第十七話
さて、蚤の市五日目に俺は残り二日、と述べたと思うが、正確には違ったようである。
蚤の市六日目、その日がマリエール、およびヤコーポたち名作劇団の出発の日となった。
「出発、最終日じゃないんだな」
「ええ、最終日はどうしても混雑しますし、出発するリザード便も高いので」
マリエールの視線の先には、リザード便という地竜種の力を使う馬車のようなものがあった。
砂漠の砂ではタイヤを取られるため、タイヤはなく大きなソリの様になっていて、それをデザートリザードが引っ張って進むのだ。
基本的にリザード便が旅立つのは夜である。昼は道中のオアシス近くでテントを張って休み、暑さを回避するために夜に道を進む。
それゆえマリエールや劇団の人たちは、六日目のオペラ演劇の舞台終了後、店で打ち上げを開いてひとしきり騒いでから、良い時間になってリザード便で次の街に旅立つつもりなのである。
「マリエールさん、でも良いんですか? せっかくの最後の日なのですから色々観光なさってはいかがですか」
「いえ、私はまだご恩を返し切れてないように思うのです。……店先での余興公演で、また踊らせて下さい」
「いえいえ、十分以上頂きました」
恩を返し切れていない、そう語るマリエールだったが、そんなことはなく、昨日受け取った小袋の中には何と金貨一枚銀貨一五枚があったのだ。
金貨は貰いすぎだ、と思ったので、金貨一枚は返そうとしたのだが、納めて下さいと聴かないマリエールだったので、じゃあ有り難く貰っておこうかなあなんて思っていたり。
もちろん後でこっそり銀貨七十枚程度のプレゼントを見繕ってお渡ししようかな、なんて考えている。
美徳の精神からくる行動ではない。
雇い主のヤコーポに、俺がしみったれた人なのだなと思われたりすると、折角のこのヤコーポとの巡り合わせにケチが付いてしまう。
そのため、こう振る舞うのが一番利益を見込めるだろう、という打算を働かせた結果のこの行動なのである。
(おや?)
ふと外のテントをみると、ルッツとちび三人が待機していた。
まだ肉炒めの販売の時間でも、歌などの余興公演の時間でもないので別に問題ないのだが、どういうことだろうと気になった俺は「おい」と声をかけてみた。
「……気付かれちゃいましたか」
まずはルッツがはにかみながらやってきた。その後ろをぞろぞろとちび三人がやってくる。
これってもしやルッツにはハーレム属性があるというパターンでは。
なんて下らないことを考えていると、ルッツが軽く頭を下げていた。
「実は僕たち、マリエールさんに挨拶しようと思いまして」
「あら嬉しい。君はオークかな? あの、お店の前でお肉料理を作っている子ね、知ってるわ」
「覚えていただいて嬉しいです。僕はルッツと言います」
「へえ、ルッツ君か……、賢そうな名前ね。ふふ」
「え、いや、ありがとうございます」
一瞬たじろいだルッツに、ちょっと照れの様子が見え隠れした。
まじかよ、後ろに三人もルッツガールズ侍らせといてマリエールにアタックかよ。なんて、悪ふざけにも程があるだろうか。
「マリエールさん。僕はふとマリエールさんの演劇を目にすることがありまして。……その、立ち聞きのようなことをしてすみませんでした」
「ふふ、良いのよ。……あーあ、ルッツ君に悪いおばさんだってばれちゃったかー……」
「おばさんだなんてそんな! その、そうじゃなくて僕が言いたいのは、その」
一呼吸入れてからルッツは「僕もなんです」と切り出した。
「僕もマリエールさんと同じで、料理しかなかった魔族です……。自分がしたかったことをしても正当な評価を受けなくて、苦しんだりしてます」
「あら、それは、そうなの……」
「その、踊りを続けても結局評価されず、ただ見世物だった、みたいな表現に、僕は凄く思うところがあって、その」
「……ふふ、もっとはっきり言い切ってもいいのよ? ただ見世物だった、傷のある女ごときがいくら踊ったとしても笑い物だったって」
「そんな! その、それは、……巡り合わせのお話だと思っています」
マリエールがけろっと穏やかじゃないことを口にするものだから、ルッツはたじろいで言葉を選んでいた。彼は、彼女の気持ちが分かってしまうから、却って言葉に気を使ってしまっているように見えた。
「僕は、マリエールさんのことを尊敬してます」
「尊敬? まあ」
「……自分のしたいことを徹底的に見世物にされて笑われるっていうのは、僕はまだ体験してないですけど、もしかしたら将来そういう目に遭うかもしれません」
「……」
「そんなとき、僕は、それでも世に感動を与えて塗り替えよう、だなんて思うことが出来るのか、そんな自信がありません……」
絞り出すような声のルッツは、どこか所在なさげな言葉を漏らしていた。
マリエールはそんな彼に、どこか自嘲を含んだ微笑みで答えた。
「それは違うわ。私は、復讐したかっただけよ」
「でも」
「私ね、私ごときみたいな醜い女に、世間が打ちのめされるのってとても滑稽だと思うの。構図として面白くない? 何かようやくお前たちを跪かせられた、みたいなね。……私、それがしたかっただけよ」
「……そうですか」
皮肉な笑みを浮かべたマリエールに、それでもルッツは呟く。
「でも、僕はそれが凄いと思うんです。僕も打ちのめしたい、なんて考えたことはあります。ありますけど、僕、何というか……そんな考えありませんでした」
「それで良いのよ、その方がきっと正しいわ」
「いえ、勇気が湧いたんです」
勇気が湧いた、そんな言葉にマリエールは、え、と驚いていた。
ルッツはそのまま、はい、と続けた。
「僕の料理がダメだと言われても、ならば今度は打ちのめしてやろう。それって凄く前向きな発想だと思うんです。僕、これから困った時はそう考えて、歯を食いしばって耐えようって思えたんです」
「……」
「ありがとうございます、マリエールさん」
「……ふ」
頭を下げるルッツに、小さな声でマリエールが「こちらこそありがとう」と呟くのが、微かに聞こえたような気がして。
「嬉しいわ、ルッツ君。頑張ってね」
「はい、頑張ります。……料理とは何なのか、答えを得るその日まで頑張りますとも」
「ふふ、格好良いね」
「え! あ、いや、その」
次の瞬間にしどろもどろになってるルッツは、それはそれで微笑ましかった。マリエールも「可愛いわね」と笑っている。
そして三人娘も、そんな最後にあまり締まらないルッツを見て苦笑のようなものを浮かべていた。
だが、俺から見たらルッツは格好良かったぞ、とも思っている。こういうちょっと年上の女の人にからかわれたりして振り回されるのは愛嬌である。
「あの、えっと、その、私もいいですか?」
続けて、今度はネルが出てきた。
おずおずとした態度で、静かに前に出て「ま、マリエールさん!」と名前で噛んでいた。随分緊張しているようだ。
「その、生意気なこと言ってすみません!」
「ネルちゃんね? ふふ、いや、凄くいい言葉だったわ」
何やらネルが説教でもしたのだろうか。そう思ってちらっとイリを見ると「感動は素晴らしい。そう言ってた」と教えてくれた。
なるほど。あの時、そんなことを伝えにいってたのか。
「死にそうなときでも感動すれば、生きようと思う。怒ったときでも感動すれば、人を許そうと思う。……とても良い言葉ね。私感動しちゃったわ、ふふ」
「え、えへへ、それ、ヤコーポさんの言葉でして」
「あら、そうなの! ヤコーポさん良いこと言うね、へえ」
「……マリエールさん。私マリエールさんに感動しました」
ぺこりと音のしそうな綺麗なお辞儀を見せるネルに、あら、と笑うマリエール。
「それは脚本が良かったからよ。ありがとうね、ネルちゃん。そして……トシキさん」
「いえいえ、私よりネルをいたわって下さい。こいつ、本当に良く頑張りましたから」
俺の方にも感謝を述べるマリエールに、俺は軽く話をネルの方へと戻した。
ネルは、ええと、と戸惑いながら言葉を探している途中だった。
「その、脚本は私、特に何もしてなくて、その」
「あら、そんなことないと思うけどな」
「いえ、マリエールさんの魅力を伝えるなら、ありのままのマリエールさんを書こうって思っただけで、私は何もしてません」
言うなりネルは困ったように笑って。
「私、マリエールさんの話を聞いてたら、凄くそれだけで頑張って欲しいなって思えて。だから私、あの入団テストの時のオペラが感動的だったのはきっと、マリエールさんが真剣に人生を生きたからだと思ってます」
「真剣……」
「私はマリエールさんのオペラを見ることが出来て、もう満足しました。貴女のオペラを脚本したのも本当に良い経験でした、ありがとうございました!」
ふと気付いたことだが、ネルの言葉がしっかりしてる気がする。気のせいだろうか。
彼女も何か成長したのだろうか。だとすればそれはちょっと嬉しいことだ。
「私も、感動しました、ありがとうございました」
「私からも礼を述べます。ありがとうございました」
イリが拙く礼を述べて、それにユフィが倣って頭を下げていた。
マリエールは「ふふ、嬉しいわ、ありがとう」と軽く笑みを浮かべていた。
随分と心温まる交流だったじゃないか、なんてことを俺は思った。
ふと油時計で時間を調べてみると、そろそろ中天の良い時間だ。頃合いもいい。
俺は、そろそろ準備に取りかかろうか、とみんなを促した。
みんなはそのまま、持ち場へと戻るためにその場で一旦別れた。
今日は良い日になりそうだという予感がした。そしてきっと実際に、今日は良い日になると思う。マリエールが旅立つ日なのだから、そうでないと困る。