだ。
今のイリは、少し俺には手が余る。
きっと俺には無理やり正論を押し付けるしかできないだろう。
しかし、ステラならば違う。
彼女ならばきっと、イリの弱音とかをぽろっと聞き出せるだろう。
どうして育てたいのか、という気持ちも。
「そろそろ寝よう、ヘティ」
ええ、と頷くヘティ。
油時計を見ると、夜も深い時間であった。星と油時計を見れば時間では夜零時あたりに対応するのだろう。
そろそろ睡眠をとらないと明日に堪える。
火の番は、夜番の奴隷とステラに任せることにする。
立ち去り際、「余り無理をするな」と伝えておいた。
砂漠の夜は冷える、ステラのような老いた体では堪えるはずだ。
ステラは軽く頭を下げていた。
お気遣いありがとうございます。そう答えているように見えた。
***
――名前は命を吹き込むことが出来ます。
それは信じるに値しない瑣末な迷信ではあったが、俺のふとした思い付きでイリに「名前を付けよう」と提案したのであった。
もしかすれば卵が孵るかもしれない、という想いを胸にして。
***
「――産まれた! 生きてる、生きてる!」
はしゃぐ声に叩き起こされた俺は、外に出てその光景に驚くことになった。
あの死にそうだった卵から、ガルーダの雛が一羽孵っている。
これは一体と思い雛を鑑定してみたが、まだ弱っているらしく、体を暖めてあげる必要がありそうではあった。
しかし、その雛は紛れもなく生きていた。
「生きてる……アスゥは、生きてる……!」
イリは、しとしとと涙を流しながらその雛――アスゥを抱いていた。
今までずっと怖かったのだろう。
この子が自分の手の中で死んでしまうのでは、という恐怖をずっと一人で耐えてきたイリは、今になって、溢れる涙を拭うことなくそのままアスゥを抱き締めて、身を震わせていた。
(これは……名前の力なのか……?)
呆気に取られていた俺は、背後から現れたステラに思わず「なあ、ステラは……」と何かを尋ねかけた。
ステラは知っていたのか。
その言葉は口に出る事はなかったが、ステラは静かに頷いていた。
はい、旦那様。と。
「アスゥ……私の、アスゥ……!」
喉の奥をくぅくぅ鳴らしながら泣き続けるイリを他所に、言葉は続く。
――ですが旦那様、私は、この子が死ぬのではと予感しておりました。
ステラの唇の動きは、鑑定スキルを持つ俺にだけ伝わった。
(……名前の力、だけではないだろう。もしかしたら偶然かもしれない。そうさ、そう決め付けるには早すぎる――)
だがもし、と俺は続きを考えるのを止めることが出来なかった。何故なら俺は、半分以上あの雛が死ぬことを――もはや運命なのだと確信していたからである。
だがもし、名前を呼ぶことで魂を呼ぶことが出来る、という話が本当なのだとしたら――。
アスゥが無事産まれてめでたいことであるはずなのに、俺は、ふと空恐ろしい気分に襲われた。
名前を呼ばれなかったら、俺は、どうなっていたのだろうか。




